第10話


中佐はまっすぐにゆっくりと敵陣の中央、敵の指揮官がいると思われる方向に歩いて行った。

いつもは戦いが始まるとほとんど司令部から動かない中佐だったが今回は常に自分自身が敵陣に近づかなくてはならないと思った。

敵を撃破して追い払うだけでは不十分なのだ。

敵を追い詰めて、文字通り全滅させなければ、今回の作戦は失敗と言わなければならない。

敵の数は味方よりもかなり多かったが、常に3倍5倍、ひどい時には10倍の敵とばかり戦っていた中佐はこの手の戦いに慣れていた。

戦いの勝敗を決めるのに人数は重要な要素だが、それ以上に戦場を支配する気分と言う物があって戦いの勝敗を決めると中佐は知っていた。

戦いに先に飽きた方が負けなのだ。

戦いに飢えて血に飢えて荒れ狂い戦う側と、戦いに飽きていやいや戦う側とでは自ずから勢いが違う。

中佐はゆっくりと歩きながら、戦場に倒れた民兵達が殆ど後ろから撃たれて倒れている事に満足した。

前衛が崩れて、統制がとれた後退と言うよりもパニックを起こして逃げ惑っている状態を示しているからだ。

こういう戦いの場合は常に敵に張り付いていなければならない。

病院正面の胸壁から中佐が解き放った戦の犬達は300人、正面に展開している民兵は1200人はいるだろう。

少しでもお互いの距離が開くと、敵側に優秀な指揮官がいる場合、敵を立ち直らせてしまう危険があった。

パニックを抑え、敵が息を吹き返し、迎撃の体制を整えてしまうと、攻撃している側が息切れをした場合、一気に勢いが萎んで逆に大量虐殺される可能性があるからだ。

中佐は配下の将校たちに常に敵の傍に張り付き、敵の核心に深く切り込むように教え込んだ。

近接白兵戦闘は傭兵団の最も得意とする物だった。

病院正面から突撃した兵士は中佐の教えを守り、息もつかせず敵を追い、その陣形を食いちぎり、浸透し続けた。


そしてもう一つ大事な事は敵の頭脳を、つまり司令部を叩きつぶす事なのだ。

中佐の耳にヘリコプターの爆音が聞こえて来た。

中佐の横を進んでいた通信兵が受話器を中佐に差し出した。


複合施設から程近い所で待機していたリトルバードの愛称がある小型ヘリコプターは、民兵の攻撃開始の報を受けて複合施設上空に急行してきた。

中佐はリトルバードに向けて矢継ぎ早に命令を出し始めた。

3個の大型コンテナで偽りの墓場に運ばれて来たのは金でも宝石でも無かった。

コンテナの中身は棺桶に入って運ばれた来た兵士達の装備品の他に4門の旧ソビエト製PM-43、120mm迫撃砲が入っていた。

すでに何日も前に設置を終えて待機していた、製造されてから30年も経つ4門の迫撃砲はリトルバードの飛来を機に砲撃を始めた。

リトルバードは上空を旋回しつつ砲撃管制を行い、迫撃砲の着弾を有効な場所へ敵の指揮官がいそうな所に誘導し始めた。


民兵達は今まで経験もしなかった重砲弾の激しい爆発に、恐怖を覚えパニックに拍車がかかった。

中佐は敵陣に立ち昇る120mm砲弾の煙に満足した。

年代物の中古の迫撃砲はいまだに十分な効果があった。

中佐の歩く先に、腹を撃たれた1人の民兵が、うめき声を上げながら味方の方向に向かって地面を這いずっていた。

中佐は民兵をショットガンで射殺し、左手に挟んだ弾丸をショットガンの弾倉に補弾し、死んだ民兵を踏みつけながらまっすぐ進んだ。

