第11話 団地付近の浮遊霊②

 五十四年前、常盤麗子はある町のあるアパートで生を受けた。幼少期を過ごしたのは錆び付いたアパートで、決して裕福な家庭ではなかったが、麗子は大きな不満を持たなかった。不満を強く持ち始めたのは十歳の時で、父母の離婚が引き金だった。


 母が蒸発したのだ。


 麗子が不満を持たなかったのは母の存在が大きい。金を稼ぎつつ家庭も支えたのが母だった。母が消えたことにより、この狭く汚いアパートに残ったのは、酒とたばこに溺れる、父と呼んでいた男だけとなった。


 男は働かなくなり、僅かな金を使って酒とたばこを買った。博打も打った。金は簡単に底をつき、借金が膨らんだ。


「学校なんか行ってる暇があったら金を稼いでこい」

「だって、学校行かなきゃ……」

「女が勉強して何になる」


 男は暴力で麗子を支配した。学校へは行かせず、非合法な手段で金を稼ぐことを強要した。麗子は若く端正な顔立ちをしており、男の目論見通り金を良く稼いだ。男は麗子が得た金を奪い、酒とたばこを買い、博打を打った。


 そんな日々が十年以上続いた。


 鼻が曲がるほどに酒臭い男は、毎日麗子を殴りつけた。機嫌が悪い時は数時間にわたって怒鳴り散らし、殴る蹴るの暴行を加えた。


 一日たりとも身体が痛くなかった日はない。


 男の機嫌を推し量り、怯えながら過ごした十年は永久ほど長かった。


 しかし麗子は満足に学校へも行けない中でも隠れて勉学に励み、再び学校へ行くため少しずつ金を貯めた。十年の間、貯まった金だけが麗子の心を支えていた。


 そんな金も、二十二歳になったころ男に使い込まれる。汚らわしい仕事道具と一緒に毎日持ち運んでいたが、それを漁られたのだ。


 金は一晩にして男の快楽に消えた。


 二十二歳にして、麗子はすべてを失った。


 金、純潔、未来。そのすべてが崩れ去った音がした。


 その日、麗子は家を出た。なぜ今まで家を出なかったのかと聞かれても、理由はわからなかった。家にあった僅かな金をすべて持って、遠くの町へと流れた。


 しかしその町で暮らそうにも家はない。それ以前に移動で金もなくなった。


 仕方なく仕事を探した。住み込みで前と同じ仕事を出来るところを見つけた。別の仕事がしたかったのが正直なところだが、そのような仕事は簡単には見つからなかった。


 結局そこで一年ほど働き、少しばかり金を貯めたころ、建てられたばかりの星雲荘というアパートを見つけた。贔屓にしてくれていた客の紹介だった。そのアパートの大家は変わり者で酷く喧嘩腰なため、山の麓にアパートを建てたが一人も寄り付かず、最近値段を下げたのだという。静かに暮らす分には全く問題がないがどうだろう、という誘いだった。


 値段は本当に安かった。相場の半額程度だった。立地は悪いが、生活を改めるだけで問題は解決するため、麗子にとっては良い条件だった。


 麗子は即決し、そのアパートへ移り住んだ。


 アパートの大家は隣の部屋に住んでいるらしいことを聞いていたため、麗子は物音を極力立てないような生活をした。このような生活は慣れていたため今更何とも思わなかった。麗子は一度大家を見かけたことがあるが、皺だらけの顔に傷のある老人という印象だった。会釈程度で済ませ、話しかけることは基本的にしなかった。




 またひと月ほどそこから経った頃。


「麗子さん、また来ました」

「ああ、忠久さん。また来てくれたの? ありがとう」


 客として小林忠久が通い詰めてくるようになった。忠久は客の中でも特に礼儀正しく、麗子が少しでも嫌がる素振りを見せたらすぐに態度を改めるような、珍しい客だった。


 麗子は嫌な素振りも見せないようにしていたつもりだったが、その小細工は忠久には通じなかった。


「どうしてわかるの?」

「何がです?」

「私が嫌なこと。私の心でもよめるの?」

「そんなこと、顔を見ればわかります。言ってくだされば、それをすることもないのですが、麗子さん言ってくれないから」

「いいのよ。遠慮しないで」


 ふふっと忠久は笑った。


「私のように入れ込む方が悪いんですよ。入れ込まれても迷惑でしょうから、麗子さんは私を存分に利用して下さればいいんです」


 そんなことを言いつつ、忠久は麗子を少しずつ口説いた。


 結局、ここまで人から優しくされた経験のなかった麗子が忠久に入れ込む形で、二人の交際が始まった。


 交際開始と同時に麗子は仕事を辞め、忠久の援助で生活するようになった。


 麗子の部屋には忠久が通い詰めるようになった。そのうち、忠久が趣味で集めたというカメラが幾つか置かれた。置く場所がないから少しだけ置かせてほしいと言われたのだ。




 忠久はしばらく麗子に仕事を明かさなかった。


 麗子は不審に思わなかったが、ある日「大きな仕事があるから手伝って欲しい」と忠久から言われた。そのとき、話題に挙がったのが三億円強奪の話だった。


 麗子は戸惑った。今までは、自分は被害者のつもりで生きてきたが、この件は違う。完全に加害者側に回ることになる。


 しかし、麗子はすぐに迷うことをやめた。忠久に見捨てられれば、また一人になる。惨めな生活に逆戻りだ。それに、忠久を失うことは考えられなかった。唯一の味方である忠久の期待に応えるため、麗子は参加を決意した。


 人数は自分を含めて四人。取り分は等分。忠久と麗子の取り分を合わせれば、今後の生活は保障されたも同然だった。


「これが終わったら一緒に暮らそう」

「はい」


 二人はそう言い合った。

 


***********************


 

「悪いことはするものじゃないわ。私はそれから資産家の男と仲良くなって、毎日のように家に通ったわ。その人が眠ったある日、私が家から金を奪って、残りの三人に金を渡したの。その後はバイクで逃走する手はずだったのよ。でも結局、私は乗り換えたバイクで事故を起こして、ここで死んだのよ。ブレーキが利かなくなったの。犯罪に使うようなバイクだから、整備もろくにしていなかったのかもしれないわ」


 常盤麗子はつらつらと言う。興味がなさそうというか、言葉に感情が殆どないように感じた。


「四人……」


 渉は畳の下から七千万出てきたと言った。四人で分ければ大体その程度の額になる。


「そう、四人。私、忠久さん、大家」

「大家? 生きてるの?」

「三十年前の話よ。今の状況なんて知らないわ」

「……ねえ、もう一人は?」

「私に星雲荘を紹介した男。まさか繋がっていたとはね。あのときは驚いたわ。よくよく考えれば、大家とは知り合いだからまあ不思議ではないんだけど。名前なんて忘れたわ。顔ももう全然思い出せない」

「そうですか……」

「じゃあね。ありがとね。あなたは絶対に道を踏み外さないようにね。悪いことは悪いの。悪さをするとね、必ず自分に跳ね返るわ。忘れないようにね」


 そう言うと、常盤麗子はすっとその場から消えてなくなった。


 常盤麗子はきっと、失敗した負い目からどこにも帰れず、ここに留まり続けていたのだろう。雨の日にそのことを思い出し、悲しんでいたのかもしれない。


 小林さんの「同情するな」という言葉が心に突き刺さった気がした。それでも少し、最後は犯罪者に堕ちた存在だとしても、常盤麗子に同情してしまう。




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