鬱ってやつは

サトノハズキ

第1話 鬱《うつ》ってやつは

 私がその病名を告げられたのは、今から20年ほど前の事だったと思う。


 当時の記憶は曖昧なので、正確な事は自分にも分からない。


 鬱ってやつは、治療法の確立されていないともすれば死ぬ病気である。


 ただし、多くの人にとっては、鬱=弱い人として認知され、なかなか知る機会もなく理解を得難い、しかし、放っておくと死ぬ病気なのだ。


 私はこれから、自身の人生を赤裸々に綴ることで、生に執着する覚悟を持つに至った経緯を話す事で少しでも似た境遇の人に優しい世界になることを願うばかりである。


 私は生に執着すると決めたので、これを見た人は、ぜひハートや星を施して欲しい。少しでも多くの人に見てもらう機会に貢献をして欲しい。


 そうなった原因というか、きっかけについては覚えている。


 3年連続の家族の死。


 最初の年は、大伯父でありながら、自分が20才を超え、自ら志願し養父となった、大好きな『大きいじぃじ』との別れだった。

 彼との別れについては、ある程度彼の年齢が行っていたので、寿命として比較的冷静に受け入れられたと思う。

 寧ろ、彼が生きているうちに養子になれ、多少の孝行はできたかなと消化できている。


 次の年に逝ったのは、兄だった。全て男の4人兄弟の3男に生まれた私の3つ上の次兄が、薬の大量摂取により23の生涯に自ら幕を引いたのだ。

 その時、私は実父が営む町工場で工作機械で鉄を呑気に削っていた。自宅から数分のそこで、夕方に母から連絡を受けた時、嫌な予感はしたのだ。

 というのも、彼は親元を離れて一人暮らしをしていた時分、2度自殺未遂を図った事があった。その頃、彼は私達と車で2時間半ほど離れた所に住んでいた。

 物理的な距離は圧倒的に未遂の時のほうが離れていたが、その2回とも一命を取り留めたというのに、最期が1番近くにいたというのが、何とも皮肉である。

 彼については、思い出がありすぎるので、またの機会に綴ろうと思う。


 最後にして最大のダメージを負ったのが、実の父の病死だった。

 享年57歳、肺がんを患い、1年半という短い闘病の末、呆気なく逝った。

 これは今でも思い出すだけで、胸が締め付けられるような喪失感に襲われる。

 今はこれ以上書けそうもない。


 そんなこんなで、私の心は許容量を超え、見事に壊れた。


 それでも私が今を生きているのは、大切で掛け替えのない素晴らしき出逢いに恵まれたからである。


 鬱になるまでの私はどこにでもいるヤンチャ小僧で、どちらかと言えば人の痛みに鈍感だったように思う。


 しかし、痛みを知って、私は変わった。


 本質は頑固で強情なのだが、人の温かさや優しさに敏感で、自身も本の少し優しい人間になれたのは、間違い無いと自画自讃する次第だ。


 そんな私に今、1番重く伸し掛かるのは、現実ってやつ。下世話に言えば金の心配だ。


 確かに障害年金を受給し、兄や他の社会制度も私を助けてくれているのだが、一寸先は闇である。


 その闇を祓うのはいつだって金という名の安心だ。


 そう、不安なのだ。そして、不安定な生活こそ鬱ってやつの天敵なのだ。


 だから私は何でも貰う。


 自分を切り売りしてでも、安定を得るために、生に執着する覚悟をした。


 私を支えてくれとは言わない。私の大切な掛け替えのない4人の家族の笑顔をどうか支えて欲しい。


 少しでも余裕のあるあなたにお願いします。


 こんな奴がこの世界の片隅にいることを知って、ちょっとでも心が動いたのなら、その余裕を分けて下さい。


 どうか御慈悲を。



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少しずつ読んでくださる人が、増えてきて嬉しいです。

この作品は、少しでも多くの方にこんなやつでも生きていられる事を知って頂きたいと思って書いています。

♡や☆で応援くださると励みになります。よろしくお願いします。

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