病院の北と南の重機関銃陣地は民兵達を散らばらせないように牽制の射撃を続け、中央に民兵達を寄せ集めていた。


拠点を出てからずっと民兵後方に張り付いていた偵察隊は民兵組織の逃げ道を遮断する為に携行してきたクレイモア地雷をセットし、ベルギー製軽機関銃を所々に配置していた。

民兵組織本隊1200人は中佐の罠に嵌りじわじわと草原のくぼ地に追いやられていた。


複合施設南側から比較的防備が薄いと思われていた所に攻撃を掛けた民兵の別動隊300人も入り組んだ建物に効果的に配置された傭兵達の射撃を受けて次々と倒れて行った。

思いもしない反撃を受け、100人ほどの兵を失った民兵別動隊は退却する事に決め、ほうほうの態で逃げだした。

傭兵達は機関銃を乗せたジープを繰り出し、一方的な追撃を開始した。

実際にそれは戦闘と言うよりも狩猟であり虐殺であった。

目ぼしい獲物を討ち取ったジープの一団は迂回して民兵本隊の南側に機関銃を乱射しながら突入した。



ンガリは病院正面の攻撃を担当した部隊の中軍に属していたが、病院前面のクレイモア地雷の爆発で前衛が崩れパニックを起して逃げて来た民兵達の群れに飲み込まれた。

ンガリの小部隊の指揮を執る最年長の少年兵は、必死に陣形を保とうと、自分達の正面に逃げて来た味方の兵士に向けて射撃する事を命じた。

道が開け、暫くは陣形を保って進んだンガリの小部隊であったが、更に逃げ込んで来る大量の民兵と、そのすぐ後ろを目を吊り上げて咆哮し、銃を撃ち、銃剣を煌めかせてやってくる傭兵達に恐れをなして後退を始め、やがて四分五裂しながら逃げ始めた。


攻撃する事に慣れていた民兵達は防御の経験に乏しくあっけなく崩れていった。

ンガリは弾を撃ち尽くした突撃銃を捨て、本来の年相応の子供の悲鳴を上げて逃げた。

ンガリ達は我先に迫撃砲の着弾の煙が上がる方向に逃げた。

ンガリは後ろから走って来る大人の民兵に押されて倒れ、踏みつけられて気絶した。

気絶したンガリの上を咆哮し、銃を撃ち、手瑠弾を投げつけながら傭兵達が通り過ぎた。

敵陣に向かってゆっくりと歩き続ける中佐の前に武器を捨てて両手をあげた民兵がちらほらと出て来た。

中佐は顎をしゃくって病院正面の胸壁に行くように促すと降伏した民兵達に目もくれずに歩き続けた。

流れ弾が飛んで来て中佐の体を掠めたが中佐は一向に気にしなかった。

RPGロケット弾が時折飛んで来て爆発した。


俺は運が良い俺は運が良い俺は運が良い・・・


中佐はRPGロケット弾が吹きあげた土ぼこりを浴びながら、心の中でそう呟きながら歩き続けた。

仁王の様な黒人の護衛兵士が流れ弾に眉間を撃ち抜かれて倒れた。

中佐は気にせずに歩いていった。

中佐は前面に広がる阿鼻叫喚の地獄に向かって歩き続けた。

あちらこちらでブラカラナト!と兵士が叫ぶ声が聞こえて来た。

中佐も自分でブラカラナト!と叫んだ。

ブラカラナトはここにいる!度胸がある奴は掛かって来い!

中佐は敵味方の死体を踏みつけながら、凶悪な微笑みを浮かべて歩き続けた。



民兵指揮官達は思いもよらぬ傭兵団の強力な反撃と、矢継ぎ早に飛んで来る120mm迫撃砲弾によってパニックに陥った。

病院正面から気違いの様な勢いで押してくる傭兵団の攻撃を何とか押し戻すために前線指揮に向かおうとした経験を積んだ中級指揮官が目の前で迫撃砲の直撃を受けて粉々に千切れ飛び、体の部品を辺りの民兵達に浴びせかけて消滅した時点でパニックは頂点に達した。

