第7話 残花の記憶と苺大祭

◆――……


 お日様が照らす真っ白な空間で、主と姫が言の葉を交わす。


『ねえねえ桜、実が甘いほど神力が強くて、可愛いものほど力があることにしようよ』


『何故』


『だって私が甘ぁいのと可愛いのが大好きだから! 私が喜ぶと桜も嬉しいでしょ、好きになるでしょ? だから力が強いの!』


『一理ある』


『でしょー! だから次はね、小さくてとっても可愛いんだけど、甘ぁい実をつけるの造って! で、その実が大好きな子は、ぴょんぴょん跳びはねてとっても可愛いの!』


『いいだろう。実の色は』


『桜よりもーっと濃い色!』


『またか! ……しかし、小さい実となると木ではなく草――つまり、野菜になるな』


『え? 何言ってんの、甘ーーいんだから、果物に決まってるじゃん!』


『む。それではことわりが……』


『ムズカシイのは嫌い! 私が決めた、いま決めた! 甘ぁいのは全部果物! これから造る御神木はぜーんぶ甘いのにする!』


『……いいだろう。向日葵、お前も神なのだから』



 ◆


 ◆


 ◆



「……白兎だけでも、再び苺を食べさせてやれて良かった。しかし黄泉め、御神木のみならず眷属殺しにまで手を染めるとは……!」


 山頂の苺の御神木のもとで、残花はひとり呟き、ぎりりと拳を握り締める。


「ん、どしたの残花、また急に怒っちゃって。ねえねえ見て、早速【苺の札】を変化させて生やしてみたんだけど、苺って小さくて可愛いんだね!」


 私は御神木の横に生やした苺の実を手に取り、残花に見せた。手の平にころころっと乗ってちょー可愛い!


「これならパクパク食べられちゃうよ!」


 私が苺をひょいひょいと口に入れ、一杯に頬張ってもぐもぐすると、残花の顔がやわらぐ。


「……ふ。兎みたいな顔だな」

「……!」


 あーまた笑われた! どーせ小動物みたいですよ、私は! 恥ずかしくなって赤面した顔をふいと横に向ける。だって美味しいんだもん、いーじゃん!


 横を向いた先には、私とそっくりに口一杯に苺を頬張る猟と白兎がいた。私は思わず吹き出しそうになる。


「ぷっ! みんな顔一緒じゃん!」

「な、なんや? いきなり人の顔見て笑ろて」


 猟は頬一杯、手一杯に苺を抱えて首を傾げた。白兎は気にせずむしゃもしゃごっくん。


「さあ、もう気は充実したか」


 残花の声に大きく頷く。


「もーバッチリ!」

「よし、下山するぞ」


 残花は踵を返し、すたすたと麓の狩ノ村へ歩き出した。私も後に続き、猟は白兎の手綱を引いて連れ歩こうとするが、白兎は急に残花の横へ駆け出した。その巨体を残花に擦り付け、感謝の意を示してるみたい。猟は驚き、私の横へ駆け寄る。


「はえー、さすが残花はんや。白兎様があんなに懐いてはる」

「苺の御神木を復活させたのは私なんだけどなあ」

「そんなら、わいはちっさい頃からずうっとお世話させてもろてんけど」


 私と猟は顔を見合わせて笑った。


「ぷっ、私達も頑張ったのにねー!」

「ぶっ、せやせや! わいらも気張きばったでえ!」


 互いに背をバンと叩き合う。


「猟すごかったよ、白兎をびゅんびゅん駆って! 私すごい速さでドキドキしちゃった。さすが兎番だね!」

「タネもすごかったでえ、ちっこい札をでっかい林檎にして! そんで何より、御神木をホンマに治してそこらぜーんぶ灰から緑にするやなんて、さっすが樹法師や!」


 白兎にすり寄ってもらえない私達は、互いに互いをねぎらって、あははと笑い合った。なんだか猟って気の合うヤツ!


