第26話 彼

「ジェラルトが俺に、ですか?」

 翌日になれば、気を失っていたジェラルトが目を覚ましたらしい、とメイドたちが騒がしかった。


 今回の件もあり、ルチアーノはジェラルトの付き人と名ばかりの役を降ろされ、次いでカロムとデリーも当然のように王宮から足を退くことになった。

 彼女の護衛、下っ端として訪れたことになっているのだ。自然とそうなる。カロムはそのことに心を撫で下ろしていた。


(王宮は建物は良いが、息が詰まりそうだ)

 王宮なだけあり、高貴な人間に仕える人間もそれなりに位の高い。そんな人間たちは礼儀作法も様々施され、育て上げられてきたに違いない。

 カロムとデリーは彼女たちと直接関わり合うこともなかったが、遠くから見ていても場違いであることは、明確であった。自身たちもそう思えて仕方がなかったのだ。


 三人が王宮を去るとされた日。ルチアーノだけがジェラルトの元へ挨拶に向かった。

 彼女の護衛としての役目を果たしたとはいえ、国の王子に傷を負わせた張本人と、それを促した男が顔を合わせることは許されないだろう、という話に至り、そのような形になった。

 ルチアーノの戻りをカロムとデリーは今日をもって去る自室で待っていれば、変わらず三度のノックが鳴る。ようやくか、と二人はベッドから腰を上げた。


 しかし、扉を開いたルチアーノが呼んだのは、カロム一人であった。

 内容は、ジェラルトがカロムを名指しし、部屋に連れてきて欲しいとルチア―ノに頼んだとのことであった。


「何で俺を?」

「知らないわよ。詳しいことは聞かされていないもの」

 彼の部屋を向かう途中の廊下で、ルチアーノに尋ねたが彼女は首を振って「知らない」とだけ言うのだ。


(もう一人の人格でないならば、聡明で真面目な男だったはず。殴られたことに腹を立てて責めてくるとも思えないが……)

 何せジェラルト本人との関わりは、最初の挨拶のみ。自分が呼ばれる理由が思い当たらない。


 脳内に一人の女の顔が過る。


(……あの母親が、何か告げ口でもしたか……)

 あるとすれば、と一つ出たのが、ジェラルトの実の母であるエリザベスが何かをした、ということであった。



「失礼します」

 ルチアーノに背を押され、ジェラルトの自室に足を踏み入れる。

 王宮に訪れた初日同様、カロムは頭を深く下げ、あまり顔を合わせないようにした。

「……ああ。お前がカロムだったのか」

 未だにベッドに足を入れ、横たわってはいなかったが病人のような施しを受けているジェラルトが、カロムの方を向いた。


(……き、気まずい……)

 事実上、義兄弟とも言える二人であるが、互いの認識は赤の他人のようなものである。つい先日までは対面したこともなかった二人だ。

 足が床に貼り付くように、カロムはそこから動けずにいた。

 そんな様子のカロムを下から上へと全身一度流すように見たジェラルトは、「ふ……」と笑みに近しい息を溢す。


「顔を上げてくれ。心配するな。お前にも、もう一人にも怒りや恨みなど持っていない」

 その言葉遣いと物言いの柔らかさから、彼は中に隠されたであろう出生時に殺された方の人格ではないと、カロムは確信出来た。

 言われた通り、カロムは下げていた頭をゆっくりと直す。それでも上手く目を合わせることが出来ない。

「……お身体の具合は」

「ああ。皆が世話を施し過ぎなんだ。普通に一人で食事も取れるし、仕事だって出来る。安静と言われ、この様だがな」

 情けなさそうに微笑んだジェラルトを見て、カロムは何処か毒気を抜かれたような気分になる。


「私に何か御用が……?」

 カロムはおずおずと尋ねると、ジェラルトの男らしく育て上げられた筋肉で太い腕が、外に出てきた。そして、大きな手が数回手招く。

「なにもそんな遠くで話すことはないだろう。近くに来てくれて構わない」

 扉前で立ち止まっていたカロムに「近寄れ」という意味を込めて振られる手。それを拒む訳にもいかず、カロムはゆっくりと足を進める。

 ピタリ、とジェラルトの座るベッドの横に立つ。出来る限り背筋を伸ばしたままの姿勢をする。緊張に近いものを感じていた。

「そうかしこまるな。……母上に話は大方聞いている」

「!」

(……やはり、あの人が)

