忠直は慷き慨る 第八幕

「キャァァァ!!」

「来ないでぇ!!」


 視界的にも精神的にも暗澹さをもたらす樹海の中。


 そこには巨大猪に襲われながらも必死に魔術で応戦する女子生徒たちの姿があった。


 ……しかし、いくら攻撃しようともダメージを与えられている気がしない。

 どれだけ抵抗しようとも、今まで習った魔術を使おうとも、ビクともしないその獣に体力のみならず精神も疲弊させられたことで、少女たちはもはやどうすることもできないと涙を流し、恐怖を露にするしかできないでいた。


 そうして、あわや襲われるとなったその時、風切り音と共に何かが横から現れ猪の頭蓋に一撃を放つ。



 ブオォォォォォ!!!



 でかいだけの雄叫びを上げた猪が勢いそのままに巨樹の一本に体を叩きつけると、そのままズリズリ崩れ落ちながら、体を横たわらせたまま動かなくなってしまう。


 次第にその体躯を小さい物へと変化させていく中、何が起きたのかわからないといった様子の女子生徒たち。


「……な、なに今の?」

「わかんない……でも、もしかしてあたしら助かっ……」

「よぉ、お前ら。無事か?」

「え?」

「あ、あなたは……っ!」


 突然、声をかけてきた相手。

 猪を難なく吹き飛ばし、倒してみせた自分たちの救世主。


 それは最弱……ではなく最下位コンビの一角。

 ルーザーその人だった。


「ル、ルーザー、君?」

「あん? 俺のこと知ってんの?」

「そりゃあ、まぁ……」

「噂はかねがね……」


 今までに模擬戦闘の授業で1勝もしたことが無い生徒、という汚名は流布されているが故に、新入生の中で彼(及びエル)を知らない者はいないと彼女たち。


「……でも、もしかして今のって……ルーザー君がやったの?」

「ん? ああ、そうだけど?」

「嘘っ!? だって……え?!」


 だからこそ、助けてもらったことに心底驚いた様子でいる。


 しかし、それも仕方のないことだ。

 なにせ、今目の前にいる少年が魔術学校でどのような成績を出しているのか知っているのだから。


「ど、どういうこと? 何で、ルーザー君が……えっ?」

「ん? どうした? どっか怪我してんのか?」

「……え? あ、ううん! そういうことはないけど……ね?」

「う、うん。まぁ……」

「そうかい。そいつは良かった」


 そうして、聞くことは全て聞いたとルーザーが新しい獲物の居場所を探っていると、1人の女子が恐る恐るある事実を確かめようとルーザーに質問を投げかける。


「えっと……あなたって、本当にルーザー君?」

「なんだよ? 俺の偽物でもいるってのか?」

「あ、いや。そういうことじゃなくて……」

「だってその……最弱だって聞いてたし……」


 やはり、最弱という点と魔獣を倒したという点が重ならないことが気になるようだ。


「最下位コンビな。弱くはねぇっての」


 一方で、今まさに自分が倒した標的を指さしながら、その評価には物申すとルーザー。


 確かにそこにはもう既に縮んでしまってはいるが、今まで自分たちが倒せずにいた猪の死体があるのだから彼の言葉に間違いは無い。


 女子たちもそれを理解したのかただ黙って首を縦に振る。


 自身の評価を改めてくれたのならこの話は終わりとルーザーは、「……それにしても、倒しても倒してもキリがねぇな。後、どんくらいやりゃいいんだ?」と愚痴をこぼす。


「倒してもって……もしかして、ルーザー君……ここに来るまでにこの魔獣、いっぱい倒したの?!」

「そりゃな。とりあえず10ぐらいはやったけど……」

「10!?」

「それがどうした?」

「いや、だって……」


 自分たちが頑張っても倒せなかった巨大な猪――いわば魔獣と認定されてもおかしくない化け物を軽い感じで10はいなしたというルーザーの言葉に、驚きを禁じ得ないと女子たち。


