Chapter11 : 火傷


「あんたねえ……!!」


 レックスをペット呼ばわりされ、さっと顔色を変えたカンナが声を荒げた。


「……この人はわたしの命の恩人よ。そしてわたしはかなり恩義を感じてる」


 カンナは傍らのレックスを示し、くんっと顎を上げて、自分より背が高いクリスティナを威圧するように睨みつけた。


「今のあんたのセリフ、聞き捨てならないわ。何か言うことは? 事と次第によってこちらも対応を変える!」

「あらあらあら」


 思ったより強火なカンナに、まるで他人事のように口を押さえてびっくりしているクリスティナ。


「またやってるよ」

「好きだねえクリスティナも……」

「カンナが男連れってのは確かに珍しいがな」


 ホールで寛いでいた他の順番待ちのレイダーたちも、何事かと注目し始めていた。「おっ喧嘩か?」「やっちまえカンナ!」「女狐を叩きのめせー!」などと野次まで飛んでくる始末。


 にわかに騒がしくなるホールだったが――


「えっ、待って!」


 ワンテンポ遅れて、当の本人・レックスが声を上げた。


「今この人が言った『ペット』ってもしかして俺のこと!?」


 ズギャーンッとショックを受けた様子で、自分を指差すレックス。


「…………」


 一瞬ホールが静まり返り、「他に誰が居ンだよ」という野次馬のひとりのツッコミで、思わず皆が吹き出した。……カンナだけは怒り顔を維持していたが。


「そりゃないよ! 酷いなぁ」


 周囲をよそにレックスは天を仰いで嘆く。


「ペットって要は家畜だろ? たしかに俺はこんなナリだけど、ちゃんと服も着てるし、言葉も話すじゃないか」


 心外だと言わんばかりに、ズボンや防弾チョッキをぺしぺしと叩いてみせる。


「あら、ペットに服を着せる人もいるわよ?」

「えっ都会じゃそうなの!? わざわざ!?」


 間髪入れないクリスティナの返しに、ガンッと衝撃を受けるレックス。


「レックス……そういう問題じゃないと思うんだけど」

「いや、けっこう大事だよ」


 思わずツッコミを入れるカンナだったが、レックスはあくまで生真面目に。


「『人型で』『服を着ていて』『話が通じる』――3つ揃ってようやく人間だと確信できる。そうじゃなかったらヤバいやつだから」


 周囲の野次馬たちは、どこかズレているようなレックスの言葉に愉快そうに笑っていたが――そこに滲む妙な実感から「ひょっとして辺境の森の話してる?」と察したカンナは、笑いが引っ込んだ。


 もしかしたら、過去にレックスは出くわしたのかもしれない。人かどうかも定かではないヤバいやつに……


「ふふふ、うふふ、あなた面白いわね」


 野次馬同様、ただクスクスと笑うクリスティナが、興味深げにレックスを見た。頭から爪先まで、つぶさに観察するさまは、まるで川底の砂をさらう砂金採りのようでもある。


「私はクリスティナ。レイダーで、商人もやっているわ。さっきは失礼なことを言ってごめんなさいね。カンナが珍しく男連れだったから、どれだけ大事な人なのか確かめたかったの。あなたは?」

「…………うーん」


 軽く頭を下げながら自己紹介しつつ、ずけずけと尋ねてくるクリスティナに、レックスは困った様子でカンナを見やった。


「この人って、カンナのお友達……?」

「冗談じゃないわ!」


 ぷるぷると首を振って激しく否定するカンナ。


「この街で『お友達になりたくないリスト』を作るなら、まず最初のページに載ってるやつよコイツは!!」

「まぁ、カンナの『お友達になりたくないリスト』だなんて、興味深いわぁ! 最初の1ページだけでも高値で買い取るけど、どう?」

「どう? じゃないわよ、お断りよ! 何に使われるかわかったもんじゃない!」


 ガーッと怒鳴ったカンナは、溜息ひとつ、ドッと疲れた顔をレックスに向ける。


「……この女は、レイダーと商人を自称してるけど、どちらもあんまり正しくない。【遺跡】に潜ってるとこなんて見たことないし、扱う商品は『情報』なの。だから、正確に言えば『情報屋』ね」

