16 脅迫

「その……魔女のマナについて説明してもらおうか」


「っ……」


 キアラは凍り付いた。一難去ってまた一難。憎き婚約者を追い出してほっと安堵したのも束の間、再び張り詰めた緊張感が彼女を襲った。


(どうしよう……)


 思考が追いつかない。どうやって皇太子を誤魔化そうか、頭の中で様々な対処法を巡らせる。

 しかし肉体的な疲労と精神の消耗で、上手く答えが出て来ない。


 その間もレオナルドの詰め寄るような鋭い視線が、彼女を捉えたままだった。それは矢のように彼女をチクチクと刺していく。


 少しの……だがキアラにとっては永遠とも思える時間のあと、


「どうなんだ?」


 ついにレオナルドが再び口を開いた。


「それは……その……」


 キアラは口ごもる。彼の鋭利な視線から逃れるように、目線を動かした。

 どうしよう。どう答えれば。

 まだ最適解に辿り着けなくて、頭が異常に重たく感じる。


「答えられないのなら、これから共に私の執務室まで向かって、そこで騎士を証人にしてじっくり語り合おうか」


 皇太子の不穏な発言に、ビクリと肩を震わす。

 これは明らかに脅迫だ。正式な証人を立てることは、公式に記録されるということだった。


 彼女は困り果てて、もう投げ出したい気分だった。身分の差はもちろん、こんなに怖い人の追求から逃れられるなんでできない!


 キアラは軽く息を吐いて心を落ち着かせる。

 これまで接触した限りの印象だと、皇太子は話せば分かる人間のはずだ。現に、初対面時の毒蛇と凱旋パーティー、そして今日の三回も助けて貰った。

 今回もきっと大丈夫なはず……。


「それは……」


 やっとキアラが口を開けて、


「きっと、ヴィッツィオ公爵令息から贈られた花のせいですわ」


 ひとまず誤魔化してみることにした。


「……は?」


 レオナルドはギロリとめ付ける。全てを見透かしているような視線に、キアラは覚えず竦み上がった。


 だが今ここで魔女のマナに目覚めたと知られると、忽ち窮地に陥るのは火を見るより明らかだ。

 ここは、何が何でも知らぬ存ぜぬで貫き通さねば。


 キアラは平静を装いながら、


「で、で……殿下がおっしゃったのでしょう? 公爵令息が持ち込んだ稀少な花々の中に野生の魔獣のマーキングがあった、って。おそらく、それが暴発したのでしょう。ですので、私はなぁ~んの、関係もありませんことよ!」


「ほう……?」


 レオナルドは愉快そうにニッと口角を上げる。そしてキアラの眼前まで近付いて、じっと赤い瞳を見つめた。


(な……なによ、この人……)


 キアラは焦った。ただでさえ逃れるために嘘をついているのに、帝国最強の軍人である皇太子殿下と至近距離で目を合わせるなんて。

 凄まじい威圧感に心臓が跳ねて、身体から飛び出そうなくらいにドクドクと踊っていた。


(ち、近い……! 顔が近い! 怖い!!)


 彼はにこやかに相槌を打って、


「そうだな。たしかに私は魔獣のマーキングについて話したな」


「えぇ、そうですわ。そうです、そうです」と、彼女は何度も頷く。


 彼は顎をひと撫でしてから、


「だが、それなら妙だな。私は花々から未知のマナを感じ取ってここへやって来たが、部屋の中へ入った時にはもうその魔力は消え去っていた」


「あら、まぁ。それはお気の毒に」と、彼女はすっとぼける。


「――で、部屋には魔女のマナが満ち満ちていたんだ」


「そ、そうですの? 私は魔力がないので分からなかったですわ。オホホ」


 しばしの沈黙。キアラは目を泳がせ、レオナルドは興味深そうに彼女の視線を追った。

 それは彼女にとってとてつもなく長い時間に感じられて、呼吸が止まりそうなくらいに苦しかった。


 少しして、彼は何かを思い付いたのか、ニヤリと口元に弧を描いて笑う。


「ところでリグリーア伯爵令嬢、私はかりにもこの国の皇太子だ」


「えぇ。よく存じておりますわ。殿下は北部を制圧した英雄でございます」


「帝国では身分が絶対だな。よっぽどのことがない限り、それは恒久的だ」


「そうですわね」


「では……」彼は声を落として「仮に伯爵令嬢が皇太子を欺こうとしたなどと世間に知られたら……どうなるかな?」


「っ……!?」


 キアラは再び背筋が凍った。帝国法では身分が絶対。下の者が上の者を出し抜くなんて、あってはならないことなのだ。ましてや、たかだか令嬢如きが皇族――しかも皇太子を騙すなんて。


 皇太子はわざとらしい態度で続ける。


「おや、そうだ。さっき君は公爵令息のことを殺そうとしていたな。これを私が世に訴えたら、君に関わる全てのものに隅々まで調査が入るだろうな」


 今度はゾクリと全身が泡立った。調査とは、体内のマナの調査も含まれている。そうなると、己が魔女のマナを有しているのが露見されるのは時間の問題だろう。


「それは……」


「それは、婚約者の耳には勿論、皇后陛下のもとへも情報が行くだろうな。そうなれば、君はどうなるだろうか?

