トリプレット・ワールド

きょうじゅ

トリプレット・ワールド

1章 Funta-stic!!

プレパレード

 その日、その夜、世界の変革をいち早く告げたものは月だった。ふと空を見上げると、濃橙色のうとうしょくに光る月の数が、三つになっていた。


「……飲みすぎたかな?」


 と、思ったのは僕だけではなかったろう。三つは多すぎだった。火星の衛星だってフォボスとダイモスの二つしかないというのに。何かの間違いで月が複数ある異世界に迷い込んだ、などという道理ではないはずだった。周囲を見回せば、そこは見慣れた東京新宿歌舞伎町の、酔っ払いたちが酒の臭いを振りまく、いつも通りの喧騒の路地であるに過ぎない。


 しかし、ちらほらと、空を指していぶかしむ酔っ払いたちの数が増え始める。ポン引きの青年までもが客引きの声を張り上げるのをやめ、空を見てぽかんとしている。


 僕の名前は刹那せつな。女みたいな名だとたまに揶揄からかわれるが、男だ。真木まき刹那。この大都会東京で大学生をやっている。きょうはバイトの帰り、歌舞伎町にひとりで飲みに来て、そのまた帰りだ。いつまでもここで茫然としていないで、いい加減帰らないといけない。月の数が三つになった(少なくとも、そのように見える)からといって、終電の時刻が午前三時に繰り下がったりはしないだろう。世の中、どんな珍事が起こってもどんな変事が起こっても、効く融通と効かない融通というものが厳としてあるのである。


 僕は駅に向かって歩を進める。歌舞伎町一番街アーチ―—その名の通り、歌舞伎町一番街とでかでか表示された巨大なアーチ―—を通り抜ける。ここから右手に進むとその方向に新宿駅東口があるはずなのだが、アーチを抜けたとたんに突然景色が変わった。まったく別の光景が広がっている。目の前に、城としか言いようのない造りの、巨大な建造物がそびえ立っていた。だが、後ろを振り返ると歌舞伎町一番街のアーチがそのままある。何がどうなっているんだか分からないが、僕は自宅に帰りたいのである。戻っても西武新宿線の駅しかないし、それでは家に帰れないし、いっそそのまま城に向かって突き進んでみることにした。距離感からして、あの城は新宿駅と同じあたりに位置しているはずだ。


「なんなんだ、この建物」


 城の正面の城門にノッカーなんてものはない。ノッカーがない代わりに普通は番兵などがいるものだと思うが、そのような存在は見受けられなかった。仕方がないので、とりあえず押してみる。重い、おそらく鉛のような金属の拵えの門なのだが、押したら開いた。その向こう側には、どういうものだか普通に新宿駅の内部が広がっていた。


「よかった。どうやら帰れそうだ」


 もはやそういう問題ではなくなっているような気がしないでもないが、何しろ深酒をしていたので、僕は怖いものなしであった。そんなようにして、かろうじて最終電車には間に合った。僕の暮らしているアパートメントは駅からは至近である。徒歩二分。部屋の前に立つ。鍵を取り出す。入口のドアを開ける。


「ふわあ」


 中は暗かった。当たり前だ、電気をつけっぱなしで出かけたりはしない。だが、あるはずの場所に電灯がない。スイッチもない。おかしい。


「まあいいか。寝よ」


 ベッドは同じ場所にちゃんとある。ひょいと飛び乗った。だが、感触が明らかにおかしかった。その上、僕以外誰も訪れないはずの部屋にあるベッドが悲鳴を上げた。


「きゃあああああああ!」


 なんだかわからんが、僕は跳ね飛ばされ、ベッドから突き落とされた。


「うわあ!」


 人がいたのだ。それは流石に分かった。だが、僕の家族とか、ましてや彼女とかではない。そんなものはいない。いや日本の別の場所に係累はいるが、鍵を渡してはいないし予告もなしに突然現れたりはしないだろう。誰だ?


「……こほん」


 闇の中で、何者かが咳ばらいをした。


「えーと、誰ですか? ここは僕のアパートじゃないかと思うんですけど」


 しかし新宿駅が城になっていたことを一応は思い出し、一言付け足す。


「少なくとも、そう思って入ってきたんですけど」


 そうしたら、急にぽうっと、灯りが灯った。電灯じゃない。小さなランプのようだった。目の前の何者かが火を灯したのだ。いや、何者か、じゃない。明かりがついたから姿が分かる。女だ。女の子。僕よりは年下。のように見える。


「どうやら知らぬと見えるが、こそは魔王アザレア。の寝所に何ぞの乱脈で闖入してきた、貴様の方こそ何者じゃ?」

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