第5話 専属司書!? 冗談じゃありません!
ディートシウスはじっとこちらを見つめている。
(……なんなのでしょう)
カルリアナが自分よりも身分の高いディートシウスの発言を待っていると、ようやく彼が口を開く。
「突然呼び出して悪かったね。この前のお礼が言いたかったんだ。リンデルの
穏やかな表情と口調で礼を述べられ、何を言われるのかと身構えていたカルリアナは拍子抜けしてしまった。
「……とんでもないことでございます。わたしはただ、自分の仕事をしただけですから」
これは本心だ。自分はレファレンスをしただけで、事態を収束させたのはディートシウス自身の手腕だろうから。
ディートシウスの表情が、突然底抜けに明るいものに変わる。
「で、ここからが本題だ。大恩ある君に、何か報賞をあげないとなー、と思ってね。アルテンブルク伯、わたしの専属司書にならない? 今の仕事よりも給料がいいよ」
脳内に〝はあっ?〟という言葉が浮かんだ。念のため、カルリアナは確認する。
「専属司書、とおっしゃいますと、わたし個人を殿下がお雇いになる、ということですか?」
「ご名答! わたしの専属司書になった場合、官吏ではなくなってしまうけど、その分、福利厚生もしっかりしているから。あ、ここに待遇を書いた書面があるよ。見る? 見る?」
「殿下」
「何?」
「せっかくのお話ですが、わたしはお受けするつもりはございません」
「えー、なんで?」
カルリアナは瞬時に言い訳を考えた。
「社交界に流れている噂はお聞きでしょう? わたしは婚約破棄されるような女です。そんな者をお召し抱えになれば、殿下のご評判にも傷がつきます」
本音をいえば、王族などという面倒な存在にはできるだけ関わらず、今の職場で働きたい。カルリアナは王室図書館の仕事が気に入っているのだ。
(それに、この方とは根本的に性格が合わないような気がしますし)
婚約破棄と聞いても、ディートシウスの顔は一切曇らなかった。
「見る目のない、頭の悪い男が浮気して、一方的に婚約破棄しただけだろう? 君のどこが悪いんだ?」
家族同然の使用人たち以外に、そんなことを言われたのは初めてだった。
(本当は……)
カルリアナはディートシウスの奇麗な碧眼をじっと見つめた。
誰かに――まったくの他人に、ずっとそう言ってほしかった。「あなたは何も悪くない」と。
浮気され、こちらも関係の継続は無理だと判断していたとはいえ、一方的に婚約破棄された。プライドが傷ついて腹が立ったし、心の奥底では悲しかった。オイゲーンはバカでしょうもない人ではあったけれど、親戚で幼なじみであることに変わりはなかったから。
なのに、社交界の人々はこちらにも問題があったかのように噂する。確かに、自分は愛想がないし、表情に乏しい、可愛くない女かもしれない。でも、一人くらい「それは違うんじゃない?」と否定してくれれば、どんなに救われるか……。
(驚きました……わたしは自分でも知らないあいだに、そんなことを思っていたのですね)
ディートシウスはヒョウのようにぱっちりした目を細めたあとで、提案を持ちかけてきた。
「こうしよう。わたしの専属司書になれば、我が家の
(中央書庫……!)
現在の人生の目標を持ち出され、カルリアナは息を
ディートシウスがあおるようにこちらを見上げる。
「どうしたの? 無理はよくないよー」
(くっ……! 卑劣な……!)
彼はカルリアナが無類の文字好きであることを調査済みらしい。
カルリアナは一度、深呼吸をした。
「……この件はじっくり検討させていただきますので、お時間をください」
「いいよ。転職は人生に関わることだしね」
ディートシウスはへらりと笑いながら、そう返答した。
***
職場に戻ってからも、王都のタウンハウスに帰宅してからも、カルリアナはディートシウスから持ち出された引き抜きの話について考え続けた。
(話に乗れば中央書庫と稀覯本がわたしを待って……いえ、ですが、ディートシウス殿下が主君というのは……)
とはいえ、「顔と声だけの男」という第一印象だったディートシウスへの心証は、カルリアナの中でずいぶん変わっていた。
(なんというか……わたしが欲しい言葉をくれる方なのですよね……)
見たところ、彼は相当頭の切れる人だが、計算ずくでそういった言葉を口にしているとも思えない。
もしディートシウスが主君になったら、どんなふうに人生が変わっていくのだろう。
「いけません。そんな興味本位で引き抜きに応じるわけには……」
せっかく王室図書館に採用されて、周囲も自分を受け入れてくれているのに。
入浴後、ネグリジェを着て、暖炉で暖められた寝室に戻ったあとも、ぐるぐると考え込んでしまう。おかげで眠れないかと思っていたが、カルリアナはいつの間にか眠りに落ちていた。
カルリアナは夢の中でも書架に囲まれ仕事をしていた。自分でも夢を見ていることがわかっていて、〝わたしは本当にこの仕事が好きなのですね〟と笑みがこぼれた瞬間、部屋の扉が開いた。
現れたのはディートシウスだった。いつものようなふざけた表情はしていない。
彼が優しくほほえみながらこちらに歩み寄ってきたとき、目が覚めた。
(――あれ……? 何か夢を見ていたような……)
そのとき、妙に
〝ディートシウス殿下からのお話を受けましょう〟と。
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