月曜日の教室にてⅡ

 「そういうこと言うのやめて欲しいのだけれど」


 聞いたことのないような声だった。思わず小野川さんの方へ目線を向ける。大きな声ではないのに声の通りだけはやけに良い。そのせいでクラス中の視線を集めてしまってる。

 本人は気付いてないようで、彼女の友達を睨む。

 友達はぴんっと背筋を伸ばす。命の危機でも感じているかのように。


 「平戸さんは友達だけれど……」


 小野川さんはそこまで口にして噤む。少しハッとしたような表情を浮かべる。かと思えば黙りながら首を横に振る。場違いな思考なのはわかってるんだけど、彼女を睨むように見てなんだか忙しいなぁと見てて思う。


 「いいえ違うわね。友達だからこそ、ね」


 胸に手を当て、私の方に目線を向ける。

 怒ってると思ったけど、私と目が合うと優しい表情に移り変わった。怒ってるわけじゃないらしい。


 「友達のこと悪く言われるのはあまり良い気分にならないわね。少なくとも気持ちの良いものではないわ」

 「そ、そうだよね。うん。ごめん。例え事実だったとしても、愛姫に対する配慮の欠けた発言だったかも」

 「私は構わないのだけれど。平戸さんに謝った方が良いんじゃないかしら」


 小野川さんは私の方を指差す。

 視線が私の方に集まる。注目を浴びるのは慣れてない。ずっと目立たずに生きてきたのだ。


 「それは……ちょっと違うと言うか〜。迷惑をかけたのは愛姫になわけであってさ」


 友達は話を逸らすように笑う。

 今すぐにこの場から逃げ出したい。けど逃げ出したら余計に目立つのは明白だった。

 こういう時は愛想笑いを浮かべながら、場を凌ぐに限る。

 全力の愛想笑いを浮かべる。えへへ~、という気持ち悪い笑い声を出しながら。


 「友達、ねぇ……」


 教室に入ってきた金髪美女。

 小野川さんのグループに属する陽キャだ。

 そしてなにを隠そう、このクラスで一番私が苦手とする相手である。


 チャラい、怖い、目立つの三拍子。


 苦手じゃない要素を探す方が難しい。

 小野川さんを優しい陽キャと表現した場合、この人は怖い陽キャになる。


 「玲奈。おはよう」


 小野川さんの前にいる友達は私から目線を逸らし、金髪美女に挨拶をする。

 私は安堵する。私への注目が逸れて一安心だ。

 もっとも小野川さんはなんだか不満気だけど。


 「愛姫と平戸さん付き合ってないらしいよ」

 「聞いてた聞いてた。ばっちり聞いてた」

 「玲奈が情報源なのね」

 「そうだけど」

 「突拍子もなくなんでそんなこと言い出したわけ?」

 「突拍子もなく……ねぇ」


 じろりと教室を見渡す。そして金髪美女と目が合う。私の隙間に入り込んできそうな怖さがあってすぐに目を逸らす。逸らしてからすぐに目線を戻す。もうこちらを見てはいなかった。目が合ったのは気のせいだったんだと安堵する。ほ、ほら私って自意識過剰だから。すぐに勘違いしちゃうんだ。


 「土曜日にさ、彼氏とデートしてたわけ。そしたら、愛姫と平戸がなんかやけに幸せそうに手繋いで歩いてたから付き合ってんのかと思ったの」


 おさげをくるくる指で巻きながら、そんなことを口にする。というか見られてたんだ。

 そうだよね。観光地だったし、学校から遠く離れてるわけでもないし、知り合いが居たってなんら不思議じゃない。少し考えればわかることだった。なんで知り合いなんて誰もいないと思ったのか……。私がぼっちで陰キャだから、か。

 小野川さんに迷惑をかけてしまった。この状況を作ってしまったのは間違いなく私だ。

 意図していなかったとしても、迷惑をかけてしまったという事実はしっかりと残る。

 消そうとしたって消すことはできない。インターネットと同じ。

 あとで謝ろう。


 「そういうことね」

 「ま、愛姫がそういうなら友達なんでしょ。ま、友達にだって色んな形はあるわけだし、こうやって手を繋ぐ友達の形だって当然あるよね」


 金髪美女は小野川さんの手を取る。


 「あっ」


 小野川さんは呆気にとられたような声を出す。

 私は小野川さんへ向けて手を伸ばす。力なく手は伸びて、そのまま行き場をなくし、沈む。

 声も出なければ、行動もできない。寂寥感だけが胸の中に残る。言いたいことはわかるけど指を絡める必要なんてないじゃん、と心の中で文句を垂れる。どこまで行っても私って臆病だなぁとその光景を眺めながら痛感する。指を咥えて見ることしかできない自分に腹立たしささえ感じる。