「ま、まあわいもドキドキしたんやけどな」


 猟がちょっと照れくさそうに頭をぽりぽりかく。


「えー? 猟は慣れてんじゃないの?」

「いや、そう言うことや無くてやな――」


 前を行く残花と白兎の後をふたり並んで下山するうち、狩ノ村から楽しげな三味線とつづみの音と歌が聞こえてきた。


 ――べんべんべべべん ぽんぽんぽん

 ――うたえや おどれ

 ――べんべん ぽぽぽん

 ――めでたや いちご


「――な、なんや?」


 不思議そうに村を見下ろす猟に、私はちっちっと指を振り、得意気ににひっと笑った。


「ふふ、祭だよ、祭!」

「あ、祭!? えらい仕事早いやん!」


 私は猟の手を引いて、たたっと村へ駆け出す。祭って楽しいんだよね、私もう知ってるんだから!


「ほら、行こ!」

「おお!?」


 手を繋いで駆ける私達はたったと残花と白兎に追いつき、一緒に狩ノ村の神社の境内に着いた。灰が消え草花に覆われた境内には、なんと御神木の枝があちこち這って、大苺がそこかしこに実ってる!


 ひと目で御神木復活に気付いただろう村の狩人達は、すでに広い境内中で飲めや踊れの大騒ぎ! 私達の到着に気付いた狩人達がわらわと寄ってくる。


「おお、タニーやないか! 白兎様も! おんやあ、残花はんまで! こりゃあんたらのおかげやな!?」


 猟が大声で皆に聞こえるよう返す。


「おおそうや、この方々が灰兎と化した黒兎様を鎮め、苺の御神木を治して灰を消してくだはったんやあ!」


 猟の言葉に、狩人達はわあっと沸き立った。


「獣ノ山の救世主や!」

「めでてえ! めでてえ!」

「何やめんこいお嬢はんもおるやんか」

「皆で踊ろや!」


 すごい勢いで迫るすでに酒臭い人達。でも、みんなスッゴい笑顔! 心からにっこにこだ!


「うん、踊ろー!」

「タ、タネ!?」


 私はぐんと猟の手を引く。狩人達は境内の中心に白兎を座らせ、囲むように大きな輪になって歌い踊った。三味線のおばちゃんはべんべん力強く弦を鳴らし、鼓のおっちゃんは軽快にぽんぽん叩いて。白兎は満足げに大苺をむしゃもしゃむしゃ。残花は輪の外で神社の壁に寄りかかり、ひとり見守るようにぐい呑みを傾けている。


「わい、踊り方なんて知らんでえ!」

「いーんだよ、好きに踊れば! ほら!」


 私は猟と向かい合って両手を繋ぎ、三味線と鼓の調子に合わせ、ぶんぶんと手を振ってぴょんぴょん跳ねた!


 ――べんべんべべべん ぽんぽんぽん

 ――芽出たや いちご!

 ――べんべん ぽぽん

 ――愛でたや いちご!

 ――べべべん ぽん ぽん

 ――目出度や いちご!


「ひゃほー! めでたやいちご! ほらほら猟も!」

「おお、何や楽しなってきたでえ! めでたやいちご!」


 私と猟は乗りに乗って、手を繋いだままくるくる回って、跳んで、跳ねて、にっこにこで歌った。やば、これすっごい楽しっ!


 ふと輪の中心を見れば、いつの間にか白兎の横に来ていた残花が大きな耳に何やら話しかけていた。ん? 残花、白兎と会話できるの? ていうか白兎また残花に毛並みをすりすりしてる。なんか懐きすぎじゃない?