子供たちを前衛に立てて散々弾避けに使ってきた大人の民兵達の何人かが悲鳴を上げて後方に逃げ出した。

民兵指揮官が逃げる民兵を制止し、後ろから突撃銃で何人かを撃ち倒したが効果は無く、少なからずの民兵が逃げて行った。

何とか踏みとどまっている民兵達にどうすれば良いのかと詰め寄られた指揮官はどうする事も出来ずに言葉に詰まっていると、後方からあの恐ろしいクレイモア地雷の爆発音とともに軽機関銃の銃声が響き渡り、逃げて行った民兵達の断末魔の悲鳴が聞こえて来た。

退路を経たれた恐怖が彼らを捉えた。

迫撃砲弾の弾着が止んだと思ったら、傭兵達が口々にブラカラナト!と叫び、突撃銃を撃ちながら押し寄せて来た。

民兵達の頭に惨たらしく耳や鼻やまぶたを切取られた生存者達が恐怖に顔を引き攣らせながら言った言葉を思い出させた。


ブラカラナトは皆殺しにするまで戦いを止めない


指揮官の周りに集まっていた民兵達の一斉射撃で何人もの傭兵が撃ち倒されたが、彼らは怯む事無く次から次へと、民兵指揮官の所に殺到して来た。

傭兵達が着ているセラミック装甲板付きのボデイアーマーのおかげで撃ち倒されて一度倒れたにも拘らず起き上がって突撃して来た傭兵を見て、民兵達の中には悲鳴を上げ、銃を投げ捨てて逃げて行く者たちも出始めた。

民兵指揮官はすがりつく民兵達の手を振り切って走りだした。

どこに行けば良いのか皆目見当もつかないが、とにかくこの場から立ち去りたかった。

走り去る民兵指揮官を見て、その場にいた者達全員が悲鳴をあげ、蜘蛛の子を散らす様に逃げ去った。

暴虐の限りを尽くし、子供たちを先頭に押し立てて弾避けにして戦ってきた民兵組織の大部隊はもはや組織的な戦闘をする事が出来ず、恐怖に押しつぶされて逃げ惑う人間の群れになった。


