パリパリ皮の鯛のポワレ #2
運ばれてきた料理はシンプルな鯛の切り身がお皿に載せられたものだった。
傍らにはレモンが添えてあり、給仕は「お好みに応じて絞って頂ければ」と言っていた。
見た目には特にソースも何もかかっておらず、シンプルに切り身が焼かれただけに見える。
確かに火は通っていそうで、皮もついているが、メニューにもあった「パリパリ皮」とはどのようなものなのか。
ニコライとしては、マルガレータに聞きたいことや話したいことも多くあったが、料理を放ってただ話すというのも良くはないだろう。
(冷めてしまっては料理人に悪いしな……)
勿論、久しぶりに口にする魚料理に心を惹かれているわけではない。
ただ目の前の料理と作り手に失礼であるから、真っ先に手を付けるのだ。
……何故だか、心中でそのような言い訳をしながらもニコライはフォークを用いて魚を口に運んだ。
(まずはレモンはかけずに……)
パリッ、フワッ、ジュワッ。
魚の身を噛み切ると、口の中で数々の食感が一瞬で過ぎ去っていき、思わず目を白黒とさせる。
そのまま身を噛めば、香ばしい皮の香りと適度な塩分、何より鯛の旨みが口の中を満たしていく。
「こ、これは……!」
「ね、ここの料理は美味しいでしょう?」
マルガレータが何故か得意げに笑みを浮かべ、そのように話しかけてきた。
この飾らない彼女の笑みを見たのは久々だな、などと一瞬思考に浮かぶ。
出ていく前はなんとなくつまらなそうな顔をしていたのが続けて思い出された。
「美味しいなんてものじゃありませんね。こんなシンプルに見えて凝った料理、地元でも見たことないですよ」
「でしょうね。地元ではどうだったの?」
「もっぱら塩焼きかスープに入れるかフライにするか、でしょうか。ですが、これには驚きました。これほど絶妙な焼き加減にはならないと思います。皮が本当にパリパリで、なのに身がふっくらして水分が飛んでいない」
「まるで魔法のようね」
「まさしく、魔法のようです」
2人で頷き合う。
再び口に入れれば、やはりパリッとした食感の皮に続けてそのままふんわりとした身が不思議で面白く、そして見事な美味しさに昇華されている。
食感だけでなく皮の香ばしさは得も言われぬ素晴らしいものであるし、身の味わいも淡白でありながらしっかりと旨みを感じさせ、さらに適度に振られた塩がそれを引き立てている。
身を噛むと口に広がる水分はただただ魚の良い部分を抽出したようで、いやな臭さがまるで感じられない。
まさしく魔法。ニコライは感嘆する他なかった。
「まぁ、なんていうかさ」
見れば、マルガレータも自分に来た料理を美味しそうに食べていた。
マリネといったか。酢漬けにされながらもその身の鮮やかな光沢を失っていないニシン。
それが食べやすい大きさで見栄えするように切られた上で、綺麗に盛り付けられている。
レモンの薄切りとハーブ、それに玉ねぎだろうか。鮮やかな色彩の一皿は、どこか目を惹く。
「わたしはやっぱり教皇なんて向いてないのよ。儀式や行事で大人しくして、政治的な決裁をしたり全体の方針を仕切ったり、象徴として身を現して。……想像できる? そんなわたし」
「それは、まぁ。マルガレータ様の性格には合わないかもしれませんが……」
「それにわたし、その様付けも嫌なのよね。別に大した人間じゃないのよ?わたし。生まれだって立派に庶民だし」
「ですが、誰にも負けないほどに強力な加護をお持ちじゃないですか」
「確かに法力はあるけれど、それだけよ」
誰よりもその力を振るい、誰よりも人を助けてきた彼女はそういって大したことのないように笑った。
陳情があれば直ぐにその身で向かい、あらゆる困難を力技で解決してきた聖女。
立場や持ち回りの役目としてでなく、その実績から教会の中でも一目置かれる……いや、
「それに、わたしかなり俗っぽいし。世界の安寧の為になんて柄じゃないのよ。ただ、出来ることはする。それだけ」
そして、ニシンを口に入れて「ん~!」と唸った。
思わず目を瞑りたくなる酸っぱさだけど、癖になる美味しさねえ、なんて語りながら。
「正直なところさ、そんな難しい話じゃないのよ。わたしには向いてないと思ったからちょっと距離を置いた。それだけで、別にわたしが変わるわけでも教会が変わるわけでもない。誰か向いてる人がやった方がいいし、それも無理ならその時は考えましょ、ってこと」
「そういう手紙を送っていたんですか?」
「まぁ、そんなところ。で、渋々わたしの行動を追認してもらったってわけ。だからちゃんと今でも教会所属よ。聖女って肩書は重かったからやめるわって書いたけど」
「なるほど……って聖女もやめる!?」
ニコライは驚いてフォークを取り落とす。
幸い、皿の上に転がってくれたから良かったが、衝撃でそれどころではない。
「うん。まだ返事は来てないけど」
「……それ、ここの神父にも言いました?」
「言ったわよ。なのに妙に恭しい態度もやめないし、今日わかったけど聖女扱いしたままわたしのことを吹聴してるみたいね」
「それはそうですよ……」
