第13話 体育館の地縛霊②

 男は学校を出たばかりの若く美しい嫁をもらい、結婚をしてからはずっと堅実に働き続け生活を支えていた。娘が一人生まれた後も、男は朝から晩までずっと働き続けた。しかし金はなく、ワンルームのアパートで家族三人で暮らし続けた。


 そんな日々は十年ほど続いた。


 そのあたりから、妻の帰りが遅くなってきたのを感じていた。結婚当初から妻は時代に沿った暮らし方をすると言い社会に出て働いていた。働いていたはいいが、夫婦そろって給料は低く、暮らしは安定しなかった。


 きっとストレスがたまっているのかもしれない。


 そう思い、男は働き続けた。


 ある日の会社からの帰り道、妻を見た。


 妻は他の男と腕を組んで歩いていた。


 男の顔は見えなかった。見てはならないものを見てしまったと思い、男は混乱する頭を必死に動かしながら家に帰った。娘は一人で眠っていた。


 男はその横で眠りについた。


 翌朝問い詰めると、妻はすぐに別れを切り出してきた。自分が悪いとは微塵も思っていない様子だった。「子育てもせず夜遅くまで家に帰らなかったお前が今更何を言う」「うちの家庭不和は何年も前から目に見えていただろう」「金のないお前が悪い」「お前よりも包容力のある若い人だ」などと罵倒を浴びせられた。妻は一方的に自分の意見を話し、こちらの話を聞こうとはしなかった。


 結局妻が一人で出ていった。娘はまだ眠っていた。


 翌日から娘は泣きじゃくった。男の説明には耳を貸さず、母を求めて泣き叫んだ。


 男の身体は急激なストレスで痩せ細った。そのストレスから逃げるため、酒を飲むことが増えた。煙草はもとから吸っていたが、この頃から本数が増えた。


 それからは、男は毎日酒におぼれる生活をした。それは日中の仕事にも影響を与えた。前日の酒が残り仕事が手に付かない。それを解消するためにあおり酒をし、それが原因で、まともな思考ができなくなり、仕事を続けられなくなっていた。




「女は社会に出ると悪さをしますから」


 娘の担任である篠原という男がそう言ったのは驚きだったが、否定できなかった。篠原と二人で娘の将来について話していた時のことだった。


「全ての女性がそうではないでしょうが、まあ、そうなのかもしれません」

「社会は男が回してますからね。いまさら女性が社会へ出たところで何も変わりません。そうなると、男に媚を売るしかない」


 男はこの篠原という男の言葉を疑わなかった。妻は裏切った。仕事をしていなければこんな事にはならなかった。


「正直な話、女性が教育を受けたとしても、あまり意味はない気がしますね。結局行きつく先が一緒なら、若いうちから働いたほうがより長く働けるじゃないですか」


 担任は悪びれる様子もなく、そう言い切った。


「稼いでもらえれば、お父さんも楽できますしね」

「しかし、仕事なんて簡単に見つかるもんなんですかね」

「ご紹介しますよ。ただ、秘密にしてくださいね。こちらもバレると面倒なんですよ。この教師という立場上ね」


 その仕事内容は詳しく教えられなかったが、娘をそこへやると娘はよく稼いできた。


 娘は最初こそ抵抗したが、説得を続けると次第に大人しく言うことを聞くようになった。篠原からも、根気よく説得するようにと言われていた。仕事をしなければならないのは当然なのだから、嫌がるうちは多少厳しくしてでも言うことを聞かせるべきだと言っていた。


 その甲斐あってか、ひと月も経たないうちに娘は一人で仕事へ行くようになった。


 そして男は働くことをやめた。




 そこから更に十年ほど経った。


 ここ数年間、娘の様子が少し変わってきた感じがしていた。もしかしたら、元妻のように間違いを起こしているのかもしれないと心配になった。そこで、明け方に帰宅した娘の荷物を確認した。