 しかし、それでもそれが真実であることは嫌でも理解しているからこそ、その後が何も言えないでいるようだ。


「にしても、この事件を起こしてる親玉がいるらしいんだけど……どこに居るか知らね?」

「どこにって言われても……」

「あたしたちも急に巻き込まれただけで……」

「ま、そりゃそうか」


 女子の言葉を受け、次はどこを探すかと言わんばかりに再び辺りをキョロキョロ見回し始めたルーザー。


 そんな彼に「それじゃあ、樹の上から見てみたら?」と1人の女子。


「樹の上?」

「全体を把握するなら上からが基本だと思うけど……」

「なるほど。正直、葉っぱで下見えなさそうだからと思って、下からちまちま探してたけど……1回、上あがってみるのもいいかもな」

「あ、でも……ルーザー君、飛翔の魔術使え……」

「じゃ、俺は行くけど。お前らはさっさと森出とけよな」


 そうして、いいアイデアだと言わんばかりに笑顔になったルーザーに、そもそも木の上に上がる方法があるのかと心配する女子たち。


 しかし、それを気にする風もなく足に雷をまとわせたルーザーは、女子たちを気にかけつつ一気に木の幹を駆け上がり上へ上へと登って行ってしまうのだった。


 取り残された女子たちはしばらくの間、ルーザーが向かって行った木の上を惚けて見ていたが、すぐさま現実に戻ってくると、今共通で抱いている気持ちを口にする。


「ね、ねぇ、ルーザー君ってさ……」

「……うん。最弱……じゃなくて最下位コンビって言われて馬鹿にされてたからノーマークだったけど……」

「うん……」

「……結構、よくない?」

「「「ね!!」」」


 助けてもらった補正はあるにしろ、確かにルーザーは整った顔立ちに引き締まった体つき(ただし脳筋の気が目立つ)であることは紛れもない事実であり、逆に何故今までファンがいなかったのかと思えるほどではある。


 なので、こうして女子たちがルーザーに色めき立つのも無理からぬことだろう。

 ――勿論、本人はこれっぽっちもそのような目的では動いていないのだが。


 こうして、実は既に何人も助けていた女子たちを含め、ルーザーを巡る恋の争奪戦が始ま……るかどうかは今はどうでもいいことか。


「……まぁ、あの髪型はちょっとないけど」

「「「ね……」」」


 ◇ ◇ ◇


「……樹を巨大化させたことで光を閉ざし視認性も悪くすれば、移動のし辛さから多くを狩れると思ったが……巨大化させた猪共とも相性が悪いとはな。……くそっ、こんなことなら樹葉だけを大きくするべきだった。とはいえ、今からやろうにも1度小さくしてからじゃねぇと樹葉だけを大きくはできないし、また巨大化させるとなると今度は俺……いや、私の魔力が枯渇しかねな……」

「ふ~ん、意外と冷静なのな。お前」

「誰だ?!」


 ここは先ほど森の外からも見ていた最も大きい樹の梢の上。

 そこに居た双眼鏡片手に生徒たちの様子を見ていた教師たちを襲った人物と思われるボロボロマントの男のもとに、颯爽と現れたのはルーザーだった。


 突然、襲い掛かるということはなく、わざわざ声をかけてみせたのは絶対的自信の表れか、はたまた何も考えていなかったが故か。


 ……うん。たぶん後者。


「こんなことしてやがるから、てっきりもっとイカれてんのかと思ったぜ?」

「ハッ! 世迷言だな。それじゃあまるで、俺……私がまともみたいじゃないか」

「それを自覚してるってのに、それでもこんなことしてやがんのかよって話だよ」

「当然だ。それが俺……私の目的なんだからな」


 おもむろに振り向いて見せた男。


 その顔はフードのせいで見て取れないが、ただ怒りに満ちた表情をしているのだなとは何となく理解ができる。


「そうかい。……それはそれとして、こんな所で下見て何がわかんだ? 俺なんか全然見えねぇから、仕方なくこの一番デケェ樹まで登ってきたってのに」


 ルーザーの言うように、確かに樹の下は他の木々の樹葉が広がっており、その下で引き起こされている惨劇は見て取れない。


「問題ねぇよ。これのおかげでな」


 手に持っていた何かを見せつける男。

 それを見て「なんだそりゃ? 双眼鏡?」と首をかしげるルーザー。


「ただの双眼鏡じゃないさ。これは調整次第で見たい物を的確に見ることができる魔道具だ。おかげで樹葉を透過させて逃げ惑う奴らや襲い掛かる獣どもを観察できてるって訳だ」