戦闘歩兵第2大隊の兵士達の戦闘はほぼ終了し、戦いは残敵掃討の段階に入った。

中佐はイスやテーブル、酒瓶や地図、傭兵団から奪ったハンドトーキーなどが散らばる民兵組織の司令部と思われる場所にたどり着いた。

中佐は通信兵を呼び、すでに砲撃管制を終了し、上空を旋回しているリトルバードに連絡を取ると民兵指揮官と思われる者の探索をさせた。

中佐の護衛についていた兵士8人の内無傷で中佐の周りを警戒しているのは4人だけだった。

近くには何人かの民兵が銃を捨てて震えながら蹲っていた。

護衛兵士達が銃剣で民兵をつつきながら、両手を上げて病院に向かうように命じた。

この戦いの間、ヘルメットもボディアーマーも着用しなかった中佐は倒れていた椅子を持ち上げると、それにどっかりと座りこんでベレー帽を脱ぎ、額の汗を拭った。

辺りに満ちていた銃声や悲鳴が徐々に間遠くなり、生き残って降伏した民兵達を病院正面に誘導したり、それぞれに集まる様に命令する傭兵達の声があちこちから聞こえて来た。


中佐は腕時計を見た。

戦闘が開始してから57分が経っていた。

中佐は胸のポケットから煙草を出して火を点けると、どこまでも広がる青空を見上げた。

やがて、胸部に数発の弾丸を受け、穴だらけのセラミック装甲板が露わになった防弾チョッキ姿の中隊長が、数人の兵士達と共に民兵指揮官を連行して来た。

中佐は椅子に座ったまま民兵指揮官を眺めた。

中佐にとって、目の前に引き据えられておどおどした目つきで周りを見回しながら震えている民兵指揮官を、敬意を払うべき敵の指揮官と思う事が出来なかった。

民兵指揮官は椅子に座った中佐を見ておどおどしながら震える手で敬礼をした。

中佐はこのみすぼらしく震えている、元学校教師の男に敬礼を返す気持ちも無かった。


中佐は椅子から立ち上がると周りを見回した。

あちらこちらに倒れている民兵の死骸はその殆どが少年少女だった。

民兵達の死骸に交じって転がっている戦闘歩兵第2大隊の兵士達の死骸を見て、中佐は顔をしかめた。


俺達は子供相手に戦争をしたのか・・・殴られ、脅され、踊らされた子供たち相手に・・・・



のちに判明するが、この日の戦いに参加した民兵組織1500人の内、未成年と思われる少年兵がおよそ1300人、その内で10歳以下と思われる子供達は600人に及んだ。

大人の民兵はたったの200人足らずでその殆ど半分が生き残り、少年兵達の死傷率は80パーセント以上に及んだ。



中佐はゆっくりとひざまづいた民兵指揮官に近寄り、民兵組織指揮官を見下ろした。

ジュネーブ条約およびハーグ陸戦条約・・・と中佐が言い掛けた。

民兵組織指揮官があからさまにホッとした顔で中佐を見上げた。

彼の顔に浮かんだ媚、へつらう笑顔の裏に巧妙に隠された嫌らしさに中佐の言葉が途切れた。

中佐は民兵組織指揮官を見つめたまま、円陣!と叫んだ。

周囲にいた兵士達が中佐と民兵組織指揮官を取り囲んだ形で円陣を組んだ。

周囲を警戒!と中佐が叫ぶと兵士達が中佐に背を向けて一斉に外を向いた。

中佐は改めて民兵組織指揮官に、ジュネーブ条約及びハーグ陸戦条約などの国際人道法に伴う捕虜保護の為の様々な協定を私は順守しない、と言い放った。

中佐が何の事を言っているのか判らずに民兵組織指揮官が怪訝な表情を浮かべた。

中佐がショットガンを左手に持ち腰のホルスターからピストルを抜くと民兵組織指揮官の左足を撃ち抜いた。

更に中佐は、左足を押えて悲鳴を上げた民兵組織指揮官の右足を撃ち抜いた。

更に腰を、そして腹部に銃弾を撃ち込んだ中佐はピストルのマガジンキャッチボタンを押して弾倉をピストルから抜いた。

中佐が、撃たれた激痛に苦しみ悶える民兵組織指揮官の前に薬室に一発だけ弾が残っているピストルを放り投げた。

中佐が右手の人差し指と中指をそろえて自分の口に入れる素振りをした。

ピストルを口に入れて自決しろと言う意味だった。

民兵組織指揮官が震える手でピストルを拾い口に入れた。

民兵組織指揮官は震えながら涙をためた目で中佐を見上げた。

彼はどうしても引き金を引けなかった。

中佐がショットガンを構え、立て続けに民兵組織指揮官に撃ち込んだ。

オートマチックショットガンの連射音が鳴り響き中佐の周囲を囲んでいる兵士達が音の大きさにびくっと身震いした。