 金が出て来た。


 娘には金を殆ど持たせていないため、この金額の金を持っていることはおかしい。


 男の脳裏には「女は仕事をすると間違いを起こす」という篠原の言葉が染みこんでいた。若造だったが良いことを言うと、この時も思った。


 それと同時に、急に腹立たしくなった。


 自分を裏切った妻と、娘が被って見えた。誰のおかげで仕事が出来ていると思っている。この金はどうしたと問いただそうかとも思ったが、家計の足しになると思い没収することにした。やましいことをしていたら言い出せないはずだ。そうでない場合でも、稼いだ金は家計に入れて当然だ。何の問題もない。


 その日の夕方、目を覚ました娘は怒り狂った。


 男は自分の考えを伝えた。娘は家を出るための資金だとか言っていたが、家計を圧迫させてまで自分の利益を追求したのかと逆に詰め寄った。男にとって娘の言葉は全て現実味を帯びていない薄っぺらい妄言だった。


 娘はその晩、姿を消した。



 

 娘を探すため、久しぶりに篠原に連絡を取った。十年ぶりに会った篠原は眼鏡を掛けていた上に少し老けており、名前を言われないと人相だけでは誰だか分からなかった。

「探せませんね」


 篠原はさらりとそう言った。


「なぜだ」

「当然でしょう。行方なんて分かるわけがない」

「家にあった金を全部持って行きやがったんだ。探し出して説教してやらないと」

「無理です」


 担任は協力する素振りを一切見せなかった。


「それよりもこれからどうするんです?」

「なに?」

「借金ですよ。かなり抱えているんでしょう?」


 最近では娘の稼ぎでも足りず、借金は膨らんでいた。


 なぜ知っている、とは思わなかった。娘の失踪でそこに意識が回らないほどに気が動転していたからだ。


「……だから娘を」

「現実を見てください。もう無理でしょう。娘さんはもう遠くへ行ってしまった。どうやって探せと言うんです。この世の中には超能力なんてないんですよ」

「ではどうしろと」


 無理なものは無理だ。ない金は返せない。


「私が訊いているんですよ。借金はどうするつもりです?」

「……何とか返す」


 そう言いつつ、男は内心かなり焦っていた。


「どうやって? あなたが? 無理でしょう。十年以上無職を続けた泥酔者に何が出来ると言うんです?」


 篠原の言葉は辛辣だったが、言い返す言葉もなかった。


「だから何とかして返す」

「あなた、少しは現実を見た方が良い。娘さんを探すのもそのためでしょう? 娘さんを働かせて金を奪わないとあなたが困るからでしょう」

「違う。私はあの娘に説教を」


 逃げた娘が悪いのだ。


妻と同じだ。


私を見捨てて、一人だけ逃げたのだ。


「今度はあなたが身を削る番だということですよ。さっさと金貸しの所へ行って泣きを入れてきたらどうです」

「そんなことをしたら……」


 しかし、現実は目の前に迫っていた。借金を返す当てのなくなった男には、破滅する以外の選択肢が残っていなかった。


「まっとうな金貸しならともかく、あなたのような男に貸す金貸しなんてろくなものじゃない。返せないなんて言ったら何をされることやら」


 現実を見始めた男の顔から血の気が引いていった。


「助けてくれ。金を貸してくれ」

「嫌ですね。絶対に返してもらえない金なんて貸せません」

「返す! 必ず返すから!」


 目の前がぐにゃりと捻じ曲げられたかのような錯覚を覚えた。金を稼ぐ手立てがないという絶望が目の前にある。男は初めて、今までは娘に守られていたのだという事を肌で感じていた。


「……良いでしょう。では、私に従うと誓ってください」

「……従う?」

「ええ。大金を得るために、まずは顔を変えてもらいます。その代金もあとで返してもらいますがね」

「顔を変える……」


 篠原が何を言っているのか一瞬分からなかった。


「嫌なら良いんですよ。さっさと殺されに行けば良い。当たり前のことですが、金貸しは金を回収する方法を模索するでしょう。絶対にひと思いに殺してなんてくれやしない。僕ならひたすら痛めつけて限界まで金を回収します。でもまあ、可能性がないと分かるまで我慢すれば、流石に向こうも諦めてくれるんじゃないですかね」