 魔道具。

 それはマナが固まって生み出された魔鉱石というものを使って作られる、普通の用途以上に優れた用途で用いることができる魔術的な効果が付与された代物の総称だ。


 そして、男はそれを使って下の様子を見ていたようだった。


「それってつまり、服の中も観れるってことか?」

「確かにできなくはないが……あくまでも輪郭がわかる程度だからな。お前が思うような卑猥な使い方には向いてねぇぞ?」


 発言者を蔑むように語る男。


 しかし……。


「卑猥? 敵が隠し持ってる武器とかがわかるならちょっといいなって思っただけなんだけど……何が卑猥なんだ?」

「……そうか。やましい感情があったのは俺……私の方か」

「?」


 男の言葉に首を捻るルーザー。

 その純粋すぎる言葉には、流石の男も反省したような表情を見せていた。


「……まぁいい。それはそうと、よくここまで来れたもんだ。下は阿鼻叫喚で大変だったろうに」

「まぁな。おかげでちと来るのが遅くなっちまったが……それももうさっきまでの話だろ? どうやら、テメェを倒せば終わりのようだし」

「ハッ! もう勝った気でいやがんのか? 随分と腕に覚えがあるようだな」

「そりゃな。……まぁ、昔よりかは腕は落ちてっけど」


 昔。

 それは勇者と呼ばれていた頃のこと。


 近接戦闘最強と称され、実際その腕で多くの敵を屠ってきた実力があった頃のことだ。


「なんだ? 運動不足で体が鈍ったりしてんのか?」

「ま、そんなとこだ」

「そうかよ。だとしても容赦はしねぇぞ? 今度は俺が……私が全てを奪う番なんだからな!」

「奪う? いったい何を……」

「……なにもかもを、だよ!!」


 そうして、双眼鏡を捨てつつ反対の手をマントから出しながら突っ込んできた男。


 その手に持っていた物は、すぐそばで生えていたと思しき一本の枝だった。


「え? 何で枝?」

「今に分かるさ!」


 その枝をまるで斧を振るうように振り上げた男は、勢いよくルーザーの頭に目掛けて振り下ろす。


 その攻撃に何の意図があるのか理解出来なかったルーザーだが、とりあえずは軽くいなしてやろうと少し後ろに下がりつつ蹴りで応戦することに。


 しかし……。


「おらよっ!!」

「ごうぇっ!?」


 ルーザーの足に枝の先がちょんと触れると、何故か力負けしたのはルーザーの方で、蹴り上げようとした足をガクンと後ろに持っていかれると、その勢いでくるくると回されてしまう。


「ちょっ!? な、なんだ!? 今の?!」


 慌てて体の回転を止め、男から距離を取って体勢を立て直すルーザー。


 別段、筋骨隆々といった体型ではなく、下手をすればルーザーよりも体つきは貧弱であろう男の一撃に力負けしたことに、ルーザーは驚くことしかできないでいる。


「なにって……お前はあれか? 魔術を知らない人間か? 魔術ならこの程度の不可思議、できて当然だろうよ」

「……あぁ、なるほど。そっち系の話か~。俺、そっち系、苦手だからな~」


 頭を掻きつつ、面倒なことになったもんだとルーザー。


 実は勇者時代の彼は一撃必殺を信条とするような圧倒的なパワーで敵を屠っていたのだが、何故そんな戦い方をしていたかと言われれば、それは無論魔術が苦手だったからだ。


 要は相手に魔術を使わせる前に倒してしまえば、どんなスゴイ魔術を持っていようと関係ないと、今まで最強の名をほしいままにしていた訳だが……今の彼の力はその頃の10分の1程度。


 よって、一撃必殺ができずに相手の魔術の術中にはまってしまう現状は、大幅に弱体化していると言って過言ではなく、それを自覚していたからこそ、面倒なことになったといった表情のルーザーなのである。


