第9話 清美渉

 十年前、清美渉は交際中の女性と晴れて婚約した。結納も済ませ、相手の両親とも打ち解けることができた。順風満帆だった。一年後に正式に婚姻届けを提出し、結婚式を挙げる予定だった。


 その前に決めてしまいたいのが、二人で住む場所だということで、半年前から家も建てはじめた。そして建築していた家はその月の初めにようやく出来上がった。二階建ての小ざっぱりした家だが、二人して早くここで暮らしたいと笑いながら話していた。


 しかし新興住宅地とあってか、水道工事が一斉に行われるという。家具は運び込めるが、住めない状況があとひと月ほどは続くと言われた。


 そこで、少しでも予算を浮かそうと、家具のほとんどを渉が運んだ。しかし渉の現在住んでいる借家からはかなり距離が離れているため、手間が掛かりすぎて少し困っていた。


 それでも元々渉が住んでいた賃貸にあった家具は運び切り、もうあるのは布団くらいとなった。そこまで進むと、もう借り続ける意味はなかった。


 そんな時に見つけたのが星雲荘だった。


 星雲荘の相場は他の賃貸物件よりも安かった。その上、置いてある家具を自由に使っても良いという。この場所に住んでいた人が生前使っていた家具らしく、病死した後は自由にしてくれとのことで、今もこの部屋に置いてあるのだという。


「いいんですよ。その方、小林さんっていう方なんですがね、とても優しい方で、静かに生活されていました。がんだったらしくてこの間旅立たれたのですが、電化製品の方は使えると思うんです。水回りはさすがにガタが来ていたので軽くリフォームしましたが、どうでしょう。人が亡くなった後の部屋は借り手がつかないことも多くて、ひと月でも良いので借りていただけるのであれば、賃料は半額で構いませんし、敷金も礼金も不要です。欲しい家具は持っていってもらっても構いませんよ」


 年老いた大家はそう言った。


 張り替えられた畳。ある程度だが綺麗にされた水回り。長年使っていたのかもしれないが、一式揃った家電類。ここからであれば、新居へのアクセスも悪くない。新居のライフラインが整うまで、あとひと月も掛からない。ひと月借りるだけならば、ここに住んだ場合の賃料と、借りなかった場合の交通費を比較しても大した差はないだろう。


「わかりました。ひと月貸していただけますか」

「ありがとうございます。布団は準備してくださいね。布団は処分しましたので」


 その後、とんとん拍子に契約を交わし、一か月限定でこの部屋に住み始めた。


 渉は一週間ほど新居と星雲荘の往復の日々を過ごした。新居に水道が通ってからは、そちらで寝泊まりすることも多くなったが、洗濯や風呂などは星雲荘の設備でまかなった。


 新居では少しずつ足りない家具を購入し、可能な限り自分で運び入れた。それを見に来ていた婚約者が「テレビはこっちが良いかも」やら「ダイニングテーブルが欲しい」やら目を輝かせている。


「欲しい家具見繕っといてくれないか?」

「わかったわ。調べて相談するわね。……それより、もうこっちに住んじゃえば? 先に家具買っちゃえば済む話だし」

「いいんだよ。今まで通りで。本格的に住むのは一緒に始めよう。それより、お腹は大丈夫か?」

「大丈夫。最近はつわりも治まってきたし、動きやすくなってきたの」


 二人は数ヶ月前に子供を授かっていた。まだお腹は目立たないが、少しずつ胎動を感じるようになってきたという。渉もお腹に手を当てたことがあるが、その時はわからなかった。


「それよりもね、うちの親になんて言えば良いか分からなくなっちゃって」

「婚約したとはいえ、結婚前だからな。俺が謝るよ」

「喜んでくれると思うけど、小言をもらいそうね」

「性別が分かったら名前考えないとな」

「そうね」


 この頃はよく、夫婦そろって頭を抱えていた。



***********************



 渉が星雲荘に来て十日ほど建ったある日、訪問者があった。

 知らない人間だった。


「すみません」

「はい、なんでしょう」


 黒いスーツを着た四十そこそこの男だった。


「篠原と申します。あの、ここにお住まいですか?」

「はい。どうしてですか?」

「ここには小林さんという方が住んでいたと思うのですが」


 小林というのは確か前に住んでいた男の名だったはずだ。セールスだと思ったがそうではなかったようだ。


「ああ、亡くなったと聞いておりますが」

「……そうなんですか。もう次の方が入られているんですか……」

「はい、今、現にこうして――」

「――そうですよね。ええと、私、小林さんの知り合いでして」

「はあ」


 言葉を遮られ、不審がる渉をよそに、篠原は話を進めた。


「あの、お願いがあります。できる限り早くこの部屋を出てください」


 渉は目を細めた。


「何を言っているんですか」

「危険なんです」

「なぜです」

「条件が揃ってしまいました」

「条件? 何の条件です」

「お願いします。誰に聞かれているかもしれないんです。情報も渡せないんです」

「信じるとでも?」

「信じていただくしか……」

「……お引き取りください。こういうのは大抵詐欺です」

「分かっています。私みたいな変なのがいますので、できる限り早く……」


 次の日も、その次の日も、篠原は現れた。何度も何度も同じ事を頼んで消えた。


 正直気味が悪かった。なぜこんな無駄なやり取りを連日繰り広げなければいけないのか。せっかく新婚生活に向けた楽しい作業を行っているのに、こんなところで無駄にストレスを受けイライラしたくはない。


