第12話 模擬戦
暗い部屋。夜な夜な動く人影があった。
ラヴィポッドだ。
ユーエスがぐっすりと眠っているのを確認して窓を開ける。ユーエスの部屋は騎士宿舎の三階。飛び降りればただでは済まない。もちろんラヴィポッドにそんな度胸はない。
窓枠に足をかけ、地面へ向けて手を翳す。むむっと唸ると大地が剥がれ、ユーエスの部屋の窓から地面までを繋ぐ滑り台が出来上がった。
腰に手を当て土魔術の出来に胸を張ると、早速滑り台に乗って勢いよく下った。抜き足差し足忍び足。そろりそろりと歩き、脱出を試みる。
「どーこ行くの」
「ひぃ!?」
背後からの声に、ギギギと振り返る。
いつの間に起きたのか、ユーエスが欠伸をしながら立っていた。滑り台をコンコンと叩く。
「詠唱も無しにこんなのまで作ってくれちゃって……」
基本的に、魔術を行使する際には「詠唱」が必要になる。練り上げたイメージを言語化することでより明確にし、自然の理に干渉またはその補助を担うことでマナに性質を与える。
火種を作る、少し土を掘る程度の初歩的な魔術なら詠唱せずともできるものは多い。しかし地面を抉って三階まで繋ぐとなると、詠唱無しでできるものはそういない。詠唱有りでできたとしても極短時間では難しいだろう。
「ね、寝てていいですよ。おやすみなさい。それでは……」
尚も逃げようとするラヴィポッドの首根っこを掴む。
「ダルムさんの言った通り。次逃げたら怒るから」
再犯防止のため釘を刺した。効果があったのかガクブルと震えている。
滑り台を上って部屋に戻るとラヴィポッドをソファに放り、ユーエスはドサッとベッドに腰掛ける。
「もうチョロチョロしないように」
「……」
「返事」
体を縮こませながらも不服そうなラヴィポッド。
「……じょ、条件があります」
思うところがあるのか何やら交渉を始める。
「一応聞くけど」
ユーエスに応える義理はないが、続く言葉を待つ。
「ベッドで寝たいです」
現状ユーエスがベッド、ラヴィポッドがソファで寝ることになっている。
そんなことかとユーエスは目を丸くし、
「……はぁ。いいよ別に」
ため息を吐いて立ち上がる。
「いやっふぅ!」
ラヴィポッドはご機嫌な様子で自分のバックパックから毛布を取り出した。
「布団なら僕の使えば?」
態々用意しなくても、とユーエス。
「自分の匂いがついた毛布じゃないと、落ち着かないので……」
「ペット?」
ラヴィポッドに既視感があるような気がしていたが、その正体が分かった。臆病、だぼだぼな服の丸いシルエット、跳ねた毛先。どことなくハリネズミに似ているのだ。
ユーエスが毛布のセッティングを手伝い、ついでに余った布団をソファへ運ぶ。
準備が終わるとラヴィポッドはベッドに飛び込み、数日ぶりの柔らかい寝床の感触を堪能する。気が付くと眠りについていた。布団に入ってからものの数秒。スースー寝息が上がる。
「僕、家主なんだけど……」
ユーエスは、我が物顔でベッドを占領する小さな客人に愚痴を溢して目を閉じた。
◇
翌朝、ユーエスはカーテンを開けて伸びをした。朝日が差し込み、体が一日の始まりを感じ取る。
一方、両手を広げ涎を垂らして寝ているラヴィポッド。
「んん……」
鬱陶しそうに寝返りを打って、頭から毛布を被る。
ユーエスが毛布を剥がした。
ラヴィポッドの閉じた目に力が入るも、起きる気配はない。昨日はゴブリンに捕まったところから始まり、ドリサまで急いだりと濃い一日で疲労が溜まっていた。
ユーエスはなかなか起きないラヴィポッドの首根っこを掴み、洗面所まで連れて行く。蛇口を捻り、手で水を掬う。すると手が淡く光り、掬った水に波紋が広がった。水魔術と風魔術の複合で凍る寸前まで水温を下げる。そうしてキンキンに冷えた水を寝ぼけ面にお見舞いした。
「ひぃしゃっこ!?」
あまりの冷たさでラヴィポッドが一瞬にして目を覚ます。頭をブルブル振って水を飛ばし、不満をありありと表情に出してユーエスを睨んだ。
「……まだ眠たいんですけど」
「今日は訓練に参加するから」
「そっちの話ですよね」
「チビの見張りもあるから、一緒に来てもらわないと」
「やです」
「だめ」
ユーエスは「なんで子守りなんか……」と呟きながら、ラヴィポッドはぷりぷりと怒りながら、並んで歯を磨く。鏡まで身長が足りないラヴィポッドは箱の上に乗って。コップや歯ブラシは、昨晩メイドが持ってきたラヴィポッド用の生活用品一式に入っていたものだ。
トイレと着替えを済ませて食堂へ向かう。
「おい団長が子ども連れてるぞ」
「嘘だろ……実力もあって顔もいいのに女の影が無さすぎて男色とまで噂されていた団長が?」
