4 不気味な感覚

「きゃっ……!」


 レオナルドの剣先はキアラへ向かう。

 そして彼女の右側を貫いた。


「……?」


 次の瞬間、キアラの耳元でバタバタとなにかが動く気配がした。おそるおそる目を動かすと、一匹の派手な色をした蛇が剣に串刺しにされて最後の抵抗をしているところだった。


「……毒蛇だ」


 レオナルドはおもむろにそれを掴んで、店の店主へと渡す。どうやら飼育箱から逃げ出したようだった。


「あ……ありがとうございます……」


 キアラは安堵感から深く息を吐いた。冷や汗でぶるりと悪寒が走る。


 その毒蛇には見覚えがあった。一滴で人を殺せるほどの猛毒を持った種類だ。

 過去にダミアーノから、とある貴人の毒殺を命令されたときに使った覚えがある。一歩間違えれば、自分も皇太子も毒の餌食になる可能性があった。


(瞬発的に一撃でしとめるなんて、さすが皇太子ね)


 皇太子は剣も魔法も帝国一の実力だと言われていた。戦はもちろん政治にも長ける。

 だからこそ皇后の実の子を抑えて、今も皇太子の座でいられるのだ。


(やっぱり、投資を持ちかけるならこの方が――)


「チッ」


(えっ……!?)


 レオナルドの敢えて周囲に聞かせるような悪意ある大きな舌打ちに、キアラの身体は強張った。

 彼は明らかに自分に敵意を抱いている。剣呑な雰囲気に動揺を隠せない。


 彼女が困惑して固まっていると、彼はギロリとひと睨みをして無言で店を出る。呪縛から解かれたように再び身体が動き出したときには、皇太子は店の近くにもいなかった。


(な、なんで怒っていたのかしら……?)






「クソッ!」


 レオナルドは壁を力いっぱい拳で殴る。自分に腹が立って仕方がなかった。

 さっきは絶好の機会だった。キアラ・リグリーアを殺す最高の好機。


 公式にはまだ北部にいる自分と、貴族の令嬢なのに不用心に一人で出かけている伯爵令嬢。騒がれずに彼女を始末するには最適だ。なんなら、あの毒蛇を放置するだけでも良かった。


 だが――、


(なんだ、この違和感は……!?)


 剣を振り下ろす瞬間、彼は不思議な感覚に襲われた。

 ここで殺したら駄目だと強く思ったのだ。


 誰かに引き留められる感覚。まるで自らが彼女を傷付けるのを拒否するかのような。

 それは体内に宿る見えないマナが警告をしていた。

 だから瞬時に毒蛇に的を変えた。


 もう一つ、不思議なことがあった。


 あのとき伯爵令嬢の瞳が一瞬だけ赤く光った。

 ……あれは本物のが持つ目の色だった。


 魔女は今では滅んだ存在で、特別な魔法を使えたらしい。仮に現在に魔女がいたら即刻監獄か死刑になるような危険な魔法だ。

 魔女が絶滅して数百年経った今の帝国の法律でも、魔女の使用する魔法は禁じられている。


(まさか……。おそらく照明の影響だろう)


 あのとき感じた焦燥感も、きっとここが戦場ではないから躊躇したのだろう。

 軍人が民間人を殺すことは軍紀で禁止されているので、軍のトップに立つ自分がそれを破るのは憚られたのだ。


 ――そう思い込むことで、彼は無理やり自分を納得させたのだった。

 今回はこれまでより早く首都に戻ったのだ。あの女を始末するチャンスなどいくらでもあるだろう……。



 レオナルドもまた回帰を繰り返していた。


 最初の人生はあっとういう間だった。やっとの思いで北部を制圧して凱旋したら、政務で忙殺される日々。

 能力の高い彼は、常に必要以上に仕事を抱えていた。そして気が付いたら大逆罪で処刑……。


 二度目の人生では前世の自分への陰謀を調査した。案の定皇后派閥の仕業で、信頼していた臣下の中にも裏切り者が何人もいた。


 彼は強く決意した。

 今度こそ、皇后に勝ってみせると。


 だが、彼の努力の全てが徒労に終わる。

 皇太子の身分にとって歯牙にもかけないような人物――全くのノーマークだったキアラ・リグリーア伯爵令嬢の登場だ。


 その次も、そのまた次も。まるで自ら死に向かっているかのような捨て身の伯爵令嬢の行動に、彼の復讐計画は狂わされ、ことごとく皇后派閥に敗北していったのだった。


 彼にとって伯爵令嬢は恐怖の対象でもあった。

 彼女は自分を陥れるためならどんな手でも使う。それは感情のない虚ろな目をした人形のように、底知れぬ不気味さを帯びていた。


 なので今回は過去に逆行したら、真っ先にリグリーア伯爵令嬢を殺そうと思った。

 そうすれば自身の最大の敵が消える。彼女のように自らの命を犠牲にしてまで、捨て身の攻撃を仕掛けてくる人物はそうそういないだろう。


 だから、殺すのだ。


 でも、自分にはできなかった。

 なんで…………。







 ダミアーノは焦っていた。

 婚約者であるキアラとは、あの一件で揉めた以来、一度も顔を合わせていない。

 愛情の欠片も持っていないあの女と会えないのは構わないが、自分が出した手紙を無視されるのは癪だった。


 彼は両親から伯爵令嬢のご機嫌伺いを怠るなと命令されていて、定期的に手紙を出していた。

 いつもは三日もしないうちに返事が来るのだが、今は全くの梨の礫だった。もう三通も送っているが、婚約者からは一度たりとも返事が来ていない。


(茶会で怒らせたか? いや、それにしてもおかしい)


 ダミアーノの知るキアラは、自分に対して常に従順だった。

 何を言っても基本的に「イエス」でしか答えないし、彼のことを心から愛して、恋愛というものに依存している様子さえ垣間見られた。

 そんな純情な世間知らずの令嬢なので与しやすかったのだ。


 しかし、あの日は違った。

 婚約者は初めて自分に刃向かってきたのだ。


(マルティーナに嫉妬していると思ったが……もしかして感付かれたか?)


 キアラの態度はそうとしか思えない。完全に隠蔽していたはずが、一体いつ気付かれたのだろうか。


 いずれにせよ、今のままでは非常に不味い。不仲になったことが両親に露見したら、面倒なことになりそうだ。

 ミア子爵令嬢との噂も未だに消えず、公爵家として世間体も良くない。


 ――それに、計画も台無しだ。


(まだ早いと思ったが……仕方ない…………)


 次に婚約者に確実に会えるのは、皇太子の凱旋パーティーの時だろう。


 その日が、始まりだ。

 

 

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