Act.5 ~それがすべての始まりだった~


「なぁ東城、男なら家を継ぐのは当然なのか?」

「相談ってそんな事?」

「結構、真剣なんだけど」

「まぁ、家を捨てる覚悟があるかどうか、じゃない?」

「家を捨てる?」

「そ、遥を幸せにするのに落合姓の必要性を考えればいいんじゃない?まあ、そんな事、高校生が考えることじゃないけど」

「落合姓の必要性…」


 放課後。屋上へ続く階段の踊り場で護と咲が話をしていた。理由は昼休みの終わり際に「相談がある」と言う護の呼び出しに応じたから。「ロクな話じゃなかったらぶん殴ってやる」と咲は思っていたが内容は意外にも深刻なものだった。アドバイスが出来るほど、出来た人間でないと実感している。咲なりの言葉で護の背中を押す事にした。

 それは咲もまた、遥を本気で守りたいと思っているからだ。護に落合姓の必要性を問いたが咲自身は遥を守る為に東城姓は必要だと確信を得ている。同時に今それを打ち明けるには物理的にも精神的にも準備が出来ていない。故に全てが整った時、遥にこの秘密を明かす《極道の娘である事》と心に誓った。

 教室に戻ると日暮れを目指す様に傾き始めた太陽が遥を照らしていた。そして遥もまた、それを眺めていた。夏の始まり。梅雨が明け、久方ぶりの晴天。遥は咲がいる事に気づいていない。しかしその表情はとても儚げで高校生が見せるものではなかった。やっとという言い方は可笑しい。それでもその言葉を使いたくなる程に遥と護の絆は強い。だが、護の両親が遥の家柄を気にするのは致し方ないのかもしれない。そういう教育環境上で過ごしてきた人間が持つ価値観の一つだからだ。それでもお互いが愛し合っている現状で身分が相応しくないという理不尽な理由だけで邪魔をするはお門違いに等しい。咲にはそれが酷く、耐えられるものでは無かった。

学校が終わると咲はバル・ハイドという酒を提供する軽飲食店でアルバイトをしていた。みなとみらい駅からほど近い場所に構えるその店は組が情報収集を目的としており、東城組当主の右腕と呼ばれた男がマスター兼バーテンダーを務めている。

 名前のハイドとはhideoutから取っており、隠れ屋と言う意味を持つ店。

 憩いの場を思わせる店内。だからこそ口を滑らせる。さらに酒を提供すれば尚の事。その内容が有利、不利益になりうるモノかを見定める。故に組員の多くがアルバイトとして下積みに使用している店の一つでもある。そこで咲が出会ったのは明るくて気さくな教育係。名を霧島隆浩。二十一歳。隆浩は咲に極道の良し悪しなど、様々な事を教えた。そしてこの日、隆浩は感情の高ぶった状態で咲に話しかけた。


「咲ちゃん聞いてくれよ」

「霧島先輩、どうしたんですか?」

「この前、舞い込んできた仕事が結構いい仕事でさ、成功したら下積み卒業、間違いなしなんだ!!」

「それはまた…。良かったですね」


 話を聞くと個人的な仕事だが舞い込んで来たとの事。それも東城組の理念に反さない 人助けの仕事。その内容に咲は 東城組が掲げる理念や規則に不満を抱いていた頃、隆浩に「何故、東城組を選んだのか」と訪ねた時の事を思い出した。その時の隆浩は「確かに東城組の掲げる規範は邪道なのかもしれない。でもさ、俺みたいな腐ったヤンキーを真面にしてくれたんだ。他所じゃ、そうはいかない。親方に出会ってない俺は今頃、糞みたいな人生を歩んでいたに違いない。だから感謝している。この恩は必ず返したい」と言っていた。その言葉を聞いた時、酷く、東城組ここの娘でよかったと思えた。暫くして、隆浩はバル・ハイドを去った。咲は『下積みが終わったからだ』と思っていた。夏休み明けるまで。

 翌日、終業式だというのに遥は風邪を理由に学校を休んでしまった。予兆はあった。様々事が重なりすぎた結果だ。自室のベッドで母親の看病を受ける遥。明日から学校は夏季休校。俗に言う、夏休みだ。父親も仕事に区切りをつけ、遥の夏休み期間を利用して、長崎にある遥の母親の実家に家族で帰省する予定だった。しかし直前で遥が熱を出してしまった為、延期となった。体調管理不足に申し訳なく思う遥。そんな遥に「延期と言ってもお盆までに行けばいいのだから、気にしないの」と慰めた。