 ふぅと深呼吸をして、心のモヤモヤを浄化した。


 「急にそういうことしないで」

 「あはは、手ごわい」

 「玲奈。私の言う通りだったでしょ」


 小野川さんの目の前にいる友達はそう脇腹に手を当てて、むふんとどや顔をする。

 「あれは付き合ってる顔だと思ったんだけどねぇ。失敬、失敬」

 玲奈元い鴨川さんは悔しそうにそう口にする。

 賭けでもしてたのかなというような口調だ。


 「だって、愛姫は瀬田のことが好きなんだし、私告白してるところも見たよ」

 「え? 嘘。愛姫ったら告白したの? もしかして本当はそっちと付き合い始めた感じ? マジヤバなんだけど、それ」


 鴨川さんは獲物を見つけたかのように食い掛る。

 ぐいぐいと近寄られる小野川さんは顔を顰める。少し退き、ことんと机にぶつかる。そして小野川さんの友達のことを睨む。

 男側は男側で盛り上がりを見せる。英語の勉強会をしてたはずなのに、もうその名残はどこにもない。

 瀬田さんは少し面倒くさそうな表情を浮かべる。頬杖をつきながら小野川さんのことを見つめながら。

 じーっと見つめてる。凝視だ。なにを考えてるんだかわからない。けどずっと見つめてる。見つめて、見つめて見つめる。

 ふと瀬田さんと目が合ってしまう。こっちが視線を送り過ぎたのかもしれない。目を逸らそうとするが、あっちが先に目を逸らす。

 ふらっと立ち上がると、こめかみを手で押さえながら教室を後にする。なにを考えてるんだかやっぱりわからない。


 「仮によ、私が告白していたとしてなによ」

 「友達に彼氏ができた。ならめっちゃ喜ばしいことじゃんね。ちょーハッピー的な?」


 鴨川さんは本当になにも知らないらしい。怖い人だと思ってたんだけど、ただ友達想いなだけだなぁと思う。今はそれが仇となってるんだけど。鴨川さんは良い人だね。鴨川さんは。見直した。怖い陽キャと評したこと謝ろう。


 「告白したとしか言ってないけどね」


 小野川さんの友達はそうにやにやしながら口にする。

 こっちは狂ったように性格が悪い。さっきから意図的なのか、無意識なのかわからないけど。


 「ふーん……あ、え、ちょっ」


 鴨川さんもなんとなく理解したようで少し慌てる。

 まぁ小野川さんレベルの人が振られるとは考え難い。だから告白したと聞いたら付き合い始めたんだろうなぁと思うのは自然な流れだ。鴨川さんはなにも悪くない。


 「もしかして振られちゃった?」

 「そうだけど」


 眉間に皺を寄せ、明らかに不機嫌になる。

 そりゃそうだ。小野川さんからすれば振られたことを掘り返されてるんだから、不機嫌にもなる。黒歴史を掘り返されるよりもキツイだろう。

 しかも教室のど真ん中で、注目を集めながら、だ。本当にキツイだろうなと同情すらしてしまう。もっともそんなの求めてないんだろうけど。

 小野川さんからしてみれば面白くはないはずだ。てか面白いわけないよね。

 感情に任せて怒らないだけ大人だなぁと思う。発狂しないだけ偉い。本当に。私なら「うにゃぁぁぁ」と頭を抱えながら叫びそう。

 さっき小野川さんは私のことを庇ってくれた。

 それなのに私はただ見てるだけ。

 小野川さんが惨めな思いをしてるのに、私はなにもしてあげられないのか。なにもしなくて良いのか。本当にお前は傍観者で良いのか。己の心に問いかける。

 いいや、そんなわけがない。なにもしなくて良いわけがないのだ。

 恩がある。借りたものがある。ならば返すのが道義というものだろう。道義というかただの常識である。借りたものは返しなさいって小学生でも知ってるようなことだ。小学校一年生の道徳で習うようなことである。


