第15話 腹話術部の腹原操

「どうもありがとうございました」


 行きつけの本屋の店員の声を背に、盟子は店の名前の入った紙袋を大事そうに抱えながら店外に出た。


「ふぅ。危ない危ない。危うく忘れてしまうところだったわ」


 学校指定のブレザー姿に戻っている盟子は、さっきまでの興奮した表情からは想像もできない程のほくほく顔。足取りも軽く、家路を急ぐ人々の間を抜けて行く。

 彼女のご機嫌の理由は、その紙袋の中身。毎月十日発売のアニメ雑誌が三冊その中に入っているのだが、盟子にとってそれらを読む時間こそまさに至福の時なのだ。


「学校で無駄な時間を過ごしてしまったから、早く家に帰って読ーもぅっと」

「……あんな失態をさらしておいて、よくそんな楽しそうな顔してられるよ」


 行き交う人々のざわめきの中、ウキウキ気分の盟子の耳に決して大きくはないその声がやけにはっきりと聞こえてきた。


「……みーくんもそう思うだろ?」

『ホント、ホント。脳みそオタク菌でやられてるんだゼ、ゼッタイ』


 オタクという言葉に反応したのか、盟子は声のした方に光の速さで顔を向ける。

 そこにいたのは、春風高校の制服を着た、何事に対してもやる気のなさそうな厭世的な表情をした小柄な生徒。彼自身はこれといった特徴もないのだが、異様に目を引くのはその手に抱かれている腹話術の人形。人形自体は、腹話術でよく用いられるただの小学生風の男の子の人形であって、特別どうこういうようなものではない。だが、このような町中で制服の学生がそれを持って歩いているというそのこと自体が異常なことだと言えた。


 盟子はその生徒に見覚えがあった。いや、正確には生徒にではなく、人形の方に見覚えがあったというべきか。その生徒の取り立てて個性の感じられない顔は、盟子の記憶の中には留められておらず、むしろ人形の方を覚えていたのだから。


 盟子は人の間をうまくすり抜けつつ、その生徒の方へ向かった。


「あなた、生徒会室にいたわよね。確か、腹話術部の……」


 盟子がそこで言い淀むと、すかさず人形の口が開く。


『腹話術部部長の腹原ふくはらみさおダ。覚えとけ、このアマ』

「まぁまぁ、落ち着きなよ、みーくん。人間にとって、他人なんて所詮はどうでもいい存在に過ぎないんだ。そんな人間にいちいち他人の顔と名前を覚えろなんていうこと自体が無理なんだって」


 一人で腹話術をしつつ、みーくんと呼んだ人形の頭を撫でて宥める操。

 操のその腹話術は見事と言えた。みーくんと名付けられた人形の声は操自身の声とは全く質の違った声に聞こえるし、なによりみーくんが喋っている時の操の口は、傍目には全く動いているようには見えない。それはまるで、人形が一つの人格を持って喋っているかのように、見る者の目には映る。


「な、なんなのこいつ? 生徒会室で会った時から、変な奴だとは思ってたけど」


 盟子はその少年に危険なものを感じて少し後ずさった。

 操がみーくんを見やる時の瞳は非常に温かげで、まるで我が子を見守る母親のよう。それに比べて、盟子──に限らず人間一般とも言えるが──を見る時の操の瞳はひどく無機質だった。同じ人間に向けられたものとは思えない、まるで道ばたのも石ころでも見るような視線。


『オイオイ。コイツ、自分のこと棚に上げて、オレらのことを変態扱いしてるゼ』

「人間は誰しも自分が可愛いものなんだよ。他人なんて、蹴落とすか、利用するか、見下すか、あるいはそれすらする価値のない存在でしかないんだ」


「さっきから人形相手に喋って、私を馬鹿にしているの?」


 操の異様さにしばし圧倒されていた盟子だったが、相手は一人なのにまるで二人からバカにされているような気持ちになり、怒りがふつふつと沸いてきた──が、


「みーくんは人形じゃない! 僕の親友だ!!」

「……そ、そうなの」


 おとなしい雰囲気の操にいきなり逆ギレされて、盟子の方が逆に気圧されてしまった。


「それより、あたしに何か用?」


「……用がなければ、わざわざ他人と話をしようなどとは思わないよ」

『用件を簡単に言うとだナ。失敗した役立たずのオマエに、生徒会長の命令で制裁を加えに来たってことダ』


 その言葉に盟子の血の気が音を立てて引いていった。ショックのあまり、命の次に大事なアニメ雑誌を地面に落としてしまう。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 誰が失敗したって? 誰が役立たずですって? あれは単なる小手調べよ。負けた訳じゃないし、まだ力のすべてを見せてだっていないのよ!」


