異世界プロレス

なぐりあえ

プロレス普及編

オルトロス戦


坂東カズマは静かに出番を待っていた。細く長い関係者専用の通路の奥からは観客の声が確かに聞こえてくる。

「皆様大変お待たせしました!本日のメインイベント中央日本ヘビー級タイトルマッチの始まりです。まずは中央日本ヘビー級チャンピオン、プロレスの申し子!孤高の開拓者!坂東カズマの入場だ!」

 実況の声に観客が反応しドームの中は割れんばかりの歓声に包まれた。大歓声が通路の奥まで響き渡る。空気が震えるのが肌で感じられる。心臓までこだまする。

 坂東カズマの入場曲「ニューフロンティア」がかかると自然に観客からコールが湧き上がる。

「カーズーマ!カーズーマ!」

 途切れることのないカズマコールに身体が震える。

 坂東カズマはゆっくりと歩き出した。後ろに後輩のレスラーを引き連れて。短い金髪を逆立て。真っ赤なガウンの下の逞しい筋肉を踊らせて。黒のブーツに赤いタイツ、その上には誇らしげに輝き放つチャンピオンベルトを巻きつけ、坂東カズマは悠然と歩いていく。

 通路の先にスタッフが立っておりインカムで状況の報告を受けていた。もちろん坂東カズマが所属する団体、中央日本プロレスのTシャツを着ている。

「カズマさん入場してください」

 スタッフからのサインが出た。それと同時に音を立てながら勢いよくスモークが焚かれた。

 ――いつもそうだ、この瞬間が一番緊張する

 カズマはグッと目を瞑り緊張を心の奥底へ追いやった。決して口には出さない。表情にも出さない。後ろに控えている後輩達に不安を与えるような真似は絶対にしない。彼は、カズマはチャンピオンだからである。

 目を開きカズマはスモークの中を潜る。

「カズマさんファイトです!頑張ってください!」

 スモークと光の中に消えて行くカズマに向かって口々に後輩達が応援の言葉をかける。

 カズマの影は振り返らずスモークの向こうへ消えていった。大歓声だけが通路に響き渡る。


 スモークの中を進むカズマは少し不安になっていた。別に試合の事ではない。最近痛む肘の事でもない。

 ――いつまで進めばいいんだ……いつになったらリングにでる……

 不思議なことにカズマはスモークの中を歩き続けていた。ただ歓声は聴こえる。カズマはそれを頼りに歩く他なかった。

 ――スタッフがスモークを焚きすぎたのか?予定ではスモークはすぐに消えるはずなのに、それにオレは花道を歩いてるんだよな?それともまだ通路なのか?

 尽きぬ疑問と不安を胸に閉じ込めそれでもカズマはゆったりと当然のように歩いていく。間違っても慌てている姿を観客に見られるわけにはいかないからだ。

 スモークの先に明かりが見えてきた。その先から歓声も聴こえる。カズマは誰にも気付かれない程度に一つ息を吐き光に向かって歩いていく。足取りに寸分の迷いも無くなった。


 スモークを抜けた先はドームでもリングでもなかった。見上げるとそこは古代ギリシャのコロッセオのような景色が広がっていた。

 ブーツ越しでも伝わる土の感触。肌を擦る土煙。舞台をぐるりと囲むように立ち熱狂する観客。その観客着ているものも現代の衣服ではないことだけはわかる。まるで映画のロケに間違えて乗り込んでしまったか、もしくは古代ギリシャにタイムスリップでもしたかのようなそんな異常事態だ。

 カズマはキョロキョロと辺りを見回した。そこには先ほどまでの堂々としたチャンピオンの姿はなかった。あまりの異常事態に様々な疑問がカズマの脳裏によぎったがどれも細かなどうでも良い事だった。