 「あ、あの」


 私は立ち上がって声を出す。小さく掠れたような声。自分でも驚くくらいに小さかった。そんなんじゃ当然ながら声は届かない。届くはずがない。

 私にはやっぱりできない。三十人くらいいるクラスの中で、自分の意見をしっかりと主張し、愛する人を守るなんて私にはできない。私は弱くて、臆病で、無能だから。

 くよくよしてしまう。でもやっぱりこれじゃあダメだよな、と思う。思って、理解してもできないものはできない。鳥がどうやって空を飛んでいるのかを理解したところで、人間には真似できないのと同じだ。

 小野川さんは私に恩を売るために守ってくれたわけじゃない。そんな打算的な人じゃないのはわかってる。守れなかったとしても小野川さんは私に失望したりしない。

 そうわかってるからこそ、困ってる時は助けてあげたいという気持ちになる。愛する人を守ることなんてできないと言ったが、できるとかできないとかそういう話ではないんだろうなと思う。

 やるしかないのだ。鳥のように飛べないのならば、飛行機を作ってしまえば良い。そうすれば飛べないけど、飛べるようになる。できないからって諦める必要はないのだ。できないならばできないなりに代替法があるはずだから。

 そもそも二つ選択肢を持ってるというのがそもそもの間違い。

 今の私には一つしか選択肢はない。「やる」もしくは「やる」という選択肢しかない。もう選択肢とも呼べないね。

 やるしかないのだ。私には声がある。手もある。ないのは勇気だけ。ならば勇気を愛で補完すれば良い。


 「あ、あ、あ、あ、あ……あのっ!」


 叫ぶように声を出す。

 さっきは小さかったから今度は大きく叫ぶように……と意識した結果声が大きくなってしまった。

 当然ながら注目を集める。

 目線が色んな方向から向けられる。突き刺さるような感覚。やっぱり慣れない。恥ずかしくて、怖くて、痛くて、逃げ出したくなって、暗くてジメジメしたところに隠れたくなって……。

 あ、あれ、案外大丈夫かも。自分が想像してたよりもずっと冷静だ。

 小野川さんは困惑してる。そりゃそうか。突然私が叫んだんだ。そんな顔にもなるよね。発狂したのかなって心配されないだけマシか。

 小野川さんの顔を見たら更に落ち着いてきた。いつもより頭が澄み渡ってる。それは流石に盛ったけど。


 「あ、あの、小野川さんは振られたかもしれないですけど、と、というか、あの、えーっと。振られたのは私も知ってます。だって、その現場この目でしっかりと見てたので。しっかり振られてましたよ。もう言い訳できないくらいにしっかりと」

 「ちょっ、平戸さんまで私のことぶっ刺すの?」

 「ん、小野川さんは黙ってて」

 「え……えっ?」


 ビクッと肩を震わせ、一歩後ろに下がる。

 私のターンだ。ここからどうしようとか一切考えてないけど、とにかく私のターンだ。小野川さんに主導権を戻せば、それとなく場を平らにして誰も傷付かない丸い形で終わらせてしまう。

 穏便に済ませる、ということが目的であれば良いのだろうけど、私はそんなこと一切望まない。それじゃあこうやって勇気を出した意味も皆無になるし。ただ私が教室で突然叫んだ奴になってしまう。それはちょっと……。

 だからなにかしないといけない。なにかとは言うが、やること、というかやれることは一つしかない。


 「小野川さんは振られたかもしれないですけど。というか、確かに振られました。覆しようがないくらいしっかりと振られました。でもそんなのどうだって良いんです。だってそのお陰で私たちは付き合うことになったんですから。もう小野川さんには私という恋人がいるので。なにも恥じることではないと思います」

 「ちょっ、平戸さん」


 小野川さんは私の袖口を掴んで引っ張る。


 「ふーん、やっぱり」


 鴨川さんはにへらと私と小野川さんを見つめる。

 ぼわっと熱波が押し寄せてくる。今、私はとんでもないことを言ってしまったと気付く。時既に遅しってやつだ。

 小野川さんに迷惑をかけることになるから隠し通そうと思ってたことを言ってしまった。勢いに任せすぎてしまった。

 クラスの注目を一層集めてるような気がする。

 実際のところはわからない。周囲を冷静に見渡して分析するほどの余裕は私には残ってない。


 「す、すみません。そういうことではなくてですね。ち、ち、ち、違うんです。えーっと、そ、そう。今のは嘘です。私なりのジョークです。平戸流ジョークです」


 必死に誤魔化す。口にしながら無理があるなぁと思う。

 けどこれ以上にまともな案も思い浮かばないので遂行するしかない。

 自分が蒔いた種は自分で回収しなければならない。尻拭いくらいは自分でしなければならない。ただ迷惑をかけただけの嫌な奴になってしまう。そんなの私が一番望まないものじゃないか。

