第5話

 イヨ婆ちゃんの葬式は、思っていたよりもスムーズに終わった。

 参列者の数は少なく、葬式も簡素な形式で済ませた。


 元々、旦那さんと息子のゴウファ以外に、親縁と呼べる者はいない人だ。

 兄弟姉妹もなく、当たり前だが両親はとうの昔に他界している。

 古くから婆ちゃんを知る友人達も、ほとんどが鬼籍に入るか、生前の婆ちゃんと同じく、満足に活動できない高齢者ばかりだった。


 ――享年七十二歳。戦後の平穏で伸びた平均寿命と比較しても、大往生と呼べる長寿だろう。

 夫と息子を失った悲しみはあれど、大病を患って、痛みで苦しみながら逝ったわけじゃない。悪くはない人生だったと、本人目線ではないが、そう思う。


 だが、本当のところはどうだか分からない。

 俺に怒鳴りつけられ、もしかしたら深く傷ついていたのかもしれない。明日死ぬと分かっていたら、俺だってあんな大声は出さなかったのに。

 しかし、もう婆ちゃんの本心を知ることも、面と向かって謝罪すらできない。旦那と息子の隣に並んで、小さな墓標の下で静かに眠っている。


 葬式に来てくれた十数名の参列者達は、墓標に花束を添えてから、喪主の俺に二言三言告げると、それで帰っていた。

 俺は――もう、帰る場所などない。

 あの家は元々、イヨ婆ちゃんの所有物だ。養母と養子といえど、通常の手続きで養子入りしたわけじゃない俺には、相続権が発生しなかった。


 国は十数年前、スラム街にいた浮浪児達を集め、子供のいない家庭や未亡人達に養子として育てさせた。

 その素晴らしい社会福祉政策の裏には、思惑があった。救済対象となった孤児達を士官学校へ向かわせるよう、それとなく誘導していたのだ。

 飯と寝床と愛情を与える代わりに、大戦に突入しそうな時代を見据え、軍事力を補強するため兵士にする。しかしムリヤリ徴兵したのでは士気が向上しない。あくまでも自発的に、飯と宿と里親への恩返しに『命を懸けられる人間』へと育て、祖国に奉仕させようとしたのだ。


 その方策に、俺も相棒もレットもアッサリ乗った。

 政治家達の思うがまま、世話してくれたイヨ婆ちゃんや兵士になろうと、大して悩みもせず決心した。

 だが、国は財産の相続権までは与えなかった。

 どうせ捨て駒だし、仮に生き残っても『スラム出身の元軍人が、貴族や金持ちの領地を相続できるかもしれない』だなんて、そんなのは許されなかったのだろう。


「……どうすっかなぁ……」


 そうしてめでたく、住所不定・無職のプー太郎となったわけだ。クソが。


 かつては護国の英雄だなんて持て囃された人間が、ここまで落ちぶれるとは。歴史上でも類を見ないだろう。

 しかし俺は別に、なりたくて英雄になったわけじゃない。それに自分でも、自分自身を『英雄だ』と思ったことは一度もない。


 俺は元々、家も親も金も高貴な血筋も持たない、貧民街のガキなんだ。振り出しに戻っただけ。プラスマイナスゼロ。

 戦争が終わってから八年、人生にプラスになるような出来事が何もなかったってのは、それはそれで虚しいが。


「――……プーちゃん……」


 すると。行き場を失い、墓標の前で黄昏るだけの背中に、一人の女性が声をかけてきた。


 無職の現状を煽っているわけじゃない。振り向いて見ると、そこには亜麻色の綺麗な髪をポニーテールにして揺らす、喪服姿の女性がいた。

 年齢は俺と同じくらいだが、小柄で愛嬌のある顔立ちをしている。よく未成年に間違われたりするが、しっかりと成熟した大人である。


 どうしてそんなに、相手の素性を知っているかというと――彼女は俺の、死んだ相棒と同じ、もう一人の幼馴染だからだ。


「……いい加減『プーちゃん』って呼ぶなよレット。もう子供じゃないんだ」


 参列者達の中でも目立って若い。イヨ婆ちゃんの知り合いではなく、俺の知人であるためだ。

 他の参列者が帰っていっても、一人残ってくれたらしい。二人きりで話すタイミングを窺っていたのか。


「ごめんね……。でもこういう時は、むしろ普段通りの方が良いかなって」


「……来てくれて、ありがとな。知らない年上ばかりで肩が張っていたところだ」


 感謝を告げると、古くからの知り合い――俺の右隣に立った『レット・ピグマリオン』は、小さく微笑んだ。俺以上に悲しそうな顔をして、それでいて俺を悲しませまいと、気丈に振舞っていた。