「……そんなことは僕らには関係ないさ」

『生徒会長がオマエを見限り、オレらがあんたの始末を任された。ようはそれだけダ』


「そ、それじゃあ、アニメ同好会はどうなるのよ?」


「……そんなもの、廃部に決まってるよ」

『いや、所詮は同好会だから、廃部ですらないゾ』

「……それもそうだね」


 操が声も出さずに不気味に笑う。


「言わせておけば……」


「……確かに。ちょっと、お喋りが過ぎたようだね」

『そうだ、そうダ。こんなアマ、さっさと片づけちまおうゼ』

「命令されて動くのは好きじゃないけど、ここは生徒会長の望み通りに動いてあげるよ」


 ふいに盟子に向けていた操の目に鋭い光が宿った。それと共に操のクラブパワーが膨れ上がる。

「な、ただの暗いボンボンかと思っていたら、これほどのクラブパワーを持っているなんて……。人は見かけによらないとはよくいったものね」


 だが、盟子の驚きはこれで終わりはしない。


 パリン パリン パリン


 四方からガラスの割れる音がした。盟子がそれらに目を向けると、ブティックのショーウインドゥに飾られていたマネキンが四体、生きるているかのように動き出し、ウィンドゥガラスを突き破って道路に出てきていた。


「な、何!?」


 マネンキはただでさえ無表情かつ無機的でどこか気味が悪い。それが、その無表情のまま動いているというのは、なお一層薄気味悪いものがあった。それまで道を行き交っていた人々も、興味を持って見るどころではなく、我先にとその場を逃げ出していく。


「……腹話術部奥義、人形操り」

「こんな人目につく町中でやるなんて! あなた、ホンキ!?」

「……他人のことなんて、僕にはどうでもいいことさ。何か問題が起きても、生徒会長に責任を取ってもらうよ。僕らに命じたのはあの人なんだから」

「学校内のことならともかく、いくら生徒会長でもこんな場所とこのことまではもみ消せないわよ!」

「……だから言ってるだろ。そんなことは僕の知ったことじゃないって」

「こいつ、イカれてるわ!」


 ここにきて盟子はようやく相手がまともに話の通じる相手ではないことに気づいた。


「こうなったら仕方がないわ。こっちだってやってやろうじゃないの! アニメ同好会奥義、コスプレ・チェーンジ!」


 光に包まれ、盟子が姿を変える。


『ヘェ、学校の時のとは違うジャン』


 みーくんの言葉通り、今回の盟子の格好は、彼方達と戦った時のセーラー服もどきの格好ではなかった。あれに対抗したわけではないだろうが、今回はブレザー。とはいえ、春風高校のものではない。有名デザイナーによる斬新さとクラシックさが混在した、目を引くけれども決して嫌みな派手さがない春風高校の制服と違って、今盟子が身につけているのは黒を基調としたシックでシンプルなもの。普通にその辺りを歩いていても全く問題のない服装である。


 そう、服装はいたって普通。服装は。


 問題なのはその盟子の右手に握られているもの。怪しげな燐光をまとった刃渡り1メートル近い両刃の剣──そんな異様なものが盟子の右手に握られていた。


守護天使ガーディアンエンジェルメイコ、参上!」


 左手を腰に当てつつ、剣の先を操の方に向けてポーズを作りながら盟子が名乗りをあげた。夕陽を浴びて本来の色とは違う色を見せている艶やかなストレートの髪が、黄昏の風でなびく。その姿は一度見たら忘れられないほどに凛々しく美しい。

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