 小野川さんは私の袖口をまたぐいっと引っ張る。

 そして首を横に振った。桜のように鮮やかな髪の毛は振り子のように揺れる。


 「小野川さん……?」


 なにか言いたそうだったので思わず声をかけてしまう。

 目が合う。真っすぐな瞳が私の瞳を通り越して脳内に突き刺さる。


 「良いわよ」

 「へ、へ? はい?」


 無理矢理受け入れようとして、それでもうーんと悩む。


 「だから、良いわよ」


 そう言われても……。


 「なにが」


 袖口を摘まんだまま、私の耳元に顔を持ってきて口を開く。


 「関係を隠そうとして誤魔化したのでしょう」


 囁く。当然ながら見透かされてる。まぁ驚くことでもない。

 あの状況を考えれば当たり前であって、見透かされない方が不自然だ。


 「別にジョークとか言って無理に誤魔化さなくて良いのよ。というか平戸流ジョークってなによ」


 だから吃驚することもなく、ただこくりと黙る。


 「やっぱり誤魔化そうとしていたのね」


 袖口から指が離れる。若干あった重たさはなくなる。


 「私のため? それとも自分自身のため?」


 そう問いを私に投げると、そっと私から離れた。

 そして代わりにとでも言いたげな様子で若干頬を弛緩させた。本当に微細な変化で、好きじゃなきゃ気付かなかった。

 そんな小野川さんの優しさに溢れた微笑に釣られるように頬を緩ませる。


 「小野川さんのためだよ」


 私は別に隠す必要を感じていない。特にそのことを小野川さんに対して誤魔化す必要もないのでストレートに答える。あれ、本当にそうなのかな。私自身のためのような気もするけど。まぁ良いか。

 答えを聞くとうんうんと満足そうに頷く。


 「そう、配慮してくれて言ったところかしら」

 「まぁ、そんなところかと」

 「それなら心配無用よ。私は別に隠したいだとか、恥ずかしいだとか、そういうことは思っていないもの。私もそうね。平戸さんに配慮していただけだもの。言わない方が良いかなと」


 お互いに不要な配慮をしてたということか。

 コミュニケーションとはやはり言葉と言葉でぶつけ合わなきゃわからないよね、と痛感させられる。


 「別に誤魔化す必要はないわ」


 小野川さんはそう言うとわざとらしく咳払いをした。

 そして鴨川さんに視線を向ける。


 「平戸さんの言う通りよ。私と平戸さんは付き合っているの」

 「うんうん、知ってるよ。だってあんなにラブラブだったんだもん。付き合ってないわけがないよね。その辺のカップルよりも熱々だったよ」


 鴨川さんは小野川さんをからかうようにくすくすと笑う。

 小野川さんは顔を赤くする。髪の毛の色よりも目立つ。


 「どこで見たのよ、そんなにイチャイチャしていたつもりはないのだけれど」


 はて、と首を傾げる。


 「あれでイチャイチャしてない……わねぇ。なしなしパーティっしょ」


 なしなしパーティってなに……。最近の若い子わかんない。

 ただ、イチャイチャしてないです、と啖呵を切れるほど適度な距離感を保ってたかなと考えると、申し訳ないけど首を縦に振ることはできない。

 服を買う時にしろ、カフェにしろ、夜景を見ていた時にしろ、そこそこ距離感は近かったかのような気がする。

 鴨川さんの「その辺のカップルよりも熱々だったよ」という言葉は盛ってるにしても、その辺のカップルに負けないくらいのイチャイチャ具合だったのではと主観的に見ても思う。


 「そうね、これ言っても良いのかな」


 唇に指を当てながら、ふふふと悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 ふと私と目が合う。笑みはより深いものになる。

