第2話 登校日

 夏の終わりが近づいていた。


 蝉の鳴き声は知らない間に少なくなり、道を歩けば至る所に蝉の死骸が転がっているようになっていた。夏休み最後の台風も近づいているらしい。小さな台風だが、今晩にも本州を直撃するため強い雨が降り始めるらしい。昨日ニュースで言っていた。そう考えると、夜の暑さも和らいだように感じる。


 日中にため込んだ熱の残り香みたいなものもなくなり、冷たいさらさらとした空気に変わっている。


 そんな空気がまた熱され始める朝八時。巳継みつぐはベッドの上で目を覚ました。別に風邪をひいているわけでもないのに、身体が重い。


 普通、自分の部屋を持つ小学四年生は、朝起きると一人だ。巳継は特にそのはずだった。十歳になって母親と一緒に寝るわけはないし、父親は最初からいない。兄弟もいないし、誰かが泊まりに来ているわけでもない。


 しかし、この部屋には巳継の他にもう一人いる。しかも二十代そこそこの男だ。


「お、起きたか、おはよう」


 巳継はじろりとその男を見る。


「おはよう……。身体が重い」

「なんだ、風邪でも引いたか?」

「身体は元気だよ」

「じゃあどうしたんだよ」

「どっかの誰かに祟られてるんじゃない?」


 どうして通じないの? ねえ?


 そんな不満をあからさまに表情に出している巳継を無視してこの男は言う。


「安心しろ。変な奴はいなかった。幽霊の俺が見張っていたんだ間違いない」

「この部屋、清美渉きよみわたるとかいう幽霊が既に居るから」

「なんだって? 聞くからに美青年だな。紹介してくれ」

「自分で言うか……」

「ふっ」


 わたるはわざとらしく前髪をき上げた。前髪が揺れている。風が吹いてもなびかないのに、自分で触ったら揺れるのか。知りたくもない法則をまた一つ見つけてしまった。


 観念して巳継はベッドから降りる。まだ寝ていたいが、そうも言っていられない事情がある。


 ちらりと渉を見ると、なにやら体操をしている。体も凝らないだろうに。もしかしたら寝ていないのもあって、体がなまった感覚があるのかもしれない。


 渉は霊だ。


 十年前に死んだらしい。巳継が物心ついたときから一緒にいる。なぜ巳継にまとわり付くのかと聞いたら、「霊が見えて話ができるからに決まってるじゃないか」と言われる始末だ。そりゃあそうかも知れないがこちらの事情も察してくれたら良いのにと思う。所構わず話しかけてくるものだから、巳継は相当な被害を被っていた。


 小さい時は相当気味悪がられたものだ。それもまあ仕方がないと思う。誰もいないところに向かって話し始めて、挙げ句の果てに怒りだしたり笑い出したりしたのだから。もはや子供だからという免罪符も通用しない程に奇妙な挙動だったのだろう。


 巳継がこのことに気付いたのは小学校に入ってからで、気づいた時にはもう手遅れだった。不思議な挙動は全校生徒に知れ渡り、巳継はこの小学校界隈では有名人となってしまった。母親の気苦労も相当なものだったろう。


 そろそろ坊さんを呼ぶべきか考えてもいいかもしれない。


「馬鹿なこと言ってないでさっさと登校準備をしたらどうだ」

「なんで知ってる……。だから起きたくなかったんだよ」

「昨日からあれだけボヤキ倒してれば嫌でも覚えるよ」


 巳継はため息をつく。


 今日は夏休み中に存在する登校日だ。朝の九時から体育館に集められて三十分ものあいだ校長先生を初めとした先生方の有り難い話を聞かされ、挙げ句の果てにその後教室で担任の先生から更なる有り難い話を頂戴する。


 なんでこんな日があるのか意味が分からない。先生に夏休みはないらしいが、生徒を巻き込まないでいただきたい。


「だるい……」

「ほら、母さんが下で食パン焼いてたぞ」

「わかったよ……」


 もはや家族の一員と化している渉の横を通り、寝巻のまま部屋を出た。一階へ下りると、食パンの焼けた匂いと淹れたてのコーヒーの香りが漂っていた。


「あれ、もう起きたの? おはよう」


 母――加野川幸恵かのかわさちえがダイニングチェアに腰掛けてテレビを見ていた。


「ちょっとね……。おはよう」

「いつもは起こしても起きないのに珍しいね」

「てゆうか、もう起きないと学校遅れるし」

「え? 学校?」

「今日は登校日だろ」

「あ、そっかそっか。気をつけてね。夕方から降ってくるわよ」


 どうやら予定通り台風は今晩やってくるらしい。しかし晩に台風が来ようが巳継には関係ない。昼前には帰ってくる予定だからだ。それも昨日言っておいたはずだがどうせ覚えていないのだろう。


 昨日言っといたはずなんだけどなぁ……。


 いや、それよりも今日の朝ご飯が一人分しかなさそうな点が気になる。テーブルには食パンとコーヒーが一人分。これは恐らく母の分だ。


 じっと見つめていると母は言う。


「あんたもう少し遅いと思ってたから一人分しか焼いてなかったの。手付けてないから先にそれ食べて」

「わかった」


 コーヒー飲めないんだけど、と目で母に訴えると牛乳が運ばれてきた。


「これくらい自分でやりなさい」


 食べながらテレビを見る。これも毎朝のことだ。いつもの変わりない朝のワイドショー。


 退屈だ。


 特集と称して三十年前の三億円強奪事件が取り上げられている。二十年経って時効が成立したらしく、もう犯人が捕まえられなくなったらしい。当時は防犯カメラも少なく、逃走した犯人を追跡できなかった。


 コメンテーターがだらだらと持論を述べているのを見ながら、巳継はだらだらとパンをかじり続ける。


 その後はニュースだ。ほのぼのとした夏の終わりを告げるニュースと、殺伐とした大人の世界のニュース。昨日の朝方、車の中で教師が重傷を負って倒れているのが見つかったらしい。腹を刺され出血多量の状態だったという。誰かと争ったものと見られている。争って殺し合ったのだとしたら、いい大人がこの暑い中何をしているんだと思った。


 途中から見る気をなくしてパンの残りを口に放り込んだ。


 最後は天気予報だ。今晩は大型の台風が接近し、警戒が必要とのことだった。二日前の朝以来ずっとぱらぱらと降ったり止んだりの曇天が続いている。


 夏にこの頻度だとまた雨かと思ってしまう。今晩は窓を閉めるだけでなくシャッターを下ろす必要がありそうだと思いながら、牛乳を飲み干した。


 いつもと変わらない朝の退屈なひとときだ。


 横を見ると、いつの間に下りてきていたのか、渉がテレビを見ていた。なにやら嫌そうな顔をしている。台風がそんなに嫌なのだろうか。シャッターを下ろすから外が見えないのは確かに不満だろう。幽霊は夜寝ないから、晴れている方が快適で過ごしやすいはずだ。


「ごちそうさま」

「はい、行ってらっしゃい」


 巳継は支度を済ませて空っぽのランドセルを背負い、小学校へ向かった。




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