第12話 食事係

  国王がヴァルゼル=ヘリヴラムから、息子のジェラルト=ヘリヴラムへと交代される日が近づいていた。ジェラルトの二十歳になる日まで、あと一週間を切っていた。


 一人の使用人が、主菜、副菜、その他数品の食事が盛られた食器をワゴンで運んでいた。王宮内も世間も国王交代にあたって、一層騒がしくなっている時だった。

 三回ノックをしてから、入室した部屋の中は薄暗かった。人の気配も無いに等しいような部屋であったが、確かに一人、女がポツンとベッドに座っている。


「……お食事をお持ちしましたよ」

 使用人はメイドの格好をしていた。一言、室内にいる女に声をかければ、ピクリと動いた。



 先日まであまり使われていなかった王宮内の一室。書庫。そこは既に要らない資料などを溜める倉庫、ゴミ捨て場とまで言われていた。

 しかし、一、二週間前にジェラルト=ヘリヴラムの付き人として一人の女と、彼女の下っ端となる男二人が、ヘリヴラム家の使用人となった。

 付き人の女は、国上層部の娘らしく、ルチアーノ=ガーネットといった。となれば、王宮に仕えている使用人たちよりも、身分は高くなる。


 しかし、下っ端とされた男二人は、そうではないらしいと話が出回っていた。彼らに関しては、上の誰からも詳細が教えられることはなかった。


 ルチアーノが下っ端二人に仕事として、その書庫の掃除を頼んだらしく、ここ最近は書庫内が少し騒がしくなっている。それだけが王宮内の使用人たちには伝わっていた。




「お仕事中に申し訳ございません」


 王妃、エリザベス=ヘリヴラムの部屋から空となった食器を運び出したメイドの背後から、若い女の声が聞こえた。

メイドがその声に振り向くと、そこには青い瞳をきらりとさせ、艶のある白い肌で、綺麗な銀色に光る長髪の美少女が一人。


 そして、その横には見知らぬ王宮内では珍しい若い男がいた。


 この国の規定では、若い男は兵士育成学校への入学を余儀なくされる。身分にもよるが。

 それでありながら、王家の血縁者の中に見たことのない顔だったので、メイドは驚いたが、出回る噂を思い起こした。

「えぇっと……貴女方は……」

 少女がルチアーノであることは分かった。とすれば、隣の男は下っ端の片方なのだろうと考えることが妥当であった。

「私、先日よりジェラルト様の付き人をしております。ルチアーノ=ガーネットと申します」

「……カロム、と申します」

 ルチアーノと名乗られ、メイドはやはり、と思った。隣にいる少年は、身分が下なはずだが、彼女よりも愛想のない挨拶であった。

名前はカロム、と言った。

「私に何か御用でしょうか?」

 ルチアーノを見て、穏やかにそう問いかけると、彼女は綺麗な青色の瞳を消し、微笑んだ。

「王妃の付き人、シャロン=ヴィンセント様で、お間違えないでしょうか」

 可愛く、綺麗。そんなどちらも当てはまる容姿を持つルチアーノは、愛らしく小首を傾げながら、シャロンに尋ねた。

「…………ええ。そうです」

 彼女の返答にいち早く反応を示したのは、尋ねたルチアーノではなく、その隣にいる愛想のないカロムという下っ端であった。




 カロムとルチアーノが、王宮に仕える使用人のうち、王妃の食事係について調べるとしたあの日。

 その翌日には、仕事の早いルチアーノは既に、それが誰か、何者かまで調べ上げていた。しかしカロムと、二人の行動や言動についていけないデリーの二人に、結果を伝える彼女の顔は何処か薄暗かった。

