初期衝動
-1年目-
その日のシアンは興奮していた。
方向性が定まると、すぐ行動に移したくなるのが人の習性だ。
鉄は、熱いうちに打つべし。
あの祈りを自分のものにしたい。
その為にはまず、旅人の所持していた剣を手に入れる必要があった。
まあ、こと剣に関しては父に聞くのが一番早いだろう。
くさっても剣聖だし、と。
シアンは軽い気持ちで当主の部屋の扉をノックした。
この頃はまだ、父とまともな会話ができた。
しなやかな片刃、楕円形の鍔。
おぼろな記憶を頼りに、父に恐る恐る特徴を伝えた。
「それはカタナだ」
「え? 今なんと?」
「……カタナだ」
カタナ。
それが、求める剣の俗称。
なんとまあ、端麗な響きだろうか。
シアンは心の中でガッツポーズをした。
感激するや否や、薄く、短く、刃毀れのしやすい――切れ味だけの軟弱な剣だと、父は言い放ったが。
どうも、打ち合いには向いてないらしい。
まあ父の主観など、どうでもよかった。
背高い、筋骨隆々の巨躯を見上げながら、そう思った。剣聖の力強い剣閃よりも、旅人の流麗な抜刀の方が頭から離れなかった。
名前さえわかれば、後はこっちのもの。
とはいえ、懸念はあった。
というより懸念しかなかった。
軟弱な剣が欲しいとお願いしたところで、頑固な父が承諾するはずもない。
シアンは祖母に頭を下げてお小遣いをせしめ、専属のメイドに頼んで秘密裏にカタナを入手する。
バレたら、潔く、怒られる覚悟で……。
メイドのマオ=ネイは、街一番の武具屋に足を運び、業物を買ってきた。
「どうせなら一番いいものをシアン様に」
と。
「子供用じゃないか、しかも二本もいらな……」
という、不満の言葉を寸でのところで飲み込み、ありがとうと感謝の言葉を伝えた。
父親へ対する拒絶感が、思いとどまらせてくれた。
子は親に似るという。不満ばかり募らせていると、父のような、思ったことを何でも口に出す大人になってしまうだろう。それだけは死んでも御免だった。
早速、剣の稽古をサボり、庭で鞘から抜いてみた。
漆黒の、美しい剣身。
反り返った刀身の曲線は、シアンの好みドンピシャだ。
さっそく試してみることにした。
屋敷の裏手にある林の中で。
抜刀はすぐにできるようになった。
最初の一年は、むしろ納刀の方に神経を注いだ。朝、昼、それを繰り返し、夜になると瞑想して理想の剣士像を脳裏に浮かべた。
そこに至るためには、反復が必要だった。
難易度を低、中、高で表すなら、抜刀は中の低で、納刀は高の高。この動作をスムーズに行えなければ、居合いをものにするなんてのは、夢のまた夢。
シアンの祈祷は、納刀の鍛錬から始まったと言ってもいい。
-2年目-
ここにきて父との関係が一気に悪化した。
カタナを所持していることが、バレてしまったのだ。
マオは解雇され、物分かりの良い祖母は癌という病で寝たきり状態。シアンを庇ってくれるものは、屋敷の中に誰一人としていない。
そんな状況下で芽生えたものがある。
生まれて初めての反抗心。
カタナを取り上げられるぐらいなら
マオとの思い出まで奪い取るというのなら
「全てをくれてやる」
「よく聞け、シアン。それは私がお前にくれてやったものだ」
「だから、それをくれてやると言ってるんです!」
「……」
シアンは右の脇腹にナイフを突き立て、父親の目の前で魔術紋をひっぺがそうとした。
アズールは息子の魔法の才能だけは認めていた。シアンの、唯一の取柄を失わせるわけにはいかない。それに、代々長男へと受け継がれてきたフォール家の魔術紋を……魔術回路(神経)ごと、ひっぺがすなんてありえない。
あってはならない。
そう思い至り、折れた。
それでも、シアンの心が晴れることはなかった。この一年は、怒りに身を任せて、カタナを振り抜いた。
朝も、昼も、夜も。
目標は、一日一万回。
春は右手の皮がずるむけになり、夏はたくさんの汗を大地に吸い込ませた。秋になって、本格的に居合いの動作へと移行し、冬になって、マオとのあれやこれやを、ふと思い出した。
