旨みしみ出す絶品ダブル鶏鍋(とシャキシャキ玉ねぎサラダ) #3

「まず初めの一品として、玉ねぎサラダです」

「おお、これは」


シリル様が感嘆の声をあげた。無理もない。

宮廷で野菜といえば酢漬けピクルスや塩漬けが主流だった。

保存が容易ということでそれが当たり前だったが、アンヌ=マリーは味を求めるなら生野菜も捨てがたく思っていた。

故に、少しずつ流行らそうとしていたところだったが……。

目の前のサラダには、玉ねぎだけでなく細切りした大根に葉物野菜、そして茶色の……これは肉か?

それらが盛り付けられており、また上から何か――塩ではなくソースのようなものがかけられていた。


「庶民では酢漬けではなく生野菜が当たり前なのですか?」

「いえ。そもそも野菜は安価ですが大体シチューとして煮込まれて食べられるぐらいですね。ですが、当店ではこのようにサラダとして提供することもしています」


店主であるというセリーヌに問えば明瞭な答えが返ってきた。

質問を重ねる。


「それはなぜ?」

「状態の良い野菜はやはりサラダで食べるのが一番美味しいというのが一つ。もう一つは、そうですね、うーん」


少し迷うような素振りを見せてから、彼女は口を改めて開いた。


「王女様は栄養……いえ、そうですね。船乗りが偶にかかる病についてご存知ですか?」

「歯抜け病ですか? あまり長く船に揺られていると起きると聞いたことがありますわね」

「はい、それです。あまり遠洋に出ることはないとはいえ、それでも発生すると聞いています」


この辺りは大陸で全部完結しててちょっと違うのよね、と小声で言う彼女の真意はわからないが。

だが、わざわざそのようなことに言及できる教養は興味深かった。

聞けばレオナールの娘だと言っていたから、それなりに教育を受けてきたのだろう。

……それが料理人になった経緯まではわからないが。


セリーヌは続けた。


「はっきりと断言はできません。ただ、あれは長い海上生活で食生活が偏ったからだと考えています」

「興味深い説ですね。ですが、それが何か関係が?」

「食事は身体を作るものです。……例えば、生で食べたほうが身体に良い野菜と、熱を加えたほうが良い野菜がある……なんて言って、信じてくださいますか?」

「……」


率直な感想としては、面白い、と思った。

魚を食せば身体が冷えると主張する学者が居たな、と頭の片隅で思い出す。

おそらくはその類の言説なのだと思うが、目の前の彼女はどうも確信をもってそれを断言しているようだった。


「真偽はともかく、面白いとは思いますわ」

「まぁ、あくまでオマケです。折角なら美味しく健康になれたら夢のような話。少しだけそういう意識があるということで、ご容赦頂ければ」

「メインは味ということね」

「もちろんです。当店自慢のサラダ、ぜひ味わってくださいませ」


一礼して下がっていくセリーヌの背中を見やる。

アレは確かに一廉の料理人なのだろう、と思う。自分が召し抱える自慢の料理人たちが見せる、自負と誇りが彼女からも感じられた。

……少しだけ、良くない疼きを胸の内に感じる。


「とはいえ、サラダはサラダ。まずは頂きましょうか」

「そうですね」


シリル様と共に、そのサラダを口にする。

まずはソースのかかっていないところから――。


――しゃくり。


口当たりに驚く。

生野菜特有の歯ざわりだが、それにしても瑞々しく、気持ちの良い食感。

そして遅れてくる玉ねぎの辛味。しかし、それも程よいアクセントに留められている。

……そういえば、この野菜は生だと辛すぎて食べられたものではなかったのではないか。

思わず首を傾げる。

柔らかく煮込めば素晴らしく甘く美味な野菜として知っていたが、生で食べるとこんな味なのか。


「このソース、是非絡めて食べてみてください」


シリル様の声に従い、今度はソースを絡めて口にする。

……衝撃だった。


「これは……生野菜でなくば勿体ないですわね」

「はい、酢漬けでは主張が強すぎてぶつかってしまうでしょう」


控えめながらも確かに主張するソースが、野菜の味を引き立てていた。

酸味と塩味が調和し、更に玉ねぎ等の野菜が持つ甘みが引き立てられる。

どういうレシピなのかわからないが、塩だけで食べるよりも遥かに奥深い味で、幾らでも食べられてしまいそう。


「大根も葉も見事なものですね」


保存が難しい野菜を、良くもまあここまで状態を保って出してくる。

ふとセリーヌが去っていった先を見やる。

サラダでこれほどの質とは、一体彼女は何者なのだろうか。

この発想と技術力は庶民が学べる料理の域を完全に逸脱しているように思われた。


「そういえば。これは肉ですよね」

「やはりそう思われますか? サラダに野菜以外のものが乗るなんて……」


あまり洗練されたものとは言えないのではないか。そこはやはり庶民の感覚なのだろうか。

しかも肉が高かったか?

随分と薄く切られたものが乗っかっている。


「とはいえアクセント程度には――!?」


再度の衝撃。

決して粗雑に、ごっちゃに乗せたわけではないことが、一口でわからされる。

野菜やソースとともに口にすれば、柔らかな豚肉がグニグニとその食感で主張しつつも、肉の旨味と野菜がお互いに調和する。

そして豚肉もまた味わいが良い。

貴族の食卓にも状態の良くない肉が並ぶことがあるぐらいだというのに(それでもご馳走であるのだが)、鮮度の良さを感じさせるし、血の匂いが薄い。この薄切りも計算のうちのようだった。

薄味のソースが良いのだろうか。それとも肉の切り方か?

このサラダはこうして食べることで完成するのだと、それを痛感させられる。


なんだろうか。この敗北感は。

庶民の店だ。シリル様がいう甘味が本物だったとしてもそれだけの店だろうと、どこかで思っていた。

貴族や王族が食べる宮廷料理。それに勝る食事などこんな場所にはないと思っていた。

生野菜を出されたときには驚いたが、それでもサラダはサラダ。

腕の良い料理人だろうとそう違いなど出ないだろうと思っていた。


その全てを否定された気分だった。


今一度、厨房があると思しき方向を見やる。


「あの娘、何者……?」


厳しい教育を受け、王女の仮面が心底から身についたアンヌ=マリーが思わず呆然として、そう口にする程度には。

ただのサラダが与えた衝撃は大きかったようだった。

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