「魔術が苦手、ねぇ……。道理でお前の足を砕こうとしたのに、くるくる回すしか出来ねぇ訳だ。油断してる時でも身体強化はしてる系の生き物だったか」

「まぁな。そっちの方が俺の得意分野なもんで」

「って、何でそんな奴が魔術学校にいるんだよ。そういう奴は大抵騎士学校に入るかギルドで名を上げるもんだろうが」

「魔術が苦手だから魔術学校に入ったんだよ」

「……なるほど。道理だな」


 ルーザーの言葉に腑に落ちたといった男。


 実はそれは建前で、魔術学校に入った理由は別にあるのだが……それはまたいずれ。


「……とはいえ、だ。どうやらお前には俺……私の魔術は相性が悪そうだ」

「相性?」

「魔術師がどういう奴か、何となくわかんだろう?」

「と言うと?」

「要は体じゃなくて魔術ばっか鍛えてる奴らってことだ。だから俺……私の物理的な攻撃は基本的に魔術師ども全般に効きやがる。だが……」

「……ああ、なるほど。こうして、体を鍛えている俺には効きづらいって訳ね」


 力こぶを見せつけるように上腕二頭筋に力を入れたルーザー。


 実際、他の魔術師とは違ってしっかりと鍛え上げられた体ならば、男の攻撃とは相性が良いと言えさそうだ。

 ――耐えられるかどうかは別にして。


「そういうことだ。ま、逆もしかりだけどな」

「そうだな~。なんか、すげぇパワーあるし。お前」


 さっきの枝振りが、まるで大ジャンプからのハンマー振り下ろし攻撃かのような衝撃だった事実。


 それは確かに物理攻撃主体のルーザーにとっては厄介極まりないはず。


 なのでできる限り、その攻撃は受けずに越したことは無いが、果たして……。


「……ま、やりようはいくらでもあるけどな」

「やりようだと?」

「それじゃあ、今度は俺の番みたいだからな。見せてやるよ! ……雷式虚歩らいしきこほう忍脚しのびあし!!」



 ヒュッと風を切る音がした。

 

 すると、そこには風の跡しか残っていなかった。



「何っ!?」


 そう。

 男の視界から急にルーザーが消えたのだ。


 右に行ったのか、左に行ったのか、はたまたジャンプしたのかさえわからない程の速さで。


「マズイ、見失った……とはいえ、どこから攻撃されるかわからない以上、下手に顔も動かせねぇ。……となれば! キュエソーウェ!!」


 最適解を出そうと短い時間ながら必死に頭を悩ませていた男が出した答え……それは全方位に対応した防御壁を生成することだった。


 その視認性の悪い薄く張り巡らされた空気の流れすら遮断する防御壁の中に入り込んだ男は、改めて辺りを確認しているが、やはりルーザーの姿は見て取れない。


 空気の流れすら遮断しているが故、長く使い続けると呼吸すらできなくなるそれを維持しつつ、視界をあちらこちらへ移動してルーザーを探していた男に対し、突如として背後から現れたルーザーが男の脇腹を目掛けて蹴りを一発。


 ドンッ


 しかし、後ろから左わき腹辺りを狙ったルーザーの蹴りは、残念ながら男に当てることはかなわず空中で止められてしまう。


「げぇ!? マジか!?」

「後ろっ!?」


 その隙に慌てて振り向いた男だが、追撃されてなるものかとルーザーは急いで距離を離す。


「痛ててて……。取ったと思ったけど、全方位守れるやつだったか~」


 後ろの防御は読んでいたとルーザー。

 自分のもっとも死角となる部分を守るのは当然だからだ。


 だからこそ、死角でも守らない可能性があった側面への攻撃だったのだが、万全を期した男の守りには通用しなかった訳だ。


「面倒は俺の……私の台詞だ。まさか、姿を消した挙句、何の気配もさせずに近づいてくるとはな」

「まぁ、それがこの技だし? ……って、痛っててて!」


 自慢するように足を踏みしめたルーザーだったが、急にその足を抱えて痛み出す。


「ん?」

「……か~! マジか~! 1回やっただけでもう限界くんの?! 昔だったら、何回やっても疲れ知らず痛み知らずだったってのによ~!」


 ぴょんぴょん飛び跳ねながら、昔はよかったと口にするルーザー。


 雷式虚歩らいしきこほう忍脚しのびあしは足に纏せた雷で足の筋肉の運動能力を極限まで高め、超高速移動を可能とする技だ。


 そのため一瞬でその姿を消したルーザーは気配を探られないよう、少し遠くまで行った後に戻って来て男を攻撃していたのだが……その代償が思った以上に早くきてしまった訳だ。