 目の前に転がる血を流し倒れている男。猛獣に襲われて悲鳴を上げ構えた剣を駄々をこねる子供の如く振り回す男。舞台の隅で盾を前にして縮こまり震える男。

 どの顔を見ても演技ではなく心の底から滲み出た絶望的な表情をしている。

 その光景を見て観客達はやれだの、殺せだの騒ぎ立てている。

 そしてなにより異常だったのは人間に襲いかかっている猛獣だ。先ほどから人間に襲いかかっている猛獣、おそらく犬であろう。黒い犬だそれも人間の背丈ほどにでかい犬だ。

 ――頭が二つないか?あのデカい犬……

 カズマの疑問はもっともだった。今まさに人間を襲い食い千切ろうとしてる犬には立派な頭が二つ隣り合っている。そしてそれぞれが意思を持ち首を動かし人間を追っている。

 カズマは後ろ振り返った。しかし鉄の檻がカズマの行く手を阻む。今まで歩いてきた道はそこにはなかった。カズマはコロッセオの舞台に閉じ込められていた。よくみると着ていたガウンもチャンピオンベルトも無くなっている。ブーツにロングタイツという今まさに試合を始める出立ちになっていた。

「ヒェーやめてくれー」

 情けない声が背後から聞こえた。声の主は腰を抜かし後退りしながらあまりにも頼りない剣を猛獣に向けて恐怖の表情を浮かべている。

 その傍には先ほど食い千切られていた男が無惨に転がっている。

 カズマは走り出した。特に考えは無かった。カズマの中にある正義感は傍観することを許さなかった。身体に染み込んだ技がカズマを自然に動かした。地面を蹴り飛ばしカズマの身体が宙に浮き両足を前に突き出した。

 

 ドロップキック、誰もが知るプロレスの大技。その両足から放たれる威力は凄まじく助走なしでも大男を吹き飛ばす破壊力を秘めている。

 

 それをカズマは助走をつけ持てる力の限りに地面を蹴り飛ばし双頭の犬に放った。

 男に迫る双頭の犬の顔に猛烈な勢いで両足が突き刺さる。完全に油断していたのであろう、犬はその巨体を地面に擦り付けながら吹き飛んでいた。人間に放てばたちまちノックアウトになるような威力を頭の一点にぶつけた。観客も何が起きたか分からず静まり返っていた。

「大丈夫か!」

 カズマは着地と同時に男に声をかける。腰を抜かした男は震える手をカズマの足に伸ばし掴みながら

「助かった、死ぬところだった」

 そう言っていたが顔はまだ恐怖に怯えて助かっているようには見えなかった。

「あの犬はなんだ?なんで頭が二つある?」

 カズマは1番の疑問を口にした。

「そりゃオルトロスだからだよ」

「オルトロス?、なんだそれ?そんな生物となんで戦っているんだ?」

「知らねーのかい、あんた何しにここに来てんだ」

 カズマは冷静でいるつもりだったが何故この明らかに日本人ではない男と話せるのかは全く疑問に思わなかった。後々疑問に思うのだが今はそれどころでは無かった。

 吹き飛ばされたオルトロスは立ち上がりドロップキックがはいった方の顔は首を振り、もう片方はこちらを凝視している。

「ヒィ起き上がった」

 男はまた情けない声を上げた。これ以上の会話は無理そうだと悟ったカズマは

「もういい、下がってろ」

 そう言い放ちオルトロスの前へ出た。男は腰を抜かしながら四つん這いでそそくさと壁際に逃げていく。

 オルトロスの双頭はカズマを睨みつけていた。男に向けていた餌を食べるような目つきとは違い明らかに敵意を剥いた鋭い眼光を光らせていた。オルトロスに油断はない。

 カズマも臨戦態勢をとる。腰を少し落として両手を少し曲げ体の前にもっていく。オルトロス相手にその態勢でいいのか分からないがカズマは慣れ親しんだファイティングポーズでオルトロスの攻撃に備える。

 観客も次第に声を上げて対面する両者を煽り始めた。観客からはカズマは腰が引けているように見えたのであろう、口々に逃げる、早くやれ、臆病者、と好き勝手に言ってる。ただカズマはやめるつもりはなかった。観客のブーイングには慣れている。ましてや自分が極めてきたプロレスのファイトスタイルを捨てるなどありえなかった。