 夕方。目を覚ました遥。熱があった為、今し方まで寝ていた。母親を呼び、両親を探す。遥の呼びかけに両親からの応答はない。不思議に感じるがその謎は直ぐに解ける。それは自室のある二階から一階のリビングに移動し、机に 買い物をする為、出かけますと母親の字で書かれた一枚のメモが置かれたからだ。ある程度、熱は下がったが風邪を拗らせてもいけない。遥は大人しく、両親の帰りを待つ事にした。


*◇*◇*◇*


「こんな食事会、無意味だって!」

「いい加減にして護。あなたは落合の名を背負うという使命があるの。同級生か知らないけれど、庶民の子の為に推薦校まで蹴飛ばして、しかも名も無い高校に進学するなんて…、何を考えているの!?」

「遥を悪く言わないでくれ。それに例え落合を継ぐとしても、桜子と結婚する必要性はないはずだ!」

「遥…?あなたを誑かす庶民の子ね。そんな子が落合の名に相応しいはず無いでしょ。諦めて桜子さんと婚約をしなさい。大体、桜子さんの何が気に入らないの?」

「…気に入るとかそういう問題じゃない。そんなに落合の名前を気にするなら俺は、落合の名前なんか捨ててやる」

「あ、護!!待ちなさい!!」


 同日、夕方。落合家では護と桜子の婚約に関する食事会が行われていた。しかし食事会は一向に進まない。その原因は室外で護が母親と口論しているからだった。護は数回に渡り婚約破棄を両親に訴え続けたていた。だがそれは受理される事もなく、さらに護が婚約を拒む理由に遥の存在があると知った母親は遥の悪評価を口に出した。当然、護は母親の言葉に激怒する。幾度の話し合いも説得も意味を成すことはなく、捨て台詞を吐いた護はその場の勢いで家を飛び出した。多少の後悔は残るものの『行動しなければ理解など得られない』と踏んだからだ。

 昼過ぎから降り続く雨の中を走る護。息を切らし、繁華街に出たところで速度を落とした。


『どうしてわかってくれないんだ』


 そう思うのは護がまだ社会というものを知らないからだろう。だとしても早急に出る答えではない。ただ、この先も遥と共に過ごしたい。そればかりを考えて歩いていた。

 足を進める度、何やら周りが騒がしい。護は耳を塞いだ。何も聞きたくない。何も見たくない。一瞬の出来事だった。目の前が真っ白になった。護はその場に倒れた。頭部辺りに温かみを感じる護はそのまま目を閉じた。温かみの正体は血。それがゆっくりと溢れ、雨水に混ざっていく様。辺りは悲鳴とクラクションの音が鳴り、雨音さえもかき消した。


*◇*◇*◇*


 電話が鳴り響く。両親の帰りを待っていた遥はソファーで寝てしまった様だ。外は日が落ち、夜になっていた。まだ頭痛が残っている。そう思いつつ、先程から鳴り響いている電話に応対した。電話の相手は警察だった。電話口で告げられた内容に驚愕する。

 頭が追いつかない。話の途中ではあったが遥は受話器を置き、電話を切る。傍に置いてあった羽織を取り、部屋着のまま家を飛び出した。行き先は近所にある大学病院だ。病院に着くなり近くにいた警察官に声をかける。対応した警察官は電話した人だった。


「あの、先ほど電話をもらった」

「あぁ、前園さんだね。困るよ、電話を途中で切っちゃ…」

「そ、それより両親は…」

「うん、間違いなく前園遥さんだね。ではこちらの部屋に。君のご両親で間違いないか、確認をしてくれるかな。自分は外で待っているから、何かあったら声を掛けてね」


 遥の身元を確認すると処置室へ案内した。そこにいたのは遥の呼びかけに答える事のない、変わり果てた両親。涙が出ない。突然過ぎる現実を受け止める事が出来ない。ただ、呆然と立っているだけの遥。その時、聞き覚えのある声が遥の耳に入った。声のする方へ足を進める。そこで目にしたのは泣き叫ぶ護の母親の姿。その姿が見えたのは一瞬。本人かどうか分からない。両親の遺体を見たばかり、気が動転しているは当然。幻聴の可能性も拭えない。そう思うもその人物が向かった方へ足を進めた。辿り着いた先はとある病室の前。そして病室の表札には 落合護の文字。恐る恐るドアを開け病室へと入ろうとする遥。その瞬間だった。護の母親が遥を呼び止めた。


