ep1 出会いは時に突然で―Part.7

 家を出ることは少ない。

 一週間、全く家から出ないなんてこともある。寝癖を直すのとか、メイクするのとか、正直めんどくさい。どこから見られても完璧な髪型で完璧なメイクを施してくれる人はいない。


 全て自分でやらなくちゃいけない。

 でも、今日はそんなめんどくさいことをしている。


 今朝、いつも通りタバコを吸いに寝室のベランダへ出た時、門を出て行く美海の後ろ姿が目に映った。紙箱からタバコを一本取り出し、口に咥えたところで美海を追って走るタンクトップの男が足を止めた。


 咥えたタバコに火を付け、煙を吐く。

 足を止めたタンクトップがずっとこっちを見ている。たまに会うといつも見てくる。わたしが目を向けるとタンクトップは目を逸らし、走って門から出て行く。毎朝、陰に隠れて見ていることにも気付いている。タンクトップはバレてないと思ってるのだろうが、アイドルは人の視線や気配とかには敏感だ。敏感にならざる得ない。


 タンクトップが出て行って数分後、吸っていたタバコも終わりかけた頃合いで、ここの大家であり住人でもある男が姿を現す。初めの内はタンクトップと同様に興味を示すような目を向けられていたが、半年近く住んだ今は見掛ける度に目を向けては来るが一瞬で、その瞳からは興味も関心も感じない。


 最後にあの人がわたしに向けた瞳と似ていて嫌いだ。


 坂下ではなく、車庫のある坂上へ上がっていく大家を見届けることなく、わたしは部屋に戻った。顔を洗いに洗面所へ向かう道中、至るところに積もる埃に目がいく。


 シェアハウスの用途で使われる家は一人で住むには大き過ぎる。わたし自身掃除をあまりしないし、家政婦でも雇って掃除してもらおうか。でも、知らない人を家に入れたくない。そう思うと結局、自分で掃除するしかなくなる。


「はぁ………」


 考えただけでめんどくさくて、ため息が出てくる。


 一階の洗面所で顔を洗い、歯磨きをしながら昨日のことを思い返す。昨日の出来事は何も珍しいものではない。「案外気付かれない」なんて美海には言ったけど、今だから言えたことかもしれない。


 今と一年前とでは世間からの認知が違う。


 一年前では外を歩けば人に囲まれるのはが日常で、行動するにも事務所の男性職員が常に同行する。それが嫌で撒いたりしたけど、その度に「勝手なことするな」とマネージャーに怒られる。


 自由なんてほとんどなかった。


 アイドルは売れ始めの時期が大切で、何をするにも事務所のチェックが入り、わたしの思いよりもファンや世間からどう見られるかが優先される。アイドルは人じゃない。事務所会社が売り出すアイドル商品だ。商品のイメージを保つのは会社の仕事で、商品は意思決定する力を持たない。商品は人ではなく、モノに過ぎないのだから当然のことだ。


 体形を維持するための食事制限やダンスとは別のトレーニング、肌や髪質を良くするための美容施術。わたしは姿勢が良くないとかで姿勢の矯正も受けさせられた。そんなビジュアルディレクティングはどれもきつくて、泣きたくなる時だってあった。


 歯磨きを終え、目の前の鏡に映った自分を見つめる。


 半年前と比べれば体重も増えただろうし、髪や肌の手入れだって怠った時もあった。泣きたくなるくらい頑張った自分を、わたし自身で捨ててしまった。自分自身への苛立ちで噛んだ唇から血が出てくる。


 これ以上苛立つのも嫌で、わたしは鏡から目を外す。


『今の君にはそうするべきだと思っただけで』


 わたしへのトレーニングも、美容施術も、矯正も、全て『わたしのため』なんかじゃなかった。


 洗面所を出たわたしは寝室に戻った。

 今の最悪な気分を変えたくて、服を着替え、メイクを始める。それなりに時間を掛けた甲斐もあって、自分なりに上手く出来た方だと思う。


 帽子を被って外に出る。

 相変わらず、雲一つない空が広がっていている。日焼け止めを塗りながら坂を下る。坂下のバス停でバスに乗り、名ばかりの復学をする大学へ向かう。


 ここでの名ばかりは本当の意味でだ。

 あの家に引っ越して来てから一度も大学へは行っていない。わざわざ人の多い場所に行く意味なんてないし、国大に入学出来るほど頭も良くない。演劇専攻で入学出来ただけに過ぎないから。


 何年振りくらいに訪れる国大は随分と閑散としていた。新入生のオリエンテーション期間で、他学年の講義は始まっていないのだろう。人の多い大学内を誰にも気づかれることなく歩いて回る感覚は新鮮で、少しは気分転換になった。


