第4話 ニット帽

 1



 雨が降る日が多くなっている。梅雨が少しずつ近づいてきているのだ。

 今日も早朝からポツリポツリと雨が降っていた。1年1組のクラスの雰囲気は、天気のせいもあってか、普段よりもドンヨリと暗くなっている気がする。

 そんな日の朝のホームルームのことである。


「みんなちょっと聞いてくれーー」


 担任の先生が教卓に立ち、生徒の視線を集める。


「この中にも知ってる人がいるかもしれないが、館林たてばやしがしばらくの間、入院することになった」


 先生が発言するとすぐに、クラス全体がザワザワと騒がしくなった。しかし、それもそのはずだ。


 館林たてばやし幸喜こうきは1年1組のムードメーカー的存在であり、1年1組きってのイケメンなのだ。

 髪の毛を程よくワックスで整え、制服を軽く着崩し、見るからにオシャレな雰囲気を醸し出すイケメンである。当然クラスでは人気になっている。

 ただし、前橋の人気と比べれば、一般的かつ庶民的な人気となるのだが。

 とは言え、そんな館林が休むとなると、クラス全員が何かしらの言葉を発するのは当然だ。


「タテコウ入院ってマジ?」

「えっ!? 館林くん休み〜〜? 目の保養がないよ〜〜」


 このように様々な言葉が教室中を飛び回っている。

 ちなみに、「タテコウ」とは館林のあだ名だ。


 クラス中が騒がしくなった中、先生はパンパンと手を叩きながら再び生徒の視線を集める。


「はいはい、静かにしろーー。入院って言っても、5日ぐらいで退院するものらしいから、あんまり騒ぐなよーー。はい。それじゃあ朝のホームルーム終わりーー」


 こうして、この日の朝のホームルームは終わりを告げた。



 2



 それから約1週間が経った。ほぼ毎日が雨となり、完全なる梅雨に突入した。


 そんな頃の金曜日。早朝は晴れていても、登校中に降り出す最悪の日に、入院していた館林がにこやかな笑顔で退院してきた。


「ただいまみんなーー!」

「おぉーー、タテコウ! お前生きてたのか!」

「元から死んでないわっ!」


 雨でドンヨリしたクラスの雰囲気がぱっと明るくなった。


 しかし、そんな明るい受け答えの中で、クラスの全員の視線が館林の頭に向かった。

 館林が教室にもかかわらずニット帽を被っているのだ。


「なぁ、タテコウ。そのニット帽なに?」

「あぁ、これ? ほらアレだよ。イメチェンイメチェン」

「ダッセーー」

「うっせぇわ!」


 館林のツッコミでクラスの全員がアハハと笑う。なんとも幸せな光景だ。


 館林の存在感の大きさを感じながら、俺はこの日の放課後を迎えた。



 3



 いつも通りの時間に図書室に入る。カウンターの中に入ると、パイプ椅子に座り、持っていた文庫本を読み始める。

 雨による湿気のせいか、本の1ページ1ページが重く感じる。


 それから少しだけ遅れて前橋も図書室に入ってきた。


「伊崎くん。お疲れさまです」

「前橋もお疲れ」


 返事をしながら、前橋の表情を見てみた。すると、何故か今日の前橋は普段よりも顔つきが明るく感じる。


「あれ? 前橋って、今日なにか良いことあったか?」

「え? なぜですか?」

「なんか、普段よりも顔つきが明るい気がするんだが」

「えっ!? もしかして顔に出てますか!?」

「まぁ、なんとなく良いことあったのかなぁってわかる程度には」


 俺に指摘された前橋は、慌てた様子で手鏡を取り出すと自分の表情を確認する。鏡を見て分かることではない気がするのだが。


「出さないようにと気をつけていたんですけど、やっぱり駄目でした」

「それで、どんな良いことがあったんだ?」

「今日は、私の人気が下がったんです!」

「え?」


 前橋の言っていることの意味が理解できなかった。


「ですから、私の人気が下がったんです。

 館林くんが退院してくれたおかげで、クラスのみんなは館林くんに注目していてくれたんです。そのおかげで、今日は休み時間にみんなから囲まれることがなかったんです!」


 何という独特な喜び方だろう。これは恐らく、この世でも限られた人気者にしか味わえないはずだ。少なくとも、俺は一生味わえないだろう。


「そ、それは良かったな」


 少し返事に困ったが、なんとか返すことができた。前橋は嬉しそうな表情を変えずに、俺の隣のパイプ椅子に座って読書を始めた。


 俺もそれにならって読書を再開する。


「伊崎くん」

「なんだ?」

「今日の館林くんの頭を見ましたか?」

「あのニット帽のことか? あれは見ようとしなくても視界に入ってくるだろ」


 俺の記憶では、かなり目立っていた気がする。


「館林くんがあのニット帽を被っていた理由。推理してみませんか?」

「また推理するのか?」


「はい。またです! 伊崎くん、お願いします」


