第14章 慮外 

「想定外だったよ」

 紫条美久里は大きく吐息をついた。

 現場は、商業施設に近い街中の豪奢な邸宅だった。

 車が数台は優に並ぶエントランスは、今は警察車両がびっしりと止められており、近所の住民らしい人影が、不安げな表情で遠巻きに様子を伺っている。

 四方達が幸甚を伴ってそこに着いた時には、鑑識が現場検証を始めており、

周囲には立ち入り禁止を示す黄色いテープが貼り巡らせられていた。

 捜査協力者の四方とつぐみは通行を許可され、幸甚は被害者の関係者と言う事で、本人確認の為に通行を許された。

 だが宇古陀は、どさくさに紛れて侵入を試みたものの、あえなく警官の御用となって規制線外へと連れ出されていた。

 邸宅の玄関から応接室に向かった刹那、硫黄とアンモニアが入り混じった様な不快な異臭が、四方達の臭覚細胞を容赦なく突き上げる。

「伊佐内さん、千歳さんと成沢さんに間違いないですか? 」

 美久里が幸甚に尋ねた。

 幸甚は顔を顰め乍ら、黙って頷いた。

 真新しい住宅の一間に、千歳と成沢の遺体は横たわっていた。

 二人は全裸だった。

 身に着けていたであろう衣服はびりびりに引き裂かれ、跡形も無く床に散らばっている。

 かっと見開いた眼は、瞼の制御を振り切り、眼窩から零れ落ちそうになっている。

 眉間に大きく刻まれた皺と、硬直し歪んだ頬、そして、顎の限界まで開いた口は絶叫を刻む唇の形を其のままに固まっていた。

 二人は想像を絶する恐怖に襲われ、戦慄の顎に精神を貪り食われながら、あえなく命を落としたのだろう。

 飛び散った糞尿が、成沢と千歳の臀部を汚し、床に大きく広がっていた。。

 それとは別に、二人の足元から一メートルほど離れたフローリングの床が黒々と濡れていた。

 閏間の悲鳴を聞きつけた美久里が同僚と駆け込んだ時、そこに彼女が腰を抜かしてへたり込んでいたらしい。

 幸い、彼女に危害は無かったものの、かなりの精神的ダメージを受けていたようだった。

「これは・・・何なんだ」

 幸甚は頬を強張らせたまま、眼前の躯を見据えた。二人の身体が、それぞれの臀部で癒着しているのだ。しかも、奇妙なのはそれだけではなかった。

 腰から下が入れ替わっているのだ。

 成沢の腰から下には、まるで怯えた亀の様に茂みに頭を隠した淫根がかろうじて顔を覗かせ、千歳のそこには、手入れのされていない草原に埋もれた恥丘と、花弁がはみ出した淫谷が、恥ずかしげも無く人目に晒されていた。

「ある意味一つになって昇天したのだから、本人達は幸せなのかもね」

 美久里が意味深な台詞を呟く。

「それってどういう意味です? 」

 四方が美久里に問い掛けた。

「四方ちゃん、知らなかった? こいつらできてたんだよ」

「えっ? 千歳は閏間とつきあっているんじゃなかったのか? 」

 幸甚が驚きの声を上げる。

「幸甚さん、残念だけど、其れも正解。この千歳って奴、成沢と閏間に二股掛けてたんだ」

「何て奴だ・・・」

 幸甚は震える声で呟いた。

「美久里さんが第一発見者って事は、彼女達をマークしていたんですか? 」

 四方が不思議そうに美久里を見た。

「ええ。呪いの訴状とは別件でね」

「彼女達は何を? 」

「詐欺だよ」

「詐欺? 」

「成沢と千歳が組んで、事故物件詐欺をやってた。閏間さんは利用されていただけだけだから、彼女はむしろ被害者ね」

 呆気にとられる四方に、美久里は語り始めた。 

 千歳はめぼしい物件に目をつけると、成沢にその情報を流す。成沢はその情報を元に物件を確認すると、自分のつてを使って手配した術者に呪詛を掛けさせるのだ。

 ターゲットになった物件の住民は、次第に体調不良や超常現象に悩まされるようになる。そこへ成沢が住民に近付き、家のお祓いを勧めるのだが、お祓いは凪ではなく、閏間を紹介するのだ。

 もはや自分の傀儡である凪の手をを汚さぬように企んでの事だった。

 閏間がお祓いに取り掛かるタイミングで、成沢は依頼した術者に呪詛を取りやめる様に指示する。

 閏間は呪気を感じ取るものの、もはやそれは残渣であり、彼女のお祓いで完全に消え去るレベルのものだった。

 一時的に平静を取り戻す住民達だが、何日も立たないうちに、再び不幸が住民を襲い始める。

 成沢が再び術師に呪詛を掛けさせたのだ。但し、また別の術師に依頼して。

 不安定な精神状態で日々を送る住民の基に、千歳が何食わぬ顔で物件売買の話を持ち掛ける。心的瑕疵物件も買い付けているという彼の説明を聞き入り、ついには売却。千歳は、住民にはいわく付き物件と言う事で二束三文の価格を提示し、買いたたくのだ。

