BETA-邂逅編-
たなかし
第1話:絶対コイツヤバいって! 関わらない方が良いよ!
―――2045年夏。新宿、歌舞伎町。
都心最大の繁華街、歌舞伎町を象徴する劇場通り入口に鎮座する一番街アーチが、その真っ赤な電飾をギラギラと輝かせている。
世界有数の不夜城と呼ばれたこの街は、ある者は欲望と快楽を求め、またある者は夢と存在意義を求め、まるで月明りと勘違いした羽虫を引き寄せる誘蛾灯のように、一番街アーチは彼らを飲み込んでいく。
そんな妖しい灯りに照らされながら町を往く歩道から溢れ出しそうなまでの通行人たち尻目に、安達歩(あだちあゆむ)はそこからひとつ過ぎたセントラルロード入口脇に車を停車した。
彼が乗るスカイライン25GT-t、母の贔屓の客から譲り受けたものでなかなかの年代品であったが、丁寧に整備が行き届いており磨き抜かれたシルバーの車体は、発売から50年近く経った現在でも人目を惹いた。
しかしボンネットとトランクにでかでかと貼られた初心者マークが酷く不格好で同時に失笑も買っていたのだった。
「アムリタあるよ! オニーサン! アムリタ、どう?」
東南アジア風の男が通行人相手に売り込みをしている。
アムリタとはこの年になって流行り始めた違法ドラッグであり、この男が大胆不敵に売り子をしているのはどんな薬物検査にも引っ掛からない特徴があるためであった。
男は歩が車を停車したのを見ると駆け寄り、ドアガラスをノックして同様に声をかけた。
歩はそれを手で払うジェスチャーをして追い払い、ラジオを点ける。
『5年後に落成式を控えた高軌道ステーションターミナル、タカマガハラは順調に作業が進んでおり、来週予定されております関係者による試運転は予定通り実施されるとのことです。続きまして万能ワクチンALPHAに関するニュースです。本日正午、北アメリカ合衆国大統領、バイデン氏が万能ワクチンALPHAの全面支援を表明しました。これにより人類を度重なる窮地に追いやった伝染病との長きに渡る戦いに終止符が打たれるとされ、各国メディアの注目を集めています』
世間では景気の良い話ばかり流れているが、携帯電話はスマホから先には進んでいないし、巷ではいまだにドラッグと行き場を失くした人で溢れ、そしてこの町に流れ着いていた。
歩はニュースを聴き流しながらそんなことを思うとスマホを取り出し、母親に到着した旨をSMSで送る。夜の靖国通りを彩るネオンとテールランプの灯りは、まるで海の底を泳ぐ深海魚の群れのように彼に思わせた。
男が諦めて雑踏の中に戻っていくのを横目で確認した歩は短く嘆息を吐き、センターコンソールボックスに放り込んでいた東京医科大学と書かれた赤本を手に取る。
答案の欄を読み始めるも、数ページ読み進めた辺りでバカバカしいと投げ捨て、手で顔を覆って長い溜息を吐いた。
せめてもの反抗と、母が置き忘れた煙草を吸ってみるが盛大にせき込んでしまい、彼は自分の情けなさに打ちひしがれるのだった。
歩のいる歌舞伎町入口から奥へ進み丁度中央あたり、花道通りではアタッシュケースを持った少女が数人の男に追われていた。
少女は黒一色の頭から足先までをすっぽりと覆った中東の民族衣装、ニカブに身を包み、また人混みを縫うように通りを逆走しているため、男たちは彼女の捕獲に難儀していた。
痺れを切らした男たちは拳銃を取り出し怒声を上げる。
その言葉は日本語ではなかった。
「小娘! 我命令逃走中止! 我拳銃所持! 命令無視即貴女射殺!」
少女は男の警告を無視し、人混みに紛れた彼女の姿を見失う男たち。
「日本人共邪魔! 我命令射殺回避希望道開放!」
男の一人が上空を撃ち、人混みに対して威嚇する。
男たちの持っている拳銃が本物だと理解した通行人たちは悲鳴を上げて逃げ出した。
「なんじゃワレェ!? どこでハジキ出しとんのか、わかっとんのか!?」
銃声と騒ぎを聞きつけ、ヤクザが集まり怒声をあげる。
「我少女追跡中! 貴方我所持拳銃視認不可!? 我命令射殺回避希望道開放!」
凄むヤクザたちに男たちは銃を突きつけ、威嚇する。
「チャカがなんだ撃ってみろや!! ああ!?」
男たちの威嚇はヤクザたちを更に逆上させた。