 予想的中というように、ジェラルトはエリザベスから何かしらを聞かされていたらしい。

「……何処まで、聞いたかは分かりませんが、把握し難いことも多々あると存じます」

「ああ、目を覚ませば首の後ろには痛み、頭痛も少しあった。それすら意味も分からなければ、突然生まれてこの方、顔を合わせたことのないはずの母親と名乗る女が横に立っていたんだ。暫くは何が何だか、だったな」

(暫く、と言ってもジェラルトが目を覚ましたのは今朝、という話だ。それを今では大方の整理をつけているのなら、出来た人間だ)

 カロムはそれよりも、目を覚ましたばかりの怪我人に、これまで隠されていた物事を話すエリザベスの神経を疑い始めていた。


「……酷いものだな。笑いたくなったよ。自分の情けなさに」

 ジェラルトは「はは」と笑い声とも思えない笑いを見せれば、自身の膝の上で両手の指を絡ませながら、そのまま置く。


「両親のことも何も知らない。それ以前に自身のことすらも何も知らずにいた。周囲からの眼が変であることは薄々気付いていたが、それを深堀りしなかった。……まさか、自分の中に別の人格がいたなんてな」

「人格を複数持つ人間の中には、違う人格が出ていること理解している者もいれば、人格一人一人に名前がある者もいるそうです。……ジェラルト様の場合は少し特殊かもしれませんが」

「皆が知っている私を、私だけが知らなかった、なんて滑稽話だな。……その別の人格が出ている時の記憶はないし、その人格と私が直接、脳や心なんかで話したこと記憶もない」


 両手で合わせ、握り込み、そこにジェラルトは自身の額を乗せれば、情けない声でそう話す。

 しかしカロムがチラリと隙間から見たジェラルトの顔は、悲しそうで少し懐かしそうな顔をしていた。数秒考えてから、カロムは微かに唇を開く。


「失礼を承知で、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 一度断りを入れれば、ジェラルトは額を上げ、カロムの方を向く。そして小首を傾げて「ああ」と承諾する。


「本当に、何一つ、覚えていないのですか?」

「……どういう、ことだろうか」

 カロムはチラチラと横目でジェラルトの様子を伺う。彼の言葉に、一度口を閉ざしたジェラルトであったが、その真意を尋ね返す。

「いや、違うのならばいいのですが……、少しだけ、《彼》の方を不憫に感じている自分がいるのです」

「……《彼》、というのは、人格のことか? 不憫、というと?」


 変に気に触れれば、処す処されるの身分の間柄である。言葉遣いを間違える訳にはいかない。

(まぁ、少しの不躾でもこの男が父親のようにすぐに処罰だ何だを言う人間とも思えないが……)

「気分を害されたら申し訳ありません。今から話す内容は私の想像の話です。深く考えないで頂きたいのですが……」

 念には念を、と前置きを長くすると、ジェラルトは迷う素振りもなく、短く「構わん」とだけ言う。


「私が見た、聞いたもう一人の人格は、誰かと話しているように思えました。きっと無意識の中のジェラルト様本人が話していたのだと思います。会話の内容は酷く物騒で、殺すだなんだ、なんてものでしたが」

 別の人格が出ている時を知らないというジェラルトの言葉が本当なのであれば、癇癪と呼ばれたあの時間に葛藤し、のたうち回る中で彼の口から発された誰かと言い合いをするような二人分の声は、一体何だったのだろうか、とカロムは考えていた。


