episode1-閑 小堀菫の家庭事情

 徒歩と鉄道の時間を合わせて、片道の通学時間は約2時間。

 いつもと変わらない経路で、いつも通りカミサマと二人きりで、小堀は電車に揺られながら本を読んでいた。公共交通機関の中で話をするのは周囲に迷惑をかけそうだし、視線を集めそうで小堀はあまり好きではない。だからいつもそうやって時間を潰している。

 小堀は本を読むのが好きだ。物語に没頭している間は、嫌な現実を忘れることが出来る。もしも自分がこの物語の登場人物だったらと考えて空想を膨らませるのは、いくつになってもやめられない現実逃避だった。


 自宅から片道2時間もある高校に進学したのは、それだけ自宅にいる時間を減らせると考えたからだ。人見知りをする小堀は自分がバイトなんて出来るわけがないと思っていたし、図書館は遅い時間までは開いてない。かといってその辺をふらふらしているのは外聞が悪く、小堀自身は気にしないが両親は怒り狂うだろう。

 だから遅くなっても仕方のない真っ当な言い訳として、遠くの学校を選んだ。


 電車が最寄り駅に近づくにつれて、小堀はまだ帰りたくないなと思う。

 けれどあまり遅くなりすぎて補導なんてされようものなら、それこそどうなってしまうかわからない。


(帰らなきゃ)


 カミサマの入ったお守りをぎゅっと握りしめ、気持ちを落ち着かせて小堀は電車を降りる。


【菫、大丈夫だ。私がついている】

「うん……。ねぇ、カミサマ。こんな日くらい、お話して貰えるかな? お母さん、お父さん、遠いからすぐに来れなかったのかな」

【……菫】


 駅から自宅までの道すがら、お守りから出てきて励ましの言葉をかけるカミサマに小堀が問いかけるが、カミサマはそれに明快な答えを返せない。

 答えなどわかりきっている。きっとあの二人は、菫のことを心配などしていない。むしろこれ幸いに、自分たちと関係のないところで菫がいなくなってくれれば万々歳だと喜ぶに違いない。しかしそんなことを直接言えるわけがない。


 結局それ以上何か言葉をかけてやることも出来ないまま、小堀は自宅へ帰って来た。


「ただいま」


 駅から徒歩10分もかからない場所にある二階建ての立派な一軒家が小堀の自宅だ。

 帰宅するのと同時にカミサマはお守りの中に戻って沈黙し、小堀は一人返事のない家の中を進む。

 リビングには明かりがついていて、テレビの音声と楽しそうな二人の話し声が廊下にまで漏れ聞こえている。


 普段の小堀なら、このままリビングには行かないで2階にある自分の部屋へと向かう。

 しかし今日だけは、今日くらいは、何かが変わるかもしれないと期待して、震える足に鞭を打ち階段ではなく明かりの方へと踏み出した。


 はちきれそうなほどにバクバクと大きく鼓動する心臓の音を聞きながら、小堀はゆっくりとリビングへ続くドアを開く。


「ただいま。お父さん、お母さん」


 二人掛けのソファに並んで座って、テレビを番組を見ながら仲睦まじく話している二人の男女は、小堀の言葉に返事をすることはなく、振り向きさえしない。


「今日、大変だったんだ……。私ね、ダンジョンに、巻き込まれて、それでね」


 震える涙声で、つっかえつっかえになりながら語りかける小堀に、それでも二人は小堀を見ない。

 それどころか、リモコンを手にテレビの音量を上げて、あからさまに会話の声を大きくする。


 小堀が帰って来たことに気づいていないわけじゃない。

 小堀の存在を認識していないわけでもない。

 小堀のことを、いないものとして扱っているのだ。


「わ、わたし、死んじゃうかもしれなかったんだよ……?」


 もう長い間、小堀はこの家の中でいないものとして扱われている。

 食事は小堀の分だけ用意されないし、洗濯物を出しても小堀の分だけは取り除かれる。

 家の中で出くわしても決して目を合わせることはないし、ここ数年は一度も言葉を交わしていない。


 毎月ある程度のお金を部屋の前に置かれて、食事や生活に必要な費用はそれでやりくりする生活を続けている。

 学費や制服代、修学旅行の積み立てに通学費など、スポット的に必要となるお金は必ず与えられるためこれまで金銭面で困ったことは一度もないが、彼らが小堀に与えるのはそれだけだ。