「……どうやら、その技に怯える必要はなくなったようだな」

「ハッ! んな訳あるか! 無理を通せば後3回ぐらいはイケるっての!」


 足をマッサージしながら虚勢を張るルーザー。


 その言葉が本当かどうかはわからないものの、確かにそれぐらいの無茶はしそうではある。


「……確かに。お前という人間は、そういうことをやってしまいそうな気はするな。あのお方とどこか似たようなお前なら……」

「あのお方?」


 そう語る男の口元はどこか優しげだった。


 それがルーザーに対して向けられてはいないとはわかるのだが、果たして誰に対してのものだったのか。それはわからない。


 ただ……。


「……だが! そういうことなら出し惜しみはしない方が良さそうだ!!」


 そのことは男が本気を出すことには十分すぎる理由だったようで、ガバっとマントを脱ぎ棄て全力を出すと男は誓う。


 そうして見ることのできた体は予想通りの貧弱さであり、目の下には濃い隈も刻まれ、いま倒れても不思議ではないくらいの弱々しさがあった。


 しかし、ルーザーの視線はそこにはない。


 なにせその男には、最も注視すべき特徴が頭に存在していたのだから。


「認めてやるよ、お前はきっと強いのだろうと! だから、見せてやるさ! 俺の……私の本当の姿を!! この……としての姿をな!!」

「……そうかい。やっぱテメェ……魔人だったって訳か」


 男のこめかみよりも少し上。

 長さ20cmを超える立派な角が、天を目指すかの如く雄々しく伸びている。


 それは紛れもなく魔人……即ち、人間の敵を自称する存在の証であった。


 その黒々しく尖った角はまさに悪意の象徴であり、その威容は見る人が見れば恐れを抱く代物だ。

 ……しかし、ルーザーに怯んでいる様子は無い。

 元々、勇者として魔人ないし魔羚人まれびとと何度も戦っていたのだから。


「ほう? 予想できていたと?」

「そりゃ、こんな大規模の事件を1人で起こしてるって聞いてたからな。魔人か最強の魔術師ぐらいだろって思うわな」


 実はそれがルーザーがここに1人で来た理由であった。


 人魔大戦により多くの人間が魔人たちに傷つけられたことで、魔人に対してトラウマを持つ者もいるとルーザーは知っていた。

 だから、教師たちが1人の人間にやられたと聞いた時、少し眉根をひそめつつ、たった1人で森の中へと入ってしまっていたのだ。


「なるほど……ま、既に計画が動いてんだ、バレても問題ねぇけどな。……それじゃあ、とくと味わうがいい! 一度死んで手に入れた、俺の……私のこの力をな!! 侏儒しゅじゅなる者、そのことごとくを踏みにじれ! 真技しんぎ改装かいそう!!」


 そうして、覚悟を決めたと男は戦いを次のフェーズに移すため、力の解放を意味する解号を口にするが、それはメゴボルたちが口にしたものより長いものであった。


 そもそも解号を口にするというのは、無意識に封じている自分の本気を解放するための儀式であり、簡単に言えば『これを唱えることで固有魔術が使える』というものを作っておいて、それを自分の無意識化に働きかけておき、唱えることで固有魔術にかけられた無意識の封印を取っ払うためのものだ。


 固有魔術に対してつけた名称もまた同様の意味がある。


 総じて、解号や固有魔術名は短ければ短いほど楽に固有魔術を使えるわけだが、固有魔術は自分のオドによる力――即ち自分のエネルギーそのものであるため、簡単に使えるようになってしまうと不意に解除して私生活に支障が出てしまったり、下手をすれば暴発して相手を傷つけかねない危険性もあったりする。