 成沢と千歳は、このようにして各地の優良物件を手中に収め、転売してはぼろもうけしていた。

 成沢は、六人の術師に依頼する事で、彼らにも余計な勘繰りをさせぬよう、自分達の悪事を悟られないように仕組むといった巧妙な手口で、事を成し遂げていた。

「それだけじゃない。成沢は陰で閏間さんの祈祷が効かないと噂を流して、間接的に伊佐内さん陣営に嫌がらせをしていたのよ」

「姑息ですね」

 美久里の話に聞き入っていた四方が、吐き捨てるように呟く。

「容疑死亡で幕引きか・・・まあ、内容的に立件するのも難しかったからな」 

 美久里は力無く項垂れた。

「成沢に協力した術師達は? 」

 四方の問い掛けに美久里は暗い表情で首を横に振った。

「みんな死んだよ。この二人が死んだのとほぼ同時刻に」

「ひょっとして、みんなメビウスの輪かクラインの壺的な屍で見つかったとか」

 四方が美久里の顔を覗き込む。

「残念ながらそうじゃなさそうだ。別の刑事が向かったんだけど、みんな心筋梗塞らしい」

「贄にはふさわしくないって事か・・・」

 四方が、ぽつりと呟く。

「贄? 」

「ええ。今回の一連の被害者達って、何かしらの問題を起こしているんですよね」

「まあ、確かに・・・」

「何らかの目的で、鬼を生み出した者がとんでもない呪詛を仕掛けているんじゃないかと。それも、スピリチュアルな関係者で腹黒い輩ばかりを贄に捧げて」

「まさか」

 淡々と語る四方に、美久里の顔が強張る。

「まさかであって欲しいんですけど。私には、全てが序章に過ぎないように思えて仕方が無いんです」

 四方は、そう呟いた。

 美久里は驚愕の表情で四方を凝視する。

 彼女は、四方の言葉に底知れぬ戦慄を覚えていた。

 思い出したのだ。

 今までの付き合いの中で、四方の予感にはずれが無かった事を。

 それは、揺るぎのない現実の軌跡として、思考の深層に潜む記憶の石板に深く刻み込まれていた。

「あのう、閏間と会話は出来るんでしょうか」

 不意に、幸甚が心配そうに美久里に尋ねた。

「本人のお気持ちが落ち着けば、ですけど。お会いになりますか? 」

 美久里が言葉を濁しながら答える。

「はい」

 幸甚は表情を硬くすると、眉間に皺を寄せながら頷いた。

「では、どうぞ。ご案内します」

 美久里の先導で、四方達は部屋を後にすると、外で待機しているバンタイプの警察車両に向かった。

 ここで、宇古陀がさり気なく四方達の集団に紛れ込む。

「四方ちゃん、どんな感じだったの? 」

 宇古陀が四方の耳元で囁く。

「後で詳しく」

 四方が言葉短に答える。

 美久里が車中に声を掛けると、車両のドアがゆっくりとスライドする。

 閏間は顔を伏せて項垂れながら、車両の後部座席に二人の女性の警官に挟まれて座っていた。

「閏間、大丈夫か? 」

 幸甚が、優しく彼女に語り掛ける。

「先生・・・」

 閏間は幸甚の声を聴き、伏せていた顔を上げた。

 師の姿を見て安堵したのか、彼女の眼から大粒の涙が零れ落ちる。

「無事でよかった。でも、その恰好は? 」

 幸甚が首を傾げた。

 それもそのはず。閏間は何故かメイド服姿だったのだ。余りにも場違いな格好に、今までの緊迫感が見事に削がれていた。

「すまない、持ち合わせの着替えが其れしか無くてな」

 その場の空気を読んだつぐみが、申し訳ななそうに答えた。

「つぐみん、いつもこんな服を持ち歩いてるの? 」

 美久里が呆気にとられた表情でつぐみを見た。彼女も着替えた後の閏間を見るのは初めてだったようだ。

「いつも宇古陀が用意してくれている。私は調子にのると服がぼろぼろになる事があるのでな。ただ、彼が用意する服は妙なものばかりだが。セーラー服とか、ナース服とか」

 つぐみが淡々と答える。

「次に仕事の時に着てくれればと思うんだけど、来てくれないんだよね」

 宇古陀が残念そうに呟く。

「うーん、よく分からないけど、宇古陀さんが変態だって事は理解した」

 美久里はきっぱり言い切ると、呆れたような苦笑を浮かべた。


 


 

 


 

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