 前橋からの推理のお願いは、もはや当たり前のようなものになってしまった。俺は推理が特別好きなわけでも、趣味なわけでもないのだが。


「お願いします」


 俺が承諾するか悩んでいると、前橋が俺の手を掴んで細い指でギュッと握ってきた。手から少しずつ前橋の熱が伝わってくる。そして、少しずつ顔を近づけてきた。

 明らかに俺の扱いを分かってきている。悔しいが、俺はこんなことをされたら反抗することはできない。


「分かったよ。推理しよう」

「ふふっ」


 前橋は嬉しそうに微笑んだ。


 普段の俺であれば前橋の笑顔を見ると、少し心が緩んでしまっていた。だが、今日の俺は違う。俺の扱いを知られてしまった以上、このまま扱われ続けてはいけない。


「ただ、前橋よ」

「はい」

「俺は頼まれた以上、当然のことながら推理をする。でもな、その間に、前橋自身もあのニット帽についての推理をしようとは思わないのか?」

「私自身でですか?」


 前橋はきょとんとした表情で俺を見つめてきた。まるで、自身が推理をしないのは当然だと言わんばかりの表情だ。


「そうだ。親から言われなかったか? 人に頼ってばかりだと成長しないって。たまには自分自身で考えてみろ」


 これで、少しは推理の大変さを知ってもらおう。そうすれば、今後、俺に当たり前のように推理を依頼することを辞めるはずだ。


「なるほど、分かりました。では、私も考えてみます」


 前橋は案外すんなりと、推理することを受け入れてくれた。

 前橋は目を瞑って、静かになった。恐らく頭の中で何かしらを考えているのだろう。さて、俺もあのニット帽について考えてみるか。


 まず、館林の様子だ。今日の館林は普段と比べて特に変わった様子は無かった。強いて言えば、授業中であってもそのニット帽を被り続けていたことだろう。


 次に、ニット帽を被る目的だ。ニット帽は本来、秋か冬の寒くなった頃に頭を温めるために被るはずだ。となると、館林は頭を温めたかったのか? しかし、俺の記憶では館林が寒がりだった覚えはない。


 となると、何か他に理由があるのだ。

 次に考えられるとしたら、ファッションの流行にニット帽があるということだ。イケメンな館林のことだ。ファッションの流行にも敏感なはずだ。ニット帽を被るのが流行だとすれば、可能性としては、ありえなくはない。


「なぁ、前橋。少し教えてほしいことがあるだけどいいか?」

「いいですよ。なんですか?」

「最近のファッションの流行として、ニット帽を被ることが流行ってたりしてないか? 俺はあんまりそういうことに詳しくないんだ」

「私もそんなに詳しい方ではありません。でも、ニット帽を被るのが流行しているという話は聞きません」

「なるほどな」


 となると、また別の理由があるというわけだ。


「あの、伊崎くん」

「なんだ?」

「私の推理を少し聞いてもらっても良いですか?」


 思っていた以上の速度で推理を終えたようだ。これはあまり期待しない方がいいかもしれない。


 俺は内心がバレないように表情を作る。


「うん、分かった」

「では、説明を始めます」


 そう言うと、前橋は表情を一気に暗くした。まるでこれからお葬式でも行うのではないかと言うような表情だ。何か悪い方向の推理をしたのだろうか。


「私の推理だと、館林さんは薬の副作用を隠すためにあのニット帽を被ったのだと思います」

「薬の副作用?」


 完全に俺の予想外の答えだった。一体どこから薬の副作用なんてものが出てきたのだろうか。


「はい。

 あのニット帽は、見たところそれほど値段が高そうではありませんでした。つまり、おしゃれ目的ではないと考えられます」


 あのニット帽は安物なのか。やはり見る人が見ると分かるのか。


「オシャレ目的でないとすると、いったいなぜあのニット帽を被るのでしょうか。

 私は、ニット帽は副作用で抜けてしまう髪の毛を隠すために被っていたと考えました。館林くんは昨日まで病院で入院していました。入院ということは、病院で手術か、何かしらの薬を打ったはずです。となると、その打った薬の副作用で髪の毛が抜けてしまうのではと考えました。

 どうでしょうか?」


 説明をし終わった前橋は、 暗い表情から、推理を完成させた達成感によって得られる満足した表情になっている。


 前橋の説明は、俺が思っていたよりも遥かに厚みのあるものだった。確かに、前橋の説明はある程度筋が通っている気がする。でも、


「違うと思う」


 と、ここはハッキリと言っておく。

 こうして、推理の難しさと大変さを覚えさせなければならないと思ったからだ。


「そうですか……」


 俺のハッキリとした否定に、前橋は声のトーンを落として落ち込んでしまった。なんだか申し訳なく感じる。


「では、伊崎くんの推理はどのようなものなのでしょうか?」

「そうだな……」

 

