第37話 勇者ちゃん、不死王に協力を願う


 その存在を見た瞬間、マケールは全力で後ろへ跳んだ。

 心の底から震え、背筋が凍りつき、息をするのも忘れてしまった。


(こやつが不死王か……。まさかここまでの化け物とはな……)


 見誤った。いや、余りにも過小評価をしていたというべきか。

 本体もそうだが、それ以上にマケールが驚いたのがあの大鎌だ。

 不死王自身よりも遥かに禍々しい気配を放っている。


(あの大鎌。下手をすれば一振りで山一つ吹き飛ぶやもしれん……)


 神器と呼ばれる魔道具が存在する。文字通り神々が創ったといわれる魔道具だ。

 あの大鎌は間違いなくそれに匹敵する。いや、下手をしたらそれ以上の代物だとマケールは判断した。


(しまったな。会話などせずさっさと殺しておくべきだった……)


 アイが言っていたではないか。勇者と不死王は接触していたと。こうなる前にカタを付けなければならなかったのに、ついマケールはアズサとの会話に興じてしまった。


(報告以上だ。まさかここまでの力の差があったとはな……)


 たとえマケールが命を懸けたとしても、不死王には届かないだろう。それだけの絶対的な力の差を感じた。


『まったく我が休暇を満喫してる横で五月蠅いと思って来てみれば、よもやまたお主か。アズサよ、もう少し静かにしてくれんか?』

「ッ……!」


 マケールは歯噛みする。

 自分の死は確定だろうが、せめて勇者だけでも討ち果たさねば。

 だが間合いが悪い。自分の最速が生かせる距離ではない。

 不死王はようやくマケールの方を見た。その瞬間、マケールは死を覚悟した。


『ああ、そうか。魔族とやり合っていたのか。そう言えばお主は人族の勇者だったな。ふむ……決闘の最中だったか。ならば我が手を出すわけにはいかんか』


 しかし不死王から出た言葉はマケールにとって予想外のものだった。


(なんだ……? 勇者の味方に来たのではないのか?)


 五月蠅いと言っていたが、まさか本当にただ注意をしに現れただけなのか?

 いや、そんな馬鹿な話があってたまるか。マケールには不死王の意図がまるで読めなかった。


『どうした? 続けるがよい』

「……」


 ここは引くべきか、マケールは迷う。

 本当に手を出さないのであれば、ここは手を引く絶好の好機だ。部下を置いて単独で来たのが幸いした。勝つのは不可能だが、逃げるのであればまだ可能性がある。


(……だがここで勇者を見逃すのはあまりにも痛い……)


 対峙して分かった。この勇者は弱い。自分でも簡単に殺す事が出来る。

 だがそれは『今』に限った話だ。


(この勇者は間違いなく強くなる。それも凄まじい速度で……)


 想いの強さが尋常ではないのだ。ここで仕留めなければ、その牙は己のみならず魔王の喉元まで届くだろう。短い間ではあったが、それだけの可能性を秘めているとマケールは判断した。


「あ、アンデッドさん、手伝って下さい! この魔族の人、凄く強いんです! 騎士団の人達があっという間にやられちゃって」

「ダイー、ダイー」

「ッ……」


 止めてくれ! とマケールは叫びたかった。

 もし不死王の気まぐれが変わって、手を出されたらどうすればいいというのだ。


『断る。だって我は働きたくないからな』

「……は?」


 だが不死王から出た言葉はまったく予想外のものだった。

 マケールは思わず呆けてしまう。


「そ、そう言えば以前、お会いした時もそんな事を言ってましたね」

『うむ。不思議な感覚だ。主の事を思えば思う程に、我の中の労働意欲が薄れていく。しかしそれが随分と心地よい。まるで主の魔力と思いが流れ込んでくるようだ』

「……ひょっとしてその主さんが働きたくないから、不死王さんも働きたくなくなっているとか?」

『……アズサよ。冗談でも言っていいことと悪い事がある。我が主は至高にして崇高なる御方であられる。堕落に身をやつすなどあろうはずもない』


 勿論、そんな事はない。アマネは現在進行形で堕落街道まっしぐらである。

 だが不死王から放たれる怒気に、アズサだけでなくダイ君もマケールも竦み上がった。


『ともかく平時であれば無下には扱わんが、戦場であれば話は別だ。たとえ知り合いであろうとも我は一切手を出さぬ。此度の戦争、我は中立を貫くと決めている。それが主様の意 に最も沿うと考えているのでな。……もっとも主様が何か行動を示せば話は別だがな』


