第32話 緑青竜

「まずい、竜を呼ばれた! ダニエル、フェンリルをこちらへ」

 クレイグが大きな声をあげる。

「承知! こちらのヴァンパイアはみな氷漬けになっている。フェンリル、ヴァンパイアロードを打ち倒せ」

 ダニエルがグレイプニルでフェンリルの足を打つ。

「ほう。その縄はまだ健在か?」

「まさか! いや大丈夫だ。縄目は綻んでいない!」

「そうか。一度の召喚でこれほど働かされることはできるのか」

 グレイプニルの縄がぷちんぷちんと音を立てて切れてゆく。このままだと戦っているうちに縄は切れてしまいそうだ。

「よい。フェンリルよ。その働きを感謝する。今は自身の寝屋ねやに帰れ」

「まあ、答えてやらないこともないぞ。その縄が持つ間、奴の相手をしてやろう」

く去れ、フェンリル」

「ふふふ。慌てろ。もう呼ばれるのは数えるほどだぞ」

 そう言葉を残してフェンリルは立ち去ってしまった。

「すまないクレイグ! 下僕のヴァンパイアを倒すだけで精一杯だった」

「十分の働きだった! 感謝する」


 クレイグはヴァンパイアロードに向かって剣を何度も振り下ろす。敵はその太刀を全て見切ってかわしてゆく。

 だめだ。わたしも躊躇している場合ではないや。

「『水の世界の王の王

 わたしの友達 レヴィヤタン

 今すぐ ここへ駆けつけ

 わたしを 助けて』」


「遅いぞ」

 ヴァンパイアロードがつぶやいた時に、天井ががしゃんと崩れ落ちる。

 緑青竜が顔を覗かせる。

「『緑放葬息りょくほうそうそく』」

「『石棺せっかん』」

 緑青竜のブレスをバイロンの石の手が塞ぎ込む。

「『雷撃槍らいげきそう』」

 雷の矢がバイロンの杖から発せられて緑青竜の顔を直撃する。竜は天井から離れる。

「レヴィヤタンが来た!」

 玉座の間の床に大きな水の波紋が現れる。そこから巨大な海獣が姿を現す。

「こんな遠い所まで、なんの用事をさせるつもりだ、水の乙女」

「レヴィヤタン、わたしを助けてちょうだい」

「そんなことをただで引き受けるものがあるか」

「望みのものならなんでもあげるわ」

「そうか。じゃあ、お前自身を望んでもいいのか?」

 わたし自身を望む?

「それってどういうこと?」

「水の精霊であることをやめて我の妃になれ。水の乙女」

「だめだ、ゼー。その依頼は断れ」

「レヴィヤタンはわたしの友達でしょ。なんでそんなこと言うの?」

「友達、友達か。便利な言葉だ。それでなんでも罷り通るのであれば、道理など成り立たん」

 がしゃん、と再び大きな音がして天井から緑青竜がまた顔を出す。今度は体ごとこの城の中に入って来た。

「『雷撃槍』」

 バイロンの雷の矢が再び緑青竜の顔を打つ。だけれど、あまりダメージが見えない。

「まあ、今回はいい。ここでお前に死なれてしまっては妃にすることもできないだろう。あの竜を倒せばよいのだろう。だが、ゆめゆめ忘れるな。次、会う時は、お前は我がものになるのだからな」

 レヴィヤタンが水の波紋から首を伸ばし、天井にいる竜の所まで顔を伸ばす。体はまだ半分も水の波紋の中に残っている。

 大きな口を開け、レヴィヤタンはひと口で緑青竜を噛み砕いてしまった。

「水の乙女。次に会う時を楽しみに待っているぞ」

 レヴィヤタンは噛み砕いた緑青竜を丸呑みにし、水の波紋の中へと戻ってゆく。すぐに波紋は消えてしまう。


「まさか、わしの竜がただのひと噛みで屠られるとはな。降参じゃ。その剣を収めてはくれないか」

 ヴァンパイアロードの言葉にクレイグはその剣を止める。けれどその切っ先は敵に向けたままだ。

「まだ竜は2体残っている。竜騎士ならばそれを呼ぶことも可能だろう」

「ああ、そうしたいところは山々だが、そうもいかない。わしが契約しているのは南の門の竜だけじゃ」

「それでは、素直に解呪を受けると言うことだな」

「まあ待て。先ほども言った通り、わしのような存在も『ジェセの根』からは認められているのじゃ。お前も神に仕える騎士ならばそのことは理解できよう」

「どういうことだ?」

「は。お前は神に仕える騎士でありながら『ジェセの根』のことをなにも知らないのだな。我々のような天からその身を落としたものは、やがて未来永劫の火の中で燃やされることが決まっている。しかし、それがなされるのはこの世の終わりの時からと決まっている。それまでは、わしらには自由が約束されているのだ。お前たちが、『ジェセの根』を信じることも信じないことも自由だと委ねられているように」

