第3話 優しい提案

 ひたすらに貪った。涙を流しながらその温かいスープを鳥肉のステーキを貪り続けた。奴隷商の牢の中では味わった事のない温かく美味しい食事。ゆっくり食べていると近くの奴隷達にたちまち奪われてしまう毎日だった。奪われぬようにと食べている内に自然と食事は早くなり不作法になった。




 「それほど急がんでも坊主以外に誰も食やぁせんわい。ゆっくり食ぇ。」




 楽しそうに見つめながら老人は机の前に置かれた椅子に座り、子を眺めていた。それでも構わず食べ続け、皿を舐めるように食べつくした。


 とうに忘れていた満足感。残飯ではない食事を恵まれ、周りを気にせず腹いっぱい満たす事が出来た。その幸せを噛みしめながら、ほぉっと息を吐いて落ち着いた子は恐る恐る老人に向かって




 「・・・ごちそうさま・・でした」


 「・・ほぉ!喋れるか。良かった良かった。口が利けぬでは困り果てる所だったが。」




 驚いた表情の老人は子が空になった食器の乗ったトレーを受け取り机の上に置く。そしてまた優しく話しかける。




 「腹は膨れたか?まだおかわりはあるぞ?」




 その言葉に子は頭を振り、十分である事を伝える。




 「・・・もうお腹いっぱいです。十分です。」




 そして張り詰めた気持ちが緩み始めたのか、またウトウトと眠りがやってきた。




 「かまわん。そのまま眠りなさい。起きたらまた話をしよう。さぁ、眠りなさい。」




 優しい声。安心したエルはふっと眠りに落ちた。


 


 部屋を出た後、老人は家の外にある大きな切り株に腰を掛けた。あの子供は一体どこからやってきたのか。痩せて体も傷だらけだった。しかも手には鎖がはめられており鎖を外した手首にあった跡は昨日今日で付いた跡ではなかった。あの見た目でとなるとかなり幼い頃から囚われていたのだろう。見た目でエルフ族や獣人族ではないように見えた。ならば、借金奴隷として売られたか。しかし、幼すぎる奴隷は買い手も少なく奴隷商が手に入れる段階ではタダ同然の値段だったはずだ。


 何か事情を隠している。しかし、怯えさせてはならない。あれほどまでに粗末な格好で体も汚れていた所をみると大陸統一法の奴隷管理条項は守っていない奴隷商の可能性がある。だとすれば・・・


 急ぐ事は無い。逃げようにもここは幻霧の森の奥。子供一人ではとてもではないが森を抜ける事は不可能だ。少しづつ知っていこう。いや、一つづつ知ってもらうのだ。危険ではないと。安心できる場所なのだと。


 闇が迫る森の上に広がる星を見ながら、老人は思考の海へとまた潜った。




 翌朝、子は水の流れる音で目を覚ました。まだダルさの残る体を起こし、窓から外を見ると昨日食事を持ってきてくれた老人が大きな瓶かめの前で水を入れていた。しかし水は老人が手に持った杖の先から湧き出していた。


 ”魔法だ!!”初めて見る光景に子は目を奪われた。奴隷商の牢に入れられていた女性の猫人族が『首輪さえ無ければ魔法を使って逃げられるのに!』と叫んでいた事があった。こんな暗くて警備も厳しい牢から逃げられる魔法とは一体どんなものなのか。ずっとずっと知りたかった。


 老人が魔法によって生み出した水はあっと言う間に水瓶を満たした。そんな信じられない光景を見つめる視線に気づいた老人は、




 「お?起きたか?よく眠れたか?少し待っておれよ。」




 水瓶に蓋をしながら家に入る。ドアの向こうからゴトゴトと物音が聞こえる。しばらくすると昨日と同じようにトレーを抱えた老人が部屋へと入って来る。




 「眠って腹も減ったじゃろう?遠慮はいらん。しっかり食べなさい。」




 そっと机の上に置かれたトレーには昨日と同じスープのなかにこんがりと焼かれたパンが細かく千切られて浮かんでいた。




 「パンが固いから坊主では食べづらいと思うてな。スープに浸すと柔らかくなって腹持ちも良いんじゃよ。さぁさぁ食べなさい。」




 恐る恐る机からトレーを取り、スープの中のパンを掬い取り頬張る。香ばしいパンの香りとスープのうまみが口の中にじゅわっと一気に広がる。噛みしめる度にパンを吸ったスープがまた口に広がり、さらに食欲が湧いてくる。パン以外にも野菜や鶏肉など豊富に具材があり、飽きる事がない。一気に平らげ、ほぉっと満足の息を吐く。




 それを笑顔で眺めていた老人は優しく子に語り掛けた。




 「坊主。おぬし名はあるか?坊主坊主と呼ばれるのも気分の良いモノではないだろう?もし良ければこの爺に教えてはくれんか?」


 「・・・エルと呼ばれていた事もあります。でも、ほとんどが、おい!とかお前とか呼ばれていました。」


 「そうか。エルか。うんうん。良い名じゃのぉ。エル。手に嵌っておった鎖は危ないので外させてもらったぞ?あの様子からしてエルはもしや奴隷だったか?」




 やはり老人は知っている。自分が奴隷であること。そしてそこから逃げ出してきたこと。あんな暗い森の中で手に鎖を嵌めた子供が倒れていれば簡単に予想は付くだろう。身元が分かり連れ戻される怖さから目を合わせられず怯えながらもエルはそっとうなづいた。すると老人は目を開き、天を仰ぎながら呟く。




