海賊王の娘、結婚に異議を唱えられる

くーくー

第1話

「あぁ、いい風ね。キッドもそう思うでしょ」

「ミャーオ」

 船乗り猫、黒毛のキッドは相槌を打つように一声発して、喉をゴロゴロと鳴らす。

 デッキの上で潮香る海風に亜麻色の髪をなびかせながら、メイベルは強い光に目を細めた。

「もー、父さんったら眩しいわよ。朝は光るからアイパッチ着けてっていったでしょ」

「そんなもんは持ってねぇ!」

「嘘嘘、この前陸に上がったときに酒場のお姉さんにもらってたじゃない」

「知らねぇなぁ。鼻紙と間違ってベルが捨てたんじゃねぇか」

「もうっ、とぼけちゃって。あたしは捨てたりしないわよっ!」

 メイベルの目を眩ませたのは照り付ける強い日差しではなく、それに反射してきらきらどころがギラギラと光る父の目だ。

 目といっても本物の目が光っているわけではない。

 彼の右目は義眼なのだ。

 キャプテンダイヤモンド、人は彼をそう呼ぶ。

 その義眼が、ダイヤモンドだからだ。

 しかし、それは本物のダイヤモンドではない。

 密輸船を拿捕した時にズタ袋に大量に入っていたそれ、乗組員たちは色めき立ったがひときわ輝くそれを摘まんだキャプテンは、はぁっと息を吹きかけそれからあーんっと口の中に入れてしまった。

「ちょっ、キャプテン、食いモンじゃないっすよ」

 乗組員で総舵手のエディは慌てたが、キャプテンはげふっとゲップとともにそれを吐きだし、「偽もんだ」と答えた。

「息を吹きかけても曇っちまってちっとも晴れねぇし、クチン中入れてもヒヤッともせずにぬりぃ、こんなダイヤはねぇな。まぁ見た目は良くできてるがな」

「何だ、偽もんか」

 乗組員たちは一様にほおっとため息をついたが、キャプテンだけは楽し気にゲラゲラと笑い、そのダイヤはキャプテンの右目になった。

「偽物のダイヤ、これ以上俺にふさわしいもんはねぇ」

 けれど、人々は彼のことをキャプテンダイヤモンドと呼ぶ。

 フェイクダイヤではなくダイヤモンドと。

 乗組員だけではなく港の人々もみなそう呼ぶので、娘のメイベルですらキャプテンダイヤモンドの本当の名前が何であるのか知らないほどだ。

 七つの海を駆け巡り、陸に上がるのは年に数日、そんなキャプテンダイヤモンドの率いる船、通称ダイヤモンド号は何を隠そう海賊船だ。

 お尋ね者の身であるにもかかわらず、彼を港で見かけても誰も捕まえようとしたり役人に告げ口をしようなどとはしない。

 彼と触れ合った人たちはその豪放磊落さや特に女性が潮焼けしたバサバサとした赤髪や日焼けした浅黒い肌に包まれた筋骨隆々の肉体がワイルドでセクシーだと魅了されるからと言ってしまえば聞こえがいいが、実際のところは気風がよくて金払いがいいところが一番気に入られているのだ。

 そして、あくどさで名の知られる有閑貴族の密輸船や違法な奴隷船を狙い、奴隷を開放しその後身を立てられるように仕事や住居の世話をしてやる。

 陸に上がった翌日には孤児院や救貧院に多額の寄付が匿名であることから、きっと彼がやったに違いないとして勇猛果敢な義賊の海賊王のキャプテンダイヤモンドとしてその名を馳せていたのだ。

 しかし、当の本人であるキャプテンダイヤモンドは、義賊として庶民のヒーロー的に扱われることをたいそう嫌がっていた。

「俺なんてな、ただの荒くれた海のお尋ねもんだ。海賊の王様だの義賊だのそんな御大層なもんじゃねぇ。陸にいたらたちまち萎れて干乾びちまう波間を漂うただのデラシネ(根無し草)さ」

