勢い余るとこうなる

 つーっと小野川さんから目線を逸らし、校庭側に目を向けた。


 下校中の人や、陸上部、サッカー部なんかが目に入る。

 ここで走って逃げたとしても悪目立ちするだけなのは明白だ。

 しかも私の体力じゃ逃げ切れない。校庭のど真ん中で捕まるのがオチだ。

 つまるところ、話しかけられた時点で私は詰んでる。


 「え、あ、あ、あ、は、はい」


 逃げることができないのはわかった。

 そんな状況下であっても逃げようとするほど馬鹿ではない。

 時には素直さだって大切だよね。

 額から輪郭を伝って垂れる汗を拭う。



 「平戸さん。もしかして今の見ていた?」


 背中に手を回して、ぐいっと顔を近付ける。瞳の奥底を見つめられるようなそんな感覚。

 なんとなく恥ずかしさが私の中で募る。


 一瞬嘘を吐こうと思ってしまった。

 本能的に逃げようとしている。

 けどバレるな、と冷静になれた。

 というか多分見てたことすら気付いてるんだろうな。

 嘘を吐いたところで私の立場が悪くなるだけ。

 明らかだ。

 であるならば素直に吐露した方が良い。


 「え、あ、あ、その、覗き見をするつもりはなくて、ですね……。その偶々見てしまったと言いますか。偶発的と言いますか。とにかくそういうわけであって、決して悪意を持っていたわけではないんです。なので殺さないでいただけると助かります。まだ死にたくはないんです」


 逃げられないのならどうするか。

 答えはシンプルだ。

 さっさと謝罪と弁明をして、許しを乞う。

 それに限る。


 小野川さんを怒らせてしまった暁には、私はこの学校に在籍することすら許されない。

 陽キャでクラスの中心人物である小野川さんは人脈を駆使して、私をとことん潰しにくるはず。

 精神的な虐めで追い込んでくるまである。

 そんなことされたら私は耐えられない。

 学校生活ところか人生の終わりだ。

 元々終わりかけている学生生活だというのに。

 終止符が打たれることになる。

 それだけは回避しなければならない。

 土下座すら辞さない覚悟だ。


 「殺さないわよ……」


 こめかみに手を当て、苦笑する。


 「平戸さんから見て私はそんな狂暴に見えているのね」

 「そ、そういうわけではないです」

 「そうじゃないと殺されるだなんて発想にならないじゃない」

 「あー、いや。それはですね。あはははははは」


 声を震わせる。

 数多な選択肢を綺麗に間違えてしまった自覚が芽生えた。

 これ以上間違えることはできない。

 ダチョウと肩を並べるくらい小さな脳みそをフル回転させる。


 「えーっと、あ、あ、あのですね。ただ小野川さんは、私から見て神みたいな方と言いますか、住む世界が違うような方なわけでして、私が小野川さんと話すだなんて恐れ多いなぁと思ったんですよ」


