第19話:だから私は、歩が好きだよ

――新宿警察署、合同捜査本部

 桐谷たちが参加していた歌舞伎町銃撃事件捜査本部は、トー横での全裸男事件、平和島旧白龍運送抗争事件などを踏まえ、合同捜査本部とその名称を変えていた。

 科捜研から戻ってきた桐谷はその足で合同捜査本部の定時報告会に出席した。

 桐谷は先と同様に、箱型に変形したソフィアを傍らに置こうとしたが、衆目を集めたため床に置き直し、誰にも聞こえないように絶対喋るなとソフィアに念押しした。

 桐谷の本心としては、この場にソフィアを参考人として差し出し、事件の真相に急接近したいところであったが、上司である赤羽とは一向に連絡は取れないし、先ほどの科捜研での立石の反応を見るに、徒に混乱を招くだけだと判断した。

 そのため、まずはソフィアの情報を報告書越しに合同捜査本部と共有するところから始めようと、桐谷は今回の報告会は見送る構えでいた。

 定時報告会が始まり、各々がそれぞれのセクションで得た情報を報告していく。

 正面の役員席の脇に用意されたゲスト用の席には、赤羽の要請で白龍運送の制圧に駆り出された交通機動隊第二機動隊からは大隊長と担当した第三小隊長が、第六機動隊からは大隊長と担当した第四中隊長が出席していた。

 議題は昨晩の白龍運送の内容となり、彼らは起立すると自己紹介し一礼する。

 その誰もが沈痛な表情を浮かべており、彼らは公開処刑の場に駆り出されたのだと桐谷は察した。

 最初に報告を始めたのは第二交機大隊長であった。

「黒龍商会食客と目されるコウ・キュウキですが、事件当日、逃走車を第二交機第三小隊が追跡を実施しておりましたが、散弾銃による抵抗激しく、日光街道を北上し足立区を抜けたところで足取りを失いました」

 役員席に座る署長は渋い顔を浮かべ、ペンの尻で机をトントンと叩いてあからさまに怒りを露にしながら報告を聞いていた。

 続いて六機大隊長が報告する。

「事件現場にて黒龍商会メンバーを率いて第六機動隊第四中隊と交戦しましたミン・シユウについてですが、こちらは正体不明の凶器、現場にいた隊員の証言によりますと手から電撃が照射されたとのことで、彼女と接敵したほとんどの隊員がこれにより感電、失神せしめられ、逃亡されたとのことです」

 その後も交通機動隊と第六機動隊からの報告が続く。

 どの報告も失敗の報告ばかりで、流石に桐谷は彼らを気の毒に思った。

 桐谷がソフィアに耳打ちしていると、署長はダンと机を叩き、ゲストに迎えた彼らをキツく叱責した。

「手から電撃? 失神? アニメみたいなことを言うんじゃない!!」

「し、しかし署長!」

 見かねた桐谷は思わず口を挟んでしまった。

 ミンに関しては桐谷もその能力を現場で目の当たりにしていた。

 あのような超常の力を振りかざす相手に放水車も投入出来ず、部隊も一個中隊のみで対処するのは酷な事だと桐谷は思った。

 この議論で責めるべきはむしろ、赤羽の要請した通りに出動させなかった本部の出し渋りなのではないかと言う憤りもあった。

 会議室の面々の視線が、桐谷に集まる。

「……誰だ君は?」

 話の腰を折られ、ギロリと桐谷を睨みつける署長。

「す、すいません! 刑事四課の桐谷です!」

 挙手もせずに物言いのように立ち上がってしまった桐谷は我に返り、慌てて敬礼をする。

「署長、赤羽警部の」

 署長の隣に座る副所長が耳打ちする。

 すると署長は含みのある笑みを浮かべ、思い出したようにはいはいと頷いた。

「ああすまない、桐谷くんか。なにかわかったことがあるなら、言ってみたまえ」

 まるで警察ごっこをする子供を眺めるように、署長は彼の話を聞くことにした。

 なにか謀略が巡っていると薄ら寒いものを感じた桐谷は、早々にケリを着けようと決心し、会議室前方のモニターまで歩み出る。

「ありがとうございます。先日トー横で起きた全裸男事件ですが、全裸男、シュルティ・ウパニシャド氏が歌舞伎町自警団組織、ピースメーカーメンバーを殺害した際の映像です」