「新入生少人数クラス………」


 そう書かれた紙が貼られる建物の前で足を止め、見上げていると中から声が聞こえてきた。誰かが出て来る。わたしはとっさに向かいの建物の陰に隠れた。


 教員らしきスーツ姿の眼鏡を先頭にして、十数人の学生が建物から出て来た。人の少ない場所では気付かれる可能性も高まる。隠れて覗く学生達の中に美海の姿があった。教員による施設紹介そっちのけで、垢の抜けきらない男と話し込んでいる。


 大学に来るのは数年振りなので好都合だ。施設紹介を受ける集団について行けば、それなりに時間を潰せる。


 施設紹介の間、美海は終始、垢の抜けきらない男と喋り通していた。会話は聞こえないけど楽しそうではあった。


 ある程度、大学を見て回ると集団は中央広場で解散した。昼過ぎと言うこともあり、半分以上の人が学食のある建物へと向かっていく中、美海とその男は帰るみたいだった。


 二人は大学の前で別れ、バス停の方へ歩く美海を追って、わたしもバス停に向かった。


 バス停で独り言を呟く美海に言葉を返した。「リレイ」と呼んで驚く彼を見て、わたしは満足する。被っていた防止を脱ぐと、彼は「気付かれますよっ」と必死に防止を被せてくる。


 お腹がすいたので「何か食べに行こうと」彼を誘う。だけど彼は用事があると言って断ろうとしてくる。だから、用事が終わってからでもと妥協してやったのに「勘弁してくれ」とさらに断る。


 バスが到着したが、このバスに乗る必要は今なくなった。


「あっそ」


 期待に沿った言葉をくれない美海に冷めた言葉を残し、わたしはバス停を離れる。呼び止めることもなく、美海はバスに乗って、その『用事』とやらを済ませに行った。


 ちょっとは良くなってきていた気分が台無しだ。癖みたいになってしまった舌打ちを鳴らす。せっかく時間を掛けてメイクをしたのに、家へ帰ってしまうのは時間を無駄にしたみたいで嫌だった。


 何をしようか少し考えて、駅の近くに建つアミューズメント施設へ足を向けた。独りでボウリングを二ゲームして、スコアは95と82。全然上手くボールを投げられなかった。続けてゲームセンターでメダルゲームとクレームゲームをするも、独りでやって楽しいものじゃなかった。


 一時間ちょっとでアミューズメント施設を出た。駅に併設される百貨店をあてもなく彷徨うものの、わたしの目を惹くようなものはなく、時間だけが無為に過ぎていった。


 アミューズメント施設も百貨店も、大勢の人で溢れている。わたしに向けられる数多の視線を無視し続けるのにも疲れてしまった。


 駅からバスに乗り、家のある坂下のバス停で降りた。百貨店に入った時から気付いていたことだが、緑色のシャツを着た男につけられている。声を掛けてくるなら無視して対処出来るけど、無言でつけられるとなると面倒くさい。


 ストーカーへは常に気を張っているので、盗撮でもしようものなら、その場で捕まえて警察に突き出してやるつもりでいる。


 いっそのこと盗撮してくれないか。無言で後をつけられると対処のしようがない。最終手段としてはこっちから問い詰める手もあるが、出来るならしたくない。まず、そんな奴と関わりたくないから。


 向かいのコンビニによって、中を少しふらついてみたが、ストーカーは入口付近で立ち止まったまま動こうとしない。


 レジに並びながら、何でもない風を装って立つストーカーに横目を向け、舌打ちが口からこぼれる。前に並ぶおばさんが振り向いて、わたしは帽子のつばを深く下げた。


 レジの順番が回ってくる。

 タバコを四箱。いつも吸っているタバコの番号を店員に伝えると視界の端に映るストーカーが小走りでどこかへ行った。見ればトイレに向かったみたいだった。


 撒くなら今しかない。

 背後の棚から指定したタバコを四箱取った店員がレジを打つ中、「やっぱりいいです」と言ってコンビニを出る。


 不自然なほど駆け足になっているだろうが、この機会を逃せばストーカーを撒くことは出来なくなる。


 向かいの坂まで車道を横切りたかったが、車の通りが激しくて出来そうにない。小走りで横断歩道へ向かうものの赤信号に捕まった。


 本当に今日は最悪だ。


 背後から足音がした。小走りで追い掛けてくるような足音だった。赤信号に捕まったことで追い付かれた。


 肩に伸ばされた手を弾いて振り返る。


 最悪で最低な一日だと思って振り返り、そこに美海がいて、全身の力が抜けそうになった。どうしてかは分からない。でも確かに立っていられないんじゃないかと思うくらいの虚脱感が全身を駆け抜けた。


「………急に後ろに立たないで。殴るところだった」


 本当に殴るつもりだったので嘘はついてない。美海はすぐに「ごめんなさい」と謝ってくる。そんな彼を見て、少し心が落ち着く。


 ストーカーについて話そうとしたが、美海の方が先だった。申し訳なさそうな表情のまま口にした言葉に、わたしは不意打ちをくらった。


「夕飯、何か食べに行きませんか?」

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