(二)その武の名は義和拳

 周天は急いだ。何かは分からないが、とてつもない何かが起きている事だけは分かった。でなければあんな声色であのような事は言わないだろう。とにかく彼は尋常では無かった。

 履き慣れない靴と、着慣れない服、それらが気にならない程に我を忘れて走った。

 角を曲がり、また曲がっては繰り返して最適な道を走る。

 福成の声しか聞こえなかったが、何が起きたかは凡そ理解できた。ボスである大田の身に何かが起きた、そうだろう。そして福成はそれに対する報復か何かで向かった。一人で。馬鹿げている、無貌だろう。しかし彼ならば、不思議と安全とはまた違った大丈夫な感覚が天にはあった。まだ会って数時間と経っていないのに。

 やがてホテルの所までやって来て、扉を開けてロビーに入る。従業員を余所に大田の居る部屋まで駆ける。

 自分の行為がはしたない事は分かる。でも、ボスの身に何かが起きたのなら嫌だ。大切な人と別れる事になるのが嫌だから。天はただ自分の想いだけで走り、部屋の見張りすら余所に大田の居る部屋の中にと入って行った。

「ボス、大丈夫ですか⁉」

 目にしたのはベッドに横たわる林大田。そしてその隣にはそれを見守るように椅子に座る宋海。よーく、眼を凝らして見れば大田は薄っすらとだけではあるが眼を開けていた。

「ん、そこに居るのは天か。福成はどうした? 近くに寄れ」

 かすれた声、弱々しいが確かな力の入ったもの。安堵の息を溢し、天はそこへと駆け寄った。

「良かった、良かった。無事なんですね、ボス」

 海は駆け寄る天に何かを言おうと前のめりになるが、大田が手で制した。そして近くに寄った天の頭を撫でて言った。

「大丈夫だ。まだヘマをするような歳じゃない。それより、福成は?」

「一人で行った。無謀だし、どうかしてる。けど、大丈夫な気がする。なあ、ボス。アンタが重宝してる福成って奴は何者なんだよ⁉」

 大田の顔を見つめる。天が福成の付き人となったこの時を頃合いである事を悟り、彼はそれについて話すことに決めた。

 撫でる手を止め、海にと合図を打つ。

「福成殿が槍竜に属する前、それはとても腕の立つ暗殺者でした」

 横たわる大田に代わり海が語りだす。そしてその方に顔を向ける天。何となくは分かっていたが、本当にそのような者であった事が衝撃であった。

 昔を懐かしむ大田。そしてそれを深々と思い出す海。

「そうか。だからアイツはあんなに強そうだったのか」

「いいえ、それだけではありません。彼が産まれ育った環境が強くしたのです。残念ながら私はその者ではないので詳しくは知りませんが、彼は義和団に居たと聞きました」

「義和団? 何かの組織のことか?」

「うむ。具体的な事は不明だが、義和拳と言う名の武を修める者たちの集団らしい」

 海に代わって大田が答える。ここから先の事は彼の方が詳しかった。

「福成が義和団に所属していたかは分からないが、アイツはそこで義和拳を修得したと言っていた」

「義和拳……一体どんな武術なんです?」

「聞いた話だが……実戦に特化した武術。そしてそれを極めた者は刀や槍に剣、強いては銃弾すらものともしない力を得られると聞いた。これは長年あいつの傍に居た感覚だが、奴は間違いなくそれを得ている」

 刀、槍、剣、それどころか銃弾すらも福成にはどうという事では無い。疑わしく、信じがたい言葉ではあるが、あの大田が真面目に言うのだ。信じる、信じないではなく、そうなのだ。やっと天はあのとき感じた恐怖の正体が分かった。アイツは、福成は正に化け物なのだ。

 震える天。福成の強さを語ったが、それで話は終わりでは無かった。続きは海が語り出した。

「強い福成殿にも弱点はあります。それが大田様です。槍竜に刃を向けるに当たって福成殿という障害物を無くす必要がある、そう悟った赤雲会を含めて敵組織は福成様を人質にして消去しようと考えたのです」