 観客の野次を無視しカズマはジリジリとオルトロスを回り込む形で距離を詰めていく。それに合わせてオルトロスもゆっくりと動き出し両者円を描くように確実に間合いに入っていく。

 カズマの伸ばした右手の先がオルトロスの顔に触れるか否かのところでオルトロスの顔が動き出した。カズマの右手を食い千切ろうと大きな口を開けて襲いかかる。カズマは咄嗟に右手を引き大きくバックステップした。

 オルトロスの牙が空を噛む。オルトロスは追撃はせずまたカズマを睨みつけた。一瞬でも遅ければカズマの右手は引きちぎられていただろう。カズマの額から一つ大きな汗の粒が流れ落ちる。

 ――どうしたら倒せるんだ、そもそも人間の技が効くのか?

 心の迷いは技のキレに繋がる。一つ大きく息を吐きもう一度臨戦態勢をとる。

 ――爪は鋭くない、おそらくこいつは犬と同じで噛み付く事しかできない、なら勝機はある

 カズマはもう一度臨戦態勢をとりオルトロスを睨みつける。右手をオルトロスの顔の前で動かし噛みつきを誘う。

 右手を前に出した瞬間オルトロスの口が大きく開く。

 ――かかった!

 カズマは右手を大きく引きオルトロスの口はまた空を噛む。カズマは左手を大きく横から振りオルトロスの顔面目掛け叩きつける。

 

 チョップ、プロレスラーなら誰でも使う最もポピュラーな技。もはや技と言っていいか分からないあまりにも単純な打撃。しかし体重をかけたチョップは危険そのものであり頭に入ればたちまち脳震盪をおこす。

 

 右手を噛むために伸び切った頭目掛けて放たれたチョップは手ごたえ十分だった。鈍い音と共にオルトロスの鳴き声が響く。チョップがモロに入った方の顔は無様によだれ垂らし目の焦点は合っていない。

 カズマ渾身のチョップは完全にきまっていた。人間相手では出していけない威力で叩きつけた。ただ唯一の誤算はオルトロスの頭は二つあり脳みそも二つあるのだ。本来脳が揺れ動けなくなるがオルトロスの直撃していないもう片方の頭はカズマから目を離さなかった。

 チョップが決まり油断してしまったカズマにもう片方の頭が襲いかかる。

 ――しまった!喰われる!

 オルトロスの気迫に怯んだカズマはあろうことか尻餅をついてしまった。絶対絶命である。カズマの頭を噛みつこうとオルトロスが大きく口を開ける。

 しかし噛み付く事なくオルトロスの足がもつれた。脳へのダメージは確実にオルトロスの届いていた。ただもう片方の脳が倒れることを許さなかった。ふらつきながらも必死で立とうとし倒れたカズマに襲いかかる。

 カズマの状況は相変わらず良くない。オルトロスが襲いかかるため立ちたくても立てないのだ。倒れた状態で必死にオルトロスの顔に向け蹴りを入れるがこの態勢では力が入らず対してダメージになっていない。オルトロスも何度も噛みつきを試みるが足元がふらつき狙いが定まらない。ただこの状況が続けばカズマの足が食い千切られるのは時間の問題だった。観衆もカズマも諦めかけたその時

 カン!カン!カン!カン!