 さて、人に「違う」と言ったからには、しっかりとした答えを出さなければならない。

 今までの考えをゆっくりと思い出し、1つ1つを縫い合わせる。


「俺の推理では、館林は湿気で曲がったくせ毛を隠すために、あのニット帽を被っていたんだと思う」

「くせ毛を隠すため?」


 俺の説明に前橋は首を傾けた。


「なぜですか?」

「それじゃあまずは、前橋の推理の間違いを指摘しながら説明しよう」

「はい。分かりました」

「まず、副作用についてだ。俺の推理では、館林はそんな副作用を起こすほどの薬を飲んではいないと思うんだ」

「なぜですか?」

「前橋、思い出してみろ。館林が入院したことを知った時、先生はなんと言っていた?」


 前橋は上を向いて、しばらく黙っていた。そして、どうにか思い出した内容を話しだした。


「えっと、『館林くんが入院しました』だったと思います」

「その後だよ」


 前橋は必死に思い出そうとしていたが、どうにも出てこなそうだった。なので、俺は答えを言うことにした。


「先生はその後『入院って言っても、5日ぐらいで退院するものらしい』とハッキリ言ってたんだ」

「あっ、確かにそのようなことを言っていた気がします。でも、それが理由になるんですか?」


 前橋がここで疑問を持つだろうという予想はついていた。なので、俺は予定通りの返答をすることにする。


「あぁ。普通、学校に生徒の入院を知らせが来るとしたら、その病気の名前、退院予定日、具体的な症状の具合なんかを聞くはずだ。先生は『らしい』と言っていた。つまり、聞いた病気の名前が有名な物、例えば、インフルエンザとか、そういった類ではないことが分かる。有名なものでないと、先生は具体的な症状や館林の具合を聞くはずだ。そのとき、先生はきっとこんなことを言われたんだろう。『大したものではない。あと5日ほどすれば治るものだ』ってな」

「ちょっと待って下さい」


 俺の説明中に、慌てた様子で前橋が突っ込んできた。


「それが副作用のない薬の理由に、本当になるんですか?」

「まぁ、落ち着けって。それじゃあ前橋に質問。もし先生が『館林の病気はとてつもない大病だ。ただし、退院は5日ほど後だ』なんて聞いてたとすればどうする?」  

「そうですね……、生徒には、軽々しくは伝えず、しかし、できる限り病状の酷さが伝わらないように言いますね」

「そうだろ? 俺たちに『入院って言っても』なんて軽々しく言うと思うとは思わない。つまり、副作用が出るほどの薬を使ったものではないわけだ。そして何より、今日、館林が薬を飲んでいる姿を見てなかったからな」


 これで前橋の推理の間違いを指摘することができたはずだ。俺は僅かながらの達成感のようなものを感じた。

 しかし、そんな俺のことを無視して前橋は話を続ける。


「なるほど。確かにそうですね。では、くせ毛の方は一体どこから出てきたのですか?」

「それは普段の館林の姿を見ればすぐにわかるはずだ。前橋は、館林の普段の姿を見て、特に印象に残るものはないか?」

「髪の毛のワックスですか?」


 前橋はそれほど考える間もなく答えてきた。やはり女子から見てもあのワックスは印象に残るらしい。


「その通りだ。館林は髪の毛にワックスをつけている。しかしだ。今日の朝の天気を思い出してみろ」

「ちょっと待ってください……。今日の朝は晴れだった気がします。でも、8時頃から突然雨が降り始めていました」

「そう。俺はその突然の雨がニット帽を被る原因になったんだと推理したんだ。

 ここからはあくまで俺の想像。館林は普段通りに登校していた。でも、突然雨が降ってきて、セットしていた髪が濡れてしまった。すると、湿気によりくせ毛が目立つことになってしまう。そこで、髪全体を隠せるニット帽を買った。恐らく買った店は、朝からでも営業しているコンビニだろう」


 コンビニで買ったのなら、前橋が言っていたニット帽が安物というものにも説明がつく。


「これが俺の推理だ」


 俺はふぅと息を吐いて落ち着く。


 俺の推理を聞いた前橋は、なるほどと頷きながら手を叩いて称賛していた。


「伊崎くんの推理を聞いて、私の推理がまだまだだったと思い知りました。推理って難しいんですね」


 そうだろう、そうだろう。これで少しは俺への推理の依頼を減らしてくれるはずだ。


「まぁ、前橋の推理も悪くはなかったぞ。それに、あのニット帽が安物だって前橋が言ってくれなければ、俺も推理はできなかったと思う」

「そうですか。なら良かったです。では、これからは伊崎くんに推理を全て任せます」

「……え? ま、前橋? 何を言ってるんだ?」

「これから私は、伊崎くんの推理の手助けに全力を尽くします!」


 前橋は腕にグッと力を入れて、意気揚々としている。俺の伝えたいメッセージはまるで前橋に届いていなかった。


 どうやら俺はこれからも、推理をしなければいけない運命にあるらしい。

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