 ぶんぶんと顔を横に振りながら懸命に弁明する。

 必死過ぎて最早なにを言ってるんだか自分でもよくわからなくなる。


 「ふーん、そう」


 苦笑を崩すことなく浮かべながら、私のことを見つめる。

 態度は変わらず、不安だけだが大きくなった。


 あぁまた間違えたんだ。

 そんな考えが頭の中に過るのと同時に小野川さんは小さく息を吐く。


 「私はそんな大層なものじゃないけれどね」

 「そ、そんなことはないですよ」


 表情が一瞬緩んだのを見逃さず、私は小野川さんをよいしょすることに決めた。

 持ち上げて気分を上げてもらおう。そうすれば見逃してもらえるかもしれないし……。


 「平戸さんは見ていたでしょう? 振られたの。神でもなんでもないのよ。私はただの女子高校生に過ぎないのよ」


 私の決心を見透かしたかのように彼女は自嘲する。

 うう、たしかに……それはそうかもしれないけど。

 でもそうですね、と首肯するのはなんだか違う気がした。

 持ち上げると決意したのならば、全力で持ち上げ続けようと思う。

 ほら継続は力なりって言うし。

 そもそも振られたしって言葉に「そうですね」って返したら煽りと勘違いされそうだ。


 「振られたのはたしかにそうかもしれないですけど、でもただ一人の男に振られただけじゃないですか。小野川さんを選ばなかったあっちに見る目がなかっただけに過ぎないんです。そもそもあんな面倒な塊みたいな人、小野川さんから願い下げじゃないですか。振られたんじゃなくて、見極めてこちらから距離を置いた。そうです。それだけなんですよ。気にする必要なんてないんじゃないんですかね」


 自分の中で考えを咀嚼することなく、大きな物体のまま吐き出す。

 そのせいで纏まっていないし、ごちゃごちゃしてしまっている。


 「あ、いや、えーっと、その、すみません。こんな冴えない、モテない、ゴミ陰キャぼっちがわかったような口を利いてしまって」


 ぺこぺこと頭を下げる。下げて下げて下げまくった。


 「別に私を持ち上げる必要はないのよ。それにしてもまともに話したこともないクラスメイトに慰められることになるとは思ってもいなかったわね。ありがとう」


 小野川さんはふふと笑みを浮かべ、私の頭を優しく撫でる。


 「人生なにがあるかわからないわね」


 グーっと背を伸ばして、力を抜くように手を下げ、ふぅと息を吐く。


 「でも振られたのは事実なのだから、嘲笑くらいしてくれたって良いのよ。ただ慰められるだけなのは惨めだもの」


 惨め。

 陽キャの小野川さんでさえ、そう思うことってあるんだなぁと少しだけ驚く。

 もしかして似たもの同士なのかなって調子良いことを考える。

 あぁごめんなさい。

 同族なわけないですよね。


 とりあえず私は小野川さんを嘲笑する気は微塵もない。


 だって小野川さんはカッコいいから。

 あんな男にあんな振られ方をして、相手の悪口を一切言わない。

 それどころか、自分の気持ちを置いておいて私に気遣いさえする。

 こんな人をカッコイイと言わずしてなんと言うか。


 私が小野川さんの立場であれば、同じことはできないなぁと思う。

 ナイフを突きつけられても、嘲笑することはできない。


 尚更、瀬田さんは見る目がないなぁと思いながら、この人が瀬田さんとくっつくようなことがなくて良かったと安堵する。


 見た目は陽キャで近寄り難いけど、中身は優しく、強い、立派な女性だった。


 こんな人が面倒で自己中な断り方をする瀬田さんと付き合ったら、きっと小野川さんは苦しみ続けることになった。

 そういう面において良かったなぁと思うし、瀬田さんは良くやったとも思う。

 そんな男と付き合うくらいなら私と付き合って欲しいと思う。

 なんちゃって。

 アハハ。


 「ち、嘲笑はしないですし、わ、わ、私は惨めだとも思わないですよ」


 持ち上げなきゃという気持ちは一切ない。

 もうただ純粋に心の中にある気持ちをそのまま口にしてるだけ。

 百パーセント本音だった。

 ある意味感情的になっていると言えるのかもしれない。


 「例えばですけど、その、えーっと、こ、言葉じゃなくてですね。言葉で伝えるんじゃなくて、行動で示したら、瀬田さんは落ちてたんじゃないかなぁと思うんですよ」

 「行動?」

 「え、あ、は、はい。行動です」


 こくこくと頷く。小野川さんの目は鋭い。ひぃっと怯んでしまう。


 「キスをするとか」


 私の言葉を耳にした彼女は苦虫を噛み締めたかのような表情を浮かべる。


 「それはないわ。するわけないもの」

 「そ、そうですか、そうですよね。そんなビッチみたいなことしないですよね。すみません。決して小野川さんがそういうことをするビッチだと思ってたわけじゃないんです」

 「謝られるとそう思っていたのかなと勘繰ってしまうのだけれど」


 胸に手を当て、眉間に皺を寄せる。

 小野川さんは「私ってビッチに見えるのかしら……」と不安そうに呟く。

 おさげを指先でくるくると回す。


 「あくまで私の主観に過ぎないので」

 「そう」

 「は、は、はい。第三者から見てこうしたら落とせたんじゃないかなぁと思っただけに過ぎないんです。他意はないですよ。というかすみません。こんな恋愛経験ゼロな私がわかったような口を利いてしまって」