「ふわぁ~……。ねっむ」
歩が大あくびをしたとき、町の奥の方から破裂音が数回響く。
彼はまた広場でバカ騒ぎしている連中が花火でもやっているのだろうかと音のする方を向いた。
すると人混みを掻き分けて彼の母、真理(まり)が飛び込んできて、助手席のドアに張り付ていた。
34歳と夜の女の盛りは過ぎてはいるが、ボディーラインを強調した艶やかなキャバドレスからすらりと伸びた手足は道行く男たちの目を奪っていた。彼女は肩で息をしながら焦った様子でドアガラスを叩き解錠を促した。
「ヤバいから早く出して!」
ドアロックが解除されると真理は転がり込むように後部座席に座り、運転席のヘッドレストを小突いて歩に発車を促す。
「ヤバいって何が!?」
真理の慌てように混乱する歩が説明を求める。
「わかんない! なんかマフィアとヤクザが撃ち合ってる!」
真理の話が終わる頃、町の方から悲鳴があがる。
すると不自然に通行人たちが道を開け、そこから男が歩たちに背を向ける形で現れ、そして歩たちの車にぶつかるまであとずさった。
男の向こう側から銃声が数発鳴ると、男は糸が切れた人形のように倒れ、その先には発砲したであろうヤクザの銃口から硝煙があがっていたのだった。
歩たちは目を丸くして唖然とした。
「早く! 出す!」
真理の判断は早かった。
真理の合図で歩がアクセル思い切り踏む。
スカイラインが走り出し、車道に入ったタッチの差で、その場に居合わせた通行人たちはパニックに陥った。
走行するスカイラインの前に、錯乱状態になった通行人が飛び出す。
「マジかよ!?」
歩は強引に靖国通りを横断しようとする通行人を避けながら、区役所通りへと左折しようとする。
その時、歩の両頬を真理が背後から引っ張った。
「バカ! そっちじゃない! 明治通りまで行く!」
「真理ちゃん、痛いって!」
歩は痛みで若干涙ぐみながらも、通行人を轢かないようクラクションをけたたましく鳴らし、なんとか歌舞伎町を脱出した。
真理の予想通り、明治通りはまだパニックは伝播しておらず、往来は比較的平和な様相を呈していた。
「はぁ……。こんなんで明日仕事どうなんだろ」
混乱から抜け安堵した真理はバッグから煙草とライターを取り出す。
「流石に休みなんじゃないの? いろいろ警察とか動き回るだろうし」
「それじゃ困るの。今月の支払いもまだ全部終わってないってのに……。チッ、ちょっと、火」
手の震えから上手く火がつかない真理は痺れを切らして歩にライターを貸すよう促す。
「はいはい」
と、歩がコンソールボックスのライターを渡そうとしたが、真理は上手く掴めず、ライターを落としてしまう。
「あーあー真理ちゃんなにしてんだよ」
「そっちがでしょ」
運転席とセンターコンソールの隙間にライターが転げ落ちていった瞬間、歩はわき見運転をしてしまった。
その刹那。
路駐していた自動車の影からニカブを着た少女が車道に飛び出た。
「前!」
真理が叫ぶも歩が視線を戻した時には車体前方から鈍い衝撃が伝わり、少女の身体は数メートル先まで吹っ飛んでいた。急ブレーキを踏むもあとの祭りであった。
長い沈黙、エンジンのアイドリング音だけが響く。歩はバックミラー越しに真理の顔を窺った。真理は眉間を押さえて項垂れていた。
「ま、真理ちゃん……」
「っとに! 何やってんのアンタ! 免許取ってまだ一年もしてないのに人身事故なんて起こして!」
真理は八つ当たりするように歩の座る運転席シートを殴り、蹴り、バッグを叩きつけ、罵声を浴びせる。
「クルマ、脇に寄せときなさい!」
吐き捨てるように指示して車を出た真理は、少女の元へ駆け寄った。
「アンタ、怪我してないかい!? 本当にごめんねぇ!?」
真理は少女に声をかけ安否を確認する。
少女は全身をすっぽりと黒いローブで覆っているため、真理は傷の具合を直接見ることは出来なかったが、トランクを持っていた右腕と右足が明後日の方向にねじ曲がっていることは見て取れ、救急車が必要なことは容易に判別できた。
呼吸と意識があるのか確認するため、真理は少女のローブをめくった。
「ぎゃあ!?」
歩が車を道路脇に寄せ駐車し、彼も様子を見ようと車外に出たころ、真理が悲鳴を上げた。
