18:邂

 ドアノブは抵抗なくすんなりと回った。

 施錠されていないのか、先客がいるのかわからないまま扉を開くと饐えた匂いと共にわずかに血の匂いが漂ってくる。

 玄関や廊下に溜まっていた黒い影がサッとどこかに姿を消したが、恨み言や不明瞭な濁った音の囁き、そして地面を硬いもので擦るような鋭い音が鳴り続けている。

 宇田川が背後で小さく「うわ」と呟いて、すぐに息を呑んだ。何も視えないなりに、何か感じるものでもあるのか?

 家の中の気配を探ろうとしても、分厚いビニールで覆われているような気配がしてよく見えない。

 適当に玄関にある傘を握って、武器代わりにして家に土足のまま上がり込む。こんな不穏な住宅に迷い込んだ強盗がいたとしたら、こいつでどうにか出来るだろう。

 とりあえず一階を家捜しするとするか……。

 廊下の突き当たりにある部屋から探そうと、細長いドアノブに手をかけたとき、二階からミシリ……と床を踏みしめる音が聞こえた。


「マダラ……」


 不安そうにオレを見上げてくる宇田川に「しぃ」と言い聞かせて、足音が聞こえる方を見た。玄関を入ってすぐ右手側にある階段から音が聞こえてくるようだった。

 ミシリ、ミシリという音と共に、何か縄状のものが地面を擦る音も聞こえてくる。

 家の影などに隠れているのであろうたちが慌てて更に奥へと移動するのであろう気配が伝わる。

 こういうときに出てくるのは、太陽の光も物ともしないくらいの化物か、同業者くらいなものだ。


「……なんだお前ら」


 身に付けているものも全体的に白っぽいし透き通るような白い肌をしているせいで、白蛇みたいなやつだなと思った。線は細いし、背も宇田川よりも頭半分くらいは低いようだったから、女にも見えなくはない。

 少し甲高さの残る低い声はハスキーな女性のものではなく、男性的な響きを持っていた。、艶やかな黒髪を大きく左右にわけて額を出している男は、切れ長のつり上がった目と大きな口がどことなく蛇を思わせる容貌をしていた。


「友達が、彼女と連絡が取れねえっていうから家に来てみたんだよ」


 宇田川が、オレの後ろでうんうんと首を縦に振っているのがわかる。こういうときに咄嗟に嘘を合わせてくれる相手は楽でいい。まあ、階段を下りてきてこっちに近寄ってくる男は、オレの言葉を全く信じていないようだが……。


「んで、あんたはここの家の人かい?」


「残念ながら、違う」


 腕を伸ばせば近付ける距離にまで来た男は、自分よりも大柄なオレに怯むことなくまっすぐとこちらへ視線を向けてくる。窓から差し込んでいる日光が男の明るい色の虹彩を照らす。


「お前、同業者だろう。気配で分かる」


 オレの背後にいる宇田川を見てから、もう一度オレに視線を戻した男はそう言って、右手に持っている閉じた扇子の先端を差し向けてきた。


「腹の探り合いをしているのも面倒だ。協力しようじゃないか」


「オレのメリットは?」


 バレているのなら特に情報を隠す必要もないが、先にこちらがどんなやつか教えてやる義理もない。

 同業者と言ったってことは、こいつも家の中にあるアレコレが視えているやつなのだろう。協力をすると持ちかけられても、変な契約を結ばれたのではたまらない。

 確認のためにオレが言葉を放つと、唇の片側を持ち上げた男はこちらに向けていた扇子の先端を下げて口を開く。


「俺は、猶村なおむら。この一家を古くから知っている拝み屋だ。まあ、直接関わっていたのが俺自身ならわざわざこんなところへ足を運ばなくてもいいんだが」


 男は、自分を拝み屋の猶村と名乗った。拝み屋にも色々あるが……オレの姿を見ても何も言ってこないあたり、恐らく静の家系とは離れた流派なのだろう。

 そこいらにいる力の強い者に嘆願をし、力を借りるタイプなのかそれとも憑きものや式を操るタイプなのかはパッと見でわかるわけはないのだが。なんとなく憑きものを操るタイプなのかもしれないなと思った。


「こちらは古い情報をやる。だから、お前たちは今持っている情報を俺に寄越せ」


「ひっひっひ……拝み屋なんて大層な方と協力をすることになるとは光栄の極みってやつだ。オレはしがない便利屋ってやつでね。大した情報はないが、今持ってる情報を渡してやるよ」


 オレの軽口に対して、猶村の眉がわずかに顰められる。それに気が付かない振りをしてオレが名刺を差し出すと、宇田川がオレの腕を引っ張って耳を顔に近付けてきた。


「なあ、マダラ、大丈夫かよ……。霊感商法ってやつじゃねえのか?」


「そっちの心配はいらねぇよ。こいつがいるとは逃げたがるみてえだしな」


「では、情報交換については後ほど行おう。それより前に、まずはこの家を調べてしまおうか」


 オレと宇田川の会話に咳払いで割り込んだ猶村はそういって、右手に持っていた扇子を左手に打ち付けて「パチン」と大きな音を立てた。

 それから格衣にも見えなくもない白い上着を翻し、リビングの扉に手をかけた。

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