第16話 対峙

 雨はさらに強くなった。視界は暗闇に包まれている。


 巳継は辛うじて携帯電話のライトを照らしながら先を進んだ。進んだ先にあるのは、学校裏の廃墟、星雲荘。足跡とタイヤの痕は全て消えていた。


 星雲荘。一号室。


 その前に佇む雨合羽を着た一人の少女が居た。


「篠原さん!」

「……加野川くん?」


 佐和が驚いた声を出してこちらを向いた。


「篠原さん、危ないよこんな所に居たら!」

「どうしてここに」

「帰ろう!」

「……まって、なに、その傘」


 佐和の目に恐怖のような感情が宿っている。この傘が何なのか。この傘は星雲荘付近に捨てられていた傘だ。小林忠久と話している合間に目に入ったものだ。先ほど学校の裏手に回って拾ったのだ。


「……なんだろうね。拾ったんだ。警察に届けようと思って」

「そう、なんだ……」


 佐和は明らかに狼狽していた。


「さあ、帰ろうか」


 そう言いながら、巳継は佐和の後ろに居る篠原巧を見据えていた。


「そうだな。今日は危ないから、二人とも帰った方が良い」


 篠原巧は無表情でそう言った。


 巳継は無言で、篠原さんと篠原巧の間に割って入った。


「篠原巧さん。そうしたいんですが、今、それだと遅いと思いました」

「どういうことかな」

「辛いことは早く済ませた方が良い」

「何」


 篠原巧の目に鋭い光が宿ったように見えた。


 これが人殺しの目……。


「あなたが三億円強奪事件を手引きしたことは分かりました」

「ほう」

「小林忠久、常盤麗子、常盤隆二に話を聞きました」

「……なるほど」


 巳継が適当なことを言っているわけではないと悟ったらしい。しかし、篠原巧の表情は揺るがない。当然だ。もう死んでいるのだから。こんな過去を暴かれても痛くも痒くもないはずだ。


 しかし巳継もやめる気はない。


「単刀直入に言います。あなたを殺したのは豊田直人ですよね」

「そうだな。そして私も彼を刺した」

「図書館では伝えるのを渋っていた割に簡単に認めるんですね」

「いいんだよ。ここまで調べ上げた君へのリスペクトだ」


 感情の籠っていない薄っぺらい言葉だと思った。


 ここまで分かりやすい嘘もそうそうないだろう。


「聞かせてください。ここまで二人はどうやって来たんですか」

「徒歩だ」

「豊田のどこを刺したんですか」

「腹だよ」

「……状況がわからないんです」

「何がだ?」

「部屋の中は確認しました。部屋の中にはまだあなたのご遺体がある。あなたは背面から刺されていますよね。どういう経緯でそうなったんですか」


 篠原の表情が曇った。


 腹を刺された人間が、刺した人間の背面を刺せるのか。


 背面を刺された人間が、刺した人間の腹を刺せるのか。


 巳継はどちらもできないと思った。


 そもそも両者ともに武器を持っていたら向かい合うはずだ。


「あなたは、もう逃げられない。逃がさない」

「逃げる? 私が何から逃げるというのかな?」

「何かを隠してますよね。それも、豊田も含めて、二人掛かりで」


 小林も含めれば三人だ。


 篠原巧の表情が少し動いた気がした。


「馬鹿馬鹿しい」

「まず、この廃墟にあった異様な状況です。処理されていない血痕が一番おかしい」

「逃げたんだろう。豊田が」

「そう。逃げたんですよ。徒歩で」

「ああ、歩いてきていたからな」

「でもそのあと、車でもう一度乗り付けた」


 小林は車が来たことも言わなかった。これも隠していた事の一つだろう。可能性があるのはもはや豊田だけだ。


「何だと」


 本当に知らないのか、と思った。しらばっくれているだけだと思っていたが、この反応はどうも本当らしい。


「気絶しているだけで、死んでいなければ霊体にはなれない。だからあなたは気が付かなかったんじゃないですか? 今はもう雨で消えていますが、すぐそこまで車のタイヤ痕がありました。なぜここまで来たんでしょう。刺されて死にそうな身体では満足に運転もできないはずなのに。それに、来たくせに血も片付けられてない。不思議なんです」

「……知らん」

「僕は、証拠を残すためと、隠すためだと思っています」

「証拠?」

「恐らく、あなたの遺体の下に写真がある。あなたがこの星雲荘で三億円強奪事件の指揮を執っている写真が」


 あの写真を公表するにはもうこうする他なかったのかもしれない。自分が死ぬかもしれないという瀬戸際では、もはやこの方法しかなかったのだろう。警察にあの写真をきちんと調べてもらうには、現場に残しておくのが一番確かな方法だからだ。


「そんな写真が……」

「あなたは誰も信じていなかった。恐らく一番信頼を置いていたのは小林忠久だったんでしょう。その人物がこっそり撮っていた写真です。結局あなたは、小林忠久からもまともな信頼を得られていなかったんです」

「それだけか。私はそんなこと知らなかったんだ。何も隠してなどいない」


 巳継は鼻で笑った。


「まさか。そんなこと僕は興味ありません。仲間割れは勝手にやったらいい」

「何が言いたい!」


 篠原巧は癇癪を起こしたかのように怒鳴った。


「豊田を刺したのはあなたじゃない」

「馬鹿を言え!」


 巳継は「バカはあなたたちだ」と言い、続けざまにこう言った。


「豊田を刺したのは、佐和さんです」


 後ろを見やると、佐和が目を見開きながら呆然と立ち尽くしていた。




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