その悲鳴を歩は、少女の打ち所が余程悪く、彼女はすでに死んでしまったのではないかと考え、運ぶ足の重さが増したのを感じた。
「ど、どうしたんだよ、真理ちゃん? その人、死んじまってるの?」
恐る恐る歩が真理に尋ねると、彼女は茫然とした表情をしながら振り向いた。
「この人、人間じゃない」
彼女の手には肩を揺すった時に外れてしまったフレームとワイヤー、ケーブルなどで構成されたロボットの腕のようなものが握られていた。
「……は?」
状況が予想外の方向に転んだため歩も気の抜けた声で聞き返した。
真理が先ほど剥いだフードの中には割れたバインダー状の合成樹脂の中からフィルムカメラのレンズのような目がしきりにモーター音を鳴らしながらピント調整を行っていた。
フレームとシャフトは衝突の力で歪曲し、破断したケーブルからは漏電が起こり小さい火花を散らしていた。
「……ラジコンかなんかなのかな?」
「……これは放置しても大丈夫なんじゃない?」
機械音を上げて這いつくばる物体の異様さに慄きながら、二人は見て見ぬ振りでやり過ごせるのでないかと顔を見合わせた。
しかしその物体は残っていた方の腕を伸ばし、真理の足首を掴んだ。
「ひっ!?」
「タ、タスケテ……」
その物体は上体を起こし、真理たちを見る。
真理たちの姿を確認したそれは合成音声のような不自然なイントネーションでそれは二人に助けを求めた。
「助ケテ……クダサイ……」
「しゃ、しゃべった!?」
「追ワレテマス……助ケテ」
それの発した音が言語であり、また日本語であると二人が認識するには若干のタイムラグがあった。
それには二人が状況を呑み込めずに混乱していたのもあったが、見て見ぬふりをしようと画策していた思考の中に、それの発した言葉により生じた罪悪感がしこりのように首をもたげたからであった。
「逃げよう!」
思考の混乱から先に脱したのは歩だった。
これが意思を持っているにせよ、いないにせよ、人間でも生物でもないのは見た目からわかることであるし、であるのであればいま対処をしなくても奪われる人命、生命などは端から存在せず、となれば懸念の種は損害賠償等、金の話でしかない。
であるのなら目と鼻の先まで来ている銃撃戦から逃げてきた集団に捕まる前にこの場を去った方が良いと歩は考えた。
「絶対コイツヤバいって! 関わらない方が良いよ!」
真理も混乱から脱してはいたが、歩とは反対にいま自分たちが何をするべきかを考えていた。
町の方から悲鳴と銃声が近づいてきているのがわかる。
結論を出すまでにそれほどの猶予は残っていなかった。
「真理ちゃん!」
沈黙を続ける真理に痺れを切らした歩が催促する。
歩の呼びかけで意を決した真理が立ち上がる。
「うっさい! コイツ車に運べ!」
息子の浅薄な言動に思考を中断された彼女は苛立ちをそのままに、当座の方針を決定した。
「なんでだよ!」
歩は抗議した。
いま逃げれば誤魔化せられるのに彼女はなにを思って面倒ごとになるような選択するのか理解できなかった。
「もう十分関わっちまってんの!」
早急に次の手を打たなければと、真理は困惑する息子を通り抜け、車へと戻りながらスマホで片っ端から知り合いに連絡した。
まずはいま町の中で起きている銃撃戦の真相だ。
彼らは打算や目的無しに行動は起こさない。
その裏には必ず動機がある。
その動機がこのロボットだったら?
これがあの騒動に関わっているにせよ、いないにせよ、一度状況がわかるまで希望通り匿うのが得策だと真理は考えた。
一息つこうと煙草を咥え、火を点けようとライターを取り出そうとしたが、ライターは車内に置きっぱなしであることを思い出す。
事の発端が煙草だったことも思い出すと憎々し気に煙草を握り潰し、地面に叩きつけた。
「いいから運べ!」
体長120センチほどの機械の塊を積んだスカイラインが、銃声と悲鳴の響く夜の歌舞伎町を走り去る。
こうして安達歩少年の長く、自身とそして世界を一変させてしまう夏休みが始まろうとしていた。
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