 強い者の最大の弱点は知人、もしくは家族であった。そして福成の知人は言わずもがな大田であった。そしてその事はどの組織も良く知っていた。

「当時の大田様はまだ幹部ではありませんでしたが、ゆくゆくは幹部となり、今のようにトップとなる御方。一度は助かりましたが、そのような事が何度も続けばいつ大事となり、真似をし出す組織が増えるか分かりません。ですので――」

 続きを言おうとした時であった。大田が手で制し、「そこから先は私が」と言葉にせずと顔で語った。

「奴には数年の間と死んだことに致した。懸念点はいくつもあったたが、あいつは二つ返事で了承した。そして、その間奴は鬼となった」

「鬼とは、死んだ者の魂、死霊。福成殿が鬼となっている間は日本の同盟組織の三条会にと面倒を見てもらいました。そして彼はそこで日本人として生きていたのです」

「じゃあ、ここに帰って来たのは……その必要が無くなったから?」

 窓に映る夜景を目にし、彼が帰って来た事について明かすことを決めた。

「そうでもある。だが、一番は奴のことが必要となったからだ。海、天には話しておこうと思う。いいか?」

「良いかと思います。敵を知る事、それは最大の武器ともなります」

「そうだな。我々の敵勢力、赤雲会を含めて多くの組織が手慣れの用心棒を集め始めた。そしてそこには勿論の事、福成のような部の道に歩む者も大勢いる。天、お前に頼みがある」

 いつにも増して真面目な声色と真剣な眼差しを向ける大田。その声と言葉に刺され、背筋を伸ばして「はい」と答える天。

「福成の下で義和拳を見て、学べ。そしてそれを部分的でもいい、私の所に持ってこい。福成は私ですらも義和拳の事は多く語らない。お前のような子供ならば」

 義和拳について知る。それが大田の望む物であった。福成と仲の良い大田ですら多くは教えてもらっていない義和拳について自分を通して知る、それは騙しているようなものである。そうまでもして欲しいのか。

「ボス。オレの命はアンタに拾って貰った。だったら、ボスの欲しい物を渡すのがオレの義であり、道だ」

 割り切っているつもりであった。忠を尽くしているのは大田であり、付き人をしている福成ではない。彼はあくまでその次だ。ボスの命、して欲しい事をするのが天にとっての成すべき事であり、そう自負していた。

 何とも言えぬ、気の不味そうな顔で二人のやり取りを眺める海。組織の者たちを守るため義和拳の強さと武術を取り入れようとするその姿勢は良い。だが、このやり方で二人の仲が悪くなってしまわないかが心配であったのだ。

 二人の仲をよく知り、長年傍で見ていたから分かるのだ。福成は今の大田にとって無くてはならないものであり、福成もまたそうである。それは正しく陰と陽のように。

「天、今日は疲れただろう。福成もじきに帰って来る筈だ。また明日、ここで会おう」

「はい」との二つ返事をし、部屋を出て行く。それを見送る大田と海。

 完全に扉が閉まるのを確認し、二人きりとなった事を見計らい海は口にする。

「大田様。お言葉ではありますが、天を使って福成殿から義和拳のことを探るのはどうかと」

「分かっている。どこかのタイミングであいつにも言う……そのつもりだ。どこかでな。私だって、友を騙すような事は嫌だ。だが、それ以上に理解できない事も嫌だ」

「武術とは、本来はそう簡単に得る事が出来るものではないでしょう。義和拳もそうなのでしょう。今は待ちましょう。彼が帰って来るのを」

 雨の降り出した外の様子を窓越しに見る。それはまるで彼が帰って来るのを見守るかのように。

 海の言葉を受け、改めて事の次第を考える。福成を騙す、それはやりたくない事だ。けれど、それと同時にここまで大きくなり、引き継いだ組織が潰されるような事もあってはならない。何をし、何を得て、何を失うのか。それについてもう一度、一人ではなくて福成と共に考えてみようと大田は思った。そうだ、二人ならなんだってできるのだ。そうやって来た事を思い出し、今はゆっくりとその体を休める事にした。

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