「イヨさんには、私もお世話になったから……」


「戦地に行く前は、よくウチに来て勉強したり遊んだりしてたよな」


「そうそう。夜遅くまで入り浸って、イヨさんに怒られるまで、私とプーちゃんとケシ……」


 はた、と止まる。

 懐かしく楽しい思い出に浸るはずが。三人目の名前を言いかけて、レットは言葉を詰まらせてしまった。


「あ……。その……っ」


「………………」


 変に遠慮される方が、かえって気まずい。会話が続かなくなり、嫌な沈黙が流れる。


「……春が近いってのに、まだまだ寒いな」


 仕方なく、気を遣って話題を逸らす。

 霊園の木陰には、雪が溶けずに残っており、風が吹けば芯から冷える。

 だが初対面の関係でもないのに、季節や天気の話なんかしても、膨らまないし弾まない。「そうだね、寒いね……」とレットが応えて、それで終了。


 また何か別の話題を……と考えていると、今度はレットの方から口を開いた。


「プーちゃん、これからどうするの……?」


「……まぁ……どうにかするさ」


 婆ちゃんの介護という役目も、宮廷魔導士試験への挑戦という目標も、二十代中盤までの人生を支えていた理由が、ここ数日で一気に失くなってしまった。

 俺の心には、ぽっかり空いた虚ろな穴には、木枯らしよりも寒い風が吹き抜けていた。


「多くはないが蓄えはあるし、とりあえず宿にでも泊まって、住み込みの仕事を探すよ。ギリギリにはなるだろうが、春から何か職を見つけて……」


 そうは言いながら、本気で仕事を探すのか自分でも疑問だった。元から将来の夢も、やりたい仕事なんてのもなかった。

 ただアイツと一緒に魔法を勉強して、俺もそこそこ才能があったから士官学校に入った。戦争が近付き魔法兵になり、付き合いで煙草を吸い始め、国や上官の命令するままに戦った。戦後も推薦資格が勿体ないからと、宮廷魔導士試験を受け続けていただけだ。


 こうして振り返ってみると、俺の人生ってやつは、本当にどうしもようなく思える。

 いつも他人任せで主体性がなく、初めて自分で何かやろうと思って挑んだ宮廷魔導士試験も、さんざんな結果に終わってしまった。


 この調子では仕事も見つからず、いつかは貯金も底をついて、宿屋を追い出されて夏頃にはホームレス生活をし、そしてそのまま年老いて――。


「ねぇ、プーちゃん」


「っ」


 レットの声で、現実に引き戻される。

 随分と、悲観的な思考に陥ってしまっていたようだ。


「仕事を探しているなら、ウチに来ない?」


「『ウチ』って……。お前の職場で、って意味か?」


 その言葉に含まれた『誘い』に、即答できずにいた。


 しかしレットは、それまでの葬式会場のような――『ような』ではなく、実際に葬式に来た――表情を、少しだけ明るくして。閉ざされたと思った俺の未来に、道筋を示してくれた。


「そう! 私が勤めている『学校』で、プーちゃんも一緒に働くの」


「……『ゲオルギウス学園』か……」


 我が祖国で唯一の、魔法のみを専門に扱う教育機関。

 長い伝統を誇り、歴史に名を残す大魔法使いを何人も生み出し、宮廷魔導士も毎年のように数多く排出している。いわば魔法使いになるためのエリート校だ。


「実は春から赴任するはずだった新しい先生が、急病で来られなくなっちゃったの。その穴埋めとして、新入生のクラスを私に……って学園長から頼まれたけど、私は保健医の業務があるし……。……だからプーちゃんには、代わりに一年生の担任をやって欲しいの! 学校側には、私から話を通しておくから」