 言われて困るようなことをしてたかなと考える。うーん、思い当たる節はない。

 距離感はともかく、やってることはどれもこれも健全なものであった。と、自覚してる。

 もっとも私が都合良く、都合悪いことを忘れてるってこともあるのかもしれないけど。


 「嫌なら言わないけど。それくらいの気遣いは私にだってできるし」

 「嫌もなにも言われて困るようなことしてないもの」

 「お、言うね言うね〜」


 小野川さんは強気な姿勢を見せる。

 その反応を見て、鴨川さんは口元に手を当てた。


 「してないわよね」


 不安になったのか私に問う。


 「記憶にないね」

 「そうよね」


 都合良く忘れてるわけじゃないらしい。


 「まぁ平戸はね、そりゃ記憶にないと思うよ」

 「私は記憶にないんですか」

 「そう。だって平戸にとっちゃなんてことのないことだろうし。……彼女? でも彼女以外ないよね。ま、ちょっと女の子同士で付き合うとどういう関係性になるのかはてなだけどさ、彼女ってことにしとこか。彼女があんなことしてたら平戸にとってはむしろ良い記憶として残るだろうなって」

 「は、はぁ、そ、そうですか」

 「ふーん、その様子だとかなり良い記憶が沢山あって思い出せないって感じかな」

 「えーっと、そ、その、いやぁ~、あははははは」


 図星過ぎたので笑って誤魔化す。誤魔化せてないなこれ。


 「ちょっ、二人で盛り上がらないで欲しいのだけれど」


 小野川さんはムッと唇を尖らせながら間に割って入って来た。


 「嫉妬するんだ~」


 鴨川さんは小野川さんの頬をつんつんと突っつきながらにへらと笑う。


 「愛姫は外に出したつもりなかったけど。なんなら愛姫の話をしてたわけだし。話のド中心だったよ。愛を叫びたい的な、それ」

 「な、それはそれでなんか嫌ね」

 「ワガママな子だ」


 鴨川さんはくすくすと笑う。


 「クラス中に聞かれちゃうけど大丈夫な感じ? 愛姫は怖いところが苦手で、夜景を見ながら平戸に――」

 「あー、ちょっ、ちょっ、玲奈。ストップ。ダメよ、ダメ」


 バッと激しく手を挙げたと思えば、慌ただしく口を両手で塞ぐ。

 鴨川さんは「ぐふぁっふふぁ」と声にならぬ声を両手の隙間から漏らしている。

 静まったのと同時に手を離す。

 口角は上がってた。嬉々とした様子だ。今のが楽しかったんだろうなというのが伝わってくる。

 やられた方の小野川さんは安堵してるからか、鴨川さんに目線を向けることはない。だから多分からかわれてたことにも気付いてない。

 まぁ時には知らない方が幸せなこともあるよなぁと思う。


 「あそこに鴨川さんもいたんですね」

 少しだけ沈黙が続き、気まずさを覚え、当たり障りのないことを口にする。

 「彼氏とデートしてたからね。ピンク色の髪の毛の女の子が居て『愛姫以外にも髪の毛ピンク色にする物好き居るんだなぁ』とか思ってたら、愛姫だったの。ちょー目立つよね。この色。めっちゃ目立つ」

 「玲奈私のことそんな風に思っていたのね……。というか、目立つのは玲奈もよ。その金髪も大概だもの」

 「金髪くらいはその辺歩いてれば見かけるでしょ。少なくとも、ピンク色に比べればレア度は低い。スライム的な?」

 「それはそうね」


 鴨川さんは勝ち誇ったような表情を浮かべる。むふんと十時の方向に顔を向ける。

 そのまま流れるように掛け時計に目線を向けて、口をあんぐりとした。


 「あー、今日日直だった。日誌取りに行かないと」


 面倒臭そうに踵を返す。ぐぐぐと背を伸ばしながら歩く。

 数歩進んで、扉の前に差し掛かったところでふと振り返る。


 「あ、そうそう。人の恋愛事情に愛のない弄りをする人は一番嫌いだから。真面目な人を馬鹿にすんなし」


 私と小野川さんの間の突き抜けるような視線を向け、冷たさ全開な言葉が放たれる。

 鴨川さんはそれだけ言うと、まるでなにもなかったかのように歩き出して、すぐに背中は見えなくなった。

 友達想いで良い人だけど、やっぱり怖いという認識も間違ってなかったようだ。

 怒らせないようにしよう。そう心の中でこっそりと誓った。


 「わぁ、こんなところでアンタなにしてるわけ。」

 「入るタイミング見失ってただけ」


 すぐに廊下から鴨川さんの声と、瀬田の声が聞こえてきた。日誌取りに行かなくて良いのかな。彼女の声を耳にしながら、掛け時計に目をやり苦笑したのだった。

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