中佐は民兵組織指揮官のズタズタになった死体に近寄り、ピストルを拾うと新しい弾倉を込めて、腰のホルスターに収めた。

解散!と中佐が怒鳴ると護衛兵士と通信兵を残して兵士達は立ち去った。

中佐の手は機械の様に自動的に腰のポウチから弾丸を取り出すと空になったショットガンに弾丸を込めた。




戦闘歩兵第2大隊の兵士達は捕虜の掌握と戦死者の回収に忙殺された。

中佐は通信兵に上級司令部に勝利の報告するように命じ、護衛兵士達を連れて草原の小高い丘に上った。

草原のあちこちから降伏した民兵達が列をなして病院正面に歩いて行った。

気絶していたンガリは思い切り体を蹴飛ばされて気が付いた。

ンガリの目の前に銃剣付きの突撃銃が突き付けられていた。

血と泥に汚れた傭兵の顔がンガリを覗きこんでいた。

ンガリは恐る恐る手をあげた。

傭兵は突撃銃を動かし、無言でンガリに立つように促した。

傭兵がンガリに指示した場所には敗残の民兵達が集められていた。

ンガリが手を上げてその場所に行き座らされた。

集められていた民兵達は、傭兵達に取り囲まれて恐れ、脅え、子供たちは泣いていた。

ンガリは遥か昔に同じような光景を見た様な記憶があったが、それがいつで、どこだったのかどうしても思い出せなかった。


ンガリの横では部隊の最年長の少年兵が肩を撃たれて傷口からの出血を手で抑えながら泣いていた。

少年兵は、昔、村を襲撃した時の激戦中の沈着冷静な態度は消え去り14歳の怯えた少年の泣き顔でンガリを見た。

ンガリは、何か見てはいけない物を見てしまったように目を伏せた。



傭兵の将校がやって来て、ンガリ達を監視している傭兵のリーダーらしき伍長に何事か囁くとまた、別に捕虜が集められている所に歩いて行った。

伍長はンガリ達の中で大人の民兵数人を立たせると少し離れた藪の陰に連れて行き、射殺した。

突然の銃声にンガリ達は体を震わせた。

ニヤニヤしながら藪の陰から出てきた兵士達がンガリ達を見つめた。


兵士達がンガリ達に近づき、ンガリ達の中で最年長、と言ってもまだ14歳に過ぎない少年兵の首筋を掴んで引っぱった。

自分の運命を悟った少年兵はサルの様に泣きわめき失禁した。

少年兵が助けを求めるようにンガリの服を掴んだ。

ンガリは眼を伏せて少年兵の手を振り払った。

2人の兵士はジタバタと暴れる少年兵を藪の陰に連れて行き、射殺した。

兵士がンガリ達の所に戻って行きンガリ達を見つめた。

そして全員に、立って両手を頭の後ろに組み、病院正面に行くように命じた。

ンガリ達はどうやら殺されないらしいと感じて、安堵の表情を浮かべた。

射殺されずに残ったンガリ達のグループは全て10歳以下と思われる少年少女達だった。

兵士達はンガリ達を病院正面の臨時の捕虜収容所に連行していった。


小高い丘の上から戦場を見回していた中佐が、軍曹の黒いベレー帽をかぶって、手を頭の後ろに組んで歩いているンガリを見つけた。

中佐は隣に立っていた元イスラエル女兵士の護衛兵に、ンガリを連れてくるように命じた。

両手を頭の後ろに組んで病院正面に歩いて行く捕虜の列にむかって女護衛兵士が走って行った。

中佐は女護衛兵士の後姿を見ながら横に立っていた将校に傭兵団の制服を着用している捕虜は別の場所に集めるように指示を出した。

民兵達はしばしば、殺害した敵兵の着用していた物をトロフィー代りに誇らしげに身につける習慣があった。

アフリカに展開している傭兵団の制服であるベレー帽は濃緑で遠くから見るとオレンジと赤と黄色で形作って見えるバッジが縫い付けてある。

傭兵団の制服と異なる黒い小振りのベレー帽は中東の作戦に従軍した時からの軍曹の私物だった。

中佐がまだ傭兵になりたての頃、新兵訓練キャンプで十数年ぶりに再会し、血反吐を吐き、死ぬほどしごきぬいた張本人が当時の訓練担当教官である軍曹だった。

軍曹はその時から黒い小振りなベレー帽を誇らしげに被っていた。

ンガリが女護衛兵士に首根っこを掴まれて中佐の目の前にやって来た。

女護衛兵士がンガリの頭からベレー帽を引き剥がし、中佐に差し出した。

ベレー帽には当時ベイルートで悪名を馳せた傭兵隊のバッジが縫い付けてあった。