 他意はない。小野川さんは超が付くほどの陽キャだから、どうせキスくらい平気でするでしょとか思ったわけじゃない。


 「遅いわよ、それ。先に感情が漏れてたもの」


 呆れるようにため息を吐く。

 そのため息に一種の恐ろしさのようなものがあった。

 つーっと背筋が凍る。

 ぞわぞわと嫌な予感が脳裏に過る。

 怒らせてしまったのかも、と不安にもなる。


 「キスは特別な人としかしないと決めているのよ」


 真面目な顔してそんなことを口にした。

 頬だけ若干赤らめる。


 「は、はぁ、な、な、なるほど?」


 とりあえず理解しようと頑張ったが、特別な人って瀬田さんじゃないの?

 という疑問が大きくなっていく。

 わかりそうでわからない。


 「好きで信頼できて、私のすべてを捧げても良い。そう思う人にしかキスをしないと決めているのよ」

 「瀬田さんは違うんですか。好きなんですよね」

 「好きだったわね。でもそれは好きなだけ。感情だけで相手のことが信頼できるようになるわけじゃないもの」


 好意と信頼は別物ということか。

 なるほどなぁと感心してしまう。

 それはそれとして、陽キャは皆キスとかバーゲンセールのようにしてるのかと思ってたけど、そういうわけでもないんだね。

 陰キャの陰キャによる陰キャのための陽キャへのど偏見が入ってしまいました。

 すみません、ほんとにすみません。


 「なによ、なにか文句あるわけ」


 さっきよりも鋭い視線が飛んでくる。

 もうひぃっ、という声すら出てこなくなっていた。


 なにか、なにか言わなきゃ。


 くるみサイズの脳みそをフル回転させる。

 ぐるぐると回して回して回しまくる。

 回し過ぎて思考がぐちゃぐちゃになる。いかん。

 なにか喋らないと……。


 「あの男のことを好きになって付き合うくらいなら、私と付き合って欲しいなぁって思ってるだけですよ。嘘じゃないです」

 「え?」


 小野川さんはきょとんとした顔で私のことを見つめる。

 桜に似たピンク色の毛先をゆらんゆらんと揺らしながら、首を傾げた。


 指を口元に持ってきて、真意を確かめるように私のことを凝視する。

 な、なに。

 あまりの熱視線に私は逃げ出したくなる。もっとも逃げ道なんて存在しないので、肉食動物に捕捉された草食動物のようにカタカタと震える。

 小野川さんは肉食動物ではないので口を大きく開いて私のことを捕食するなんてことはない。


 ただにへらと微笑む。

 それだけだった。


 冷静さがすーっと戻って、とんでもないことを口にしてしまったのではと焦る。

 気のせいだ、と言い聞かせるけど、思い出す度に「かもしれない」が「そうだ」に変化していく。


 「え?」


 なにも言えなくなるくらい焦る私はそんな意味のない言葉を漏らしてしまう。


 やばい、やばい、やばい、やばい、ちょっ、どしよ、どうしよう。


 本当にどうしよう。

 間違えてというか、勢いに任せて告白紛いのことをしてしまった。

 紛いというかもう告白そのものだ。


 どうすれば良いんだ。

 いいや、どうするもなにもないよね。

 さっさと謝らないと。

 とりあえずそういう意味じゃないと謝らないと。

 深いことは謝ってから考えよう。

 きっとそれが良い、ね。

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