「…!ちょっと、護に近づかないで!!あなたのせいよ!あなたが護と交際したから…、だからあの時言ったのよ!早く別れなさいって、別れていたら、こんな事には」

「あ、あの…意味が、わからないです。ここには、護が、いるんですか…?」

「ええ、そうよ!しっかり、その目に焼き付けないさい!あなたと交際したばっかりに護は事故に遭ったの!!全部あなたのせいよ!この人殺し!!」


 護の母親は無理矢理、遥を病室に引き吊り込む。そして人口呼吸器をつけて眠る護を遥に見せた。脳の処理が追い付かない。人殺し。その言葉に、護の母親の言葉を聞いた遥は時間が止まる様な感覚を得た。全てがスローモーションに感じ、そのまま気を失った。

 目を覚ました遥。見覚えのない天井と匂い。断片的な記憶。懸命に思い出そうとするも頭痛が邪魔をする。暫くするとドアを叩く音が聞こえた。「どうぞ」と返事をするとそこには母親の妹夫婦である雨宮夫妻が心配そうに遥を見ていた。


「遥ちゃん、大丈夫?オイたちの事、覚えておるね?」

「雨宮のおじ様とおば様?って事は、ここは…」

「思い出したくないかもしれんばってん、あまり気ばおっちゃかさんで」

「じゃぁやっぱりお父さんとお母さんは…」

「…うん、あん事故が原因で。でん安心して遥ちゃんはこいからオイたちと暮らすから」


 懸命に遥を慰める雨宮夫妻。普段は長崎にいるため年に一回会えればいい方だった。そして今回、両親と三人で会いに来る予定だった場所。夫妻は今いる場所や状況を説明した。だが遥の記憶は混濁して思い出せない。自力で行動していたのは確かだ。だが全てが真実。何も、誰も嘘は言っていない。

そんな夫妻と共に暮らす。つまり遥は何もかもを捨てたという事になる。誰にも、何も、告げることなく。こうして前園遥は雨宮遥としての人生を歩む事になった。


*◇*◇*◇*


 季節は八月に入り、夏休みも中盤となった今日。桜子は電車に揺られ、ある場所に向かっていた。電車を降り、コンクリートジャングルと化した坂道を登る。この時の桜子はある感情と葛藤しており、溢れ出そうな涙を堪えていた。『汗で誤魔化せないだろうか』などと考えながら目的地である県立青少年センターが姿を見せた。


「おっ!やっときたな。遅いぞ、桜子」

「優弥先輩、ごめんなさい。少し道に迷ってしまって…」

「やっぱりか、迎えに行ければ良かったんだけど…」

「いいの!優弥先輩は忙しいんだから」

「はは、そうでもないけどな。あ、もうこんな時間だ。後輩たちの番が始まっちまう」


 目的地には既に優弥が待っていた。他愛もない会話をしながら館内に設けられた受付へ向かう。この日、桜子たちが県立青少年センター(ここ)に訪れたのには理由がある。高校に進学後も退部せず継続している演劇部。その演劇部の中学部の大会が行われているからだ。高校一年生になった桜子に対して優弥は大学生。大学では部活動ではなくサークルとして別で活動しているため、一貫校とはいえ、高校を卒業した優弥は引退となった。それでも後輩たちの勇姿を一目観ようと桜子が誘った。

 手際が良くて紳士的。優弥を一言で称賛するなら間違いなくこの言葉。桜子が日傘を畳み、汗を拭っている間に会場に入るまでの手続きを全て終わらせているからだ。


「…これ、俺が書いたやつじゃないか。…桜子、お前の仕業か」

「さぁ?どうでしょうね」

「はぁ…。まぁ、寄贈したやつだから、どう使おうが勝手だが…」


 受付で貰ったプログラムを見た優弥はわかりやす過ぎる動揺を見せる。それは優弥が卒業を機に演劇部が譲りうけた台本の中の一冊。高等部のメンバーで行うには内容が幼いと言う意見が出ていた。そこで部長らが顧問と相談をした結果、中等部の部員が演じる事になった。優弥の言葉に桜子は笑って惚ける。ほんのひと時。このひと時を桜子は胸に刻む。そう、桜子は今日、優弥に別れを告げなければいけないからだ。だが、もう少し。もう少しだけ、今日と言う日が終わるまでは恋人同士でありたい。その一心で桜子は胸の内を隠していたが優弥もまた、桜子の異変に気づいていた。