「ちゃんと【遺跡】にも潜ってるわよぉ、たまに、考古学的な興味から。情報を扱う商人なのはホント。よろしくね」


 ぱちんとレックスにウィンクするクリスティナ。


「……そうなんだ。カンナのお友達じゃないことはよくわかったよ。都会には色んな人がいるんだね……」

「ふふっ、あなたは随分と田舎から来たみたいね? どこの出身なの?」


 皮肉げなレックスの言葉などどこ吹く風で、マイペースに尋ねるクリスティナ。


「……ウォルデンビー村だよ」


 しばし逡巡してから、レックスは噛みしめるようにして、その名を口にした。


「ウォルデンビー……? ふぅん。聞いたことがあるような、ないような」


 唇に指先を当てて、クリスティナは虚空を見つめながら記憶を探る。


「ここ一帯の大まかな集落はだいたい把握してるつもりだったけど……ぱっと思い浮かばないってことは、辺境も辺境、吹けば飛ぶような小さな村ってとこかしらね」


 独り言のようなつぶやきに、レックスがぴたりと動きを止める。その隣でカンナが「うっ」とめまいに襲われたように目を押さえ、顔をひきつらせた。


「……クリスティナ! 本当に『火遊び』も大概にしなさいよ! ちゃんと謝って、今すぐに!」

「いや、謝罪は必要ないよ」


 硬い声で告げるカンナとは対照的に、存外、穏やかな声で言ったレックスは、静かに首を振る。


「……あら、いいの? でも不快にさせたならごめんなさい、こういう性分で――」

「――より正確に言うなら、上っ面の謝罪はいらない」


 クリスティナの言葉を遮って、レックス。


「さっきから聞いてて思ったけど……あなたは自分のことを、本気で悪いとは思っていないだろう?」


 4つの複眼が、見据える。


「あなたの言葉には信義がなく、あなたが下げる頭には重さがない。心にもない謝罪の言葉で、『謝ったという体裁』だけ整えられて、全部なかったことにされたくないんだよね。こちらとしては」

「…………」

「だから、謝罪は結構だ。あなたは、俺のみならず、俺の故郷まで侮った。そして俺は、それを覚えておく」


 レックスの口調は何も変わらないはずなのに。


「その事実だけが、ここに残ればいい……」


 空気が、やけに乾いていく。


 しかしクリスティナは気圧されるでもなく、むしろ目を輝かせて、「へぇ……」と口の端を釣り上げた。まるで舌なめずりでもしそうな勢いだった。


「……なるほど。侮って悪かったわ、あなた、ただの田舎者じゃないのね。要は謝るならを見せろってことでしょう? 何がお望み? お金、情報? それとも跪いて、あなたの靴にキスでもするべきかしら?」

「勘違いしないで欲しい。俺は別に、交渉のであなたから譲歩を引き出したいとか、対価を得たいとか、そういう気持ちはないんだ」


 段々と面倒くさくなってきたか、どこか投げやりにレックスは答える。


「それが都会の流儀だというなら従うべきなんだろうけど、なんだかなぁ。俺の中では、あなたはもうけっこう取り返しがつかないんだよね。これ以上、関わり合いにならないのが、お互いのためじゃないかな……」

「あら、そう? お互いのためと言う割には、私には得がないのだけれど」

「ホントにそういうところなんだよなぁ……」


『呆れた』と言うより、もはや途方に暮れたように溜息をつくレックス。


「レックス。この女と関わっても、ロクなことないから……距離を取るのが正解だとは思う。ちゃんと謝らないのがホント腹立つけど」


 励ますように、背伸びしてぽんとレックスの肩を叩くカンナ。


「俺もそう考えてたところだよ……」

「悪いとは思ってるわよぉ。でも本当にこういう性分なの。あなたと喧嘩したいわけじゃなくて、仲良くなりたいんですもの」

「……礼儀を、学んだ方がいいんじゃないかな。撃った弾丸は戻らないんだから」

「挨拶代わりみたいなものなのにぃ。多少の悪口くらい軽く流せるようじゃないと、都会じゃ生きていけないわよ?」

、ね」


 はは……レックスが乾いた笑みを漏らした。


「そうか。辺境とは逆だなぁ」

「……逆?」

「うん。狭い世界だから。軽々しく他人を侮辱するようなやつは――」



 レックスが手を差し出した。


 いつの間にか、ショットガンが握られていた。


 ぐり、と銃口がクリスティナの喉に押し付けられる。



 誰にも、反応すら許さない早業。



「――長生きできないよ」



 そして、一切の躊躇なく引き金を引いた。



「――ッ!?」


 ホールの空気が凍りついた。クリスティナは目を剥き、高みの見物を決め込んでいた野次馬たちが腰を浮かせ、警備員が泡を食って銃を抜こうとした。


 だが、かちん、と乾いた音が響いただけ。


 弾は、出ない。


「取り返しがつかないものを取り返す方法は、ひとつしかないんだ。わかるかな」


 ひゅっ、と喉から呼気を漏らしたクリスティナが、がくがくと膝を震わせながら尻もちをつく。くるりと手の中でショットガンを持ち替えたレックスは、背後の警備員にガシャッと銃の薬室を開いて見せた。


 ――空だ。そもそも1発も装填されていなかった。


「と言っても、ここは都会だ。俺も悪口は、軽く流せるようになった方がいいんだろう。勉強になったよ」


 おどけて肩をすくめたレックスは、小さく溜息をついて、カンナに向き直る。



「ごめんね、騒動、起こしちゃった」



 カンナは、すべてを悟りきったように、儚く微笑んだ。



「うん……仕方ないわよ」



 次の瞬間、「確保――ッ!」と叫んだ警備員たちがレックスに殺到した。

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