第28話

 目を覚ましたのは、起床時間を学園中に知らせる鐘の音が、ちょうど鳴り止んだ時だった。


 気付けば月曜日の朝。


 週末の夜に飲み過ぎて、土日は二日酔いが続き、せっかくの休みを無駄にしてしまったな。レットと共に飛行船の実験を見に行く予定だったが、体調不良でパスした。


 俺が学園に来る前、街の店先で宣伝広告されていた、史上初となる飛行試験は失敗に終わったらしい。

 だがめげずに今回も、通算十八回目の挑戦が行われるらしかった。はたして成功したのだろうか。


 だが他人の心配をしている場合ではない。今日からはまた、業務にシッカリ勤しまないと。

 土日の間も姿を見せなかったラビ先生は、いつの間にか部屋に戻ってきており、既に教員服黒いローブの袖に腕を通していた。


「……あ、おはようございますクリストファー先生。顔色が優れないようですが、大丈夫です?」


「おはようございます、ラビ先生……。問題ないです。……土日は外出していたんですか?」


「えぇ。地元に戻って、高齢な母の世話をね。最近は足腰が弱って、力仕事とかはどうにも」


「そうですか……。お母さんは、要支援3.5とかの状態だったり?」


「そうですね、そんなところです」


 教師の仕事も大変だろうに、親孝行までしているなんて。ラビ先生は本当に立派な人だ。


 そんな彼を少しでも見習おうと、俺もベッドからノソリと起き上がった。




「――……えー。それで今週の金曜日には、事前に伝えていた通り、学園周辺の森へと向かう。そこそこ強い魔物も出るので、各自準備は万全にしておくように」


 憂鬱な月曜日の授業も、終わってしまえば何てことはない。


 放課後になって解散する前。ガヤガヤと喧しいビショップクラスの面々へ、帰りのホームルームにて連絡事項を伝える。


 この学園ではオリエンテーションといった気楽なものは行われないが、四月の中旬に泊まり込みで、簡素なキャンプのようなものが行われるらしかった。

 跳ね橋を使って湖を渡り、学園周囲の広大な森で、低レベルな魔物との実戦を経験させる。それにより、優秀な魔法使いを目指す生徒達の、更なる育成レベルアップを図るのだと。


 ……というのは建前で、魔物討伐の駆除業者を雇うより、学生にやらせた方が安上がりだから実施しているのでは? と思えなくもない。


「せんせぇ~。バナナは遠足のおやつに含まれますか~?」


 ピーターが手を上げ、ふざけた質問をしてくる。教室に笑いが起こり、和やかなムードだ。


 だがオルアナだけは笑うことなく、頬杖をつき、窓の向こうの湖を眺めていた。

 授業はサボらなくなったが、未だ自己勉強に熱中したり、他の生徒と仲良くなる気配もない。


「……遊びに行くんじゃないんだぞ。気を抜くな。学校に戻るまで、家に帰るまでが遠足だ、とはよく言うだろ」


「いや結局遠足じゃーん!」


 ティナーがツッコミを入れて、再び教室にどっと笑いが巻き起こる。


 オルアナにも、この朗らかな雰囲気に混ざって欲しいんだけどな。




「クリストファー先生、さよならッス~」


「ハイさようならジャック」


「ロビン先生ー。いい加減、ウチの部活の顧問になってくださいよ!」


「チェス部で何を顧問すれば良いんだよ。アリエルお前、俺より強いだろ」


「せんせ~。そろそろアタシのライター返して?」


「それはダメだティナー」


 そうしてホームルームも終わり、それぞれ放課後の自習や部活動クラブに向かう教え子達へ、帰りの挨拶を返しつつ。六時間目に使用した教材を、教壇の上で片付け始める。


 オルアナもいつも通り、教室から図書室へ向かおうというタイミングで――俺は声をかけた。


「あぁ、少し待てオルアナ」


「……何かしら」


 足を止めてはくれたが、「要件ならさっさと言って」と表情にハッキリ出ている。生意気ぃ。


「二十分後に、本城一階の応接間に来い。……先週の金曜日に倒れた件で、保護者と面談だ」


「……!」


 一瞬、動揺した表情を浮かべた。

 だがすぐに無表情を作り直し、無言で廊下へ出ていった。


「ったく……」


 マーカス家の人間という、国内トップクラスの大貴族サマと直接対面するんだ。

 新米教師の俺には、ただでさえ保護者面談なんて荷が重いのに。オルアナが一緒にいてくれなくてどうする。


 しかし、こればかりはどうにもできない。

 せめてオルアナの親御さんペアレントが、森に出るような魔物モンスターより手強くないことを、ひたすら祈るばかりだった。




***




 本来なら、オルアナを含めて三者面談するはずであった応接間には――今、俺と貴婦人が対面して、椅子に腰掛けている。


 オルアナの母――マーカス夫人は、まさに『数年後のオルアナ』といるほど容姿が似ており、しかし娘と違って穏やかさを感じさせる、柔らかい雰囲気の持ち主だった。


 丁寧な所作で紅茶を飲み、音も立てずカップを置く。

 そして彼女は、申し訳なさそうに頭を下げた。


「……この度は、本当に申し訳ありませんクリストファー先生……。うちの子が御迷惑を」


「あ、いえいえ。そんな……頭を上げてください」


 大貴族の夫人だから、そしてオルアナの親ということもあり、てっきり「うちの娘が倒れたですって!? アナタのような貧民街出身のゴミ教師なんて、明日には国外追放にしてやるザマス!」とか言われんじゃないかな……と予想していたのに。