「クレイグ、こいつを生かしておいて『ジェセの根』のことを聞こう」

「おお。魔法使いは話のできる奴じゃ。そうじゃ、わしに『ジェセの根』について尋ねるがよい。知っていることをなんでも教えてあげよう」

「『主よ

 悪霊に取り込まれし騎士の霊を速やかに解き放ち給え

 今は安寧の時

 霊と心を安んじ、終わりの時までの

 しばしの眠りの時を与え給え』」

「ばかな! 僧侶よ、何をしている。『ジェセの根』のことを知りたくはないのか!」

そそのかすものの言葉に真実などありません。いや真実に都合の良い嘘を混ぜ合わせるものです。わたしたちには星がみえる者もいます。そして信仰があります。それ以外になぜ信頼を置く必要があるでしょうか」

「お前! 僧侶! 呪ってやる! 覚えていろ、お前の旅路は血塗られたものになるであろう」

 断末魔を残してヴァンパイアロードは解呪された。


「貴重な情報だったかもしれないぜ」

「それと引き換えに魂を要求されていたかもしれませんよ。悪霊を侮ってはいけません。それよりもバイロン、傷の手当てをしなくては」

「このくらいどうってことないさ。僧侶様も祈りを唱えられるだけの余力は残していないだろう」

「はい。残念ながら。ですが傷の手当てくらいはできます。まずは止血をしましょう」

「魂を要求か、確かにそうだな。俺たちにはゼーもいることだし、そんな誘いに乗ることもなかったか」

 バイロンは座り込んでローブをたくしあげる。矢傷がとても痛々しい。わたしはバイロンの様子をぼうっと見ていた。そんなわたしにダニエルが声をかけてくれる。

「ゼー、大丈夫?」

「うん、大丈夫。だけどびっくりした」

 クレイグがわたしたちの所に戻り、警告する。

「みんな、まだ安心するな。竜は2体残っている。すぐに戦える準備をしておけ。もう、フェンリルもレヴィヤタンもあてにすることはできない」

「そうだった。じゃあ、まずそれぞれの体力の回復といこうぜ」

「すみません、みなさん。わたしは持っている祈りの力を全て使い果たしました。疾塵回帰祈しつじんかいきいのりは3度も祈れるような祈りではないのです。奇跡でした。が、あまり役には立ちませんでしたが」

「そんなことはない。あれで相手の気力を削ぐことができたのだ。とはいえ、わたしも疾塵回帰祈を唱えたことで回復の祈りは言葉だけのものとなってしまった」

「僕が回復の詩を読もう」

「いいのか。まだ召喚をしてもらう可能性は十分に残っているぜ」

「召喚を行うことはまだできる。フェンリルはグレイプニルを使っているし、レヴィヤタンはゼーの力だ。僕自身はまだ余力を残している。


 『清浄なる空気よ集まれ

 今 我らの傷を癒したまえ

 風の精霊よ 集いて我らに

 健やかな風を 当てたまえ』」


 ふわっと柔らかい空気に包まれて体力が回復してゆくのが感じられる。バイロンの傷口も開いていたものが閉じあわされた。

「バイロンの傷はあとで僧侶に治してもらわないとだめだろう」

「いや、ダニエル、助かったぜ。ひりひりするような痛みはおさまった。体を直に傷つけられたのは久しぶりだな。生きているって感じがするぜ」

 そんなバイロンにクレイグが声をかける。

「傷のあるところを申し訳ない。バイロン、立てるか? ここで竜を待っていても仕方ない。城の中を探索し、解呪が必要であればそれを行わなければならない」

「了解だ。俺はすぐに立てる」

 そう言ってバイロンは立ち上がった。


 わたしたちは、城内を隈なく探索した。至る所に人型の消し炭のようなものが残っていた。きっと陽の光に当てられたヴァンパイアの成れの果ての姿なのだろう。

「解呪できればよかったのですが、相当苦しんで黄泉に降ることになったでしょう」

「いや、アラン。確かにそうだが、悪霊として永遠に生きることの方が本来は苦しいことのはずなのだ。光に背を向けて闇の中だけを生きるというのは人間の本性ではない」

「しかし、なんでいくつかの個体は陽の光に晒されても平気だったんだ?」

 わたしも不思議に思っていた疑問をバイロンが口にする。それにクレイグが答えた。

「平気ではないのだろう。焼けるように熱いとあのヴァンパイアが言っていた。ただ、昼の光に耐えうる存在も現れ出した、ということなのだろう。そうなると凄まじいほどの脅威だ。昼の世界にヴァンパイアが存在すること。それはとてつもなく恐ろしい事態だ。やはりここで葬っておいて正解だった、と私は思う」

 城内を隈なく探索したわたしたちはお城の外に出た。城門の辺りには黒い煤がびっしりと敷かれていた。

「俺は正直、こうやって呼んでくれて助かったと思っている。夜になるまで粘られて、このまま数で押されていたら俺たちはあっさりやられていただろう」

 盛り上がっている煤の山を見て、わたしたちはしばらく言葉を失う。クレイグとアランが祈りを唱えるためにひざまずく。わたしたちもそれに倣った。


 祈りが終わったあとでクレイグが街を眺めながら言った。

「では、残りの2つの門を見に行くとしよう。竜との戦いに備えてくれ」

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