 二人ではなく、カロムの顔を伺っていたことから、カロムは薄々勘付いていたことは、真実だったのか、とそれだけ思った。


「……シャロン……、ヴィンセントよ」

「……ヴィンセント……、ヴィンセント!?」

 驚きの声を書庫内に響き渡らせたのは、デリーであった。理由は明確である。彼の隣で静まる男と同じ姓名なのだから。

「……君の知り合いなのかい? それとも偶然……?」

「……どうだろうな」

 姓名が同じ本人はさほど驚く素振りもなければ、何処か飄々としていて、知っていた、と言う顔である。

 あまりにも冷静な友人を前に、騒いだデリーも冷静さを少し取り戻す。

 カロムは冷静になりかけているデリーを横目に見据え、口を開く。

「父と母は……」

「貴方の、育ての親の名前と一致したわ」

 二人の会話に、デリーは妙な引っ掛かりを覚えたが、それが何かを理解する前に、二人は素早いテンポで会話を進めてしまう。

「やっぱり、そうでしたか」

「……でも、これが分かったとしてどうなるの? 確かに、王妃の食事係がヴィンセント夫妻の娘ということには私も驚いたけれど……有り得ない話、とは言えないわ」

 一般民家の生まれであっても、女であれば王宮に仕えることは難しいとは言えど、不可能という話ではなかった。

身分差という壁を越える程の仕事を熟す娘だったのであれば、王宮に仕えることは可能なことであった。

ヴィンセント夫妻の実娘が、優秀であり、王宮に使用人として雇われる程であった。決してない話ではなかった。

「ああ、そうですね」

「カロムのお姉さんが、王妃の食事係ってこと……?」

 カロムをヴィンセント家の実子だと思っているデリーの中では、そういった解釈になったが、ルチアーノとカロムの中では、全く違った解釈になる。

「……そうなれば、本人に聞くのが一番早いでしょうね。……シャロン=ヴィンセントに」

 瞼を伏せながら、カロムは一言静かにそう言った。デリーは一度も見たことのない友人の表情に驚いていた。

「聞くって……何を……」

 デリーにはその後何も告げられずに、ルチアーノとカロムの二人のみが、何かを理解したようにして、その話を切り上げた。



「私に何かお話がありそうですね」

 シャロンはルチアーノとカロムを交互に見定める。

どちらも何かを聞きたげだと、彼女は察したようだ。

「王妃、エリザベス様の具合は如何ですか?」

「お食事は普通に取られています。外にはまだ出ることは出来ないでしょうけれど」

「私はこれまで、エリザベス様のお姿を拝見したことがないのですが、いつから外には出られていないんでしょうか」

「……もう、二十年近くに、なりますかね……」

 無駄なく淡々と質問するルチアーノと、それに卒なく正しい返答をするシャロンを、カロム黙って見ているだけである。

「二十……、だから私は見たことがないのですね。……まだ、生まれていませんもの」

「恐らくそういうことですね。それを聞きたかったのですか」

 どうにもシャロンは、何かに納得していないようだった。

天才児と讃えらえたルチアーノ=ガーネットが、こんな世間話程度のことで、わざわざ話かけてくるとは思えなかったのだ。

 そして、隣にいるカロムも何処か怪しい。下っ端二人を常に連れているというのであれば分かるが、片方だけであり、彼の表情は陰っているように見えた。

「貴女に聞きたいことは山程あります」

「……申し訳ありませんが、私も忙しいもので……」

 シャロンはルチアーノと自分の身分差を理解しながらも、やんわりとルチアーノの言葉を断つ。一礼し、仕事に戻ると背で語るようにして、二人の前から立ち去ろうとした。

 ハッ、と小さく息を吸う音が聞こえた。その声はルチアーノの女らしく高音で、澄んでいる声質とは異なった呼吸音だった。


「……ベルモンド=ヴィンセントとアリエット=ヴィンセントは、貴女のご両親ですか」


 若く、落ち着きのある男の声であった。この場に男は一人しかいない。

 シャロンは二つの名前に反応をするようにゆっくりと振り返る。瞼が伏せられていたが、ゆっくりと持ち上がるようにして黒い男の瞳は、シャロンの姿を映す。カロムはシャロンの顔全体を全て目で捉えてから、彼女の瞳をジッと見つめた。

「……どうして知っているのかしら?」

「ご両親と最後に会われたのは、いつですか」

「ルチアーノ様はともかく、貴方は私にそんなことを言える立場の人間なのですか?」

「二十年前ですか」

「話が通じないのかしら。こちらが聞いているのよ?」

 パッとしない暗い表情をしているルチアーノの下っ端如きが、自身の問いかけに答えないことに、シャロンは苛立ちを覚え始めた。長いメイド服の裾に隠れた足をタンタンと床に打ち付ける。貧乏揺すりをし、苛立ちを表した。


「その時、貴女は一人の赤子を彼らに託したのではないですか?」

「!!」

 シャロンは目を見開いて、無礼な自分よりも身分下なはずのカロムを見た。驚くのも無理はなかった。彼が言う事は何一つ違っていなかったのだから。

「どうして、貴方がそんなことを……」

 カロムはその問いにも答えようとはしなかった。シャロンから視線を外し、床へと目線を変えただけである。

「……一体、何を思い、赤子をヴィンセント夫妻に預けたのですか」

「こちらの質問に答える気は、ないのね」

「質問に答えて、何かになるのでしょうか」

「そう。貴方がそう言うのなら、同じ言葉を返すわ。貴方なんかの質問に私が答えて、何かになる?」

 徐々にシャロンの頭に血が昇り始めた。目の前の身分も弁えないような無礼な若僧に。

「真実を知りたいだけです。何かにはならないかもしれません」

「……では、こちらも回答を拒否させて頂くわ」

 突然のヴィンセント夫妻の名前に驚き、足を止め振り返ってしまったが、話が通じない、時間の無駄と判断したシャロンは、二人から遠ざかるように足を進めた。


「何か、にはなりませんが、自分にはそれを知る権利はあるのだと思います」


「……ふふっ、貴方何を言っているの?」

 シャロンは馬鹿らしく思う。

 意味不明なカロムの言葉に思わず、また足を止め、振り返って嘲笑する眼差しを向ける。脳の無い子供に過ぎないと。


「きっと、私と貴女は初めましてではないはずです。……ヴィンセント夫妻に赤子を預けたのが、貴女なのであれば」

「…………」

 シャロンは黙り込み、考えてしまった。無礼な若僧の言葉の本当の意味を。


 重要な何かを隠しながら、こちらに考えさせ、正解を導かせようとする彼が癪に触り、正解を出したくなってしまった。


 シャロンは、ハッとして、再度目を見開いてから、カロムの方に視線を向けた。そして奥歯をグッと噛み締める。彼女の中で一つ予想が出来上がったのだ。


「貴方、名前は?」


 ふと、彼が自分の名前を『カロム』としか言わなかったことを思い出した。ルチアーノですら、姓名まで名乗ったというのに。

「……どちらで言えば良いのでしょうか」

 悩んでいるように、問いかけるように語りかけてくるカロムは、名乗り方をもう決めていた。


「……カロム、カロム=ヴィンセント……、そして、カロム=ヘリヴラム。……私の本名はこの二つです」


 やはり、とシャロンは思った。

 自身が過去、約二十年前、ヴィンセント夫妻に手渡した赤子が、目の前に現れた。成長した姿で。


「……そう。初めまして、ではないわね」

「もう一度聞きます、何故、私を、俺をヴィンセント夫妻に預けたのですか」

 真っ直ぐに見つめられたシャロンは、息を「ふっ」と吐き出す。そして何かから解放されるかのような表情を浮かばせて、カロムに微笑んだ。


「確かに、貴方には真実を知る権利がありますね」


 その哀愁を含ませた微笑みは、誰かの母親のようであった。

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