学校の七不思議in異世界

酔月 大吟醸

第1話 事の始まり、丑三つ時前

「身の程知らずの愚か者共が。我が手ずから殺してやる!」



天を覆うような大きな翼に刃物のような鱗。

紫色の邪炎を吐き出しながら吼える巨大な竜が目の前に立ち塞がる。


裂けた大地の残骸にかろうじて立つ少女は、竜を前に恐怖に震えて動けないようだった。

それでも戦う気力だけは失うまいと、剣を持つ手に力を込める。



光の粒子を纏ったドレスを纏う美しい少女と邪竜。


そんな神話のような、伝記の挿絵のような光景に割り込む―――



あまりに平凡な一人の少年。


剣と魔法と魔物の世界には似つかわしくない、ブレザーの学生服。




「殺せるものなら、殺してみろ」




少女の前に立ち、邪竜と向き合った少年は、決して驕りや挑発のつもりで言い放った訳ではない。

本当に、そうできるのなら興味がある。ただそれだけだ。



少年の身なりは、この場にはふさわしくない。

だが少年そのものは、まさしくこの場にふさわしい。



この世界にふさわしい、常軌を逸した存在だった。




「さて、既に死んでる人間をどうやって殺すのか・・・


 ぜひとも実践してみてくれよ」







その女子生徒は足早に出口を目指していた。

陽はとうに暮れ、教師たちすら既に学校に残っていない。


本来ならいくら忘れ物を取りに行くためとはいえ、こんな時刻に学校に忍び込む事は禁止されている。

しかし今日という日を逃せば、二度と忘れ物を持って帰る事は出来ない。

だからこそ、彼女はあえて夜の学校にたった一人で来た。


(早く・・・早く帰らなくっちゃ。でないと・・・)


机の中にしまいっぱなしだったノートを胸に抱いて、息を切らしながら出口を目指す。

常灯の赤いランプと握りしめる携帯のバックライトだけが、彼女を導く光だ。


耳に届くのは、自分の足音と荒い呼吸音だけ。

それ以外は何も無い。


真っ暗な窓の外、冷たい廊下、静まり返った教室、誰もいない水飲み場。

昼とはまるで違う不気味さに包まれた夜の校舎内は、彼女を恐怖で包み込む。


早く、早くともつれそうになる自分の足を叱咤しながら、ようやく目の前に現れた下駄箱。

彼女はほっと頬を緩ませた。

あと少し。あそこを出れば、温かい自分の家に帰れる。



そんな彼女の気持ちを分かっていながら―――いや分かっているからこそ―――


そのまま帰す訳にはいかない。




暗闇に溶け込み、宙に浮かぶ半透明の少年。

歪に吊り上った唇に反して真剣な眼差しは、まっすぐに彼女に注がれている。

少年にとって、今が千載一遇にして最後のチャンスであった。


靴を履きかえた彼女が、もう校舎を出てしまう。

その前に、少年は心の中で彼女に言った。



このまま帰るなんて、つまらなくないか?


せめて心臓の一つでも、止まらせていこうぜ。



そして彼女の道を塞ぐように、腹の底から気合を入れた渾身の一声とともに飛び出した。



「うらめしやあああああああああ!!!!」



だが。



「うるっさい!!」



少年の暗闇からの登場は、横からの鋭い飛び蹴りによってかき消され。

不意打ちだったがゆえに何の防御もとれず、少年は蹴り飛ばされて下駄箱に衝突し、あわれガラガラと倒れた棚の下敷きになる。


「きゃあああああ!!」

悲鳴を上げて、彼女は一目散に逃げていった。少年に驚いたわけではない。急に倒れた下駄箱に驚いてである。

その背中をじっと見つめながら、飛び蹴りを喰らわせた少女が口を開く。


「一人っきりの女の子を驚かせるのは、さすがにちょっと意地が悪いんじゃない?ヒロ」


倒れた下駄箱を振り向いた少女の長いポニーテールが風に揺れた。

胸元の赤いリボンが、白い半袖のワイシャツのワンポイントになっている。

薄い生地のスカートも夏服仕様で、少女の快活さをさらに引き立てていた。

メタリックレッドのヘッドフォンは本来学校への持ち込みは禁止であるが、少女が所属していた委員会では特別に許可されていて、今やトレードマークになっている。


「うるさいな、わかってるよ!というか、そうだとしてもいきなり飛び蹴りはやめろよな!」


ヒロと呼ばれた少年が、倒れた下駄箱からようやく這いずり出て早々に文句を言うが、少女はどこ吹く風だ。

ムッと眉を寄せたヒロだが、目の前の同級生・〝新里亜紀にいざとあき〟はいつもこんな感じである。

言うだけ無駄だとため息を一つ吐いた。


それに、亜紀の言う事にも一理ある。



「本気で心臓止めようだなんて思ってねえよ。・・・それでも最後にもう一回挑んでみたかったんだ」


自分がどこまでも凡庸だという事は、既に自覚済みだ。


黒髪黒目、中肉中背。目立った特徴は特になく、誇れる特技もない。

ただ『灰月ヒロ』という名前だけが、若干の個性を持っているような。

自分はそんな人間だ。

だからせめて、人を脅かす事くらいしてみようと思ったのだが・・・


「あの女子生徒が悲鳴を上げたのも、倒れた下駄箱にビビったからだよなあ」

「そりゃいきなり下駄箱が倒れたら誰だって驚くでしょ。・・・少なくとも、ヒロの気合入りまくった『うらめしや』じゃないわね。全く気付かれてなかったし」

「いいさ。ある意味今更だよ。俺の存在なんて、昔も今もそれほど変わってない」


人に気づかれない、特に興味も持たれない、そんな存在。

まあ、人間すぐには変われないって事だと、最近悟ってきた。


「-で?お前は何しに来たんだよ。放送委員長らしく、俺の失敗談を面白おかしく全校放送するつもりか?」

「そんな陰湿な事、あたしがするはずないでしょ。いい加減その喰ってかかる態度やめなよ、だから友達少ないんだよ・・・ヒロはもっと、貴重な友達枠のあたしに感謝すべきじゃなくて?」

「ハイハイありがとう帰れ」

「もーっ!」


ぷくっと膨らませた亜紀をしばらく見つめ、その両頬を手で挟めば『ぶひゅっ』と空気が吹き出される間の抜けた音。

タコちゅうのような面白い顔の出来上がり。


「・・・ぶっ・・くくっ・・」

「もーっ!ちょっと・・マジもおお!!何すんのよバカヒロ!」


真っ赤な顔をしてポカポカと殴ってくる亜紀の頭を軽く押さえつけながら、ヒロはふっと校庭に目を向ける。


諦めた目をして、ぼんやりと夜空の月を見上げるヒロ。

学生がこんな時間に外にいれば、間違いなく補導される時刻であるが、二人が下校する気配は微塵もない。

それもそのはず。二人にはそもそも下校する必要など無いのだ。


真夜中の学校、暗い校舎、閉じられた校門。

誰もいるはずのない真夜中の学校。

それでも二人は此処にいる。


灰月ヒロも新里亜紀も、此処にはいるが、本来は此処にいてはいけない存在。


そう。




二人は幽霊である。

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