 自身のスマホとモニターをブルートゥースで接続した桐谷。

 先ほどソフィアに耳打ちしたのは、自分のスマホから必要資料を閲覧出来るよう操作させるためであり、モニターにはSNSに投稿されている全裸男の映像が映し出された。

「彼の全身に施された紋様から発光が確認出来ます。そしてここ、よく見てください。微量ながらスパークが発生しています」

 映像は彼の言う通り、全裸男がピースメーカーメンバーを殺害する瞬間、彼の全身の紋様が青く光っている様子が確認できた。

 その瞬間で桐谷は一時停止し、画像を拡大させる。

「……なんだこれは?」

 署長はシュルティの光る紋様から同じく青いスパークが発生しているのを確認した。

 署長が自分の話に食いついたのを確信した桐谷は、モニターを操作し、科捜研を訪ねた際に入手して置いた第六機動隊第四中隊通信士のカメラ映像を再生する。

「そしてこちらが昨晩、六機第四中隊と交戦したミン・シユウ。これは通信士のヘルメットに搭載された小型カメラの映像です」

 映し出されたのは朱い電撃を纏いながら、功夫のような動きで隊員たちを各個撃破していくミンの姿であった。

 彼女の紋様も、シュルティと色は違うが同じように光を放っているさまに、会議室の面々は驚きの声を上げる。

 桐谷は最後の一手と、赤羽と外事二課を訪ねた際に得た資料をモニターに映し出した。

「次に我々が外事二課から取り寄せた情報ですが、シュルティ氏は半年前、インド、ムンバイにて起きた爆破テロの生存者です。その際の標的にされた製薬会社の監視カメラ映像です」

 映像はムンバイでミンが電子ロックを解除し、現地テロリストたちを製薬会社内に誘導している映像であった。

「ここに映っているのは、ミン・シユウじゃないか?」

 仮面を被っていたが身体つき、そして紋様から、署長もそれがミンであるとわかった。

「ミン・シユウ、そしてその隣の男はコウ・キュウキで間違いないかと思います。以上のことから私は、本件は事件の根底に国際テロリストによる国際犯罪と捉え、警視庁のみならず、警察庁にも協力を要請すべき事案と考えます!」

 桐谷の報告が終わり、一寸会議室は静まり返ったが、署長を口火に出席者全員が一斉に笑い始めた。

 桐谷は大見得を切り過ぎてしまったと反省した。

「はっはっはっ、桐谷君、君の言いたいことはわかった」

 笑いを抑えながら署長が返答する。

「でしたら」

「だがね、警察庁に頼ると言うことはつまり、我々新宿警察署、ひいては警視庁がテロリストどもには敵いませんとお手上げをするようなものじゃないかね? コウ・キュウキたちの捜索を優先したいのは山々ではあるが、尻尾を掴み損ねたのであれば仕方がない。まずは目の前にあることから順番に片づけていこうじゃないか」

 食い下がろうとする桐谷をなだめすかし、署長は反論する。

 コウ・キュウキ以上に優先すべき相手などいるのだろうかと、桐谷は疑問に思った。

「目の前にあること、と言うのは……?」

「黒龍商会と雲雀任侠会の解体、一斉摘発だよ」

 署長の言葉に、会議室はざわつく。

 ついにこの時が来たかと会議室内の数名が息巻いているが、裏事情を冴島とキムの会談を盗聴し、雲雀任侠会を解体させようと裏金が回っていたことを知り得ていた桐谷はすぐにその意図を察した。

