第34話

『オマエは死んだことになってるんだ』


佐々木は、己でそうなるように仕向け、そして結果として最高の形になったのだから、言われなくても知っていた。


『神風となって沖縄の空に散ったんだ』


それは佐々木も意外だった。ただの戦死ではなく神風になっていたとは……。


照和二十年六月。佐々木昇少尉は、沖縄戦線において、敵艦に特攻し華々しく散った。


ということになっているらしい。


終戦間近のことであり、軍部も混乱していたかもしれない。


殉死の知らせは、その一ヶ月後の七月に届いたそうだ。


一般の葬儀は慎むべきというご時世に、『御国の為の御働きに報いる御立派な御葬儀』が挙行されたと従兄は言った。


もちろん遺体はなかったが、祭壇には零戦と共に写る飛行機乗りの格好をした清々しい佐々木の写真が飾られ、出撃する前に彼が書いた遺書が朗々と歌うように読み上げられたそうである。




 「遺書には、どんなことを書いたのですか?」


 「それなりに格好つけた文章を書いたとは思うが、よく憶えておらん」


 老映写技師はオレを見ると、眉をハの字にして、困った顔をしておどけていた。おそらく憶えているが、言いたくないのだろう。今で謂う所の黒歴史なのだろう。


 これまで映写室に籠りきりで、ただただ寡黙なイメージしかなかった老人だったが、本来は明るい性格の人なのかもしれない。


 「つまりは、機体が故障せずに鹿児島に到着していれば、あなたもまた、仲間の方々と共に特攻で死んでいたということですよね?」


 老映写技師は、興味ありげに質問するオレの顔を満足げに眺めると「それがな、そうでもないんや。まあ、待て。その話は後や」と遮った。


 「でも、まあ、脱走がバレてないのなら、生きていても、何の問題もありませんよね?」





当時の佐々木も同じくそう思った。特攻で死んだことになっているのなら、祖国の為、家族の為に働いて来たのだから、むしろ堂々と帰っても良いはずだった。今となっては――奇跡的に助かった――で誤魔化せるはずである。


それなのに従兄は渋い顔で、佐々木の行く手を阻み、頭を下げるのだった。


従兄との対話は埒が明かなかった。


『妻や両親に会いたいんじゃ、そこをどいてくれ』


佐々木は思わず怒鳴った。


『駄目なんだ、このまま、どっかへ行ってくれ。頼む』


従兄は慌てて自分のポケットを弄ると財布を取り出し、その場にしゃがみ込むと、泣きそうな顔で土下座したのである。


『足りない分は後から送る。だから、だからこのまま消えてくれ。お願いだ』


けれど佐々木は――バカにするな――と突き出された財布を手で払った。


そしてしばらく従兄は考えるように項垂れていたが、大きく息を吐くと、その重い口を開いたのであった。


『残念だが、 オマエの奥さんは、もうオマエのモノじゃない』


何を言っているのか、佐々木には理解できなかった。そして従兄はボソボソと言い難そうに話を続けたのである。


佐々木の家族は、戦中、彼の死を誉れとし、嘆くことなく耐え忍んでいた。ところが葬儀から一ヶ月も経たぬうちに戦争が終わり、途端、人前でも憚りなく悲しむことが許されるようになってしまった。


それまで拍手と喝采を贈っていた周囲の人たちも、跡取り息子を戦争で亡くした哀れな家と同情の目を向けるようになり、家族はどう悲しんでよいのか判らなくなった。時薬というのがあるのなら、その薬効が示される前に世間の価値観が一変してしまったからである。


そして佐々木の家族の精神のタガが外れてしまった。


父親は座敷で刀を振り回し、母親は夜な夜な裸足で町内を駆けまわるようになった。どうすることも出来ない佐々木の妻は床に臥せてしまったのだそうだ。




 それにしても、当時、日本人の価値観の変化は凄まじいものがあったと思う。


 ――お国の為に命を捧げる――という最上級に尊ばれていたことが、いきなり哀れみを向けられてしまうような事柄になってしまうのだから。




そこで佐々木の親戚縁者が集まったのだという。悲しみに暮れ不幸に押し潰されそうなこの家族を何とかしなければと、話し合いが持たれたとのことだった。そして佐々木の父親の姉の次男。つまり佐々木の家は、この従兄を養子として迎え入れ、佐々木の妻と結婚させることになったのだそうだ。


その式が執り行われたのは、佐々木が故郷へ帰る二か月前であり、その後、ようやく落ち着きを取り戻し始めたところだったと言う。


従兄は『すまん、すまん』と何度も呟いていた。


『どうしてだ……、なぜだ……」


けれど佐々木はどうしても納得できなかった。荒ぶる狼のように吠え叫び従兄に掴みかかった。


『オマエが遺書にそう書いたんだろうが』


そう怒鳴り返されて、思い返してみると、確かに


――我が死にしのち 妻が若き身空に 一人に生きていくは いたはしくあり 心残りなり これのちは 新たなる人生を送り 幸せになってくるるを 切に願ふ――


などと格好つけた文章を書いたような記憶はあった。


『でも、俺は死んでないぞ』


『だが、しかし……』


『とにかく俺は妻と父母に会う』


佐々木が実家の方へ向おうとすると、従兄は追いすがった。


『ま、待ってくれ。今、お前が帰ったら……、親父さんもおふくろさんも卒倒するかもしれん』


そして従兄は言いにくそうに視線をそらすと『そ、それに、今、妻は身籠っている』と言った。


それを聞いて佐々木は言葉を失った。


諦めきれずに泣きたくなる気持ちと、妻が自分以外の男に抱かれているという絶望感。そして自分がいないところで、子を抱いて幸せそうに笑う妻の姿が脳裏に過る。


佐々木はその場に膝をついた。

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