 そうつぶやいては樽ごと持ち上げてビールをぐびりとあおり、骨付き肉を骨ごとゴリゴリ歯で噛み砕く。

 その牙のような歯は、海の上でも活躍する。

 まぁ活躍と言っても、ブリキの缶詰をギリギリと歯で開ける程度だが。

 ロープも噛み切れることは切れるのだが、ナイフで切るよりもかなりギザギザになってしまうので活用はされていない。

 まぁそんな海の荒くれ者のキャプテンダイヤモンドなのだが、一人娘のベルことメイベルのことは目に入れても痛くないほどに可愛がっている。

 船の帆にぶら下げてブランコ遊びをさせたり、高い波の真横で高い高いをするなどかなり荒っぽい可愛がり方ではあるが、メイベルはその遊びをたいそう気に入っていた。

「ねぇ父さん、遊んで、遊んで」

 娘の頭ほどもあるムキムキとした太い屈強な二の腕にべったりと纏わりつかれると、キャプテンダイヤモンドはいつも嬉しそうに左目を細めてそこにぶら下がったメイベルをぶんぶん振り回していた。

 しかし、年ごろになったメイベルは近頃その遊びをちっとも求めてこない。

 キャプテンダイヤモンドは少し寂しそうに波を眺めて鞭をひゅいっと投げ、そこに絡まったタコに口に含んだウイスキーをぷっと吹きかけ、マッチで火をつけてがぶりと噛みつく。

「ちょっ、キャプテンダイヤモンド、また悪魔の魚なんかを食ってるんすか!まだ干し肉も缶詰もあるし、帆の近くでそんなボーボー火を噴かねぇでくださいよ!火が移って燃えちまったらどうするんすか!ここは海の上なんすよ」

 エディが慌てて止めに来るが、キャプテンダイヤモンドはどこ吹く風だ。

「はっ、海の上なんだからかける水は腐るほどあるだろうがよ、それに塩っ辛ぇ干し肉はもう飽き飽きなんだよ。たまにやぁ新鮮な海の幸でも食わねぇとな、これもほら目の前にたーんっとあらぁな」

「うー、でも悪魔の魚とか、わざわざそんなモン食わねぇでも他にもあるでしょうがよ」

 ヒレやうろこのないタコは、悪魔の魚として口にするものではないと思われているが、キャプテンダイヤモンドにはそんなことは関係ない。

「そーかー、プリプリしてうっすら磯味で結構うめぇんだぞ、お前もどうだ。ほれほれ、食ってみろ食ってみろ。試してみなけりゃうめぇかまずいかもわからんだろうが、お前も海の男ならほれぐいっと一飲み」

「うわー、近づけないでくだせぇよぉー、うひー足がにょろにょろ、赤ぇ、磯くせぇよー」

 うへぇと顔をしかめて逃げていくエディ、代わりに近寄ってくるのはこのダイヤモンド号のネズミ捕り担当の船乗り猫のキッド、そしてその後ろをちょろりと着いてくるのは、なんとそのキッドの捕獲される対象であるタビネズミのビーだ。

「おー、お前らはグルメだからな、このタコのうまさがわかるんだな、ほーれほれ」

 二匹にタコを差し出すキャプテンダイヤモンドの背後には、いつの間にか忍び寄っていた鬼の形相の少女の姿が。

「ちょっと!父さん、キッドとビーに勝手に変なもんやらないでよ!」

 メイベルだ。

 メイベルの怒りの声を聴くと、キッドとビーはタコにそっぽを向きその後ろにひょいと隠れてしまう。

「おっ、この船のキャプテンは俺だってのに、お前らの主人はベルだってのか、この裏切り者―」

 そんな声も何のその、二匹はメイベルから離れない。

「ほーらね、この子たちは分かってるのよ!父さんよりあたしのほうが偉いってね」

 えへんと胸を張るメイベル、しかしその後ろに回した手の中には小さな干し肉とチーズのかけらが握られている。

「クンクン、匂うな、さてはベルっ!」

「あら、何のこと」

 そっぽを向いて口笛を吹くメイベルがパッと落とした干し肉と干し草にむしゃぶりつく二匹、その様子を見ているとキャプテンダイヤモンドは手にしたタコが冷めていくのも忘れてゲラゲラと笑いが止まらなくなってしまった。

「あぁ、こんなちゃっかりしたところはお前のママそっくりだな、これなら陸の上でもちゃんとやっていけるだろう」

 いつもの大きな舩中に響き渡るような朗々とした声と違う微かなその声は、強く吹いた海風にかき消されてその場を去り行くメイベルの耳には届くことはなかった。

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