第12話

「は~~~」


 薫さんが家から出ていくのを見送ったリホさんは、扉が閉まりきると同時に玄関でへたり込んだ。


「えっ、リホさん!?」


 慌てて身体を支えようとする私を、リホさんは片手を突き出して制した。


「だっ、大丈夫……。ちょっと力抜けちゃっただけ、あはは」


 リホさんと薫さんが仲を違えてから、いったいどのくらいの期間が開いていたのか。それを、たったの一日で修復してしまったのだ。

 この一時間余りのやり取りは、リホさんにとって、精神的体力を相当に削られるものだったのだろう。同席していただけの私も、それなりに疲れたのだから当たり前だ。

 偶然の再開からトラウマの克服まで、あまりにも性急だった。自分でリホさんを焚きつけておいて言う事ではないけど、本当によく頑張ったと思う。リホさんも、薫さんも。

 

 少なくとも、過去の私にはできなかった事だ。どうにも、リホさんと出会ってから、中学時代の自分の事を思い出す。もっと上手いことやれたんじゃないかと……。

 きっと、今の私なら、中学時代の想い人だった彼女とも、わだかまりなく話すことができる。いつか、清算の機会を得られるならば、彼女に謝りたい。そして、お礼を言いたい。優しくしてくれてありがとう、と。

 ともあれ、今は、今のことを考えるべきだ。


「お疲れ様です」

「へへ、宣言通り、決着つけてやったぜ」


 お道化るリホさんの頭を撫でると、彼女は微笑んでくれた。やりきった顔をしている。

 これでリホさんと薫さんの全てが元に戻るかと言われれば、そうでは無いのかもしれない。それでも、いい方向に進んだのだろう。

 そんな思いに浸っていると、リホさんの顔は段々と何か不穏な空気を醸し出すニヤけ顔に変化していく。


「そういえば、あたしにしてくれるんだっけ?」

「ぐっ……覚えていましたか」


 やはり、早まってしまっただろうか。私にできることなんて高が知れているのだけど……。

 

「そりゃあね、なーにしてもらおっかなー……。んふふ―」

「ま、まあ、ゆっくり考えるといいですよ。ゆっくり、ゆっくりね?」

「それ、時効にしようとしてるでしょ」

「そ、そんなことないですけど?」


 バレてしまった。

 正直、彼女から何を要求されるのか少し不安ではある。可能な限りは頼みを聞くつもりだけど、ハードな内容じゃないことを祈りたい。


「まあ、もう決まってるんだけどね」

「え、もうですか? 早いですね……」


 まだ心の準備ができていない。できることなら一日くらいは悩んで欲しかった。


「でも、どうしよっかな……。ハルさん、流石に可哀そうかも……」

「え゛っ……何する気ですか……」

「あ、あたしの口からは、言う事も憚られる……」


 なんだろう、逆に気になってきた。もしかして、エッチなお願いとかされるんだろうか……。

 そ、それで、私とリホさんが……。いや、いやいや!落ち着け私!

 危うく、教え子で変な妄想をするところだった。

 

 でも、もしかしたら――。


「じゃあ、言うね?」

「ま、待ってください。心の準備を……」

「あたしと~」

「うぅっ」


 お願いを聞くのに耳を塞ぐわけにはいかないので、顔を両手で隠した。視界だけでもリホさんから逃げる。

 必要以上の溜を作ったリホさんは、楽しそうに願い事を言い放った。

 

「デートしよう!」

「……はい?」

「あっはは! ハルさん顔赤くなってる!何考えたの?」

「っ~~~」


 リホさんに揶揄われてしまったらしい。薄々そんな気はしていたけど、リホさんは意地が悪い子なのだろうか。

 それとも、私がチョロ過ぎるから遊ばれてしまうのだろうか……。


「はぁ……。デート、ですか?」

「うん。そう」

「具体的には?」

「それはまだ考えてない。でも、一緒に映画見たり、ご飯食べたり。そういう、普通のやつがいいかな」

「普通のやつ……」


 簡単に言われても困る。そもそも、私は生まれてこの方、恋人なるものを一度も作らなかったのだ。いや、作なかった、か。

 普通のデートと言われても、若き日に読んだラブロマンスな小説と漫画の知識しか出てこない。


「私にエスコートを期待するのやめてくださいね」

「えー。大人の余裕とか見せて欲しいんだけど」

「年齢イコール恋人いない歴の私に、何をしろと?」

「それ、丸まるあたしにも言えるんだけどね……」


 計画段階からデートの雲行きが怪しい。でも、 1つだけ確実に言っておくべきことがある。


「二人でお出かけすることは分かりました。でも、は着てこないでくださいね」

「わ、わかってるって……。あの時の服は、トラウマの象徴として処分したし……」

 

 リホさんの勝負服とはいったいどんなものだったのか……。深く考えるのはやめておこう。


「さて、だいぶ遅くなっちゃったけど、ご飯作ろうかな」

「忘れていましたが、言われてみるとお腹が空いています」

「ま、ビールでも飲んで待っててよ」

「だから、飲みませんから」


 私とリホさんは、下らない話をしつつリビングへ戻っていく。

 私が二人分のお茶を入れて、リホさんが料理をする。

 そんな、の時間が流れ始める。

 

 本当に、今日だけで色々とあった。

 出会い系サイトで教え子を釣り上げてから、まだ一ヶ月ほどか……。

 私の一日一日はその濃度を増していく。

 これからの私たちは、どんな時間を過ごすのだろうか。

 先は、まだわからない。


 ――――そういえば、鮎の唐揚げは本当に美味しかったです。

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