「何なんですか一体」


 渉がいくら語気を荒げても、篠原は頭を下げるばかりだった。


「お願いします。では、この部屋を私に譲っていただけないでしょうか。退去していただけるのでしたら手間賃としていくらかお渡しいたします」

「あのな、一ヶ月したら出ると言ってるだろ。それに明日は嵐だ。どうしろと言うんだ」

「何日か帰られてなかったですが、次の家が決まるまではそちらに滞在いただけませんか。その際の費用も必要でしたらお渡しします。明日だけでも」

「だめだ。台風が長引いたらここじゃないとさすがに過ごせない。向こうは水道しか通ってないんだ。帰ってくれ。ここの家具に用があるならそれからにしてくれないか。カメラが欲しいのか?」


 小林という男の趣味だったのか、カメラが置物のように至る所に置いてあった。調べたらまあまあな価値があるものもあったし、子供が実験で作るようなシャッターを自分で開けたり閉じたりするような玩具のカメラまであった。そんないろんなカメラが棚やタンスの上など、至る所に飾られていた。


「いえ、そうではないんです……」


 訝しむ態度をとり続け、迷惑だといくら伝えても、暖簾に腕押しだった。


「帰ってくれ」


 明日は嵐だ。ここに留まる他ない。


 その日もまた、篠原を追い返した。


 すぐに嵐が来た。風が強くなり、外に出ると危険だと判断したため、部屋に籠もった。


 やることがなく久しぶりにテレビを付けると、三億円強奪事件の特集が流れていた。その報道によると、数年ほど前に公訴時効が成立したとのことだった。もう何も恐れることなく、犯人は金を使えるのだろう。


 この辺鄙な場所には関係ないと一瞬思ったが、自分が犯人だった場合、むしろ辺鄙な場所に潜伏するのではないかと思った。


 渉はざわつく心を静めようと、布団を敷いて横になった。関係ないことだと自分に言い聞かせ、目を閉じる。


 自分であれば奪った金をどこに置くだろうか。


 妙な勘ぐりを抑えきれず、真夜中に嵐の音に乗じて真新しい畳を軽く上げてみた。


 まあ何もないだろうと高をくくっていた。


 犯罪なんて対岸の火事だ。


 しかし燃えていたのは自分だったようだ。


 掘る必要もなかった。


 数えると七千万近い大金がそこにあった。


 全身から血の気が引き、手が、肘が、膝が震える。


 ガタガタと扉が、窓が揺れている。大きな雨粒が窓を叩き続ける音が、やけに鮮明に耳に入ってくるようになった。


 その中の足音に気が付いたのは、そのすぐ後だった。


 振り向き切る前に頭部に強い衝撃を受け、渉は意識を失った。



***********************

 

 

「その時に、顔は見たの?」


 正直、巳継はそれ以外にどう声をかけたらいいかわからなかった。恐怖の中で殺された人が抱く感情なんて、想像できない。意味も分からないまま襲われる恐怖は想像を絶するだろう。

 

 渉は首を横に振るだけだった。


「顔は見てないんだ。振り向けてなかったし、俺が倒れた後、死ぬまでに時間が掛かった。その間に埋められたらしくて、顔は見れてない」

「生き埋め……?」

「ぞっとするだろ」


 渉は苦々しい過去だと言わんばかりに口元をゆがめた。


「幽霊になって最初に気がついたとき、俺は校庭にいた」

「校庭?」


 ああ、と渉は頷いた。


「どうやら、学校の敷地に埋められたらしい」

「それはどこの学校?」

「あそこだよ」


 渉が顎で指したのは、巳継の通う方円寺小学校だった。


「ねえ、その場所って?」

「……今は新体育館が建ってる」

「やっぱりあそこに……」

「今はどこに移されたのやら……」


 嵐の晩に校庭を掘る人間の怪談話も本物だったようだ。


「それで、俺は……」

「なに?」

「婚約者の元へ向かった。無性に会いたくなったんだ。その後、部屋の捜査はされたが、結局俺の遺体は発見されず、金も発見されなかった。俺は失踪したことになった」


 巳継は黙って聞いていた。


 情報が内挿されるたび、巳継のなかで一つの仮説が現実味を帯びてくる。


 渉が続ける。


「婚約は破棄。婚約の場合も破談って言うのかねぇ。怒ってたな……。そりゃあそうだよな。家買って、子供作って安定期に入った途端失踪したんだからな」

「そう……」

「もうわかんだろ」


 巳継と渉は二人して黙り込んだ。この沈黙を破れるなら雨でも何でも降ってほしかった。勿論不快なものではないが、それくらい耐え難い空気だった。


「……そうだね」


 悲しい。


「こんな事件がなけりゃ、一緒に暮らせたのにな」

「……うん」


 しかし不思議と涙は出なかった。幽霊になっても一緒にいてくれた、そんな渉との思い出があるからだと思った。


 渉の身体も見つけなきゃなあ。ぼんやりとそんな事を思った。渉を殺した犯人に対して、沸々と怒りが込み上げてくる。命を奪う必要なんてなかったはずだ。こっそりと部屋に入って床下を漁れば済んだ話だ。どうして執拗に立ち退きを迫ったのか。


 日が暮れかけていた。分厚い雲に覆われた空が、徐々に暗くなってゆく。


 そして、ぽつりぽつりと雨が降り出した。




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