*◇*◇*◇*


「金賞は惜しかったな、でも今回は仕方ないさ。とても中学生が演じているとは思えない出来栄えだったしって、桜子どうした?」

「なんでも、ない…です」


 大会終了後、二人は馴染みの喫茶店にいた。条件付きの交際。公に出来るはずもない。この喫茶店は所謂、二人の隠れ家。部活や大会、休日など二人で過ごす時に良く使っている店だ。入口から一番奥にある席。外からも死角になる、今いる席は二人専用とばかりに案内される。店長も店員も顔なじみだ。

そして今日も二人はこの喫茶店で何故、金賞を取る事が出来なかったのかというレポートをまとめていた。そう、今回の大会で二人が通う学校は金賞を得る事が出来なかった。理由ははっきりしていた。金賞を得た学校が強すぎた。それでも銀賞を得る事は出来た。悔しい気持ちもあるのだろう、二人は淡々と作業を続けた。その時、優弥の携帯に着信が入った。優弥が画面の表示を確認する。相手は非通知だったが優弥は応対した。

 電話の発信元は出版社だった。優弥は桜子にジェスチャーで詫びを入れ、席を外した。電話の内容は出版社が企画したコンテストに入賞した事を知らせるもので、同時に作家にならないかという勧誘でもあった。入賞した事は喜ばしい事。しかし作家になる事に関しては酷く悩んだ。それは声色で相手に伝わってしまった。「作家の件は急ぎません、今回は入賞の件をお伝えしかったので。後日、書類が届くと思いますので、もし作家にご興味があれば書類に記載してあります番号に折り返しご連絡ください」と言われ通話は終わった。返事が出来なかったこともあるが相手に気を使わせてしまった事に、ため息しか出てこない優弥だった。

 優弥が席を外した後、桜子はゆっくりと深呼吸をする。落ち着けと自分に言い聞かせる為だ。覚悟を決めなければいけない。その時が刻々と迫っていた。


「なぁ、桜子…、俺たち別れるか」

「えっ…それって」

「何か、変なことでも言ったか?」

「変な事って…」

「今日一日、おまえが心ここに在らずだったの気づいてないとでも思ったか?元々、条件付きの交際だ。その時が来たって事だろう」

「…優弥先輩、ごめんなさい。それとありがとうございます」


 優弥からの言葉に驚きを隠せない桜子。その反応に優弥は今日が契約終了終りの日だと予想が確信に変わった。別れを告げた優弥は会計を済ませ、店を後にした。桜子は泣いた。声を殺して。たった一年の恋。本気になんてならないと思っていた恋が。しかし桜子は自分が思っていた以上に足立優弥を愛していた事に気づいた。

 別れを切り出した優弥だったが、それが本当に正しかったのかは不明のまま。心から好きになった相手だ。キスやそういった関係は持たなかった。ただ一緒にいるだけで幸せだった。乾いた笑いと共に涙が溢れた。この先、彼女以上に本気になれる相手はきっと現れない。

 数日が経ったが空虚は残ったまま。何かをしようと言う気は当然ながら起きない。この数日間の記憶は覚えていない。ただ機械のように過ごしていた。そんなある日、コンテストの郵送結果が届いた。以前、電話で告げられていた物だ。そこには電話の相手だった人の名刺も入っていた。『何かしなければ』。その一心で優弥は名刺に書かれた番号に電話した。

 結果、入賞を果たした作品で作家になる事が決まった。作家名はY。小説家に限らず本名を隠して活動する人は多い。しかし優弥の場合は小説家一筋で生活しようとは思わなかった。邪道と言う事は分かりきっていた。それも表に出たくなかった。担当になった編集者は「斬新なアイディアだ」と快く受け入れてくれた。こうして覆面作家Yが誕生した。同時に優弥は就職活動を始めた。

 二人の恋愛ごっこはあっけなく幕を閉じた。今の二人が願い望むのは互いが幸せでありますように。

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