 狡猾な皇后のことだから、揉み潰してくれるとは思うが……その代わりに骨の髄まで利用し尽くすだろうな。


「一生……」


 その言葉が、キアラの胸に深く突き刺ささった。


 ダミアーノの行動を顧みると、彼の背後に皇后が関わっているのは疑いの余地はない。

 過去の全てにおいて、彼らは皇太子を排除して第二皇子を後継者の座に就かせている。当然、今回もそのつもりなのだろう。


 その陰謀のために、キアラは過去六回もダミアーノから使い捨てにされた。

 そんな非道な彼らに、今度は自分に魔女の力が宿ったなんて知られたら…………、


(もっと酷いことになる……!)


 にわかにキアラの顔が真っ青になって、ガタガタと震えはじめる。六回分のトラウマが塊となって襲いかかって、彼女の心を激しく掻き乱した。


 レオナルドはその変化にすぐに気付いて、


「っ……! 済まない、君を傷付けるつもりもm脅すつもりもなかったんだ。ただ、どちらに付けば利になるか考えて欲しくてだな……」


 しどろもどろに言い訳を並べた。女性を困らせるつもりはなかった。彼女のを、自らの意思で選択して欲しかったのだ。


「こ、これは立派な脅迫です……!」と、キアラは涙目で訴える。


「わ、悪い……」令嬢の涙に弱い皇太子は少しだけ怯んだ。「その……私から見て、君はヴィッツィオ公爵令息と婚約解消をしたいのでは……と、思えてな……」


 彼女は弾かれたようにはっと顔を上げて、


「なぜ、それを……?」


「今日も、先日のパーティーも、とても婚約者に未来を委ねようとする態度ではなかった。それに――」


 レオナルドは慌てて口ごもる。彼女も自分と同じく、のではないかと尋ねそうになったのだ。


 だが今は、それを聞くべきではないと考えた。

 なんだか、彼女の尊厳を傷付けるような気がして。いつか彼女自身の口から告白してくれる日を待ったほうが良いのではと、なんとなく感じたのだ。


「いや……その……」レオナルドは頭を振る。「私は、君と取引がしたいのだ」


「取引、ですか……?」


 思わぬ提案に、キアラは目をしばたいた。


「あぁ。知っての通り、私は皇后派閥と敵対している。だから一人でも多く信頼できる味方が欲しい」


「私が……信頼できると……?」


「君はこのまま皇后派閥にいても、なんのメリットもないだろう? その魔女のマナが露見しないかと怯えて過ごして、もし知られてしまったら、彼らに生きた魔道具の如く利用されるのが明白だ。敵の敵は味方ということだ」


「……随分と楽観的なんですね。私が殿下を裏切らないとでも?」


「裏切らないさ。何故なら私は、唯一君を悪意から保護できる立場だからな。私なら、令嬢を皇后派閥の魔の手から守ってやれる。それしか君が生き残る方法はない。ならば、裏切る理由もない」


「それで……具体的には、殿下は何を要求したいのですか?」と、キアラは恐る恐る尋ねる。


 皇太子が何をしたいのか、いまいちよく分からなかった。きっと自分を皇后派閥を倒すための切り札として利用するのだと思うけど……でも、守るとも言っている。


(それって、ダミアーノみたいに道具にはしないってこと? 私は……殿下を信じていいの?)


 皇太子とは僅か数回だけの接触だが、公爵令息よりも人として立派なのは理解している。


 ――でも、魔女の力を手に入れたら?


 途端に豹変して、駒として使い倒すのかもしれない。

 そんなの、嫌だ。



「私の要求か……」


 レオナルドは少し思案して、


「君が合法的に私の側にいられれば良い。それだけで私は君の盾になれる。同時に、君が敵対派閥に渡らない確信も得られる。それが私の要求だ。それさえ満たされれば、君は好きなように生きればいい」


(えっ……?)


 キアラは目を見張った。こんなの、要求でもなんでもない。単に自分を皇太子の派閥に入れるだけだ。


(伝説の魔女のマナを利用するわけでもなく、ただ側に置くだけ……?)


 たしかに敵対派閥に魔女のマナの力を使わせないだけで、皇太子は安堵するだろう。現状は維持されて、何もなかったのと変わらない状態なのだから。

 禁忌の力が世間に露見されないのなら、こちらも向こうもプラスマイナスゼロだ。


(でも……本当にそれで良いの?)


 キアラはただ面食らった。魔女の力を使わないとなると、イコール利用価値がない者を側に置いて、なんの意味があるのだろうか。貴族社会は利害関係で成り立っているのに。


 ……そんなことを考えていると、レオナルド・ジノーヴァーという人物自体に俄然興味が湧いてきた。


「ですが、具体的にはいかがなさいますの? ご存知の通り、私はヴィッツィオ公爵令息の婚約者です。その時点で自動的に私も皇后派閥になっておりますわ」


「そのことだが」


 レオナルドはコホンと咳をして、少しだけ視線を彷徨わせた。微かに顔が上気している。


 一拍して彼はまっすぐに彼女の瞳を見つめて、


「君が公爵令息と婚約解消をして、新たに私の婚約者になりなさい」


 それは、キアラの全身を吹き飛ばしてしまうような、とても衝撃的な言葉だった。

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