「そんな……。雲雀任侠会は事態をいち早く察知し、身を挺して防波堤になってくれたんですよ!?」

 桐谷はこの場で署長を糾弾し、逮捕してやりたかった。

 しかしいまこの場で自分だけがその事実を告発したところでなにも動かせない。

 盾になってくれた冴島たちの意思を尊重しようと、桐谷は署長の発案に反論した。

「それは本来我々の仕事だ。あんな連中がちょっかいを出すから、捕り逃したようなものじゃないか」

 先ほどまで第二交通機動隊と第六機動隊を批難していた署長が、手のひらを反して彼らを擁護する。

 これにより、現場の真実を知る彼らが署長に反論出来る余地が無くなったしまった。

 お目こぼししてやったぞ。裏切ればどうなるかわかっているなと彼らを暗に脅迫する署長の狡猾さと老獪さに桐谷は心の中で毒づいた。

「それにだ。赤羽警部だがね、昔から独断専行が目立ったが今回もそれだ。警察組織の一員として足並みが揃えられないのであればいくら優秀といえど、組織の能力を下げる要因に他ならないことに気付かない。いまだってこの場にいない。彼はいまなにをしているのかね?」

 署長の標的は赤羽にも及んだ。

 本来、一連の有力情報の全てを掴んできたのは赤羽であるし、BETAを餌に黒幕であるコウ・キュウキまで辿り着くことが出来たのも赤羽と冴島の功績であった。

 しかし署長はこの件を知り過ぎている彼らが邪魔であったため、彼の排除にも踏み込んだのだ。

「……それは」

 署長の意図を汲み取った桐谷は、どう立ち回れば良いか当惑し、言い淀んだ。

 実際赤羽がこの場にいれば、自分が矢面に立つ必要も無かったのだと桐谷は赤羽を恨んだ。

「バディの君に対してもこれだ。彼のこういう警察組織に対する不真面目な態度が被疑者の逃走を招いたのではないのかね?」

 自分を丸め込もうと捲し立てる署長に、桐谷は段々腹が立ってきた。

「……しかし赤羽警部の独自捜査により、アムリタの製造工場を叩けましたし、黒幕の存在も判明しました。我々だけでは出来なかったのは事実です」

「口を慎みたまえ!」

 桐谷のポロリと漏らしてしまった本音に、署長は机を叩き、叱責した。

「赤羽警部に桐谷警部補、君たちはしばらく捜査からは外れてもらう」

 息を整えた署長は桐谷たちに処分を命じる。

 事実上戦力外通告を受けた桐谷は、唖然とした。

「そんな!」

 現にいま自分はソフィアと協力して事件の真相に辿り着く一歩手前まで来ている。

 それを止めろと言われるのは甚だ心外であった。

 桐谷は必死に食い下がろうとするも、署長はこれを一蹴した。

「人質にされたご家族の安否確保もある。君にはそちらに回ってもらう」

 ここで冴島が歩たちからコウをおびき出す餌となるBETAを引き出すために仕組んだ狂言誘拐が仇になった。

 事情を知らないのであれば、これも立派な役割である。

 桐谷が反論するには分が悪かった。

「くっ……」

「埼玉県警との合同捜査本部の立ち上げは一週間以内に行う。以上、解散」

 桐谷の沈黙を承服と捉えた署長は立ち上がり、会議室を去ろうとする。

 その時制服警官が入室した。

「失礼します!」

「なんだ?」

 やっと会議が終わった矢先にと、署長はめんどくさそうな顔を制服警官に向ける。

「それが……」

 制服警官は言いにくそうに、報告を始めるのだった。


――栃木県、那須フラワーワールド

 一面に広がる花畑の景色を眺め、時折スマホで記念撮影をしながら、歩たちは歩いていた。

「ヤッバい。めっちゃ映える」

 新しい花エリアに入る度に、自撮りするいのり。

「綺麗なのはわかるけど、もっとゆっくり観光しないか? いくらなんでも弾丸ツアー過ぎるだろ俺たち……」

 ソフトクリームを食べながら、市中引き回しにあった罪人のように、クタクタに疲れ切った歩がその後ろをついて行く。

「ここは日中に来ないと意味無いの!」

 自撮りした写真を確認するいのり。

 そこにはサファリパークで象に乗る二人、ファミリー牧場で乗馬体験をするいのりとフォーミュラーサーキットを走る歩、アジアンオールドバザーでショッピングを楽しむいのり、と、ここに到着するまでに巡った観光スポットでの写真がスライドで次々と映し出される。

