第19話 将棋部部長の波佐見将棋

「昨日は散々だったわ」


 通学路の途中。盟子は昨日のことを思い出し、軽い目眩を覚える。


「でも、腹原操の言ってたことが事実だとすると、私はもう用なし。これでアニメ同好会の存続も事実上不可能……か」


 溜息を吐きつつ、重い足取りで数歩進む。


「……でも一つだけ手がないこともないわね」


 ぱっと頭を上げ、前を見つめる。


「権力の庇護に入ることができないのなら、その権力自体を潰してしまえばいい……」


◇ ◇ ◇ ◇


「昨日は楽しかったですね~」

「そ、そうか? 俺には悪い夢だったようにしか思えないが」


 通学路の途中。途中で出会ったとろりんと、できることなら出会いたくなかった品緒と一緒に登校していた彼方は、昨日のことを思い出し、軽い頭痛を覚える。


「わかります、その気持ち。なにしろ、かなりの強敵でしたからねぇ」

「いや、敵がどうとか言うよりも、お前の存在自体が……」


 彼方は呑気そうに隣を歩く頭痛の種を横目でチラリと見て、溜息一つ吐く。


「盟子さん、今日もまた~来てくれませんかね~」

「ぶっ! とろりん、急に変なこと言わないでくれ」


 反対側の隣は隣で、また頭が痛くなりそうなことを言ってくる。


「え~、どうしてですか~? 楽しい人だったじゃないですか~」

「あれが楽しい人? ……まぁ、楽しそうな人ではあったが」


 とろりんの感覚が理解できない彼方は、額に手をあてて考え込む。


「私は~盟子さんって素敵だと思います~。なんか、憧れちゃいます~。今日は朝から校門で待っててくれたらいいのにな~」

「……やめてくれ。そんなこと言ってて、ホントにいたらシャレにならん」


 その言葉に、とろりんはクリクリよく動く瞳を彼方に向け、不満げな表情を見せる。


 そうこう話しているうちに三人は校門をくぐった。とろりんの言葉で少し神経質になっている彼方は、盟子の姿が見えないか辺りをキョロキョロと見回す。彼方にとって幸運なことに、コスプレしている恥ずかしい人物はもちろん、制服姿の盟子も見つかりはしなかった。

 しかし、その代わりと言ってはなんだが、コスプレとは違う変な格好の人物を発見した。いや、発見したというよりは、どうしても目についてしまったと言うべきか。

 その人物は、皆が制服を着て登校してきている中(とはいえ、彼方と品緒は相変わらずの格好だが)、羽織袴という出で立ちで、腕を組んだ姿勢で微動だにせず、太い眉の下の細い目でこちらを凝視しているのだ。


「阿仁盟子ならいるはずがないぞ」


 その男が今までの会話を聞いていたかのような言葉を吐いた。


「人の話を盗み聞きしていたのか? いい趣味とは言えんな」

「あのアニメなどというくだらないものにうつつを抜かしていた者なら、昨日のうちに始末されているはずだ」

「はぁ?」


 彼方の言葉を無視して喋った羽織袴とは対照的に、その男の言葉に彼方はどよめく。


「始末ってお前、小説の秘密結社みたいなこと言ってんじゃねーよ」

「何だか、僕達の常識がどんどん崩壊していくような危機感を感じますね」

「お前が言うな、お前が!」


 彼方は常識潰しの第一人者を蹴飛ばした。


「しかし、あのアニメ同好会を始末だと? あれ程の実力者をどうこうできるだけの奴が、ほかにいるというのか?」

歩歩歩ふふふ。まだまだ認識が甘いな。あの女は所詮同好会の人間でしかない。正式な部の人間との間には圧倒的な力の差があるのだ。にもかかわらず、その程度の相手を実力者だと? っ、笑わせる。それではこの私の足元にも及ばんな」

「……もしかして、お前もクラブマスターなのか?」


 クラブマスター──それはクラブを極め、特殊な能力を手にいれた人間の総称。


「ふっ。気づくのが遅いな、天文部部長空野彼方!」

「部長~、何だか地面が変なことになってます~!」


 相変わらず緊迫しているのか落ち着いているのかわからない口調のとろりんの言葉を受け、彼方達は足元に目を向けた。


「何だこれは?」


 彼方達の足元は碁盤の目のように区切られ、一人一人がそれぞれそのマスの中に立っていた。


「どうやら、これは九マス×九マスの八十一マスでできているようですよ」

「九マス×九マスのこのマス目……もしかして」

「そう、将棋だ。っ、将棋フィールドへようこそ。この将棋部部長、波佐見はさみ将棋まさきが相手をさせてもらうぞ」

「将棋フィールドだと? こんなマス目がどうしたっていうんだ」


 彼方は恐れもせずに自分のいるマスから足を踏み出す。


「だいたい、将棋なんかでこの俺を倒せると……なんだ? これ以上前に進めないぞ!」

 一歩目は前に進めただが、その次の足──次のマスに入ろうとするその足は少しも動かせない。

「部長、私も動けませ~ん」

「こちらも同じですよ、彼方君」


 三人とも一様に、上半身は自由に動くが足の方は凍り付いたかのように固まってしまっている。


「不用意かつ、無計画な一手だな。お前達がすでに将棋フィールドの中にいることは教えたはずだぞ」

「くぅ、どういうことだ?」

「この将棋フィールドの中では、お前達は将棋のルールに則って行動せねばならんのだ。つまり、今お前が一歩動いたことにより、先手の一手目は終了し、次は後手であるこの私の番であり、その私の行動が終了するまで、お前達は動くことができないということだ」

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