8 商会の始動

 名誉の凱旋で宮廷に舞い戻って来たレオナルドは、政務に励みながら皇后派閥の撲滅に精を出していた。


 軍事関係は自分の手中に収めた。

 あとはまつりごとだ。


 皇后や第二皇子は軍事のことは己に分が悪いと諦めているらしく、もっぱら宮廷内の政治に注力しているようだった。なので宮殿には敵が多く潜伏していて、どこにいても常に気が抜けなかった。

 彼が首都を留守にしているあいだに、あちらは派閥の勢力を拡大していったらしい。


 戻って来てからまだ一ヶ月程度なのに、暗殺未遂はもう3回。最近は敵の攻撃があからさま過ぎて、笑えてくるほどだった。

 皇太子が短期間で北部鎮圧を達成したという輝かしい功績を前にして、敵派閥は焦りが増しているように見えた。


 ちなみに第二皇子は、特に目立った功績を未だに作っていない。

 皇后からは蝶よ花よと育てられ、酷くわがままな暴君に仕上がってしまっていた。おまけに、頭の出来もよろしくない。


 だが容姿だけは良いので、常に令嬢たちに囲まれていた。

 なにもせずとも身分だけで女に好かれる――その事実が、皇子をますます堕落させていくのだった。



 レオナルドは今は敢えて政治には手を出していなかった。皇太子としての最低限の義務を果たしているだけだ。

 きっと現段階で自分が重要な政にまで手を出したら、途端に皇后と衝突してしまうだろう。それはまだ時期尚早だと考えたのだ。


 だから、まずは経済から攻めようと思った。この分野は皇后派閥の影響力も、そこまで強くない。

 それに経済は戦にも政にも密接に繋がっている。多くの富は、それだけで武器になるからだ。



 レオナルドが最初にやったことは秘密裏に商会を設立することだった。


 幸いなことに、彼には過去六回分の記憶があった。国内外の情勢の動向や主要な事件、貴族の陰謀……。それらは商会の運営に大いに役立つことだろう。


(まずは皇后の息のかかっている商会を潰すことからだな……)


 淹れたての熱い紅茶を飲みながら、彼はぼんやりと今後の計画を練っていた。


 何度回帰してもはじめは順調なのだ。しかし悔しいが最後はいつも敗北を喫しているので、今回も僅かな油断が命取りだ。


 紅茶のほんのりとした甘みが、身体を満たしていく。

 そういえば、一年もしたら紳士たちには紅茶より珈琲を飲むのが人気になるんだっけ。

 あの独特の芳醇な香りと渋みは癖になる味だが、自分はこの赤い色をした紅茶のほうが――、


「っ……!」


 不意に、リグリーア伯爵令嬢の顔が頭を過ぎる。


 彼女の瞳は、普段はこの紅茶のような赤茶色だったが、あの時は血のような赤味を帯びていた。

 それに、これまでに感じたことのないマナの気配。似たような空気をヴィッツィオ公爵令息からも感じたが、彼女とは濃度というかそもそもの質が異なる感じがした。


「あれは魔女の魔法というものなのか……?」



 彼は先日、敵対派閥の関与する地下組織から押収した魔道具を思い出した。

 その中には、これまで触れたことのない魔力が封じられていた。その力は、あの日に感じた不思議なマナに似ている。


「……まさかな」と、レオナルドは冷笑する。


 七回目で初めて対面した伯爵令嬢は、陰謀を企てたり目的のために平気で人を殺めるような人間にはとても見えなかった。ただの美しい妙齢の令嬢だ。


 しかし過去六回の陰謀の陰には、全て彼女が暗躍していたのも事実だった。


「あの妙なマナが関わっているのか?」


 レオナルドはキアラのことが気になって仕方がなかった。彼女は自分を何度も破滅させた女だというのに。

 だが妙な胸騒ぎが、ずっと己の中で疼いているのだ。







「キアラ様ぁ〜、小麦なんて買ってどうするんです? 損する確率のほうが高いですよ〜」


「いいの、いいの。ちゃんと勝算はあるわ。それに予算の範囲で収めるつもりだから」


「絶対、大損しますって」


「そしたら次の手を打つまでよ」


「はぁ……」ジュリアはため息をつく。「資金は全てがキアラ様が出していますから、損するのはご自身なんですよ〜」


「本当に大丈夫だって。私を信じて!」



 キアラはジュリアを伴って穀物組合に来ていた。彼女は無事に小さな商会を設立させて、これから本格的に動き出すところだ。


 商人一家の末娘であるジュリアは共同経営者になってもらった。

 彼女は最初は恐れ多いと辞退したが、細やかな契約書を作成して権利関係などをはっきりさせて説得をしたら承諾してくれた。

 曰く「キアラ様の商売人として割り切ったところがいい」らしい。


 ジュリアは名目上は共同経営者でも、キアラに対しては従者として敬意を持って接していた。キアラとしても彼女のそういう割り切ったところが好ましかった。


 今日もお礼の銀貨を忘れない。キアラはいつも懐に銀貨の入った袋を忍ばせて、ジュリアはもちろん他の使用人たちにも配っていた。


 たかが銀貨、されど銀貨。

 お嬢様のお手伝いをするとチップがもらえる。しかも、気前良く!

 ――と、屋敷の使用人の間では評判になっていた。おかげで今ではキアラに対して積極的に動く者が多くなっていた。


 やっぱり、人の心はお金で買えるのだ。




 キアラはカウンター越しに、意気揚々と店主に声をかける。


「小麦の在庫、全部いただくわ」

「小麦の在庫を全て貰おう」


「えっ……!?」

「は……?」


 そのとき、なぜか隣の男の声と、綺麗に言葉がシンクロした。


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