‐2‐ 其の壱

「さて、これが何か分かるかな、タケルくん」


 僕の目の前に、一つの装置が置かれた。

 手前に突き出したマイクのような部分。その脇に二つ、細かい穴の開いた部分がある――小さな穴の先には、スピーカーが見えた。本体は金属で形成されていて、デザインはかなり古めかしく、何とも言えない薄い緑色をしている。大きさはちょうど僕が隣で開いているA4のノートと同じくらいだ。

 もしもこれに「問題を複雑化させる部分」がないのなら、僕は普通に無線機ではないかと答えていたと思う。


「問題を複雑化させる部分」とは、無線機のようなボディの上に堂々とそびえている物だ。

 無線機というのなら、アンテナのように。

 あるいは、古いラジオの真空管のように。

 透明な環状のガラス管が、輪をこちらに向けて、二本の脚で機械に接続されている。

 水の満たされたガラス管のようで、上には少しだけ空気の泡が浮いている。

 それだけではない。

 中には何かがふよふよと漂っている。


「クラゲ?」


 形状からそう認識せざるを得ない。

 だが、それはあり得ないだろう。

 僕は、疑惑の目を先生に向けた。



 

 茜原教授は、言うまでもなく僕の古くからの知り合いであり、彼女の親であり、それでいてどこか昔からの友達のような人だ。もちろん、今この彼の研究室の中に置いては、彼が先生で、僕が学生である。


「私は、イタズラのつもりでそんなことをしたんじゃないよ。これはちゃんと当時から存在していたものだ。大切に扱われてきたのか、表面には傷も腐食もない。だが、持ち上げてみれば機械の裏はだいぶ錆びているよ」


 僕も機械の短い脚の隙間に指を入れてみる。

 じゃりっとしたものが触れ、茶色い錆が指に付着していた。


「だとすれば、なおのこと変じゃないですか。長い間、このクラゲは生きてきたというんですか?」

「そうなってしまうね。では、ベニクラゲというのは知っている?」

「ベニクラゲ?」

「花クラゲ目ベニクラゲモドキ科。学名は、“Turritopsis spp”。その特性は、不老であるということ」

「老いることがない?」

「そう」


 彼は、黒板の方へと歩いていく。

 机の上に置かれた器具の林を器用に避けながら、軽やかに歩いていった。

 黒板にたどり着いた先生は、チョークを手に取って絵を描いていく。

 楕円に四本の脚を描き、とてもざっくりとしたクラゲの絵だった。

 描き慣れてる……

 さすがに、ルナの親と言ったところか。

 その隣に小さいクラゲを描く。


「多くの生物がそうであるように、成体とその幼体は似ている。だが、クラゲという生物はさらに前の段階があり、このクラゲのカタチとは違った様相を見せている」


 さらに隣に小さな核を持ったとげとげとしたアメーバのようなものを描く。


「この形態を、エフィラという。まあ、ここまでは成長としてはあるあるかもしれないね。これが小さなクラゲになり、体が大きくなるという成長というのは」


 だが、さらにその隣に、多くの円盤状の節を持つ、木のようなものを描く。

 そのてっぺんからは、触手が生え、生物っぽくは見える。


「これがストロビラ。木のような見た目のとおりに、岩に生えるようにくっついている。ストロビラの持つ節の一つ一つがエフィラへと分裂して成長していく。一つの生物が、複数の生物になるという不思議な成長を遂げる形態だ」


 その横に、さらに、一つの絵を描く。

 ストロビラの節を無くし、太くしたものだ。


「これが、ポリプ。一つ一つに分かれる前の状態だね。さらにこの前段階に、プラヌラという卵から生まれてすぐのものがあるんだが、それは一旦置いておこうか。じゃあ、ベニクラゲの話に戻していこう」


 先生は絵の横に、今まで描いた順番とは逆向きに、正しい成長の順番となるように矢印を書いていく。ポリプがストロビラに、ストロビラがエフィラに。エフィラが稚クラゲ(というらしい)になる。

 そして、さらに最終段階の大きなクラゲからポリプに矢印が引かれる。

 最終段階から初めの状態へ。


「ベニクラゲは、自分の終わりを悟ると、成長の最終段階からポリプへと戻ることができる」

「元に戻るんですか?」

「戻る。ここからここに」


 再び線を辿る。

 大きな円環を描く。


「若返ると言えばいいのかな。成長の段階を元に戻してしまう。これがベニクラゲの特徴なわけだが――その中にいるのは、恐らくこのクラゲ、もしくはその亜種だと思われる。今も定期的にサイクルを繰り返していて、エフィラやストロビラの状態を確認できる」

「ですが、先生」


 僕は手を上げる。

 授業のように。


「このガラス管の中に、酸素は残っているんですか? それと栄養分はどこから?」

「製作された時期もすでに調査済みだが、作られてから二百年は経過しているらしい。他のものは中を分解してみようと思ったものもいるようだが、カバーを外してみてもその水槽には通気口もなければ、エサを取り入れさせるための穴はない。つまり、クラゲと水を入れて、管の入り口を閉じた密閉されたガラス管そのものだった」


 それでは、ますますおかしい。


「世の中には、水を変えなくてもいいアクアリウムの仕組みは存在するが、クラゲだって餓死はする。酸欠も当たり前にある。だが、このクラゲは間違いなく生きている。私にも分からない。謎という他がないんだ」


 先生が顎に手をやるのとほぼ同じくして、中のストロビラがエフィラへと分裂していった。外敵もないが酸素も栄養素もない、宇宙空間のような場所で、クラゲは悠々とふわふわ漂っている。

 たしかに、生きている。


「さて、これはなんだと思う?」

「分かりません」


 素直に答える。

 明らかに、謎の部分が本当に答えを複雑化させている。

 これで答えられるわけもない。


「これはね。エジソン作の『霊界通信機』だ」

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