 片方を別人格とし、もう一人をジェラルトの無意識の中にいる彼本人であると、勝手な推測をしていた。

「殺す、と言っていたのは別人格の方であったと思います。その殺す対象は、恐らくヘリヴラム王……父親のことだと思いました。私と王妃の勝手な推測ですが、別人格は、ヘリヴラム王たちに殺された双子のもう一人だと考えています。ならば、殺された恨みから、そんな言葉を言ったのか、とも思えましたが……」

 カロムは息を飲んで、一度言葉を詰まらせる。

 ジェラルトはカロムの目をジッと見る。真実を知りたがっている顔であった。それを確認してから、再度口を開き始める。


「自分が殺されたから恨んで、殺したがっている……というよりも、自分を殺した人間たちから、ジェラルト様を離したがっているように見えました」

「……私を、離す?」

 カロムはジェラルトに真剣な眼差しを向けて、小さく頷いた。


「いくら赤子とはいえ、殺人です。その行為は残虐で、酷なものです。それを行動と移せる頭を持った者の集まり。とても良識のある人間とは言えません。そんな非常識な頭の持ち主たちの近くに、貴方を、同じ腹に身籠られた兄弟を居させたくなかった。……しかし、何せ王家、ヘリヴラム。父と貴方を距離として離すことは不可能。……そのため、最悪の手。自身がされたことをヘリヴラム王にするしかない、と考えたのではないでしょうか」

 現王と次期王。切っても切れない関係性の親子。物理的に距離で引き剥がすことは出来ない。そうなれば、と別人格はヘリヴラム王本人を亡き者にしようとした、それがカロムの想像した殺された赤子の意志である。


 ジェラルトはそれを聞けば、渋く苦い顔をし、受け止め難いという表情であった。

「あくまで私の行き過ぎた憶測です。……ただ、もしそうなのであれば、《彼》は、貴方を共に生まれた兄弟を守りたかっただけ、なんだと思います。……それをただただ、暴れ回る暴君で片づけるのは、同情せざるを得ないのです」


 全ては根拠ない話である。カロムの嫌いなものである。


 しかし、心情、ましてや人間の精神に居座る人格など、根拠や確証があるものではない。本人にも分からないと言われてしまえば、それまでだ。想像としかなり得ない。


 もしかしたら、ジェラルトという男が二重人格を演じているだけ、なんて可能性も捨てきれないのだ。

(そうは、思いたくないが)

 ジェラルトは黙り込んでしまう。そして両手に力を僅かに込めているようであった。


「……そうだな。何一つ、という訳でもないのかもしれないな」

 小さく口を開いたジェラルトの言葉に、カロムは目を見開いてしまう。

「今、私の中に存在するかもしれないその別人格については何も知らない。それは本当のことだ」

 ジェラルトは今にも泣きそうな表情を浮かべていた。


「これは確かな記憶ではない。……いつかの夢が頭の片隅に残り続けているのだと思っていた。知っているか、胎内記憶というやつを。出生する前、母体の中の記憶があるというやつだ」

「胎内、記憶ですか……?」

 一度頷いたジェラルトは、視線を上げて何もない部屋の壁を見つめる。

「暗く、何か聞こえる訳でもない。しかし、暗闇の中に何か、一つ物があって、感じるはずのない生まれる前の手に柔らかい何かが触れたような記憶。……今までは、子供の頃に見た意味の分からない夢が、勝手に脳内にこびりついて離れないのかと思っていたが……、母上から自分が双子であったことを聞かされれば、一つ考えてしまうことがあるよ」

 それがどのような考えか、などは話をしていれば、カロムは容易に想像が出来た。

「一つの物、というのが、双子の片割れ、ということですか」

「分からん。本当にただの夢が頭に残っているだけかもしれない。……生まれ、ジェラルトとなった私は、そのもう一人の顔も知らないのだ。しかし、双子だったなどという事実はあるのだ。自分の中に残る謎の記憶と組み合わせてスッキリさせたいだけなのかもしれない」