「分かった! 分かった……」

「私の言うとおりにしていれば、数年後には借金くらい返せますよ。それまでの一時的な返済も何とかしましょう」

「本当か……!」

「ええ。本当ですとも」


 そう言って、篠原はにこりと笑った。




 その後、男は怪しい施設で整形手術を受けた。


 手術が終わると、皺は増え、瞼は弛んでいた。


 その後、少し離れた町にある、とあるアパートの一室に入れられた。


 そして訳も分からずいくつかの書類にサインし、押印した。


「これであなたはここの大家です」

「大家?」


 男はあてがわれた部屋の中で座っていた。


 座卓の上には、よくわからない書類が何枚か広げられている。


「はい。ここで生活していただきます。ただ不審がられないために、一般に入居者を募集しています。あなたには隣に越してきた住人に因縁をつけ、追い出していただきたい。私がこれだという入居者をここに住まわせますので、それまでその生活を続けてください」

「その後は?」

「その時に言いますよ」

「そんな……。それまでどうしろと」

「日雇いの仕事でも見つけて働いたらいいでしょう。この町ならあなたを知る人間なんていない。適当に誰でもできるような仕事を見つけて働きなさい」

「そんな……」


 男が食い下がると、篠原はいきなり立ち上がり座卓を蹴り上げて怒鳴った。


「まだ自分の状況が分かってねえのか。そんな口利けるような立場じゃねえだろ! いいか、お前はもう引けねえところまで来てんだよ。黙って従ってりゃいいんだよ。従わねえならこの場所を出て行け。その整形代は返してもらうがな。出来ねえなら大人しくその時を待ってりゃいいんだよ」


 酒と煙草に溺れた男が、一回り若い男の暴力に抵抗出来るわけがなかった。


 男は黙って首を縦に振るしかなかった。




 その時は一年後にやってきた。


「次にここに越してくる人には絶対に接触しないでください。話しかけられても会釈程度で済ませること」

「わかりました」


 この一年間で上下関係は出来上がっており、男は篠原に対して意見することも、質問をすることもやめていた。


 次に隣の部屋にやってきたのは、なんと娘だった。


 様々な感情が湧きあがったが、接触は禁じられており、娘からも接触を計られることはなかった。整形により自分の顔が完全に変わっているからだと思った。


「こんにちは」

「ああ、こんにちは」


 一度だけ、そんな会話があった。娘は、自分に一度も見せたことがない表情をしていた。

 それ以降、会話はなかった。

 



 篠原から三億円強奪の計画を聞いたのは、集会を開く前日だった。


「明日、参加者を集めて会議を行います。場所は隣の部屋。いいですか、やるしかないんですよ。やらないなら追放するだけです」

「わかってます」


 男はただ頷いた。


 集会は篠原の言葉通り、娘の部屋で行われた。男はその時、初めて小林忠久という男と会った。誰かに似ている気がした。

 



 そして、犯行は無事終わり、男の目の前に七千万という大金が積まれていた。男の取り分として分配された金だった。


 篠原は当然のように自分の鞄にそれを詰めた。隣には、会ったことのない豊田直人という男もいた。灰色のスーツ姿の男で、一言も喋らずに篠原の後ろをついて回っていた。


「当たり前だがあなたの取り分はない。しかしまあ、約束だ。あなたの借金を返済しましょう。この件の褒章として、このアパートと、少しばかりの金も差し上げましょう」

「わかりました」


 すべてを持ち逃げされたら終わりだった。


 年齢。体力。人数。全てにおいて敵わない。


「ここで静かに暮らせばいい。隣の部屋には小林がいます。下手なことをすれば小林があなたを始末します。隣の部屋の名義は小林になっているので、難しいことは考えなくても大丈夫です」

「はい……」


 残された金はわずかだった。


 その後さらに十年ほど経ったが、この日を境に一切の連絡が途絶えた。

 娘の姿もそれ以降見なくなった。




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