 歩が不満を漏らすように、昼から観光を開始して回りきれる内容とは程遠かった。

「だって、ムシャクシャしてる時は派手に遊ぶのが一番じゃない?」

 いのりは振り返らずに言葉を続ける。

 その声はどこか自分を心配しているように歩には聞こえた。

「あそこ、ほら! 寝っ転がれるよ! 歩、こっち早く!」

 真っ青な空と、日差しに照らされて極彩色を放つケイトウやルピナス、それらをバックに太陽のように笑ういのり。

 彼女の姿に、歩はいつの間にか見惚れていた。

「はいはい」

 歩は我に返ると、走り出すいのりの背中眺め、敵わないなと苦笑いする。

 ソフトクリームの残り一息に食べ終え、歩は彼女の元へ駆け出した。

 一面ネモフィラで敷き詰められた蒼い花畑に、息を切らせて大の字に寝転がる二人。

 真っ青な空と、真っ青な花畑に挟まれた二人は、世界に自分たちしかいないように感じた。

「……おばさまたちのこと、許せる気になった?」

 先に呼吸が落ち着いたいのりが、歩に話す。

 まだ呼吸が落ち着ききっていない歩が、いのりを見る。

 いのりは寂しそうに、歩を見つめていた。

 いのりの表情を見て向き直り、呼吸を落ちつけながら空を眺めて考える歩。

「……帰ったら言い過ぎたって、謝んなくちゃな」

 歩はそう答えると、いのりは歩の手を握る。

 再びいのりを見る歩。

「だから私は、歩が好きだよ」

 安心したように、朗らかに笑ういのりがいた。

 その笑顔に、歩も笑顔で返すのだった。


――新宿区、新宿警察署、遺体安置所

 桐谷は足早に地下の薄暗い廊下を歩いていた。

「桐谷警部補、落ち着いて!」

「通してください!」

 彼を止めようと署員の数名が彼の前に立ち塞がるがそれを押し退け、桐谷は焦燥した表情で歩みを進めていく。

 騒ぎのどさくさに紛れ、ソフィアも変形し、彼らの足元をついていく。

 桐谷が遺体安置所に辿り着き、乱暴にドアを開いた。

 中にいた検死官たちが彼の姿を見て、彼に見せてはいけないと押さえ込もうとする。

「桐谷警部補いけない! 君はまだ見ちゃいけない! 傷になってしまう!」

「通してください!」

 桐谷は腕を抱き、押さえ込もうとする検死官を投げ伏せ、シーツのかけられた検死用ベッドへ進む。

「桐谷くん!」

 人混みをかき分け、遅れて入った署長が彼を呼び止めようとする。

 桐谷は署長の声を無視し、シーツを剥ぎ取った。

 そこには赤羽耀司の遺体があった。

「……ヨウ、さん……」

 まるで獣に食い荒らされたような赤羽の遺体に、桐谷は愕然とする。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!!」

 早鐘のように心拍数が上がり、呼吸が乱れる桐谷。


 なんだこの死体?

 ヨウさんの死体だ。

 なんでヨウさんが死ぬんだ?

 行方不明だって言ってたじゃないか。

 誰がやった?

 ミン・シユウとコウ・キュウキに決まってる。

 歩くんたちになんて言えば。

 どうしてあの時、現場に戻らなかった?

 僕が戻っても足手まといになってた。

 じゃあ僕が見殺しにしたようなものじゃないか。

 呑気にメシなんて食いやがって。

 刑事ごっこで刑事ドラマの主人公にでもなったつもりか。

 ヨウさんが死んだのは、僕のせいだ。


 綯い交ぜになった思考が、彼の頭の中を駆け巡った。

「……腹から内臓をネズミに食い破られてる。恐らく大陸で大昔にあった拷問方法を使ったんだ」

 人統国は未だ古代に作られた残忍な拷問を使用する文化がある。

 赤羽の受けた拷問は腹に鼠を入れ、体内を鼠に食い荒らさせる拷問であろうと、起き上がった検死官が語った。

 桐谷は膝を折って崩れ落ちた。

「うわあああああああああ!!」

 桐谷の絶叫が、遺体安置所に木霊する。

 人だかりのため中に入れなかったソフィアは、その叫びを聞き、悲し気に頭を下げるのだった。

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