10 赤い瞳

「その赤い瞳は……いつからだ?」


「えっ……!」



 キアラは驚きのあまり息を呑む。

 なんて答えたら良いかすぐには決められずに、じっとレオナルドを見つめた。


 彼も彼女の瞳をじっと見つめ返して、静かに答えを待った。

 昼間の王都は賑やかなはずなのに、二人のあいだは一瞬で張り詰めた空気に変化する。


 ややあって、


「キ……キアラ様は一週間ばかり高熱で寝込んでいたのです! おそらく、その際の後遺症だと思います!」


 主人が困っていると判断したジュリアが助け舟を出す。

 彼女の張り上げる高い声に、キアラは緊張が溶けた気がして、密かにほっと胸を撫で下ろした。


「ほら、充血のようなものですよ! ね、キアラ様?」


「そ、そうね。目の病気かもしれないので、これからお医者様に診てもらおうと思っているのです」


「……充血というものは、目の血管が膨張して赤く見える現象だな。それは結膜で起こることであって、瞳孔にまで及ぶものではない」


「っ……!」


 理屈っぽい男だと、キアラはうんざりする。隣でジュリアがとても不快そうに顔をしかめていた。


 なんて面倒臭そうな男。

 初対面の時から薄々感じていたが、彼とは根本的な波長が合わない気がする。


 それでも、あの高名な皇太子を誤魔化すなんて無理だろうと諦念したキアラは、もう正直に話すことにした。

 先ほどの取引で民を守れと念を押してきた正義感の強い彼なら、妙なことはしないだろう。


「……本当に私にも分からないのです。高熱から目覚めて、今朝身支度をしている際に気付きました」


「そうか」


 それだけ短く答えて、レオナルドは思案顔でキアラをじっと見つめた。


「パーティーの時にはもう赤くなっていた。不確かだが……魔道具屋で会った時も、一瞬だけだが赤く光ったと思う」


「えっ?」と、キアラは目を丸くする。そんなに前から赤くなっていたの?

 自分のことなのに、不気味で嫌な気分がした。


「昔から光の加減で赤く見えることはありましたが……」


「魔力はどうだ?」


 皇太子の突拍子もない質問に、キアラは背筋が凍った。

 たちまち、どくどくと胸に早鐘が打って、かっと汗が出た。


 何気ない質問なのに、尋問されているみたいで酷く心地が悪い。


(これは……答えたらいけない気がする……)


 根拠はないが、なんとなく彼のペースにはまったらいけないと思った。下手な受け答えをしたら、ただでは済まされない予感がしたのだ。


(魔女…………)


 彼女の頭の中に、再びその名前が浮かび上がる。

 絶滅した魔女は赤い瞳をしていたらしい。その魔法は人々に恐怖を運んで、現・帝国法でも魔女の魔法は禁忌とされている。


 もし、ここでマナを感じると言ってしまったら……。

 たちまち魔女として牢獄行きになるかもしれない……。


(今度こそダミアーノ様から開放されて、自由に生きるつもりなのに!)



「魔力ですか?」


 キアラはきょとんをした顔――の演技をする。ここは絶対に知らない振りを貫き通さなければならないと思った。

 少しも矛盾のないように、皇太子に隙を与えないように慎重に……。


「私は生まれた時より魔力を持っていないので、そもそも魔力がどういうものなのか分からないのです」


 本当は今この瞬間も、皇太子の強い魔力の圧を感じているのだけれど。


「そうだな……」


 レオナルドは彼女の返答に妙に納得した。

 たしかに生まれつき魔力を持たない者にマナという概念を説明しても、頭では理解できても感覚は一生分からないだろう。伯爵令嬢の驚いた表情が、なによりの証拠だ。


(だが……彼女から微量のマナを感じるような……)


 それは不安定でいつ途切れてもおかしくない状態だったが、たしかにマナの芽を感じ取ったのだ。

 しかし過去に後天的に魔法を使えるようになった者は、帝国の歴史上一人たりとも存在しない。


(あの婚約者がなにか細工をしているのか……?)