 小堀はこの家の中で一人、いや、カミサマと二人だけで生活している。


 高校に進学してから登校は早く、帰宅は遅くなったため、丸一日両親の姿を見ない日も増えた。

 いつしか小堀にとってはそれが当たり前になり、むしろ進んで生活リズムをずらして鉢合うことがないようにしている節さえあった。

 人に嫌われるのはつらく、そして自分を嫌う人と関わることには苦痛を伴う。

 高校を卒業してこの家を出るまではこのままで良いと、お互いに不干渉を貫くことが一番楽だと、段々小堀もそう思うようになっていた。


 だが、ダンジョンに巻き込まれて、死んでしまってもおかしくないという極限の状況に置かれたことで、このまま終わりたくないという気持ちが芽生えた。すぐに普通の家族みたいにはなれなくても、せめて少しくらい話が出来るようになれればと、そう思ったのだ。


「はぁ」

「……帰って来なければよかったのに」


 だが、そんな気持ちは届かない。

 いつ振りかもわからないほど久しぶりに返って来たのは、心底嫌そうな溜息と嫌悪感を隠す気もない悪意に満ちた言葉だった。


 咲良第二高校を巻き込んでダンジョンアサルトが発生したことは当然各家庭に知らされており、また巻き込まれた可能性が高い生徒の家庭にはその旨も通知されていた。

 だから当然、この二人も小堀がダンジョンアサルトに巻き込まれ、生きるか死ぬかの極限の状況にあったということは知っているのだ。

 そのうえで、迎えに来るでもなく、心配して帰りを待つのでもなく、いつも通りに過ごしていた。


「っ――」


 無理なんだと。

 この人たちとはもう、何があってもわかり合えないのだと。

 それを理解して、小堀は逃げるようにリビングを後にし、自分の部屋へと駆け込んだ。


「うぅ……ぐすっ……カミサマ、カミサマぁ……!」

【あぁ、ここにいる。私はここにいるぞ。菫は一人じゃない】


 いつもはちゃんと片付けている通学鞄を放り出して、毛布に包まった小堀が泣きながら何度もカミサマの名前を呼ぶ。

 カミサマはそんな小堀を抱きしめるような仕草をしながら、優しく言い聞かせるように何度でもそう答えた。


「私っ、死んじゃった方が良かったのかなっ、ひぐっ……、私なんて、いない方が良かったかなぁっ……」

【そんなことはない。私は、菫が生きて戻って来れて良かったと思っているぞ。それに菫の友も、きっとそう思っている】

「でも、でもっ!! 友達は裏切るもん!! やっぱり私には、カミサマしかいないんだ!」

【……そんなことを言うな、菫。少なくとも奴らは、如月や沖嶋たちは、菫のことを裏切るような者たちではないように見えるぞ】


 小堀がこうなってしまった原因、そして小堀の両親がああなってしまった原因を辿っていくと、カミサマの存在が深く関係してくる。

 だからカミサマは大切な小堀をいないものとして扱う両親に表立って何か言うことも出来ず、かといって友人を信じ切れない小堀を叱りつけることも出来ないでいる。


「ひっく、うう、どこにも行かないで……カミサマ……。ぐすっ……、ずっと、傍にいて……。一人に、しないで……」

【大丈夫、大丈夫だ。私はずっと菫の傍にいる。怖くない、安心しろ】


 カミサマに出来るのは、幼子のように涙を流す菫の傍にいて、その不安を紛らわせやることだけだった。

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