「いや、いやいやいや……。待て待て待てレット」


 ぐいぐい話が進んでいく。まだ何も言っていないのに。

 もう既に、俺の就職が決定したかの如く、給与やら各種保障やら勤務時間、有休の取り方まで説明し始めている。


「学園で働くなんて、言ってないだろ」


「でも他にアテはあるの?」


「それは……ないけど」


 ゲオルギウス学園は、田舎から引っ越してきたり、外国から留学してでも入校したいと望む者が数多くいる名門校だ。

 そこの教員として働けるとなれば、宮廷魔導士ほどではないにしろ、人生安泰と呼べる。


 しかし知人とはいえ、幼馴染の女性のコネで働くなんて。僅かに残っている男としてのプライドが、異議を申し立てていた。

 だけど「コネ入社は嫌だ」と正直に言うのも、それはそれでまたカッコ悪い。

 そこで、もうひとつの断る理由を告げた。


「……俺なんかに、エリートのタマゴ達の教師が務まるとは到底思えない」


 なのに、天真爛漫なレットには伝わらない。俺を安心させるため、笑顔で親指をグッ! と力強く押し上げた。


「大丈夫だよ! 宮廷魔導士には合格できなかったけど、毎年試験を受けられただけでも、プーちゃんは凄い人なんだから!」


 その言葉は事実だ。宮廷魔導士試験には、『予備試験』という足切り制度がある。希望すれば誰でも受けられるわけじゃない。

 厳しい応募資格を満たし、そして超難問ばかりな筆記試験に合格し、それでようやく実技試験にまで漕ぎ付けられるのだ。

 俺は一応、筆記は毎年クリアしていた。だが実技の面で良い成績を残せず、結果的に八年連続で敗退した。


「でもなぁ……年下とか、苦手だし」


 これも微妙にダサい理由だが、それでも立派な懸念材料ではあった。

 正確な言い方をすれば、年下や子供が特別嫌いなわけじゃない。向こうが俺を警戒するんだ。

 細身で長身で、先祖が東洋系なのか、カラスの羽根を思わせる黒髪と黒目。しかも左目には物々しい黒い眼帯を付けている。大抵の子供はビビって近付かない。怯えずとも避けて歩く。

 俺自身も愛想の良い性格ではないし。イヨ婆ちゃんやレットといった、昔から知る人間じゃないと――初対面の相手とは、そもそも上手くコミュニケーションが取れない性分だった。


 しかしそんなことは些細な問題だと、レットはこれまた笑い飛ばす。


「だーいじょうぶだってぇ! 毎年新しい生徒が入学してくるけど、皆ほとんど良い子達ばっかりなんだから! 『レット先生って呼びなさい』って言ってるのに、みんな『ピグちゃん先生、ピグちゃん先生』って接してきてさ~」


 困ったものね、と言葉上は愚痴っぽく言っているが、満更でもなさそうだ。


 まぁ……年下といえど、十五や十六歳になり、ある程度の分別はつくのだろう。

 しかも魔法の知識を高いレベルで習得してきた真面目くん・ガリ勉ちゃんばかりということか。知能レベルの低い不良校とは質が違うと、容易に想像できる。


「じゃあ、考えといてね! プーちゃんと一緒に学園で働けるの、楽しみにしてるから!」


「あ、ちょ、待っ……! レット!」


 そうして話を一方的に終わらせて、くるりと反転し、長いポニーテールを大きく揺らして去って行く。

 墓地を後にするレットの足取りは、来た時よりかは幾分軽そうに見えた。もう既に、俺と同じ職場で働く未来を想像し、少しも疑っていないのだろう。


「はぁ……。ったく……」


 俺には、未来の展望なんてまるで見えない。

 相棒にも「ロビンは『今』ばかり見てるよな」と言われたっけ。


 けどやっぱり、先のことなんて不確定要素だらけだと思う。

 だが悩んでウジウジしていても、時間は一緒に立ち止まってくれない。悩みに寄り添ってなどくれない。

 生きている限り、時計の針は止められないし、金は減って腹は空いていく一方だ。


「婆ちゃん……」


 墓標の前で立ち尽くし、イヨ婆ちゃんに語りかけても、びゅぅうと冬風が吹くだけ。


「俺……何したら良いのか、何になれば良いのか……。もう、分かんないよ」


 二十六にもなって、情けない台詞だな。自分でもそう感じる。


 だが俺の心は、行き場を失っていた。とっくの昔に、指針を見失っていたんだ。

 指先で触れる、この眼帯の奥。本来あったはずの左目と、同じように。


 アイツの背中を見つめ、必死で追いかけ続け、しかしその背中が目の前で――空爆の魔法によって消し飛んだ、あの日から。

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