暑いとき、タオルで汗を拭ってくれたこと。
お腹が空いたとき、父に内緒でケーキを作ってくれたこと。
落ち込んでいたとき、シアン様は必ず剣の達人になれますと言ってくれたこと。
鮮明な、とても色鮮やかな記憶。
感傷にひたってもなお、シアンは、黙々と、カタナを走らせた。どこかで元気にしてくれていたらいいな、マオ――と、そんな祈りを込めながら。
-3年目-
一日、一万回の祈祷は、ペースアップしていた。
「なぜ、空が明るいんだ」
夜までかかっていたものが、夕刻までに終わる。ほんの少し、この……ほんの少しの加速――感が、成長を感じさせてくれた。
そんな一年。
-4年目-
祖母が他界した。
シアンは、泣いた。
一人で。
泣いた、泣きじゃくった。
ばあちゃん。
ばあ、ちゃん。
ば……あ、ちゃ……
何百、何千回と繰り返した、ばあちゃん。
真っ白なシーツに涙を落とすたび、大切なものが、一つ一つ砕け散っていく感覚に襲われた。
もう二度と会えない。
もう絶対に帰ってこない。
その事実は、シアンにとって重すぎた。
自分が何をやっているのかわからない。
それでも祈ることだけはやめられない。
ただひたすら、無我夢中で祈りを捧げた。
雨が降ろうが、風が吹こうが、雷が鳴っていようが、雪が積もっていようが、カタナを振り続けた。
呆れ果てた――父の、冷たい、憐憫な眼差し。背中越しに突き刺さる視線が心臓を貫いてどこまでも伸びていく、そんな、遠い目のように思えた。
-5年目-
父は、双子の妹ネイビーを次期当主に、と考えているらしい。
食客のひそひそ話が祈祷中にも関わらず、よく聞こえた。ハッキリ言って、筒抜けだった。
音や匂い、湿度、空気の味まで、五感を通して伝わってくる。
「シアン坊ちゃんは、少し、イカれてるからな」
「おい、どう考えたって少しじゃないだろ」
「あー、あれは完全にイっちまってる。完全にな」
「お前らな、ホントのことでも言っていいことと悪いことが」
聞き捨てならない会話だったとか集中力を散漫させていただとか、そういうのじゃない。抜刀を繰り返すという、シンプルな動作に慣れたのだ。
今やシアンは居合いに特化した呼吸法まで編み出していた。それを極めるためだけに培われたようなルーティーンがあったからこそ、抜刀の速さ、鋭さ、太刀筋の正確性――どれもが卓越していた。
あくまでも気楽にそれを繰り返す。
水を、飲むような。
日常で必ず行う動作と感覚が似ていた。自然にこなせるようになった、ということだ。
ついにこの段階まできた。間もなく、最強の剣術が完成するだろう。祈りと同じ速さで対象を斬る、最速の剣術が。
最速の剣術が。
-6年目-
「最速の剣術、か」
となれば、技名……的なものが欲しいとシアンは思った。彼は病名の無い、ちょっぴり痛々しい、子供ならではの病をこじらせていた。
まあそれはさておき、東洋ではカタナという言葉は一文字らしく、トウという読み方もあるらしい。
シアンは、祈祷のトウとカタナのトウを――結び付けた。
ろくに調べもせずに。
そういう年頃だったと言えばそうだし、独自の解釈により生まれた〝
非力だからこそ。
軟弱だからこそ。
祈り続けた。
自分こそが、剣聖の後継者であることを――証明するために。
ああ、そうか。
ワチは……父上に、認めて欲しかったのか。
ここにきて、シアンは、自分の本心と向き合い始めた。だが目標に近づけば近づくほど、父との距離は遠ざかっていく。父の期待に応えたかった。
だけど応えられなかった。それが悔しくて悲しくて、情けない。
シアンは、いつの間にか、泣いていた。
涙を零しながら、カタナを振るっていた。
「私の視界に入ってくるな、このできそこないめが!」
そんな父の怒号が、屋敷の端から端まで響きわたる、心苦しい、一年、だった。
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