「そういえば団長の部屋に変な坂できてたよな」
「あれ団長のランデブーロードってことかよ」
声を潜めてヒソヒソ話す騎士。二人の肩に、背後から手が置かれる。
「一週間宿舎の掃除」
笑顔で告げるユーエス。肩に置いた手が淡く輝き、愚かな騎士の体温を奪っていく。
身の危険を察した騎士はビシッと姿勢を正し、
「喜んで綺麗にさせていただきます!」
「掃除したくて堪らなかったところです!」
従順な素振りを見せた。実に勤勉だ。
「マジ? ちょうどよかったー。頼むね」
トントンと、騎士の肩を叩いてラヴィポッドのもとへ戻る。
「ごめんね、行こっか」
ラヴィポッドは目をパチパチさせてユーエスを見つめていた。見てしまったからだ。瞬き一つで見失ってしまうほどの、爆発的な速さで騎士の背後に回る瞬間を。その勢いを進行方向に放った風魔術で相殺しつつ、風を拡散させて周囲への影響を抑える緻密なマナの制御を。
「もしかして、見えてた?」
驚くのはユーエスも同じ。騎士団の中でもユーエスの動きを追えるものは少ない。現に掃除が大好きな二人組は手を置かれるまで背後に回られたことに気づいていなかった。
「あ、足早いんですね」
「昔よく走ってたんだ」
そして二人は料理長のストップがかかるまで朝食を鱈腹食べて訓練場へ。
団長であるユーエスが訪れる頃には団員が集まっており、各々武器を振るっていた。魔術を試し打ちしているものもチラホラ。
そんな中、体を動かしていない人物はこの場にただ一人。
「来たか」
ダルムだけだった。腕を組み仁王立ちで訓練の様子を見ていたが、ラヴィポッドとユーエスに気づいて近づく。
「体動かしたくなったんですか?」
爵位を継ぎ執務に追われるようになってからも、ダルムは時折こうして訓練場を訪れては指導をしたり、剣を振るっていくことがあった。
「いや」
しかし今日は何やら別の意図があるようだ。ラヴィポッドを見やる。
ラヴィポッドはユーエスの陰に隠れてやり過ごそうとした。
「ゴーレムがどれほどのものか確認しておきたくてな」
ゴーレムと聞き、ラヴィポッドがひょっこり顔を出す。
「十分すぎるほど聞かされたが、実際目にしないことには正確な判断が下せん」
頼み事をするにあたり、ラヴィポッドの実力を計っておきたいのだろう。
「ご、ゴーレムのこと、そんなに気になるんですか?」
ニヤニヤと挑発するような小憎らしい笑み。
「ああ、気になるな」
少々鼻につく態度だったが、自身の子どもたちとは違い何か言えば怯えてしまうから。ダルムはむず痒さをグッと堪え、ラヴィポッドの望む答えを口にしておく。幼い王子や王女を相手にしている時と同程度の精神的負担がかかっていた。
「し、仕方ないですね」
言葉とは裏腹に上機嫌なラヴィポッド。ポケットから小さくしたゴーレムを取り出し、二体を地面に置いて距離をとる。
「出でよっ! ストーンゴーレム! フレイムゴーレム!」
考えておいたカッコいい口上に呼応して、ストーンゴーレムが巨大化していく。フレイムゴーレムの仮面からは火が噴きあがり、腕と尻尾付きの火の玉が現れた。
「「っ!?」」
まさか危害が及ぶ可能性があるにもかかわらず、忠告すらしないとは思っていなかったユーエスとダルム。足元で巨大化を始めたゴーレムから咄嗟に離れる。
ラヴィポッドについて、ゴーレムについて説明されていない騎士たちに動揺が広がった。手を止めているものが多い中、ダルムの前に出て庇ったルムアナ。その判断力の高さが窺える。
「大丈夫ですか!」
ダルムは自慢の娘の成長に感慨を覚え、どんなもんだと胸を張って気持ちよくなっているラヴィポッドに戦慄を覚えた。気配りが出来ないにも程がある。
「事前に周知しておくべきだったな。あれらはそこでふんぞり返っている娘が錬成したゴーレムだ。制御下にあるから安心していい……筈だ」
ラヴィポッドに話を通してから騎士団に伝える予定だった。しかしこうなることも想定してゴーレムについては説明しておけば良かったと反省する。ゴーレムは主の命令に忠実だと伝わっており危険はない。そう考えていたがラヴィポッドを見ていると何故だか不安になってくる。
ルムアナは珍しく歯切れの悪い父に眉をひそめ、ストーンゴーレムの足に頬ずりしているラヴィポッドへ注意を深める。突然の事態に逸早く対応できたのは、ラヴィポッドが訓練場を訪れた時から注視していたためだった。
ドリサ親子がゴーレムに気を取られている間、ユーエスは騎士たちにラヴィポッドとゴーレムについて説明していた。ゴーレムを出現させたのはダルムの意思であることも伝える。