 リグリーア伯爵令嬢の婚約者――ダミアーノ・ヴィッツィオ公爵令息は、皇后派閥の中でも中心的な人物に男だ。

 目的のためなら手段を選ばない皇后の手下だ、違法なことをやっていてもおかしくない。


 しかしまだピースが全て揃っていない。

 今、迂闊に動くのはいかがなものかと思った。不確定なのに行動を起こして自滅して、皇后派閥に付け入られるようなことがあれば最悪だ。


 それに、


(彼女はヴィッツィオ公爵令息の婚約者……。油断してはならない)


 キアラは過去にレオナルドを陥れた人物だ。それも、何度も。

 だから今回も十分に警戒しないといけないと思った。もしかしたら、これも彼女の罠かもしれない。


 だが……、


(本当に彼女は陰謀を企むような人物なのか?)


 七回目にして初めてキアラと対面したレオナルドにとって、その違和感はずっと心の隅で引っかかっていた。

 彼女は他人の命を奪うような、恐ろしい計画を企てるような人物に全く見えなかったのだ。

 その双眸は、赤い色だけ気になるが、まっすぐで、後ろめたいことは一つもないような正直な印象だった。


(これから婚約者によって黒く染められていくのか……?)


 その可能性は高いと思った。これまでの過去の全てにおいて、彼女の悪事が開始するのはもっと後での出来事だ。

 おそらく何かしらの事情があって、婚約者から命令されているしか考えられなかった。弱味を握られてか、はたまた恋心が暴走したのだろうか。


 そんな風に想像を巡らせると、己の仇敵のはずなのに、少し可哀想に思えてきた。

 ……きっと、今回も婚約者に利用されるのだろう。



「リグリーア伯爵令嬢」


「は、はいっ!」


 レオナルドは改めてキアラを見る。やはり色は赤いが、悪人の瞳にはとても見えなかった。


 一方キアラは、皇太子に急に見つめられてドキリと心臓が跳ね上がった。


 力強い双眸。新緑を思わせるエメラルドグリーンの爽やかな瞳なのに、魂の底から真っ赤に燃えているような瞳に吸い込まれそうになる。

 この瞳の前に、嘘は通用しないと焦りを覚えた。


 レオナルドは少しのあいだ彼女の目をじっと見てから、


「人として、外れた道へは絶対に進むなよ」


 とても失礼なことを言い放った。


「っ……!」


 次の瞬間、彼の顔は赤く染まる。どっと後悔の波が襲ってきた。


 使命感のあまり勢いで言ってしまった。こんなに美しい瞳の彼女に、誤った道へ進んで欲しくないと思ったのだ。


 だが傍から見れば、見ず知らずの令嬢にとんでもないことを言っている。あまりにも軽率すぎる自分に嫌悪感を抱いた。


 七回目の自分はなんだかおかしい。想定外のことばかり起こって調子が狂いっぱなしだ。


 でも、

 リグリーア伯爵令嬢のことが、気になって仕方ないのだ。



「は……?」


 キアラは静かに怒っていた。

 なんて失礼な人かしら。何度か偶然会っただけの関係なのに、なにを知ったようなことを……。


(そんなの……自分が一番分かっているわよ!)


 キアラは回帰する度に後悔も繰り返していた。ダミアーノへの愛情はもちろん、自分が人の道を外れていっていることをだ。


 ダミアーノの命令に逆らえなくて……いや、彼の役に立ちたくて、なんでもやった。

 それは平常な精神だと絶対に拒否をするような、非道なこともだ。


 だってダミアーノに嫌われたくなかったから。

 ダミアーノからもっと愛されたかったから。



「い、いや……その、だな」レオナルドは焦って挙動不審になる「あの……貴族として、だ。お、俺も皇族として曲がった道へは進まずに、民のために精進しよう。だから……その……。と、共に素晴らしい帝国の未来を作ろうじゃないか!」


 それは無理矢理に作ったなんともお粗末な言い訳だった。


「失礼します」


「あっ……!」


 キアラはレオナルドの顔も見ずに、逃げるように辞去した。なんだか過去の悪行を責められているみたいで苦しかったのだ。


 黒く染まった自分が、帝国の明るい未来を作るなんて。

 そんな、おこがましいこと、自分にはできない。


 これからの生き様を考えれば、みるみる暗澹とした気持ちになった。


(私は人の道を外れるの?)


 キアラはただただ恐ろしかった。


 もう人なんて、殺したくないのに。

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