はぁ、とため息をつく。
「ソロでダンジョンブレイクしたことがありますよね?」
「あるわね。村が田畑を広げるのに邪魔だっていうから」
「悪質な水枯れの呪い、解決しましたよね?」
「そうね。水がないとみんな困るし」
「火事で焼き尽くされた森を再生したこともありますよね?」
「だっていろんな人が生きていけなくなるっていうし」
エトセトラエトセトラ。この一人の女性が成し遂げた偉業は枚挙にいとまがない。
彼女は紛れもない偉人なのだ。そう扱われることを嫌っているが。
「貴女が聖女って呼ばれるのって、単に役割だからとかじゃないんですよ……?」
「そうかもしれないけど。肩書でしかないぐらいに思ってほしいし、あんまり重く受け止めないでもらいたいのだけれど」
「無理ですよ!?」
ダン、と机を叩きそうになったが踏みとどまる。
既に大分うるさくしている気もするが、ここは食事処だ。あまり騒ぐのもよろしくない。
いそいそと、再び食事を続ける態勢に戻りつつも、会話は続ける。
「……手紙の返事、遅れてるでしょう?」
「そういえばそうね。この前まで割りと直ぐ来てたのに。検討中かしら、と思ってたんだけど」
「どう答えるか迷ってるんだと思いますよ……。あと、多分結局認められないと思います」
「ダメ?」
「というより無理でしょう。どこでも誰にでも知られる偉業、とかではないかもしれませんが、救われた人間はみんな忘れません」
別に気にしないでその後幸せに暮らしてくれればそれだけでいいのにねえ。
そんな風にのたまうマルガレータに、頭痛がする思いをする。
尊敬する先輩であるし、素晴らしい力を持つ同胞でもある。別に常識や良識がないわけでもない。
だが、自分の行いとその力にどうも無頓着なのは如何なものか。
「気にしてないわけじゃないのよ? 気にしないほうが良いってパウリーネもいうし、わたしもそうだなって思ってるだけ」
「うーん」
微妙なラインだった。
確かに彼女ほど大きな力を持つなら、あまり気にしないぐらいが丁度いいというのもその通りかもしれない。だが、かといってあまりに遠い価値観を持たれても困るなあ……と妙に心配してしまう。
「まあ、ニコライ。あなたは一度帰りなさい。わたしを追ってきてくれたのは悪く思ってないけれど、大丈夫。そのうち帰るから」
「先輩はどうされるんですか?」
「ここ、凄いと思わない?」
また話が飛んだ。
だが、マルガレータとしては特にそんなつもりはなかったようで、そのまま話を続ける。
「さっきわたしは魔法のようと言ったわよね。それに、あなたも言った通り『海の幸』が何故か並べられる。少し、気になってるのよ」
「まさか。幾らなんでもただの料理屋ですよ……?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それに私はここの店主を実際に見て、確信してるの。あの子なら、もしかしたらこの世をもっと面白く出来るかもしれない」
「良く、じゃないのが先輩らしいですが。何故です?」
切り身を再び口にする。やはりこの香ばしい皮と水気のある身がアンバランスだ。
どのようにこれを両立させているのか。それだけでなく、内陸で食べる魚が何故臭みがこうも抜けているのか。
確かに不思議はあったが、流石に目の前の女性が言うほどのものとは思えなかった。
「店主が祝福持ちのようだった、っていうのもあるけれど。まぁ、後は勘ね。パウリーネが何か訳知り風だったからまた何か聞けないかとは思ってる。……よくよく考えるとアレは半分助言で半分はぐらかしよね」
「なるほど……?」
それは少し想像がつかなかった。だが、マルガレータが気にするぐらいだ。
微弱な加護の気配などではないのだろう。
「ま、時間を無為に使うつもりはないから、わたしの勘違いで済むようならまた少し外を回るわ。教会にも言っておいて頂戴。何か困ったら連絡して構わないって。その時は帰るから」
「なら戻ればいいのに……というのは野暮ですか?」
「折角だしちょっとぐらい旅を満喫させてよ、と言わせる? あなたも意外といい経験をしてきたんじゃない?」
確かに外に出て、マルガレータを探すのに必死であったが。
その過程で聖都では出来ない体験は色々とあった。
それを思えば、彼女の言は中々否定し難く、ニコライは押し黙る。
「わかりました。明日の朝、発とうと思います。一晩だけ宿に泊まるので、もし何かあれば明日の朝に門の前で」
「そうね。手紙の一つぐらいもたせるわ。んじゃまあ、ひとまずは目の前の食事を楽しみましょう」
「そうですね。次はレモンを絞って食べてみようかな」
「いいわね、私もスープの方を飲んでみるわ」
偉大な法力使いが教会を見限った――などという最悪の事態ではなかったし、心配でつい駆けつけてしまったのは自分の短慮であったようだが。
先輩は先輩のままで。
なんとなく自分から遠い存在のままなのだなあ、とニコライは心中で独りごちたのだった。
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