事情を聴いても騎士たちに広がった動揺が完全に収束することはない。ストーンゴーレムを前にした圧迫感、フレイムゴーレムから放出される熱気。猛獣の折の中に入れられたように、人の命を容易く奪える存在がいつ暴れだすかわからぬ不安が心を支配していた。
「これ程とは……」
ダルムはゴーレムの残骸を見たことがある。その土塊が動き出したからといって、なんら脅威足りえないと判断していた。しかし二体のゴーレムを前にしてはその考えが誤りだったと認めざるを得ない。
(二体でこの圧力……ゴーレムで軍隊など組まれれば、種族間のパワーバランスなど一瞬で崩れる。魔族に渡してはならん力だ)
しかしラヴィポッドが拐かされた場合や魔族側でゴーレム錬成の技術を確立した場合など、僅かでもゴーレムが敵につく可能性を考慮すれば対策は必須。
ダルムはラヴィポッドに歩み寄る。
「ゴーレムと騎士で模擬戦を行いたいのだが、協力してくれるか」
「興味深々ですねぇ」
「興味は尽きないな」
「ど、どうしてもっていうならいいですけど」
「どうしても、戦闘する姿が見てみたい」
「んもうっ、ほんとに仕方がない人ですねっ!」
ルムアナは下手に出る父を久しぶりに見た。王城を訪れた時以来だ。顔が引き攣りそうになるのを必死で堪えてピクピクしている。
話をつけたダルムは続いて騎士たちに向けて声を上げる。
「彼女、ラヴィポッド殿は西から訪れた! この意味が分かるか!」
騎士たちが顔を見合わせる。
「エユの村に派兵した副団長率いる部隊と遭遇し、交戦したそうだ!」
ざわざわ。
「しかし犠牲者は出ていない! ラヴィポッド殿がゴーレムによる足止めのみを行ってその場を切り抜けたからだ!」
仲間が無事だと知り、ほっと胸を撫で下ろす騎士たち。
「安堵している場合ではない! ラヴィポッド殿は交戦したドリサ騎士団をこう称した!」
固唾を呑んで見守る中、ダルムが続ける。
「当たり屋!」
そのあんまりな評価に騎士たちが目を見開く。
「ドリサを守ろうとした騎士の抵抗も、その程度にしか映らなかったということだ! 悔しくはないか!」
ざわざわざわざわ。先程よりも騒めき立つ。その報告はドリサ騎士たちにとって仲間への軽視であると同時に、己の無力を突き付けるものでもあった。
「今ここに、ゴーレムとの模擬戦を取り付けた! 評価を覆したければ! 矜持を取り戻したければ! 力で一矢報いて見せよ!」
「「「「うおおぉぉぉぉ!」」」」
武器を掲げて吠える。侮られたままでは終われない。ドリサ騎士としての誇りにかけて。
「ひぃぃ!?」
限界まで士気が高まった大の大人たちに、ラヴィポッドは怯えていた。引いていた、という方が正確かもしれない。
斯くして始まったストーンゴーレムとドリサ騎士の戦い。
剣や槍で有効打を与えることは出来ず、対巨獣用の陣形を組み魔術主体で攻める。重装兵が足止めしている間、軽歩兵がストーンゴーレムの頭部や関節などに攻撃を加えて弱点を探った。
結果は芳しくない。弱点は見つからず、魔術で多少押し込むことは出来てもストーンゴーレムに損壊は見当たらない。
ついには重装兵がストーンゴーレムのパンチを受け止めきれずに吹き飛ばされる。最初の一撃で腕が痺れ、受ける度に感覚が鈍っていけば無理もない。
陣形が崩れ、戦況が傾く大きな隙が生じる。
だが。
「ぐ、おおぉぉ!」
軽歩兵が重装兵に代わって、ストーンゴーレムを食い止めた。容易く吹き飛ばされるが、その一瞬で重装兵が体勢を立て直す。
「当たり屋」と呼ばれたことが相当効いているのか、騎士たちは不撓不屈の精神で何度でも立ち上がる。
ルムアナはそんな騎士たちの勇姿を見守っていたが、不意に動き出す。「負けるなー!」とストーンゴーレムの動きに合わせてパンチやキックをしながら応援していたラヴィポッドに木剣を放る。下から優しく。騎士たちならまず受け取れるであろう投げ方。
「ひぃぃ!?」
後方に飛び上がって避けたラヴィポッド。落ちた木剣とルムアナを交互に見てブルブル震えている。
ユーエスとダルムは、ルムアナの意図を探るように目を注いでいた。
「剣を取りなさい」
ルムアナの凛とした声音。
涼やかで気品のある声だったが、ラヴィポッドにはとても冷たく聞こえた。怖いので言われた通り木剣を拾う。子ども用の木剣だが、重量に振り回されて蹈鞴を踏む。両手で抱えることで何とか安定した。
「私たちも模擬戦をするわよ」
ラヴィポッドはその宣言を聞いた途端、木剣を残して一目散に逃げ出した。
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