> むかしむかし、あるところに

 とても仲の良い兄弟がいました。


 兄はカミオ、弟はビレトといいます。クライデ大陸の王族は、子どもに悪魔の名前を名付けるものなのです。二人とも銀髪に赤い目をしています。髪型ですが、兄のほうは来月に儀式が控えている都合上、短く刈りそろえていて、弟のほうは腰の辺りまで長く伸ばして一つに結んでいます。


 二人は週末になると、クライデ大陸の最南端に位置するリゾート地のガレノスを訪れます。釣り具を預けてあるレストランに立ち寄って、店主から釣り具を受け取り、二人だけの知る秘密の場所・・・・・に移動すると、夕刻まで釣りをするのです。


「兄上はすごいよ」


 ビレトは今回もボウズになってしまいました。釣り用語においてボウズとは、一匹も釣れなかったことを指します。釣りに来て髪を剃られたわけではありません。


 カミオと釣りに来るようになったのは、ビレトが八歳になってからです。ビレトは十歳になりましたので、釣り歴は二年ほどになります。その二年間で一度たりとも釣れた記憶がありません。ビレトは毎週「今回こそは」と意気込んでいますが、空回るばかりです。それでも「次回こそは」と挫けずにいられるのは、兄の存在があるからです。


「オレが一人で来ていたときは、一匹も釣れなかった。ビレト、オマエにはやはり『才能』があるんだろうな」


 カミオは十二歳にしては大きな手で、ビレトの頭をわしわしとなで回しました。釣り具と釣り上げた魚たちは、移動魔法によって先にレストランへと移動させています。秘密の場所から話しながら歩いていると、魚の調理が終わったベストなタイミングでレストランにたどり着くのです。


「そうかな……魚を寄せる『才能』があっても、漁師にしかなれないし……」


 ビレトはうつむいて、その『才能』があると告げられた日を思い出そうとしました。


 学校の学生寮は、季節ごとの長期休暇中、やむを得ない事情のあるご家庭以外の学生は寝泊まりできないルールとなっています。多くの学生が帰省しているあいだに、教員総出で寮内の大清掃が行われるのです。特段帰れない事情はないので、その期間内だけ、カミオとビレトは首都テレスにある実家で過ごしています。


「失礼いたします」


 直近の冬の長期休みに、クライデ大陸一の大魔法使いことメーデイアがふらりとやってきました。


 メーデイアは初代のミカドがクライデ大陸を統一する前に存在していた都市国家のうちのひとつ、コルキスの出身です。先のとんがった耳が特徴的で、緑色の丸みを帯びたショートヘアでピンク色の右目を隠しています。この日もエンジ色のローブを身にまとって、怪しげな笑みを浮かべていました。


「メーデイア様。いらっしゃいませ」

「ああ、いいですよ。わたくしは、ドラゴンたちにお告げが御座いまして」


 来客を歓迎する準備をし始めるカミオとビレトの母親を、メーデイアは制止します。ここでの『ドラゴンたち』は、初代ミカドの血を引く二人、すなわちカミオとビレトを指します。カミオは背筋をピンと伸ばしました。ビレトは右に倣って、ラッパを布で拭くのをやめて、直立不動の体勢になります。


「あら、あなたの専用装備はトランペットなのね?」


 メーデイアに自身の握っているラッパを指さされて、ビレトが「はい!」と返事をしました。


 専用装備とはなんぞやといいますと、クライデ大陸における魔法の杖・・・・に相当します。人によって、レイピアであったり指ぬきグローブであったりと形状は様々ですが、効果としては杖と同様です。各々の専用装備に魔力を集中させることで、魔法を使いやすくします。クライデ大陸における魔法は使い手の想像力がカギとなっていて、魔法を発動させるイメージを保てなければ使用できません。専用装備に全神経を集中させて、周囲からの情報を一時的にシャットダウンすることで、伝達魔法や移動魔法といった簡単な魔法から攻撃魔法や防衛魔法まで、さまざまな魔法を使用できるのです。無論、使いやすくするものではありますので、少数派ではありますが、専用装備を持たずとも魔法を使用する者もいます。


 ビレトは学校に入る段階でこのラッパを専用装備として入手していました。これは他のクライデ大陸の住民と同様です。学校で正しく魔法を学ぶために、入学する前に、家族と協力して専用装備を探しておくのです。原則、一度決めた専用装備は死亡するまで使用し続けるものとなっています。壊してしまった場合やなくしてしまった場合の復元魔法も学校では必修科目です。


「あなたには『才能』がある。この世界を変えてしまえるほどの、ね」


 メーデイアは、確かにそう言いました。ビレトは聞き間違えではないかと、自らの耳を疑いました。聞こえてきた音を自分にとって都合良く解釈してしまっているだけではないかと。その言葉は、弟ではなく兄にかけられるべきではないかと。


 そう思いながらも、紅色の瞳には輝きが宿りました。成績が振るわず、同級生からのみならず教員からも『落ちこぼれ』の烙印らくいんを押されて、学生寮の自室にいる時と兄のカミオと話している時以外は下を向いている日々でしたが、大魔法使いのこのお告げは、将来への希望となりました。大魔法使いがおっしゃるのなら、間違いがないのです。


「オレには、ありませんか?」


 カミオは自らの左胸に手をあてて、メーデイアに問いかけました。メーデイアは、王族の子どもが生まれてから育つまで、必ず一度はその子どもへ『お告げ』をしていきます。春にはクライデ大陸を出て、別の世界に修行の旅へ出なくてはならないカミオの元には、まだ一度も来たことがなかったものですから、どうしても聞きたかったのでしょう。


「あなたは、次の“修練の儀式”の主役たるカミオで御座いますか?」


 次男のビレトと異なり、名前を覚えられています。カミオは喜んで「はい!」と答えました。


 王族の長男は十二歳の春、ご学友たちが学校を卒業するのに合わせて、首都テレスで大規模な儀式を執り行います。服飾都市マグニの『シルクロジー』の技術で生み出された“修練の繭”に包まれて、異世界への旅に出発するのです。


「オレは、必ずやクライデ大陸に戻り、ミカドになります」

「兄上は超優秀だし、絶対に帰ってこれるよ!」


 この旅から帰ってきた者は、必ずミカドの座に就くこととなっていますが、過去に戻ってきた者はいません。ビレトをはじめとして、カミオを知るすべての人が、カミオの帰還を信じています。


「ですので、メーデイア様、オレにも『お告げ』はありませんか。ここではない、知らない世界で、オレが迷わずに進めるような金言を賜りとうございます」

「お願いします!」


 カミオのみならず、ビレトも頭を下げました。すると、クライデ大陸一の大魔法使いは口角を上げて、伝達魔法を用いてカミオだけにこう伝えたのです。


『あなたは戻ってこられない。こちらの家族のことは忘れて、あちらで余生を過ごしなさい。わたくしが忘れさせてあげてもいいですよ?』

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