第31話


 「ところでさ、ちょっと立ち入った事を訊いても良いか?」


 ここでオレはずっと気になっていたことを切り出した。後日、モンチが完全に落ち着いてから改めて訊いても良かったが、モンチの母親がいる今の方が、何かと都合が良い気がしたからだ。


 「ん? 結婚白紙のことなら、言った以上のことは何もないわよ」


 モンチは眉をひそめてそっぽを向いた。母親や、または会社などでも散々訊かれてウンザリしているのかもしれない。


 「いや、そうじゃなくて……、モンチの部屋のデスクの上にあった写真。遺影かな? それについてなんだけど……」


 話の内容が予想外だったのか、モンチはぽかんと口を開けて惚けた顔をした。


 「私のお父さんとおじいちゃんとおばあちゃんだけど……」


 「そうね。夫と、私の父と母よ」


 モンチの母親も何事かと不思議そうに首を傾げていた。


 「やっぱりか……。おじいさん、駅前キネマ館の映写技師だよな?」


 モンチ母娘は、一瞬、目を剥いて驚いていたが、モンチは途中で思い出したようだった。


 「あっ、そっか。タケちゃんとのはあの映画館で会ったんだったね。その後の付き合いの方が長いから、忘れていたわ」


 「……なあ、おまえが駅前キネマ館に来たのって……」


 「……うん」


 「何で言ってくれなかったんだ?」


 「……あの時はまだ確信がなかったのよ。だからおばあちゃんにも、お母さんにも言ってなかった。亡くなった後、映画館から連絡があって、やっぱりそうだったんだ……って」


 当時を悔いるようにモンチは唇を噛んだ。


 モンチがまだ生まれる前の話。おじいさんは、モンチの母親の結婚が決まると、突然姿を消したのだそうだ。


 おばあさんはずっとおじいさんを捜していたらしく、モンチは幼い頃から、おじいさんの話を何度も聞かされ、写真も見せられていたとのことだった。


 そして、おじいさんが失踪して20年近くが経ち、モンチが予備校に通っていた頃に、偶然、子供の頃から何度も見せられてきたおじいさんとよく似た老人を見掛たのだと言う。しかも右足を引きずって歩くという特徴まで同じであり、それを確かめる為にモンチは駅前キネマ館を訪れたとのことである。


 つまり、モンチと初めて会ったあの日のことだ。


 その後もモンチは、時間さえあれば駅前キネマ館に通っていたが、老人との接触は出来ないまま、結局、出入り禁止になった。


 そしてモンチが大学へ入学して間も無い頃に、おじいさんが亡くなったという知らせが、映画館から届いたそうである。


 映画館を経営していた前会長と老映写技師は古い友人だったらしく、モンチの家のことも調べていたのそうだ。そして老映写技師に、もしものことがあった場合、モンチの家に一報を入れるよう、前会長の遺言書にも記してあったらしい。


 「結局、おじいちゃんとは、あの日すれ違っただけで、一度も話せなかったけど……。どんな人だったんだろ? どんな人生を歩んできたんだろ? 何を考えてお母さんやおばあちゃんの前から姿を消したのかな? 少しでも話が出来れば良かったんだけど……」


 モンチは当時に思いを馳せるように宙を眺めた。またそんな娘を母親も憂い顔で見つめていた。


 その時オレは、映写室の片隅にある古い機材の隙間に小さな体をすっぽり嵌めるように座っていた老映写技師の姿を思い出してた。


 同時に、幽かに……映写機の歯車が軋む甲高い機械音とフィルムを弾くバタバタという音が聞こえたような気がした。


 その音に誘われるように、あの時の光景が蘇って来た。


 立ち上がった老映写技師は真っ暗な階段を登ったのだ。その先にあったのは視界が真っ白に潰れる程の大量の光だった。


 この10年の間、思い出したことは一度もなかった。老映写技師のことを考えたこともない。


 それなのにあの日の光景が――、老映写技師が語ったことが――、まるで昨日のことのように脳裏で再生されたのである。それは忽然と記憶が蘇って来たような、そんな感覚だった。


 「オレ、おじいさんの話、出来ると思うよ」


 「えっ??」


 「映画館を辞める前に、老映写技師、つまりおじいさん本人から、話を聞いたんだよ」


 無口だった老映写技師が、殆ど会話らしい会話をしたこともなかったオレに、なぜあんな話をしたのか、疑問だった。


 今、その答えに漸く辿り着けた気がした。


 何となくだけど、街でモンチとばったり再会したのも、元恋人として長年付き合っていることも、この話をする為ではないか、すべて老映写技師の目論みだったのではないか、と思えた。


 モンチを駅前キネマ館から遠ざけたのは老映写技師だった。おそらくモンチの正体に気付いていたのだろう。


 「では、長い話になりますが……」


 モンチ母娘は息を合わせたかのように同時に頷いた。


 そしてオレは宿命を果たすかのように、駅前キネマ館の屋上で桜舞い散る景色を眺めながら聞いた老映写技師の半生を、ありのまま、当時のまま、語ることにしたのである。

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