 「なんと。。。このような子を。安心せいエル。エルを奴隷商に渡したりはせん。体を洗う時に奴隷紋が見えなかったが、今までに売られた事がないのだな?」




 再びうなづく。老人がふぅっと息を吐き、ほんの少し椅子をベッドに近づける。




 「奴隷紋が無いとなれば、奴隷商も紋章の力を使ってエルの居場所を突き止める事は出来ん。まぁ、まだ儂の事は信用出来んじゃろうが、しばらくはここで体を休めこの先の事を考えればよい。」




 追われない?ホントに?あの地獄から抜け出せる可能性を知り、涙する。老人はそんなエルにそっと近づき優しく抱きしめる。あたたかく落ち着く。泣いて良い。救われた。その事実がエルの体から緊張感を払う。老人はそっとエルの背中を撫でながら優しい声で続ける。




 「儂の名はサーム・キミアと言う。知り合いからはサムじいと呼ばれておる。この森の奥薬師を生業にひっそり暮らしておる。ここは幻霧の森の奥深い場所じゃ。だから奴隷商であったとしても相当手練れの護衛でも連れねば入ってはこれん。安心せい。大丈夫じゃ。」




 言い聞かせるように優しくゆったりと話すサームの声はエルの心にゆっくりと響く。エルはゆっくりと目を閉じた。




 目が覚めると辺りは薄暗くなっていた。机の上には明かりが置かれている。その明るいランタンはエルの知るランタンではなかった。火が灯るはずの場所で小さな宝石が明るく優しい光を放っていた。光は美しくエルの瞳を釘付けにした。その光をもっと近くで見てみたくなったエルはそっとベッドから下りようとすると、疲れからか上手く下りられず膝から崩れ落ちた。その音を聞いたサームがドアを開け部屋に入ってくる。




 「すみません!!!ランタンが気になって!逃げるつもりではありません!すみません!!!」




 慌てて話すエルの様子を見て、サームは笑う。




 「はっはっは!誰も怒っておらんじゃろう。それに逃げてもかまんと言うておるのだから、逃げても追いかけはせんよ。なんだ。ランタンが気になったのか?手に取って見てみるといい。」




 そう言ってサームはランタンをエルに渡してくれた。優しい光に目を奪われながら、




 「火が点いていないのにどうしてこのランタンは明るいのですか?」




 と問う。不思議な顔をしながらサームがエルに問う。




 「エル。魔石ランタンを知らぬのか?」


 「魔石ランタン?知りません。そんな物があるのですか?」


 「そうじゃ。この光っている部分は魔物から獲れる魔石と呼ばれる宝石じゃ。その魔石を使って動かしたりする物を総じて魔道具と呼ぶのじゃ。」


 「僕の檻には火のランタンかロウソクしかありませんでした。」




 夜に見回りに来ていた世話係たちも火を使ったランタンを持っていた。魔石ランタンなどと言うものがある事すら聞いたこともなかった。




 「・・・そうか。確かに魔石ランタンは安い物ではないからな。奴隷商が持っていたとしても商人が自室に置いていただろうな。構わん構わん。ゆっくり眺めなさい。」




 高いと聞いて机に戻そうとしたエルに優しくランタンを返してやる。また楽しそうにランタンを眺めるエル。まだまだたくさん知らない事があるのだろう。この子供は知る事の自由を奪われ、そして未来すらも奪われかけた。守ってやらねばならぬ。サームはエルを見つめながら思った。




 「なぁエル。体の疲れが取れたら儂の生活を助けてはくれんか?なぁに、難しい事はせんよ。庭の野菜を世話したり、水を汲んだり、森で一緒に薬草を採ったり。エルの出来そうな事を助けてくれんかの?どうじゃ?」




 サームの問いにエルは悩みながらもゆっくりと返す。




 「何が出来るか分かりません。でも、食事と寝床を貸してもらったお返しはしたいです。お手伝いさせてください。」




 その言葉を聞き、サームは満面の笑みを浮かべる。ぽんぽんと膝を叩き嬉しそうに話す。




 「そうか!嬉しいのぉ。簡単な事からで構わんよ。手伝っておくれ。」


 「はい。お願いします。」


 「うんうん。嬉しいのぉ。。。しかしエルは言葉遣いと言うか、目上の者との会話が上手じゃがそれも教わったのか?」


 「・・・はい。小さい頃から奴隷だったので、少しでも買い手に良く見てもらえるようにと厳しく教えられました。字を読んだり書いたりも出来ます。」


 「なんと・・・。エルは何歳じゃ?」


 「分かりませんが自分で暦を数えられるようになってから5年は過ぎました。」


 「そうか。であれば8~10才くらいかのぉ。まぁ、この先の事も考えて歳を聞かれたら10才と答えておけば良いか。10才でも良いかな?」




 自分が何歳なのかも分からないのだから、良いも悪いも判断出来ない。でも、子供に見られるよりは少しでも成人の儀に近い年齢の方がこの先は良いかもしれない。




 「はい。構いません。今日から10才と思うようにします。」


 「よし。では、明日に備えよう。今日はこのまま休みなさい。寝てばかりと思うかも知れんが、おぬしが思う以上におぬしの体は悲鳴をあげておった。休むことも大事じゃ。もし夜中にお腹が空くようなら机の上に干し肉と水を置いておくから、朝まではそれで我慢しておくれ。」


 「いえ、ありがとうございます。それでは、おやすみなさい。」




 頼っていい。ここでなら生きていけるかも知れない。自分に示されたロウソクよりも小さな希望の光。頼りなくどこを指しているかも分からない光であるけれど、エルはその光を見失うまいと心に誓った。

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