 金属と金属をぶつけ合う音がコロッセオに響く。カズマからでももちろんオルトロスからでもない。観衆も辺りを見渡している。音の主はさっき助けた男だった。盾に剣を叩きつけ盛大な金属音を奏でている。

「こっちを見ろ犬っころ!俺を食ってみろよ!」

 男は震える声で必死で挑発し震える足で立ちながら虚勢を張っている。

 オルトロスの顔が男の方を向いた。反射的であろう向いてしまったのだ。本来敵を目の前にしてあるまじき行動だがオルトロスはやってしまった。それは不意打ちで決まったドロップキックが一瞬脳裏に過ぎったのだろう。死角から攻撃を警戒してしまっただ。

 カズマがこのチャンスを逃すはず無かった。一気に距離を詰めオルトロスの二つの頭の間に入りそのたくましい両腕で片方づつオルトロスの首を抱えるように締め上げた。腹筋を二つの首の根本に押し付け距離をとられないようにする。

 オルトロスから絞るような呻き声が漏れる。首を抱えられるとオルトロスにできることは暴れる以外何もない。必死で首締めから逃れようとオルトロスは首を振るがカズマは決して離さない。

「旦那!やっちゃってください!」

 男はカズマに情けなくみっともない三下のような声援を贈った。カズマはニヤリと笑う。

 カズマはプロレスラーだ。どんな声援でもそれを力に変える。身体の底から力が漲る。

 カズマは両腕に力をこめ大きな筋肉はさらに膨れ上がって血管が浮かんだ。一段と首を引き締めらたオルトロスの動きが一瞬止まった。カズマは首を抱えたまま背中から地面に倒れ込む。観客も怯えきった男も絶句した。オルトロスの四つの足が地面から離れその巨体が人間に抱えられ宙に浮いていた。

 

 DDT、首を脇に抱えたまま後ろに倒れ込み地面に相手の脳天を叩きつけるプロレスの技。脳天を叩きつけるためその威力は絶大であり、多くのプロレスラーがフィニッシュホールドとして愛用する必殺技。

 

 カズマはそのまま倒れ込み背中を地面に打ち付ける。一方宙に浮いたオルトロスはなす術なく二つの頭が同時に地面に激突する。ドロップキック、チョップに続きオルトロスが経験したことない衝撃が二つの脳天に突き刺さる。そのままオルトロスは仰向けに倒れ込んだ。

 カズマの動きは止まらない。素早く腕を離し立ち上がる。カズマに油断はない確実に仕留める事しか頭に無かった。オルトロスの無防備な腹に狙いを定める。地面蹴り今度はカズマが宙に浮く。大きく足を上げ右肘をオルトロスの腹に向かって振り下ろす。

 

 エルボードロップ、自身の全体重を片肘に乗せ相手に打ちつける技。直撃した相手はその場でうずくまる事しかできなくなるあまりに危険な技である。

 

 渾身のエルボードロップがオルトロスの腹に突き刺さる。人間相手にはあまりに危険な技だがカズマは躊躇しない。オルトロスの身体が突き刺さる肘を支点にして大きくくの字に曲がった。二つの大きな口から血とよだれが吹き出す。曲がった身体は力無くそのまま地面に倒れ込む。

 コロッセオの中は静寂に包まれた。観衆たちは何が起きたのか理解できなかった。オルトロスは1人で倒すような魔獣ではない。万全な装備で周りを取り囲み噛まれぬよう盾を構えて槍を突き立て討伐するのだ。そんな魔獣オルトロスを1人でしかも素手で倒したのだ。誰もがこの現実を理解することに時間をかけていた。

 カズマはゆっくりと立ち上がり拳を握り両腕を天に向かって伸ばした。これはカズマが試合に勝った時に行う恒例のポーズだ。カズマは勝ち鬨を上げた。

「うぉおおおおぉぉぉぉ!」

 カズマの咆哮がコロッセオに響き渡る。その声が観衆の目を覚ませた。

 一斉に観衆たちはわっと声をあげた。それは言葉にならず自然に身体から発せられる叫び声に似た賛辞の歓声だった。手を叩く音がコロッセオにこだまする。興奮して立ち上がり観衆がまるで一つの大きな生き物かのように観客席でうごめく。

 その観衆の歓声をカズマはコロッセオの中央で浴びていた。鳴り止まぬ歓声も拍手も勝者の特権でありその身に存分に浴びていた。そしてカズマは思った

 ……ところでここ、どこだ?

 戦いが終わりカズマは冷静になっていた。

 

 

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