 それ故の無意識での封印であるため、力の全開放を意味する真技のための解号は必然的に長くなるし長くならざるを得ない訳だ……が。


「真技……?! なんじゃそりゃ?!」


 ルーザーは彼が口にした言葉を繰り返しながら驚いていた。


 本来であれば真技解放と呼ばれるべき行為に対して、何故か改装かいそうと言った男。


 それが何を意味するのかをルーザーが理解するのはずっと先の事だ。


 一方、そうして解号を唱えた男の体は服と共にみるみる大きくなっていくと、肌は蒼白だったものから茶褐色へ、そしてその背丈は下にいる猪と同じぐらいに至ってしまう。


 そして……。


大克征々窮アニャグバラ・エルヘテス牛㱦ハーゲンティ!!」


 固有魔術の名称を叫んだ男はルーザーを見下ろさんばかりに立ち尽くす。


 そうして見て取れた男の姿は……頭が牛でそれ以外が人間という化け物の姿そのものであった。


「……いや、そこは猪であれよ」

「仕方ねぇだろ。これは俺……私が好きで選んだんじゃなくて、だけなんだからな」

「たまたま?」


 訳が分からない言葉を何個も出され頭がオーバーヒートしそうだと言わんばかりのルーザーを他所に、先程の枝を2つに折るもすぐに肥大化させまるで2本の棍棒のような物へと変貌させた男。


「……ハッ! いちいち気にする必要なんてねぇよ! どうせ今ここで……お前は死ぬんだからな!」


 準備万端と言わんばかりに枝だった棍棒を振り下ろしながら男は突進してくる。


 先ほどの反省から受けずに避ける選択をしたルーザーだったが……。


「甘い!」


 ドンッ


「ぬあっ!?」


 振り下ろされた棍棒、それが足元に叩きつけられた際の衝撃が少し離れた場所にいたルーザーを巻き込むと、その勢いはまるで嵐が空を舞う小鳥を飲み込むかのようにルーザーを上空に吹き飛ばしてしまう。


「マ、マジかよ?! 衝撃波だけでもこんな威力があるとか……」


 上空にひらひらと、しかして何とか体勢を立て直そうとしていたルーザーは、吹き飛ばされてきた地点を見やりながら現状把握に努めていると、先程まで居た樹の梢には傷付けられた痕がないことに気付く。


「……って。木の枝、無傷じゃねえ? どうなってんだ?」

「当然だろう? 俺……いや私の固有魔術は触れた物のエネルギーを増大させるものなんだからな!」


 遠くにいた自分を吹き飛ばすだけの威力を誇った男の一撃。

 それが全く木を傷付けていないことに首を傾げるルーザー。


 そんな彼に、いつの間にかそばまでやってきていた男が、自身の固有魔術の種明かしをする。


 エネルギー。

 それは位置エネルギーや運動エネルギーといった基本的な物から、成長エネルギーや感情のエネルギーという概念的な物にすら使われる言葉で、それを操作するのが彼の固有魔術だ。


 そしてその力で猪たちの成長エネルギーを増大させ体を肥大化、怒りのエネルギーを増大させて大暴走させたのが今回の事件の真相だったりする。


 ちなみに、先程の一撃も振り下ろした棍棒の衝撃波は甚大に、振り下ろして激突した部位への衝撃はそのままにしたという訳なので、ルーザーは吹き飛ばされ、大きくしただけの枝の振り下ろしでは梢に傷を付けることがなかった訳だ(正確にはちょっとは傷ついているがここからでは見えづらいだけ)。


「げっ!? いつの間にっ!!」


 その事実を今の一言で理解したかどうか不明のルーザーは、そんなことよりも男が自分の近くまでやってきたことに驚いてしまっていた。

 なにしろルーザーは、さっきまで居た所からはだいぶ飛ばされてしまったので、追撃は無いだろうと油断していたのだから。


 しかし、脚力を増大させて詰め寄りつつ、自身にかかる浮力を増大させ空中での移動を可能にしていた男の接近を許したルーザーは、そもそも空中では踏ん張りも効かないと何もできない状態なので、振り下ろされた一撃を手で防ぐことしか出来なかった。


「ぐっ!」

「まだまだ! そう簡単に叩き落さねぇ!! しばらくの間、サンドバックになってもらうぜ!! ハッハッハッ!!」


 そうして、振り回した棍棒による連撃がルーザーに何度もヒットする。

 無論、軽そうに見える殴打も、その増大させたエネルギーにより見た目以上のダメージを誇っている。


 普通の相手であればすぐに音を上げそうな攻撃の応酬も、流石は元勇者――それも近接戦闘最強と名高い武闘派なだけあって、何とか耐え忍んでいる。


「流石にその身を鍛えているだけはあるな……だがっ!!」

「しまっ・・・!!」


 攻撃によって引き出されてしまった一瞬の隙――即ち、こん棒の振り上げによりルーザーの腕による防御を緩ませたこの瞬間を男は逃さない。


 重い一撃がルーザーの顔面に振り下ろされる。


 見た目以上の重さが顔面に降りかかったルーザーは勢いそのまま鋭角に地面へと叩きつけられ、轟音と振動を辺り一面に響かせると、「な、なにっ!?」と聞き覚えのある声がしたのを皮切りに、多くの悲鳴を上げさせてしまう。