 残花は白兎から離れ、真剣な顔でこちらに近付く。


「猟、話がある」

「!? 何でっか、残花はん」


 猟は慌ててぱっと私の手を離し、残花の方を向いた。


「大事な話だ」

「……ほな、社務所で聞きやしょか」


 残花の真剣な顔に何かを感じ取った猟は、静かに私に頷き、社務所へ向かった。残花が私に声をかける。


「……あまりゆっくりもしてられん。明朝には武ノ里へ発つぞ。十分祭を楽しんだら、お前も社務所へ来い」


 残花が、いつになく厳しい顔をしている。よほど話しにくいことを猟と話すのだろうか。……私は、そこにいない方が良いってこと、なのかな。


「……うん、わかった」

「よし。ではな」


 残花はザッと踵を返し、社務所へ向かう。それから私は、祭を楽しもうと思ったのだけど、何だか残花と猟の話が気になって、ずっと上の空だった。


 ◆


 やがてすっかり暗くなり境内が静まる頃、私も社務所へ足を向けた。


「……もう入ってもいい?」


 社務所の木戸を静かに開け、中に声をかける。


「いいぞ。上がれ」


 中から残花の声が返ってきたので、履物を揃えて脱ぎ、板間に上がる。板間では、残花と猟が向かい合って座布団に座っていた。私は残花の横の座布団に座る。


「お、おうタネ、いま茶を――」


 何だか憔悴している猟は、昨日の手際が嘘のように、不器用に茶を淹れた。よく見れば、手が震えている。茶は、ぬるい。


「……猟、大丈夫?」

「……大丈夫や」


 嘘だ。どう見ても大丈夫じゃない。いったい何を話したの。私はキッと残花を見る。残花は真剣な顔で私を見据え、口を開く。


「……これから俺達は、広大な世界を急ぎ駆け回らねばならん。芽ノ村から獣ノ山はまだ歩いて半月の距離だったが、武ノ里へは一月半はかかる。沖ノ島、機ノ都への道のりはさらに遠く、険しい」

「……だから?」


 回りくどい言い方に、私は突っ込んだ。


「白兎を借りて行く。二人までなら問題無く乗れ、歩くよりはるかに速い」

「そんな!」


 私は思わず声を上げ、バッと猟を見た。猟は正座してうつむき、膝の上で両拳をぎゅっと握り締めている。私は再び残花に向く。


「黒兎が灰兎になって、散ってしまったのに、白兎までいなくなっちゃったら……!」

「良いんや! タネ!」


 残花につっかかる私を、猟が止めた。猟はいっそうぎりりと拳を握る。


「残花はんは、灰兎と化した黒兎様を救ってくだはった。タネは、獣ノ山の灰を消してくれた。もうこの山に脅威は無い。せいぜい遠くから来る灰人くらいや。この地に灰さえ無けりゃ、腕のある狩人で何とでもできる。ほなら、もう白兎様に守てもらうことも無い。むしろ、世界を救うために行かはるんなら、兎番としては喜んで送り出さなあかん」


 そう言う猟の声は震えていた。まるで、自分に言い聞かすように。私はまた残花を見る。


「……そう残花が言ったの? 猟を、言いくるめたの?」

「ああ、俺が言った」


 残花ははっきりと返す。私は思わずバッと立ち上がり、見下ろしてまくし立てる。


「……! あのね、理屈はそうかも知れない。でも、理屈じゃないよ! 心は、そう言ってないよ! 猟、白兎が大好きじゃん! それくらいわかるじゃんッ!」


 残花は座ったまま私を見上げ、静かに口を開く。


「無論、承知の上」

「……っ!」


 わかってるよね、そりゃそうだ……! 残花は猟が辛いって分かってて、でも必要だから、厳しい顔して、大事な話があるって話したんだ。でも、でもさ……!


「ねえ、馬とかじゃダメ? 白兎じゃなきゃダメなの?」

「いかな名馬でも地形、気候を問わず走り続ける馬は無い。それができるのは、神力を取り戻した神の眷属のみ。……本来は、いずれか一方を借りるつもりで来たのだが」


 ……そっか。残花はもとから借りるつもりだったんだ。黒兎か白兎のいずれかを。でも、黒兎が殺されちゃったから……。残花も、苦渋の決断だったのかもしれない。


「……ホンマに良いんや、タネ」


 立ち尽くす私を見上げ、猟が口を開いた。


「残花はんは正しい。タネの言うことも正しい。これはわいの心の問題や。わいが、飲み込まんといかんことや」


 猟は改めて姿勢を正し、残花に向く。


「残花はん。明日には笑ろて送れるよう、一晩時間をくれまへんか。もちろん白兎様をお貸しする所存。村の皆にも、兎番として責を持って言うて聞かせる。せやけどやっぱり、今のわいは、心からそれが言えまへん。申し訳無い」


 猟は両手をつき、板床に額を擦り付けるように頭を下げた。残花は言う。


「無理を頼んでいるのはこちらだ。何も謝ることはない」


 私はたっと猟に駆け寄り、丸めた背を包むように抱いた。


「……ごめんね、猟」

「……! 謝るのはこっちや、すまん、タネ……!」


 私の腕の中、うずくまる猟の背の内側で、啜り泣く声が漏れる。私は猟が泣き止むまで、ずっと黙って抱き締めていた――……。

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