 ジェラルトは子供らしい笑みを浮かべ、「我儘だろうか」とカロムに問う。

「いいのではないですか。個人の思い込みや考え方で他人に害を与えないのであれば、好きにして良いと、私は思います」

 カロムは瞼を伏せて、ジェラルトの問いかけに自分の考えを説いた。そうすれば、ジェラルトは「ありがとう」と感謝を述べる。



「国王交代の儀の予定日などは決まっているのですか?」

 そういえば、とカロムは思い出した。

「いつ、とは決まってはいない。父上や国上層部の仕出かしたことは許されることではないが、彼らがこれまでの悪事を易々と表沙汰にするとは思えん。それに、関係する人間でまともに口を聞ける全員が、表沙汰にしようなどと考えていないんだ。そうなれば、予定通り本日行われても国民は疑問を抱かないだろう」

「しかし、今日は執り行われなかった」

「父上と国の判断だ。善人になった訳ではないが、少しは冷静に物事を考えられる頭を取り戻したのだろう」

(……お偉いの子供は、決まってこうも平然と実親を貶せるのか……)

 小悪魔らしい少女が、国上層部の父親に冷徹な瞳で見ていた姿を思い出しながら、カロムはしみじみとそんなことを考えてしまう。


「申し訳ありません。そろそろ出る時間が迫っておりまして……」

 話をしていれば、ルチアーノに勝手に決められた出発時間が迫り始めていた。失礼とも思えたが、この場を去ろうとジェラルトにそう声をかける。

「そうか。……迷惑をかけたな」

「いえ、私は何もしておりませんので」

「何もしていない、などと言うな。少なくとも、私はお前に救われた人間だ。心から感謝する。お前がいなければ、私は情けないままで王の座に就くところだった」


 男らしい整った顔立ちのジェラルトは、優しく微笑んでカロムに言うが、カロムは何とも言えない表情を浮かべる。

「情けないのは、私です。今回のことで明るみに出ましたが、私はもっと早く行動を起こそうと思えば起こせたのです。自分がヘリヴラムの隠し子だと言っていたのなら、国の裏側を既に明るみに出来ていた。私はそれを怠り、面倒事は全て見て見ぬ振りを続けてきただけです。……国のため、などと剣も握ることもなく、自身で何かを解決しようなどとは思ってきませんでした」

 カロムは自身を否定する言葉ばかりを吐き続けた。彼は人から感謝されるような人間ではないと、自負していた。

「対してジェラルト様、貴方はやはり出来た御方です。双子はヘリヴラムの血を分け合うとされているそうです。それ故に、一人一人に流れる遺伝子は減り、剣術などは過去のヘリヴラム血縁者よりも長けなかったのではないですか?」

「……幼少期から、父上は私に剣術の稽古に関しては厳しかった。それが当たり前と思えていたが、今になれば、そんな理由があったと分かれば、笑えてしまう」

「もう一人の《彼》は、自分がいなければ、などと言っていました。自身の存在のせいで、貴方に一人分のヘリヴラムの血が渡らなかったことを悔いたのでしょう。……理由は知らなかったとしても、二十年、剣と向き合い努力されたのは、ジェラルト様、貴方自身の強さです。自分を情けない、などと思わないでください」

 カロムはそれらを告げれば、一つ礼をして、ジェラルトの前から立ち去った。



 ジェラルトはカロムが消えていった扉を暫くベッドの上から眺めていたが、視線を窓の外へと動かす。陽が部屋に射しこむ時間であった。

「守りたかった、か……」

 ジェラルトは一人残されてから、自身の心臓辺りに片手を持っていく。鼓動がどくん、どくんと鳴っていることが感じられる。

 心の内に別人格の、カロムの言う《彼》が居るのではないかと考え、そのような動きをしたが、勿論、《彼》が反応することはない。


 ジェラルトは扉へと視線を戻し、微かに唇を開く。

「……ありがとう、義兄弟カロム

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