第25話 召喚と契約

 炎の円陣から現れたのは、三つ首の黒い犬の姿だった。

「なにこれかわいい!」

 三つ首なんだけど、仔犬サイズでちんまりしている。

「ケルベロスさ」

 ケルベロス? 確かに三つ首だけれどケルベロスってもっと恐ろしい獣じゃなかったっけ? はっきり言ってただの黒い仔犬だよ。しかも頭が重いから前のめりになっている。


「ケルベロスの仔犬だね」

「へえ。ケルベロスって仔犬の時期があるんだ」

「いや、実はそうじゃないんだ」

 ダニエルがそう言うから、フローエは不思議そうに彼のことを見ている。わたしもどういうこと? と思っている。


「話すと長くなるんだけれどね。

 このケルベロスは僕の父親がずっと使役していた犬なんだ。身の丈はフェンリルには及ばなかったけれど、すごく大きくてね。冒険の旅の時はとても役に立ったらしい」

「じゃあさ、そのケルベロスの子どもなの?」

 ダニエルは首を振る。


「いや、そのケルベロスそのものなんだ」

 わたしとフローエは顔を見合わせる。

「どういうこと?」

「父は、ある時、アンデッド、この間のレイスみたいなね。そいつと戦う羽目になったらしい。ケルベロスは術者の言うことをよく聞いてくれる賢い犬なんだ。そして父はこのケルベロスをとても可愛がっていた」

 恐ろしい獣と可愛がるって言うのがなかなか結びつかないな。でも、ちっちゃいこいつらなら分かるかも。


「そのアンデッドはバンシーだったのだけれど、父はできれば召喚する手駒にしたいと考えた。うまく交渉ができれば召喚の契約を結ぶことができるんだ。ケルベロスで威嚇をして、相手が降伏するのを待ったんだ。

 でもその時はうまくいかなかった。よほど強いバンシーなんだと思う。そしてバンシーはドレインを行うことができる。ドレインのことはアランから聞いたよね」

「ドレインされると年とっちゃうってやつだ」

「そう。父は危うくバンシーからドレインを受けるところだった。それを身を挺して守ってくれたのがこのケルベロスなんだ」


 ケルベロスはようやく立ち上がり、ぶるぶると頭を震わせる。そんなことしたらまた倒れちゃうよ。

「その時に不思議なことが起こったんだ。ケルベロスは年老いるのではなく、若返ってしまったんだ。それでこんな仔犬の姿になっているというわけ」

「なんで年老いるのではなかったの?」

「僕にもそれはよく分かっていない。でも考えてはみたんだ。

 これは僕のまったくの仮定の話だ。ケルベロスは成犬になったら、もうその霊力が落ちることはないんじゃないかと思うんだ。ケルベロスは魔物に分類されるのだけれど、魔物も精霊のように年老いることはない。死んでしまうことはあるけれど、それは老衰ではなくある時期になったらこの世から消えてしまう」

 確かにわたしたちもそう。年を重ねることはあっても老いたりしない。ある日突然、精霊の世界から消える日がやってくる。


「だから、ドレインされて年老いるとすれば、より強くなったケルベロスが現れるということになる。でもドレインはそういう類の力ではない。相手を弱らせる、力を吸収してしまうような力だ。だから力を吸収されたケルベロスは仔犬になってしまったんじゃないかって考えているんだ」

「へえ。じゃあアランの説明は間違っているのかもしれないね。もしかしたらドレインで若返ることもあるかもしれないんだ」

「うーん。これはレアケースだと思うよ。普通はやっぱり年をとって力を失うものだと思うよ」


 起き上がったケルベロスはテーブルの上の方を見上げ、きゃんきゃんと鳴いている。その三つの口元からよだれが垂れている。

「フローエさん。このケルベロスにケーキをあげてもいいかな」

「もちろん」

 フローエはお皿に乗せたケーキをケルベロスの前に置く。するとすぐさまケルベロスはケーキにかぶりつき、むしゃむしゃと食べ始める。


「ケルベロスの好物は甘いお菓子なんだよ。犬なのに不思議だよね」

「ダニエルはこのケルベロスを飼っているの?」

「そうだね。実家で飼育しているんだ。でもちっとも大きくならないんだ。こいつがフェンリルみたいに大きくなってくれたら、冒険の役にも立つんだけれどね。今はただ可愛いだけなのさ」