 まさか逆に謝られるとは。


「オルア……娘さんも同席するはずでしたが、資格試験の勉強がしたいらしく、図書室に籠りきりで……。あまりこんを詰め過ぎないようにと、忠告はしておいたのですが……」


 そう告げると、マーカス夫人は困ったように苦笑して溜息を吐いた。


「あの子……。本当に、一度決めたらガンコなんだから……。まったく、誰に似たのかしら」


 困ったものね、と微笑む。その笑顔には、どこか寂しさが宿っていた。


「……娘さんはどうして、あそこまで熱心に勉強を……?」


 低い成績は絶対に許さないザマス、といった厳しい教育ママには見えない。父親の方針だろうか。


「……あの子の父と兄は、先の大戦で戦死したんです」


「……!」


 つまり、目の前の彼女マーカス夫人は、夫と息子を失った未亡人ということでもある。

 本人も辛いだろうに、それでも家庭環境を包み隠さず伝えてくれる貴婦人に、俺は返事ができなかった。


「今は私が当主ということになっていますが……。かつての大貴族マーカス家を維持できるほど、そんな力はありません。ですからあの子は、自分で自分の家を守ろうとしているのでしょう」


 ――全ての納得がいった。


「誰にも負けない」と宣言した、入学式の挨拶。他人を遠ざける態度。独力で宮廷魔導士を目指す理由。

 全ては実家を、そして母親を守るためだったんだな。


「夫は貴族であるのと同時に、前線にも出向く指揮官でした。息子……オルアナの兄も、父親を見習い、最期まで兵士の皆様と運命を共にしました」


 旦那と息子を失って、残された娘も倒れるほど勉強して。母親としては、心配どころの騒ぎではないだろう。


「幼い頃のオルアナはいつも笑っていて、兄妹仲も良くて、お兄様お兄様と懐いていて……」


 あのオルアナがよく笑う子供だったなんて。今の彼女からは想像も付かない。


「そんな思い出の詰まった屋敷に住み続けるため、大好きな父と兄が命懸けで守ったものを繋ぐために……。あの子は戦後から、宮廷魔導士に目標を定めて、勉強に没頭し始めたんです」


 終戦が八年前だから、年齢はまだ二桁にも届いていない頃だろう。壮絶な幼少期だ。


「でも……本当は、そんなことしなくたって良いんです。私の本音を言えばね」


「え……?」


「たとえ他の貴族や企業に負けてしまっても、宮廷魔導士になれなくても……。母親からすれば、あの子にはただ健康で、笑顔でいてくれたら、それだけで良いんです。……昔のようにね。それに折角、こんな素敵な学園に入って、たくさんの友人を作れる機会チャンスなんですもの」


 元々、裕福ではない家からマーカス家へ嫁いだという彼女。「お金も地位も、あれば便利だけど……それだけが全てじゃないのよ」と微笑んで、紅茶の湯面を見つめた。


「……クリストファー先生。オルアナは良くも悪くも、融通の利かない子だから……。でも世の中にはもっと多くの価値観があって、成功だけが人生じゃないと……そう導いてあげて下さい」


 そして立ち上がり、綺麗なお辞儀で「あの子をよろしくお願いします」と頭を下げてきた。


 俺は――面談をする側であったはずなのに――逆に、教え諭された気分だった。


 マーカス夫人は、この部屋に入ってから一度たりとも、俺の左目の眼帯や孤児であった経歴について、口にしなかった。気にする素振りすら見せなかった。


 宮廷魔導士になれなくたって良いと、そうも言った。


 それはまるで、俺の八年間すらも慈しんで包んでくれたかのような言葉に聞こえた。

 俺は勝手に、救われた気持ちになっていた。


「……頭を上げてください、マーカスさん」


 俺も椅子から立ち上がり、眼帯をしていない右目で、銀髪の小柄な貴婦人を見つめる。


 かつての――元気だった頃のイヨ婆ちゃんと、どこか似ている髪色だった。


「俺は教師になりたてで、至らぬ点も多いですが……。娘さんのことは、お任せください」


 そう告げると、マーカス夫人は頷いた。

 その後、馬車に乗って領地へと帰っていった。


 この日初めて、俺は――教師というのは生徒達だけでなく、その何倍もの親や祖父母や兄弟姉妹、親類達からも、未来や希望を預かっている立場なのだと――真に実感した。


 そしてその感触はかつて、一度経験したことがあるはずだったと、思い出していた。

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