「で、でもこの人、凄く強くて……」


『だからなんだ? お主が成長する前に、お主を殺しに来る事の何がおかしい? これは戦争だ。むざむざ相手の戦力が整うのを待つ馬鹿がどこに居る』


「わ、私はこの世界に来てまだ数週間しか経ってないんですよ!?」


『だからなんだ? 強くなるまで待って下さいとでも言うのか? 貴様の立場には同情するが、責めるのであれば情報を筒抜けにした王国の人間共であろう?』


「ッ……」


 歯噛みするアズサとは対照的にマケールは安堵した。

 不死王は介入するつもりはないとはっきりと宣言したからだ。

 絶体絶命と思われていたところにこの宣言は何にも勝る幸運であった。

 マケールは再び槍を構える。その瞳は真っ直ぐにアズサだけを見据えていた。


「不死王よ、今の言葉。反故にするとは言いますまいな?」

『我が言の葉を反故に出来るのは我が主のみ』


 不死王の主という存在がいったい何者なのかは気になるが、少なくとも今この場では関係のない話だろう。

 勇者を殺し、この場を去る。それで終わりだ。


「……構えろ、勇者よ」

「ッ……」


 ふらふらと剣を構える勇者に、マケールは内心失望を隠せなかった。

 彼女には先程までの覇気がない。

 不死王の登場によって極限まで高められた魔力と集中力が霧散してしまったのだ。


(……哀れだな)


 マケールはこのような少女を手にかけなければならない理不尽さを嘆いた。

 戦場に出るのは戦士だけでいい。

 このような少女は勇者ではなく、平和な町で花屋でもやればよいのだ。

 かつてマケールにも娘が居た。誰よりも平和を愛し、誰よりも愚かだった娘が。

 人間を理解しようと魔族である事を隠して人に近づき、そして一人の人間の男を愛した愚か者。

 勘当同然に出て行った娘のその後をマケールは知らない。

 風のうわさでは魔族である事がバレて迫害されたとも、ハーフの子を産んだという話も聞いたが定かではない。子がいたとしても親子共々きっともう死んでいるだろう。


「ふんっ!」

「きゃっ」


 突き出した槍を、アズサは必死に払う。

 だがやはり先程までの気迫も、魔力もない。

 アズサを守るようにダイ君が前に出る。


「邪魔だ」

「ダィィー!?」


 だがダイ君もアズサ同様、消耗していた。

 元々二度の身代わりで力を半分近く削っていたのだ。

 最後の最後に高めた魔力もとっくに消えてしまった。

 マケールの槍の一薙ぎで、ダイ君は吹き飛ばされる。


「どうした? その程度か?」

「……ッ」

「良いのか? 貴様が死ねば、貴様が守りたいと願った者は連れていくぞ?」

「そんな、こと……させませんっ!」

「ならば抗ってみせろ。勇者としての矜持を示せ」

「くっ……!」


 払う、払う、払う。何度でも、アズサはマケールの攻撃を払う。

 少しずつだが、アズサはマケールの動きに呼応してきている。

 今度は感情のブレによる変化ではなく、学習による成長によって。

 だが――、


「――ぁ」


 剣が弾かれて、空に舞った。

 その姿をマケールはどこか名残惜しそうに見つめる。

 ともすれば先程のような奇跡が起きるのではないかと期待するように。


「――終わりだな。許せ勇者よ……ん?」


 一瞬、マケールは違和感を覚えた。

 視界が歪んだのだ。


(なんだ? 今、一瞬周りの景色が歪んだ……? それになんだこの奇妙な感覚は?)


 全身が組み替えられるかのような奇妙な感覚。

 マケールはアズサの魔法を疑ったが、この状況で魔法を放てるとは思えない。


(どういう事だ……? 一体なんなのだこの感覚は? 儂だけでない。周囲の景色、いや世界そのものが変わっていくかのような……。いや、考えるのは後だ。まずは勇者を討つ!)


 マケールは槍に魔力を込める。

 狙うは心臓。せめて苦しませぬように一撃で絶命させる。

 一瞬、マケールは不死王に意識を向けた。不死王が本当に介入しないか気になったからだ。


(なんだ……? 奴は何を見ている……?)


 だが視線の先。

 不死王は何故か手を合わせていた。まるで祈りを捧げるかのような仕草で天を仰いでいたのだ。

 その行動の意味が、マケールには理解出来なかった。だが理解するよりも先に、『変化』は起きた。ゾワリと、マケールの背筋が凍った。


「な、なんだ……これは……?」


 先程、不死王に感じた怖気よりも尚悍ましい気配。

 まるでこの世の全ての恐怖を凝縮し、黒くドロドロに煮詰めたかのような錯覚すら覚える。

 マケールの感じたあの奇妙な感覚は更に大きくなる。

 そして感じる圧倒的な存在感。

 それは――、


『あぁ……それが貴方様の選択なのですね……』


 不死王の声がやけに大きく聞こえた。


『――――我が主よ』


「なっ――!?」

「え……?」

「ダィィ……?」


 マケールは空を見上げた。アズサもダイ君も釣られて見上げる。

 そこには一体の竜が居た。

 神々しい二対四枚の翼をもつ幻想的な竜。

 それはこの世界に存在しない、竜界における最強の存在。


 ――竜王。


 あり得ないはずの存在が、そこに居た。

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