「めっちゃ可愛いです! 超キュート! 名前はあるんですか?」

「ケルベロスはケルベロスだ。育てていると言っても時折召喚してその様子を見ているだけで、本体は黄泉よみにいる。そこで育ってくれたらいいんだけれど、僕は黄泉に行くことはできないからね。しょうがない」

 黄泉というのはわたしにとっての水の精霊界のようなところなんだろう。


「フローエさん。音楽を演奏してもらえる?」

「はい。吟遊詩人の真似事なので、とてもつたないんですが」

 そう言ってリュートを持ち出し、音楽を奏で始める。

 フローエの鳴らすリュートの音は、このケーキみたいに甘やかだった。やさしくゆったりとした音色は耳に心地いい。


 午後の時間に甘いものを食べて聞く音楽はなんだか眠たくなってきちゃうな。と思っていたら、ケルベロスもうつらうつらし始める。程なく眠ってしまった。

「甘いお菓子と音楽が好きな黄泉の番犬。なんだか愛らしいよね」

 フローエは静かにリュートを置く。


「可愛い召喚獣を見せてくれてありがとうございました! 召喚というと、こうなんか巨大な生物を呼び出すイメージがあったから、なんだかほっこりしました。

 さあ、バニヤンさんもケーキを食べてゆっくりしていってください」


 わたしは、さっきの話を聞いて、ふと、あれ、と思った疑問をダニエルにぶつけてみる。

「バンシーと契約を結ぶって言ったよね。じゃあさ、火焔竜とも契約を結ぶことができたんじゃないの? 火焔竜だけじゃなくて巨人のベルセルクとかも」

「うーん、それは難しいかな。竜と契約を結ぶことができるのは竜騎士に限られる。僕はあまり竜騎士のことについては詳しく知らないけれど、なんでも幼い頃から竜と一緒に過ごすらしい。僕たちが出会ったドラゴンパピーよりずっと小さい時だと思うよ。このケルベロスくらいの仔竜が必要なのかもしれないね。

 バンシーはアンデッドではあるけれども、同時に悲嘆という感情の上位精霊でもあるんだ。感情に精霊が存在しているというのも不思議なことだけれどね。呪いとも少し関連している。

 バンシーはこちらの言うことに耳を傾けてくれるんだ。契約をする場合は少なくともそう言うタイプの相手でないとできないんだ。その時、父は会話ができたんだろうね。どうやって戦闘から逃れられたのかはよく知らないけれど、もっと話を聞くこともできたのに、と悔しがっていたのは覚えている」


「じゃあさ、レイスは? 話ができたよ」

「敵対的じゃない、と言うことが大前提だ。もちろん、相手を痛めつけて弱ったところに契約を持ちかけることもできる。父はそんな風にして契約している獣たちがいる。

 僕はそう言うタイプの召喚獣はいない。そういうの、性に合っていないんだ」

「でもさ、殺しちゃうより優しいんじゃない?」

「確かにそうだね。でも僕には、そうやって痛めつけた相手を服従させると言うことが苦手なんだ。それに、僕にはゼーがいるから他に誰かと一緒に歩きたいとは思わないんだよね。ゼーと一緒にいることはとても貴重な経験になっているよ」

「じゃあさ、ドライアドが一緒にいたいって言っても断ってね」

「うん? そんなことってあったっけ」

 ダニエルは全然、精霊の気持ちが分かってない! 契約なんて無理なんだから!


「バニヤンさんとゼーローゼさんて恋人みたいですね」

 な、な、なにを言ってるのフローエ。

「ずっと一緒にいるからね。本当に心からの旅の仲間なんだ」

 ダニエルがそう言ってくれるの嬉しいけれど、なんか全然、嬉しくない!


 わたしたちは詩の結社の事務所をあとにして宿屋に戻ることにする。入口のところでバイロンとアランに会った。

「クレイグは街の領主に捕まっていて、しばらく身動きできなそうだぜ」

「騎士様はどこに行っても大人気だな。僕は『エッサイの根』にまつわることを聞けそうな心当たりを見つけたからそこに行って来たいと思っている。隣村なんだけれど、バイロンとアランも行くかい?」

「俺は呪文書をあさる。魔法使いギルドに図書館があって、ちょっと見ものなんだ」

「私もひとりの祈りの時を長らく持っていなかったので、長い祈祷の時に入ります」

「じゃあ、僕がいってくる。ゼーはどうする?」

「わたしもダニエルと一緒にゆく」

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