第4話 不可解な気遣い

 ヨロズハはタダシの案内で森を抜けた。彼はまるで近所を散歩するかのようにスイスイと進み、あっという間にイチの村に着いた。


「イチの村に来るのは初めてか?」


「いや……十年前に来たけど……すぐに追い出されたから覚えないない」


 ヨロズハはそれを言ってすぐに後悔した。正直に言いすぎた、そう思った。その証拠にタダシは少し俯いて頬をポリポリとかいて気まずそうにしている。


「わ、悪い。人には色々あんだもんな」


「そ、そういうことだ」


 十年前に朱の髪一族はイチの村に滞在しようとしたが、まだ戦乱の世であったこと、彼らがほとんど歌しかできない者どもだったことから追い出されている。ヨロズハは五歳の齢だったが、それを克明に覚えていた。


 出てけ、役立たずども。恨みや怒りのこもったそんな言葉を彼女はしっかりと覚えている。そこで言葉の力を嫌というほどに思い知った。


 しかしタダシはそんなことを知らない。だからヨロズハは彼を責める気にもなれない。


「ど、どうだ?村に帰ってきてから歌は思いつきそうか?」


「オイラはヨロズハみてぇな才のあるモンじゃねぇ。一日くれ。普段の生活をしてみて、それを歌にしてみっから」


 タダシは背負った木の位置を直す。そしてヨロズハに家の位置を教えると、自宅の方へと歩き出した。木を背負った彼の背中が遠くなっていくのを見送る。彼女は宿を探すべく動き出した。


 イチの村は農作物が豊富に取れる。茶色い布団のような土壌に覆い被さるように瑞々しい葉っぱが生えている。そんな畑の様子を眺めながら歩く。


 道行く人々はヨロズハの赤い髪をジロジロ見てくる。そんな視線が彼女はくすぐったい。王宮では朱の髪一族は全く珍しくない。石を投げれば当たるというほどではないが、多くいる。しかし外に出れば違う。それを彼女は思い知った。


 泥やワラを混ぜて固めた壁の建物の並びに一つ看板が見える。大きな木の板に墨で宿と書かれている。


 彼女は暖簾をくぐってその建物に入る。中は途中までは床がなく、土の地面だった。途中から一段高く木を張った床が広がっており、中には麻の服をきた男女が話をしている。ヨロズハが入室したことに気づいた女性は口を開いた。彼女は宿の主人だ。


「いらっしゃい。お客さん。何泊だい?」


「一泊」


 ヨロズハは布袋をガサガサと漁りながら答えた。彼女は銀色の指輪をとりだすと、それを宿の主人たる女性に差し出す。


「これで泊めてほしい。これは大陸からマンヨウ王が仕入れた貴重な指輪のひとつで……」

 


 ヨロズハが宿泊の代わりに渡す指輪がどんなに貴重なものかを説明し出す。宿の主人は最初ポカンとしていたが、軽快に笑い出す。


「はは、そんなもの受け取れないよ。そもそもこの宿はマンヨウ王のおかげで成り立ってるのさ。食材も、修繕も。イチの村は都から近いからね。役人さん達が出張のとき泊まりにくるってのもあるけど……他の一般の旅人でも泊まれるのさ」


「そ、そうだったのか……」


 ヨロズハは少し俯いた。彼女を自らの無知を恥じた。マンヨウ王に関することは何でも知っているつもりになっていた。


 ヨロズハは宿の一室に通された。ささくれ一つない木の床の部屋だった。歩くと少し板が軋む。座布団が一つ置いてある。部屋の隅には布団が綺麗に畳まれている。質素な部屋だが彼女はここに長居するつもりはない。明日の朝にはタダシから歌をもらってこの地を立つのだ。


「シチゴ、ゴシチ。自由にしていていいよ」


 二体の妖獣が彼女の服の開いた脇からスルリと抜け出る。シチゴもゴシチも初めてくる宿の部屋に興味津々で、あたりをふよふよと飛び始めた。


 ヨロズハは座布団を枕に、体を投げ出すように寝転んだ。


「王様……こういう宿にも支援してたんだな」


 彼女はマンヨウ王を尊敬している。マンヨウ王学なんてものがあったとしたら首席だ。しかしそんな彼女でも知らないことがあった。村の宿を支援するほど、かの王は慈悲深いのだ。その慈悲深さはヨロズハの想定を二回りは上回っていた。


 彼女は少し物憂げに起き上がると、窓の外を眺めた。少し遠くの畑で人々が汗を流しながら働いている。ふと彼女が宿の前の道に視線を落とすと、見知った顔があった。その顔は真っ赤で、汗を垂らしながら走っていた。


「どうしたんだ?」


 窓枠から身を乗り出してヨロズハは尋ねた。タダシは一瞬キョロキョロした後、宿から身を乗り出すヨロズハを見て、勢いよく近づいてきた。


「オイラの妻が病気なんだ!具合悪いって……今手紙が来たんだ!だからこの薬を急いで届けなきゃなんねぇ!妻はテンツキ山のてっぺんに住んでっから……歌はちょっと待ってくんろ!」


「なるほど、それは大変だ……」


 ヨロズハは逡巡した。彼から歌を集めるのを待つべきか。諦めるべきか。そもそもタダシに固執する必要はない。彼女はどうするのが合理的なのか分かっていた。


「じゃあ私がテンツキ山への道中手助けしよう。呪術の心得もあるし、使いの妖獣もいる」


 ふと言葉が口から出た。ヨロズハは口元に手をやった。自然とこの言葉が出てしまった。合理的に考えれば、彼から歌を集めるのを諦めるのが早い。彼との関わりも終わらせ、違う人から歌を集めればいい。そうわかっていた。そのはずが、彼女はタダシを助けるのが道理だと思ってしまっていた。


 タダシは口をぱくぱくさせた後、拝むように手を合わせた。


「ありがとう!今すぐ行けっか?頼むぅ!」


 ヨロズハは自分の心がわからないまま、宿を飛び出した。後にシチゴとゴシチがふよふよと続く。


 


 


 

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