中佐がベレー帽の裏側を見ると何回も消えかかるたびに黒マジックで上書きされた文字が目に入った。


239541B8-E795ーTW


軍曹の当時の軍籍番号と軍曹の頭文字だ。

中佐は怯え切って自分を見ているギョロ目で華奢な顔つきの少年と、少年への殺意に目をぎらぎらさせてじっと自分を見ている女護衛兵士を交互に見た。

中佐は突然ンガリの胸倉をつかむと乱暴に引きずりながら小高い丘を下りて行った。

丘の裏手の人気が無い場所にはエンジンに弾丸を受けてジープが閣座していた。

中佐の後をついてきた護衛兵士がジープの周りにいた傭兵達を追い払った。

中佐はンガリをジープの横に立たせてしばらく手に持ったベレー帽を見つめていた。

中佐はベレー帽を肩のストラップに挟むと、いきなりンガリの顔を掴んでジープの荷台に叩きつけた。

何度も何度も叩きつけた。

ンガリは最初に叩きつけられた後は意識が朦朧として自分が何をやられているのか判らなくなった。

叩きつけられるたびに自分の頭から細かな部品が弾け飛んで行くのをおぼろげに感じるだけだった。

中佐は赤い肉塊と化したンガリの頭を掴んでいた手を離した。

ンガリはしばらく突っ立っていたが、やがて、母なる大地に崩れ落ちた。

中佐は息を切らせながら腰のピストルを抜き、倒れているンガリの頭に向けて何発も打ち込んだ。

静けさを取り戻した戦場にピストルの発射音が何回も響いた。

何事かと丘の陰にやって来た兵士達は護衛兵士によって追い払われた。

中佐は頭の上からが消滅したンガリの体につばを吐きかけて立ち去った。

もう、生きている人間で知っている者は一人もいないが、今日はンガリの10回目の誕生日だった。

ンガリは10年間の生涯を、恐ろしい数の死体が転がる、憎しみに満ち溢れた戦場で閉じた。


中佐は傭兵団の制服を着ている民兵はスパイの容疑があると言う理由ですべて射殺するように命じた。

落ち着きを取り戻し護衛兵士を引き連れて病院の方に歩いてくる中佐は、病院正面に集められた捕虜の廻りの騒ぎを目にして走って行った。

病院に避難していた大勢の民間人が民兵捕虜達を取り巻いて罵声を浴びせ、物を投げつけていた。

傭兵団兵士達が、怯えて体を寄せ合う民兵捕虜と激昂する民間人達の間に割って入り、お互いを引き離そうと苦労していた。

民間人の多くは民兵組織の兵士によって肉親を殺されたり、連れ去られたり、自らも暴行にあったりしている者が殆どで、降伏し、武器も持たず、脅えた表情の民兵達に復讐をしようとしていた。

中佐が民兵捕虜の前に立ち、通訳を通して捕虜への暴行を止めるように民間人達に言ったが彼ら彼女らの怒りはますます高まった。

押し寄せる民間人の群れを何とか押しとどめようとしていた中佐の顔に飛んできた石がぶつかり、こめかみの辺りが切れて出血した。

子供を目の前で殺され、大勢の民兵にレイプされた女が投げた石だった。

女護衛兵士が空に向けて威嚇射撃を始め、他の兵士もそれに倣った。

鳴り響く銃声に民間人の群れは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。

ヘルメットもボディアーマーも着用しなかったに拘わらず、戦闘中一発の弾も当たらず、全くの無傷だった中佐は皮肉な事に必死で守ろうとした人間達からの投石によって負傷した。

女護衛兵士がバンダナで中佐の顔の出血を抑えている時、通信兵が、傭兵団戦闘歩兵第1大隊が、民兵の根拠地を襲い、組織壊滅と拉致された民間人の救出作戦を開始した事を伝えた。


遠くから重砲の砲撃の様な重い音が響き渡り、中佐も、女護衛兵士も、傭兵達も、民兵捕虜も、威嚇射撃に驚いて物陰に逃げた民間人も、病院の職員も、その場にいた皆が西の空を見た。

地平線の辺りに真っ黒な雨雲が湧き出て青空の一角を占め、天上の神々が気まぐれにいかづちを大地に投げ落としていた。

長かった乾季の終わりを告げる雨雲の第一陣がサバンナ地帯にやって来て、激しい雨を遠くで降らせ始めた。

涼しい風が、遠くの雨雲といかづちを見つめる人々の間を通り過ぎた。

乾ききったサバンナに、雨季がやって来た。


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