「……なんだ。まだこんなにいやがるのか」


 ルーザーに続いて、大地に着地した男。


 しかし、ルーザーと違ってダメージは無い。

 勿論、固有魔術を使っての着地のためだ。


 その男の視線には先程までルーザーたちがバーベキューしていたエリアが映し出されており、そこでは多くの負傷者の治療や逃亡してきた生徒たちのケアが行われていた。


 そして、当然の如くそこにいたのはポムカたち。


 そう。

 ルーザーは意図せず敵をポムカ達のもとへと連れてきてしまったのだった。


「な、何者だ!?」


 男の姿を見たクゴット。

 その正体が先程会った今回の事件の首謀者であるとは流石に気付かない。


「ハッ。さっきも挨拶してやったんだがな。……まぁ、この姿じゃわかんねぇのも無理はないか」

「なに……?」


 目算で5mは超えていようかという牛人間になった男の姿にクゴットを含め、集まっていた生徒たちが恐怖を抱く。


 やっとのことで逃げてきたのに、再び謎の、しかも化け物のような姿の男が現れたとなれば仕方のない反応だ。


 しかもポムカも同様に恐怖心を抱いているが、その瞳はどこか違うものを見ているようではあったが、果たして……。


「……それにしても」


 男の視線の先に映るのは他の生徒たちとは違う豪華絢爛な意匠の制服を纏った少年少女――所謂、貴族という者たちだ。


 自分の異様な姿を見て恐れおののき、ある者は従者を盾に、ある者は機会さえあれば即座に逃げようという姿勢を取っている姿を見て、「やっぱ、無芸大食な人間はいつの時代も変わらねぇな」と、男は怒りを露にし始める。


 寒気を覚えるほどの憤り。

 その感情を直に浴びた貴族たちは体を震わせ、一様に動けないでいる。


 そんな中……。


「貴様! いったい何の目的でこんなことを!」


 浅グロマッチョの魔術教師、デクマが間に割って入る。

 生徒を守ろうという気概はクゴット同様あるようだ。


「目的? いいだろう、教えてやるさ。俺の……私の目的、それは!!「だぁぁぁぁぁぁ!!!!」……!?」


 男が何かを語ろうとした矢先、地上に叩きつけられていたルーザーが両手を上げながら埋もれていた体を地上に出してくる。


「ル、ルーザー君?!!」

「あなただったの!? 落ちてきたの……って、顔! 血だらけじゃない!!」

「バカな?! 俺の……私の一撃を顔に受けてなお、まだ立てるのか?!」


 そんなルーザーの姿を見た知り合い2人、先程まで抱いていた恐怖心なんて忘れたと言わんばかりのエルとポムカが心配そうに声をかけるも、男は男で違った理由でルーザーに声をかけていた。


 確かに男の攻撃はルーザーの顔に直撃していた。

 しかも見た目とは違うほどに重い質量エネルギーを持つ一撃が。


 だが、紛れもなくルーザーはその場に立ち上がっている。

 ……顔から血が出てはいるが。


 そうして、皆の視線を一身に浴びたルーザー。


「当然だ。なにせ……顔も鍛えているからな!」


 ニカっと笑いながら満を持してとばかりに口にしたこの言葉。

 それは以前に、ポムカたちに対して言っていた『顔も鍛えておいた方が良い』という例のあれ。


 どう考えてもおかしいと否定された自身の振る舞いを肯定させる最大のチャンスとばかりにその言葉を口にしたルーザーは、『どうだ俺が正しかっただろう?』と言いたげな笑顔を携えながらポムカたちを見つめている。


 その姿にポムカ。


「……だとしても嫌よ。顔を鍛えるなんて」


 呆れ顔を通り越し、露骨に嫌な顔をして冷ややか視線を送っていたのだった。


「……お前たちは、何を言っているんだ?」


 そうして、ここに居る者たち全ての代弁者となったは、まさかの敵たる男なのであった。

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